恋の滴



 

その日、江夏ホテルに泊まっている周瑜の元へ、諸葛亮がやってきた。
洞庭湖のクルーズに行こうと約束していたが、先日の一件でもう来ないだろうと思っていた周瑜はあわてて支度をした。
それを部屋の前で待っていると、孫策が現れた。

「・・・こんなところで何をしている?」
孫策はいぶかしげに訊いた。

諸葛亮は孫策がここへ周瑜を迎えに来たのだと察した。
だが、先ほどの周瑜の態度から、この二人の仲はまだ修復されていないのだと確信していた。

「周瑜さんを待っているんですよ。約束していましたから」
「約束?」
そうこうしているうちに部屋から周瑜が出てきた。
淡いエメラルドグリーンのワンピースに白いつばのひろい帽子をかぶっていた。
「お待たせしました・・・」
そう言ってから、孫策もそこにいることに気付いた。
「伯符さま・・・」
「どこへ行こうってんだ」
「洞庭湖です。あなたも一緒に来られますか?」
諸葛亮はそう言った。
社交辞令のつもりだった。
「もちろん。行くに決まってるだろう」
孫策はあっさり言った。
諸葛亮も周瑜もこれには顔を見合わせて驚いた。

「ねえ、周瑜さん。孫策さんとなにがあったんですか」
洞庭湖の係留所で船の到着を待つ間、諸葛亮は周瑜にそっと訊いた。
「別に、何も・・」
周瑜は孫策の方をちら、と見た。
ベンチに座ってこちらを見ている孫策と目があった。
それをあわてて逸らす。

それから船に乗って、湖を一周する間も孫策は二人とは離れたところにいて話しかけることもしなかった。やたらと諸葛亮が話しかけてくるが周瑜には孫策が気になって仕方がなかった。
やがて船が係留所に止まり、他の乗客と共に船から下りると、孫策は周瑜の腕を取り、
「もう充分だろう。帰るぞ」と言って引っ張っていった。
「あっ・・ちょ、ちょっと・・・社長!」
周瑜がそう言うと、孫策は口を尖らせて言った。
「社長って呼ぶな。俺は秘書を連れ戻しに来たわけじゃない」
「すみません・・・」
「謝るな」
孫策は理不尽に怒っているとは自覚していたが、どうすることもできなかった。

「周瑜さん」
二人の背後から諸葛亮が声をかける。
孫策がぎろり、と睨む。
諸葛亮はそれをまったく気にする様子もなく、周瑜ににこやかに笑いかけた。
「また、お会いしましょうね」
「ええ」
周瑜は頷いた。
それすらも許さない、といった風に孫策は周瑜の肩を強引に引き寄せた。

二人はしばらく無言で歩き続けた。
周瑜は腕を引っ張られて急ぎ足であるく孫策についていく。
人気のないところまで来て、孫策は足を止めた。
腕を離して、周瑜を振り返る。
その顔は少し怒っているようでもあった。
「おまえ、どういうつもりであんな男と出かける約束なんかしたんだ!べたべたしやがって」
「べたべたなんか、してません」
周瑜もむっとして言い返した。
「してたじゃないか!あの野郎、おまえの肩に触ったりしてただろう!」
周瑜は孫策にそう詰め寄られて、いつかの夜の諸葛亮との出来事を思い出してしまった。
「あ・・・」無意識に、唇に手をあてた。
その様子を孫策はいぶかしく思った。
「何だ、どうした?」
「いえ・・・なんでもありません」
孫策は周瑜の両肩を掴んだ。
「なにか隠してるな?」
まっすぐに見つめる孫策から思わず顔を背ける。
「公瑾。俺を見ろ」
そう言われても、周瑜にはその勇気がなかった。
顔を背けたまま、目を閉じてしまう。
「・・・・あいつと、何かあったんだな?」
そう、静かに問う。
「キス、されたのか」
周瑜はゆっくり目をあけて孫策を見、こくん、と頷いた。
「無理矢理、エレベータの中で・・・ひどく怒ったんです。だのに今日あんなふうに迎えに来るなんてびっくりして・・・断れなくて」
「・・・・」
孫策は感情を押し殺すかのように、一旦息を吐いた。
そうしなければ、怒りのままに暴走してしまいそうだった。
それからゆっくりと周瑜の身体を抱きしめた。
「・・・まったく、目を離すとおまえのまわりはすぐに害虫が寄ってくるな」
怒りを殺したような低い声だった。
「だからおまえは放っておけないんだ」
孫策の腕は一層きつく抱きしめる。
「伯符さま・・・」
「もう、勝手に俺の傍からいなくならないでくれ」
孫策の腕にすっぽりと包み込まれる形になった周瑜は戸惑いながらもその背に腕を回した。
「・・・・たのむ。おまえがいないと俺は、ダメになっちまう」
かすれた声で絞り出すようにそう言う。
いつも過ぎるくらい自信家の孫策が。
孫策のため、会社のためにと思って姿をくらました周瑜だったが、こんな孫策を目の当たりにして、自分のしたことを悔やんでいた。
「ごめんなさい・・・」
周瑜はそうあやまりながら孫策の背をきつく抱きしめた。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい。勝手なことをして・・・自分だけが我慢すればいいって、思って・・」
「公瑾・・・」
孫策は周瑜の顔を上げさせてその唇に口づけした。
長い、長いキスだった。
唇を離したとたん、周瑜の目から涙がこぼれ落ちた。
その涙を見て、孫策は胸が痛くなった。
「・・・・泣くなよ」
「だって・・・」
周瑜は俯いてしゃくりあげながら泣き出してしまった。
我慢していたことが一気にこみ上げてきて、涙が溢れて止まらなかった。自分でも子供みたいに泣いていると思うのだが、どうしようもなかった。
孫策は周瑜の背中を抱きしめながらぽんぽん、とあやすように軽く叩いた。
「伯、符さまっ・・・っ」
しゃくり上げながらそう呼ぶ。
「何だ?」
「他の、人、とっ、け・・結、婚、しないでっ・・」
泣きながら、一生懸命にそう訴えるのが、愛しくてたまらない。
「ああ、しない。・・・俺がおまえ以外の女と結婚するわけないだろ?」
なんだかやけに素直で可愛いな、と孫策はこっそり思った。
いつもこんな風に感情をぶつけてきてくれれば事はもっと簡単に終わっていたのに、とも思う。
子供みたいだ、と思って孫策はくす、と笑った。
「一緒に帰ろう、東呉へ」
 
 
 
 
 
 
 

(終)