彼は営業畑一本やりで経営のことには疎かった。
「子明も経営のことを勉強するべきだぞ」
との孫策の言葉を受けて日夜勉強中である。
経営戦略室には、筆頭秘書でもある周瑜の他、副室長の魯粛子敬、駱統、張温、カン沢、歩隲などがいる。
カン沢は、他社との調整役に借り出される事が多く、歩隲はヘッドハンティングなどの担当をしている。
呂蒙は最近は周瑜と一緒に会議に出たりしている。
だが、未熟な彼には専門用語が飛び交う会議中も必死であった。
毎日遅くまでその日の会議の内容を自分で理解するまで残っていた。
「周瑜室長、あれをどう思います?」
そろそろみんなが帰宅のそぶりを見せ始めた頃、魯粛が机にかじりついて今日の会議の資料を見ている呂蒙をアゴで指した。
室長の周瑜の部屋は経営戦略室の中の奥にあり、腰高ガラスが嵌めこまれ、外の様子が見えるが扉を閉めてしまえば声は聞こえないようになっていた。
そのガラス越しに呂蒙が見える。
「モノになりますかね?あれで」
魯粛は眉をひそめていった。
周瑜はそれを一瞥したが特に意に介せず、
「一生懸命やっているではありませんか」と言って微笑んだ。
魯粛は、社長が気に入っていったという理由だけでたたき上げの彼がこのエリートの集団である部署に配属されたことをよく思っていなかった。
「一生懸命であれば良いというものではないでしょう。人には向き不向きがあります。あれは、阿蒙ですよ」
魯粛が真面目に言うので周瑜は書類を片付ける手を休めて彼に向き直った。
「よろしい。では三日後にある劉ヨウグループとの合併の件での会議があります。その会議に彼とあなたが出てください。進行はお任せします」
「なんですって!そんな大切な会議をあの阿蒙に任せるとおっしゃいますか!」
「ええ」
そういって周瑜はにっこり笑った。
「呂蒙くん。まだ帰らないの?」
資料とにらめっこしていた呂蒙の背後から周瑜の声が聞こえた。
「えっ・・あ、はい。もう帰りますっ!」
「そう。じゃあ、送っていきましょうか。私今日は車で来ているので」
「ええ!?で、でもそんな・・・」
「嫌なら別にいいんだけど」
「い、嫌だなんて、とんでもない!」
呂蒙の頬は少し赤かった。
「じゃあ、行きましょう」
(周瑜さんの車で送ってもらったなんて他のやつらに知れたらどんな目に会うか・・・こわい)
呂蒙が営業だったころから、社長秘書の周瑜といえば高嶺の花、東呉商事のアイドルとして絶大な人気があった。
周瑜がさわったボールペンをたまたま貰ったヤツがいて、そのボールペンにプレミアがついたほどだ。
しかし、一番のライバルは社長である、ということは誰もが知っている。
(何より社長に知られるのがこわい・・かもな)
呂蒙はぶつぶつと呟いていた。
高速エレベータで地下2階の駐車場に下りた。
周瑜の車は濃紺のBMWだった。
助手席に乗りこむといい薫りがした。
周瑜がエンジンをかけてシートベルトをする。
車はスムーズに発進した。
「あ、あの今日は社長は・・ご一緒ではないんですね」
呂蒙は緊張しながらそう言った。
「私だって社長といつも一緒ではありませんよ」
周瑜はふふ、と笑って言った。
「社長は今日はご実家に帰られていますよ。月に一度の家族団欒デーなんですって」
「へ、へえ〜いいですねえ・・・」
「・・・・呂蒙くんは、どうしてうちの部に異動になったのだと思う?」
「えっ・・・さ、さあ・・・」
「呂蒙くんも知ってると思うけど、うちの経営戦略室は、東呉商事の脳よ。だから常にトップの人材が求められているの」
「はあ・・・・」
「キミがそこへ配属されたのは、素質があると社長が見ぬいたから」
「社長が・・・」
「ええ。社長の人を見る目は抜きん出ているわ」
呂蒙は頷いた。
たしかに、孫策が社長になってからいろいろな人材が集まってきている。
「三日後に劉ヨウグループの合併の会議があるのは知っているわね?」
「はい、もちろん!弱体化した劉ヨウがうちに身売りしにきたんスよね」
「そう。既に劉ヨウグループの子会社である劉ヨウ警備保障は東呉警備保障としてうちの傘下にあるでしょう?」
「ああ、太史慈が社長の会社ですよね」
「ええ。あのときは社長自らが説得したんだった・・・・でもその肝心の会長の劉ヨウが一人で反対しているらしいの。だから・・・」
呂蒙はごくん、と唾を飲みこんだ。
「お、俺が説得をするってことですか・・?」
「説得ではないわ。完膚なきまでに叩き潰すのよ」
「叩き潰す・・・・」
周瑜の口からこんな強い言葉がでるとは意外だった。
いつも優しくて穏やかなところしか見ていなかったから。
「いいわね、任せたから」
周瑜は呂蒙の方をちら、と見て微笑んだ。
「は・・はい、自信ないスけど自分なりにやってみます・・・」
呂蒙は心細そうに言った。
「呂蒙くん。自信ってどこから来ると思う?」
「自信・・・スか。強気とかそういう性格からですか?」
「勝算・・・・勝てる、という自信よ。それは知識であったり勉強であったりするものなんだけど、これだけやったから、絶対大丈夫、っていうのがあるでしょう?自信がないのはまだそこまで自分に納得できていないからよ」
「自分に納得・・・」
「社長はそういうことを天賦の才でこなしてしまうのだけど、ああ言う人はごく稀で、普通は努力することで満たされるものだわ」
周瑜はハンドルを切りながら話を続ける。
「呂蒙くんは努力の人だと思うの。それも才能の一つでしょう。努力が続かない人だっているわ」
呂蒙はしばし何事か考えに沈んでいた。
「あ、すいません、ここでいいです」
呂蒙がいう場所で周瑜は車を止めた。
呂蒙が車を降りて、運転席の方に回る。
「すいません、ありがとうございました!」
「いいえ、どういたしまして」
周瑜の笑顔が夜だというのに眩しかった。
「・・・あの、俺、がんばりますから。あさって、見ていてください」
呂蒙はきっぱりと言った。
「そう。期待しているわ。じゃ、おやすみなさい」
「はい!おやすみなさいッス!」
呂蒙は走り去る周瑜のBMWを見送った。
「よおし!」
掛け声とともに自分のマンションまで走り出した。
そして三日後-。
会議の終わるのをじっと待っていた周瑜は、部屋に戻ってきた魯粛と呂蒙の二人の表情を見て微笑んだ。
そして二人は周瑜の部屋にやってきて報告を始めた。
「いや、驚きました。正直、これほど弁がたつヤツだとは思っても見ませんでしたよ。三日前からは想像もできない!おかげでうまく行きました。劉ヨウグループはこれで解体です」
すかさず呂蒙は魯粛に言った。
「いやいや、男たるもの、三日会わなければ目をこするほど変貌するものッス。ねえ、周瑜さん」
「馬鹿者、室長と言わんか。おぬしは弁は立つようになったが言葉遣いがいまひとつだな」
周瑜はそれをくすくす笑って聞いていた。
「もうこれでは阿蒙とは呼べませんね」
第2話、呂蒙くんの巻です。
項さんのおっしゃっていたとおり「呉下の阿蒙にあらず」のお話でした(笑)
ただ、孫権ではなく孫策と周瑜がお世話しましたが。