東呉商事の経営戦略担当で、現在休暇中の周瑜に変わって室長代理となっている魯粛は、朝から大きなため息をついていた。
「あらら、どうしたっていうんです?そんな大きなため息なんかついちゃって」
声を掛けてきたのは企画室長の陸遜である。
「陸遜か。おまえも私が周瑜さんの代行をしていることに不満なんだろう?」
「は?不満ですって?誰がそんなことを」
陸遜は意外だ、という表情で魯粛を見た。
「昨日の会議でも今朝の朝礼でもね、みんなの私を見る目が冷たいんだよ」
「気のせいですよ」
そうは言うが、陸遜自身もそれは感じていたことだった。
周瑜はいつもまわりに気を遣っていながらもてきぱきと仕事をこなしていた。
積極的に人の意見を聞き入れたり、とにかく部下の使い方が上手かったのだ。
それもあって周瑜の人気は高い。
急に休暇をとるということになって、彼ら部下たちは慌てた。
周瑜に認めて貰いたくて無理に残業して企画書や書類を作成した者たちは、一様にがっかりした。
それでも最初は魯粛のところに皆は殺到したのだが、その反応が周瑜とは明らかにちがうことを悟るとやる気をなくしてしまっていった。
魯粛は周瑜の補佐として副室長を任される有能な男だった。
周瑜はたしかに女だてらに仕事ができる。
魯粛もそれには一目置いていたし、密かに憧れてもいた。
そこへ駱統がやってきた。
「社長から連絡入りましたよ」
魯粛は机を叩いて立ち上がった。
「なんと?」
「周瑜さんを見つけたって。でもまだ帰らないそうです」
「・・・・はやく戻ってきてくれないかな〜私はもう疲れたよ・・」
「魯粛さんて欲がないですねえ」
駱統は笑って言った。
「室長がいないこのチャンスに手柄をたてて下克上しようとか思わないんですか」
魯粛は駱統をじろっとみて、
「私が室長に成り代わったとして、うまくやっていく自身なんかないよ。肩書きだけで仕事ができるほど、ウチは甘くないでしょ」と言う。
「ははは、たしかに、ね」
駱統の後ろにいた張温が笑う。
「まあ、ともかく、がんばってくださいよ。今日の午後、うちの会議で新製品の企画プレゼンしますから」
陸遜はそう言って励ますと部屋を出ていった。
張温は魯粛の傍にやってきて肩を叩いた。
「ま、がんばってくれ。君じゃあ、とうてい室長の変わりにはなれんとは思うが、一生懸命やっているのは私は評価しているよ」
「・・・・やけにトゲのある言い方じゃないか・・・」
ははは、と駱統も笑った。
「すまんね。むさくるしい男の顔よりは室長の笑顔の方がやる気がでるもんでね」
と張温はぬけぬけと言った。
「悪うございましたね、むさ苦しい顔で」
魯粛はまた深いため息をついた。
SPの太史慈は孫策に同行していって留守であった。
東呉警備保障には常に200人を超すSPが所属しているが、大抵はどこかのビルやイベントに出向している。
留守をあずかるのは蒋欽であった。
太史慈からは定期的に連絡はあるが、大変なことには変わりない。
周泰はいまだに孫権についているし、陳武も出たままだ。
「まいったなあ・・・はやく帰ってきてくれないかな〜」
とボヤいていると、ずっと建業に出向していた徐盛が戻って来た。
「お、戻ったのか。ごくろうさん」
蒋欽が声をかけても徐盛は頷くだけだった。
徐盛と蒋欽は実はこの前まで衝突していた。
蒋欽の部下を徐盛が預かったとき、現場でその部下が客と諍いを起こしたため、クビにしたことがあった。
蒋欽は部下の言い分もよくきかずにクビにした徐盛ともめたのだった。
