「あ、荀ケくん」
「はあい?」
会長室を出た郭嘉はちょうど表を通りかかった荀ケに声をかけた。
ここは株式会社北魏の本社オフィス。
郭嘉は役員である。
荀ケは秘書室に勤務しているOLである。当然秘書業務をしている。
「なんですかあ?」
いつものように、目の回りそうなぶあついメガネに制服、スカートから覗く足元は今時ルーズソックスを履いており、スリッパでぺたぺたと歩いてくる。
「会長が君にお歳暮を出したけど何の反応もないからどうなってるんだと言っていたよ」
「会長から・・・?あ!わかったーー!あれでしょう!おっきな箱!!」
「えっ?」
「もう、すっごいおっきな箱が送られてきたから何が入ってるんだろうって思って開けたらな〜んにも入ってなくって!もう家族ですんごくわくわくしてたのに!!」
「空箱・・・?」
「ひどいわよね!会長からのお歳暮なんておかしいな〜って思ってたんだけどさ」
「・・・荀ケくん」
「なに?」
「知らないのかい・・・?うちの社の風習」
「何ですか?それ」
「会長から空箱を送られた社員は、つまり「いらない」社員だっていうことなんだよ」
「へ?」
「お歳暮とかお中元で会長から空箱をもらったりしたら、つまり、クビ、っていう宣告をうけたも同然なんだよ」
「・・・うそ!どーしてっ!??私、なんかした??」
荀ケは不安そうな顔をした。
「もしかしてあれかな・・・こないだ会長の机にお茶こぼしたのを雑巾がなくてそばにあった会長のコートで拭いちゃったことがバレたとか。あっ、それともこのまえの会議のときに出したコーヒー、出す前に会長のカップで梅昆布茶味見したことがバレたとか?ああ!わかった。一昨日会長のお茶菓子の水まんじゅう食べちゃったことだ!かわりに50円のラムネのお菓子おいといたのがいけなかったんだわ!」
「君・・・そんなにいろいろな心当たりがあるんだね」
郭嘉は聞いていてため息をついた。
「でもでも〜そんなんでクビにするのって酷くない?」
「・・・ぶっちゃけた話、たぶん、君のルックスが原因なんじゃないかな・・・」
「ルックス・・・?それはつまり・・・わ、私がブスだから?」
「随分ストレートにきたな・・・いや、つまり早い話がそうなんだけど」
荀ケはメガネ越しに郭嘉を見上げた。
荀ケの表情がみるみる変わる。
「ふぇ〜ん・・やだ〜〜郭嘉さん!助けてよう〜〜だってここお菓子も食べ放題だし、休みも多いし〜どうしたらいいの!?」
うるうると目に涙が溜まる。
それをじっと見ていた郭嘉は、ふいに思いついて荀ケのメガネを取った。
「あっ、やだ郭嘉さん、何するのよー」
「・・・・・」
荀ケはメガネメガネ、とか言って探す手振りをした。まるで昔の誰かのコントのようだった。
郭嘉はちょっと驚いて、荀ケをしばらく見つめてからメガネを返した。
「ふ〜ん・・・荀ケ、君ってうちに来てからどれくらいになるんだっけ?」
「さ、三年・・・くらいですかね?」
再びぶあついレンズを装着して郭嘉を見つめる。
「三年間、気が付かなかったとは私の不覚、だな」
郭嘉は自重するように言った。
「なになに?なんなの?」
「私に任せておきたまえ。なんとかしてみせるよ。でも君のほうも努力してくれないとね」
荀ケにはさっぱり話が見えなかったが、とりあえず頷いてみせた。
それから10日後。
再び北魏の会長室。
「郭嘉、今日の会議の議事、まわしといてくれ」
「はい」
会長は椅子に座って苦虫を噛みつぶしたような顔になっていた。
「うう〜、くそう、バカ息子めらが・・・」
曹影、曹植、曹休の三人とも、袁術の娘を落とすのに失敗したのだ。
曹操の不興の原因はこれか、と郭嘉は思った。
荀ケはとばっちりを食らったんだな、とも思い、少し気の毒になった。
郭嘉はドアを振り向いて声をかけた。
「議事は出来ているか?」
「はい、失礼します」
その声に呼応して会長室に入ってきたのはクリーム色のスーツにミニのタイトスカートを身につけた目の醒めるような美女だった。
少々小柄だが、高いヒールを履いているために気にならない程度の身長だ。
