(23)バレンタインの悲劇


さて、今年もバレンタインデーがやってくる。
男性一同はともかくそわそわする日である。

「なあ、権。去年はどうしてたんだっけ?」
孫策は孫家恒例の月一家族団欒の食卓についていた。
「ええと、毎日全員で2個ずつ食べてて、残った分は母上が全部溶かして巨大チョコレートムースを作ってくださったんじゃありませんでしたっけ」
孫権は思い出しながらそう語った。
「ああ、そうだったな。あのチョコムース・・・うう〜思い出したくない」
「ドラム缶で作りましたものね。みんなでおたまで食べましたっけ」
「よせ、思い出させるな。おえっ・・・俺はあのあとしばらく胸焼けで甘い物が大嫌いになったんだ」

昨年のバレンタインデーには孫堅、孫策、孫権、孫翊、孫匡、孫朗、呉夫人の実家の余分を併せて1000個は貰っていた。
孫権は学校の女子や先生からたくさん貰う。それ以外に塾やサークルなどでも貰う。
しかしやはり多いのは孫堅と孫策である。
会社の女子社員たちからまとめて貰ったり得意先や子会社から送られてきたりするのだ。
女子社員たちは毎年ホワイトデーのお返しを期待してのことなのだが、なかなかに熱心である。昨年のホワイトデーには「ホワイトデーパーティー」と銘打って孫堅と孫策共同でホテルを借り切って女子社員たちを招待したものだった。

「兄上は昨年は周瑜さんから貰えなくてがっかりしていましたっけね」
孫権はくすくす笑いながら言った。
「なんだよ、おまえ・・・くだらないことばっかり覚えてるんだな」
孫策は唇を尖らせた。
そういえば昨年、女子社員から大量にチョコを貰っているところを周瑜に見られて「そんなに貰っているのなら、私のはもういりませんよね」と言われて結局貰えなかったのだ。
そうじゃない、気持ちの問題なんだ、といくら言っても取り合ってくれなかった。それからしばらくは食事に誘っても断られたりして、意外にやきもち焼き屋なのだとそのときわかって、取り繕うのに必死だった。
孫策はそれを思い出して深いため息をついた。
今年は絶対もう繰り返さないぞ、と心に誓うのであった。

今日は実家に帰っている母親が、戻ってきている。
月一の孫家の決めごとをやめるわけにはいかないという母の意地でもあった。
孫策は、隣りに座って心細そうにキッチンに立つ母の背中を見ている父を横目で見た。
母が戻ってきてから父と一言も口をきいていない。
バレンタインデーに、母は父にチョコを渡すんだろうか?
孫策も孫権も早く母親に戻ってきて欲しい思いでいっぱいだった。

食卓に例の巨大なコンロと鍋を「よいしょ!」というかけ声と共に置いた。
「わ!母上これは何鍋なんですか?」
「孫家特製鍋よ!」
母親がにこりとして言った。
「鍋の蓋が動いてますよ」
「毛ガニが人数分入ってるのよ。その蓋しばらく押さえといてちょうだい。逃げるから」
「は、はい」
孫権が必死で鍋の蓋を押さえている。
「わわっ、あ、兄上〜助けてください!蓋がもっていかれる!」
「よし、俺がこっちを押さえてるからな」
鍋の中の蟹も必死だったようで、なんとか二人がかりで鍋の蓋を押さえていた。
しばらくして鍋が沸騰してきて、やっと蓋を開けた。
鍋の中には毛ガニがまるごと7ハイ入っていた。
「豪勢だな」孫策がそう言うと、母親は満足そうに頷いた。
「はい、これも」
どん!と食卓に置いたのは尾頭付きの魚料理だった。
「・・・母上。これは・・・もしやサメ・・・いやフカですか?」
「そうよ!丸ごと一匹買ったんだけど、食べるとこ少ないのよねえ」
巨大な皿の上に横たわるサメの頭を見て、末っ子の仁は泣き出した。
「ああ〜これ、仁や。こわくないぞ〜」
孫堅は仁を抱きかかえて必死であやす。
「頭はともかく、すげえ量のフカヒレだな・・・公瑾も連れてくれば良かった」
今では孫策のマンションに一緒に住んでいる周瑜は、恒例の行事のために孫策が実家に帰るのを見送って今頃は一人で食事をしているのだろうか。
孫策はフカヒレの姿煮に箸を伸ばした。
ビジュアルはともかく超・高級料理には間違いない。