徐盛はそのことをしばらくずっと気に病んでいたのだが、蒋欽は過ぎたことをとやかく言わない性格だったため、このようにあっけらかんとしていた。
それ以来、徐盛は蒋欽に一目置いている。
「何か、お手伝いすることはありますか」
急に声をかけるものだから、蒋欽は驚いて、椅子から転げ落ちそうになった。
「大丈夫ですか?」
「ああ、はは、すまん。そうだな・・・じゃあホールの警備にまわってくれ」
「はい」
さてこちらは経理部。
経理部長の呂範がやけにそわそわしている。
今日は結婚記念日なのだという。
「早く帰って奥さんに花束買って行かなくちゃならないんだってさ」
他の社員たちはそういって囁き合った。
「周瑜さんがいないから、社長室から伝票が返ってくるのが遅いらしくってイライラしてるんだってさ」
さんざんいろいろ言われているが、どれも本当である。
「呂範くん、今月の締めだが、伝票のチェックはまだかね?」
あたふたしている呂範の元へ取締役の孫静がやってきた。
「あ〜あ〜すぐやります〜」
呂範はうなだれながらもそう言って仕事にかかった。
「とほほ〜・・・くそ〜これというのも周瑜さんのせいだ〜!自分だけ休暇をとるなんて!」
孫策は家を出ていたが、実家の母親は心配していた。
「まったく・・・今日でもう4日めよ。一体どこをほっつきあるいてるのかしら」
いつものようにダイナミックな食事の支度をしながらも呉夫人はぶつぶつ呟いていた。
学校から帰って着替えを済ませた孫権が母親の元へやってきた。
「母上、お手伝いします」
「ああ、そう?悪いわね。じゃあ、そこの鳥肉オーブンに入れてくれる?」
「鶏肉・・・?母上もしかしてこれですか?」
孫権が見たのは巨大な皿の上にまるごと乗った不気味な鳥肉であった。
「そうよ」
「あの、これ、なんの鳥ですか?」
「さあ」
「さあって・・・」
「精肉業者が美味しいから、って言ってたから買ったのよ」
「ダチョウくらいありますね・・・こんなのオーブンにはいるのかな」
巨大な肉の塊の前で呆然としていると、彼の母親が斧を渡してくれた。
「はい、これで適当な大きさに切ってちょうだい」
「・・・・・」
そうしていると、孫権のズボンの後ろポケットに入れていた携帯電話が鳴った。
孫権はキッチンから離れるとそこで電話に出た。
「はい・・・・もしもし?あ!・・・兄上!?」
孫権の言葉に母親も振り向く。
「今どこにいるんです!?え・・?周瑜さんが?・・・はい。・・・・はい。・・・わかりました・・・でも、みんな心配してますよ。早く戻ってきてください」
呉夫人はエプロンで手を拭きながら孫権の傍に寄った。
「伯符?なんて?」
「兄上、今江夏にいるんですって。周瑜さんに・・・拒絶されていすわってるんだって・・」
「まあ〜あの子ったら!なんて情けない!ちょっと貸して!」
呉夫人は孫権から電話を奪った。
「ちょっと伯符?お母さんよ。あんた何?、公瑾に振られたの?情けないわね!あんたも男なら力ずくで連れて帰ってきなさい!」
そういうと母親は電話を切ってしまった。
「ああ!母上〜〜!!ダメですよ切っちゃ〜〜!」
「いいのよ!あの子のことだからたぶんすぐ戻ってくるでしょ。ああ、そうだ。伯符の好きな特上のステーキ肉注文しておかなくちゃ」
急に忙しそうに始めた母親を孫権は無言で見ていた。
(なんだかんだ言って母上は兄上を信用してるんだな・・)
「母上、この肉切りますね。ちょっとどいててください。肉が飛び散ると悲惨ですから」
「あ〜じゃあ、待って待って!ビニールシートひくから」
そうして、孫策が周瑜を連れて帰ってきたのはそれから三日後のことだった。
(終)