栗色の髪は器用に毛先を肩口でふんわりとカールさせ、さくら色の唇はぽってりとしてなかなかに色っぽい。
曹操は入ってくるなり彼女に目が釘付けになった。
「・・・・・」
「はい、郭嘉さんこれです」
「ああ、ありがとう」
そう言って郭嘉の前に立つとお似合いの美男美女、といった雰囲気になった。
曹操はあんぐりと口をあけたままだったがすぐに気を取り直して郭嘉にこっそり耳打ちした。
「・・・だれかね?この美女は」
それを聞いて郭嘉はぷっ、と吹き出した。
「会長、彼女にこのまえ空箱を送ったでしょう?随分勿体ないことをしますよね」
「・・は?空箱・・・?」
曹操はしばらく考えてはっ、と行き当たった。
「・・荀ケくんか!?」
すると目の前の美女はにっこり微笑んで答えた。
「そうです」
「いや〜驚いた!変われば変わるものだな!荀ケくんがこんなに美人だったとは!」
郭嘉は鼻で笑った。
「女の真価を見抜けないようでは会長の目も鈍りましたね」
曹操は少々むっとした。
郭嘉自身もつい先日まで知らなかったのだが。
「わ、わしはわかっとったぞ!荀ケくんは宝石の原石なんだと」
「ほう。それで空箱を送ったんですか」
「いやその・・・あ、あれは間違いだ!」
「では取り消すんですね?」
「もちろんだ!こんな美女とわかっていたら・・・あわわわ、と、とにかくあの箱は間違いだった!」
郭嘉はニヤリと笑って荀ケを見た。
「そういうことらしいよ、よかったね荀ケくん」
「はい!」
荀ケは屈託のない満面の笑みを浮かべた。
「・・・・」その笑顔はなぜか郭嘉の心に残った。
会長室を出た途端、荀ケは床の絨毯につまづいて転びかけた。
「・・もう!やっぱ歩きにくい!やめた!」
荀ケはそう言ってハイヒールを脱いで裸足になった。
それだけで身長が10センチちかく低くなった。
「おいおい、せっかく私が用意したのに・・・」
郭嘉は勿体ない、と言いたそうだった。
「郭嘉さんには感謝してるよ。でも・・・やっぱりこれは本当の私じゃないんだもん。コンタクトだってまだ目が痛いし・・・」
「そう?でも綺麗だよ。見違えるように」
「郭嘉さんがこの10日間毎日そう言ってくれたから私もなんだか暗示にかかっちゃったみたいで、エステで脱毛とか美顔とかメイクとか・・・がんばれたんだけど」
「そう、女は自信を持つことで綺麗になるもんだよ」
「でもこんなのうわべだけ・・ねえ、郭嘉さん。男の人ってどうして外見だけで女の子を判断するの?」
荀ケは必死の形相をしていた。
ずっと下の方にある視線と目を合わせて郭嘉は言った。
「私に言わせれば、外見は中身をうつす鏡だね。女の子が少しでも綺麗になろうとする気持ちってかわいいと思うよ」
「・・・・郭嘉さんはいい男だからそう言うのよ」
「君だって美人じゃないか」
「そんなこと言われたの生まれて初めてだもん!」
「じゃあ、君のまわりの男はみんな見る目がなかったんだね」
「・・・・・」
荀ケは驚いて顔をあげた。
「・・・郭嘉さんがもてる訳がわかったわ」
「なんだって?」
「女の子の欲しい言葉を次々と繰り出してくるんだもん」
「そりゃ・・・この道極めてますから」
荀ケはぷっ、と吹き出した。
「とにかく元の私に戻るから」
「そりゃ勿体ない。せめてあの瓶底のようなメガネはやめてくれないかな」
「だってーアレしか持ってないんだもん」
「じゃあ、私がプレゼントするよ」
「ほんと!?」
「ああ、君に似合いそうなのを見つけてくるよ」
「じゃあそこだけは言うこときいたげるね。あ、でも言っとくけど私、郭嘉さんって好みじゃないからね」
「はいはい。期待してないよ」
「ふふーんだ。どーせそうでしょうよ。じゃあね!」
そう言うと背中を向けて廊下を裸足でぺたぺたと歩いていってしまう。その手にはハイヒールがぶら下がっていた。
せっかくの美女ぶりが台無しだ。
郭嘉はそれを苦笑して見送る。
「あ、そうだ」
荀ケは急に振り向いた。
「郭嘉さんのおかげで首が繋がったのにはお礼を言うね!ありがとう」
またさっきの満面の笑みで郭嘉を見た。
一瞬、それを眩しく感じた。
「私としたことが・・・不覚だな」
郭嘉は軽く手を振った。
(終)