蟹とフカヒレをメインに魚介類の鍋をたいらげ、食卓もようやくおちついた。
食事を終えて茶をすする母親に、孫権が声をかける。
「・・ねえ、母上。いいかげんに戻ってきてくださいよ。父上も反省しているようだし」
呉夫人は孫堅をチラ、と見て無言で茶をすする。
こほん、とひとつ咳払いをして孫堅が口をひらく。
「あーその、なんだ・・・すまん。機嫌を直してどうか、帰ってきてくれ。頼む」
呉夫人は茶碗を静かに置いた。
「そうねえ。じゃあふたつ条件があるわ。それをかなえてくれたら許してあげます」
「な、なんだ!?なんでも言って見ろ」
「ひとつは今年のバレンタインのチョコをひとつも受け取らないこと」
「・・・・」孫堅は複雑な顔をした。
それに構わず呉夫人は続けた。
「もうひとつは私の差し上げるチョコレートを一人で全部食べてくださること」
思わず孫策も孫権も「えっ」と声をあげた。
呉夫人はじろり、と二人をねめつけた。
孫堅はといえば、顔色が悪かった。
「わかった。約束する・・・」

今夜は母親は泊まっていくようだった。
孫権は自室でコーヒーを飲みながら孫策と話をしていた。
「去年みたいな量のものを作られたら糖尿病になりますよ」
「そのまえに倒れると思うな」
「母上だってそこまで意地悪はしないでしょう」
「さてな。罰ゲームみたいなものだろう?」
「これが兄上だったらどうします?」
「食べるさ。ドラム缶だろうがなんだろうが、好きな女の作ってくれたものならな」
「ふうん・・・僕ならそんな女は別れますけどね」
「おまえって結構ドライだよな」
孫策はコーヒーをすすって冷静な弟をみた。
「だいたい本当に好きな相手なら相手の身体の心配くらいして当然じゃないですか。そんなこともわからないような人なら愛情も冷めますよ」
「じゃあ、おまえは父上が母上と別れてしまってもいいってのか?」
「そもそもの原因は父上にあるんだから、それとこれとは別ですよ」
「ま、それもそうだ」
「父上にはなんとしてでも約束を守っていただかなければ」
「あの八方美人の父上がチョコを全部断れるのかなあ・・・俺はそっちのほうが心配だが」
「兄上、それとなく明日見張っててくださいよ」
「ああ・・・」

そして翌日。
この日はバレンタインデーだった。
出勤してから、孫策はなぜか上機嫌だった。
「社長、なんだか今日はご機嫌ですね。なんかいいことあったんスか?」
呂蒙が真っ先に訊いてきた。
営業報告書を持って社長室に来ていた甘寧がそこに居合わせて、呂蒙に言った。
「子明、今日はバレンタインだろ?社長の機嫌がいいのはだれかさんからいいもの貰ったからだろう」
「あ、そうか」呂蒙は素直に頷いた。
ちょうどそこに周瑜が入ってきた。
「あ、周瑜さんおはようございます」呂蒙が挨拶する。
一緒に魯粛もやってきた。
「ちょうどよかった」
周瑜はそう言って、手に提げた紙袋から包みを取り出した。
「はい、これ。バレンタインチョコ」
周瑜は孫策を除くその場にいた男性全員に手渡した。
「わ!俺にまで??いいんですかっ!?」甘寧は周瑜からのチョコを受け取って飛び上がって喜んだ。
呂蒙は貰ったチョコを持ったまま、おそるおそる孫策の様子を伺った。
だが怒っている様子はなくなんだかぼんやりとして微笑んでいる。いや、にたにたと笑っているようにみえた。
(・・・どうしたんだろう、社長・・)
それもそのはず、実は今朝自宅を出る前に孫策は周瑜からチョコを貰っていた。
去年の失敗もあって、孫策は貰ったチョコをその場で開けて口に放りこんだ。
「伯符さま、ダメですよ、それブランデーが入っているんですから」
孫策は車を運転して出勤しようとしていたため、周瑜は多少なりとも心配していたのだ。
「お菓子だろ。平気さ」
「ダメですよ。ほら返してください・・・」
そう言って突然周瑜が唇を寄せてきて孫策の口の中の、まだ溶ける前のチョコを口移しで取り戻した。
突然の大胆な行動に驚いていた孫策だったが、なんだかうっとりとしてしまって思わずそのまま周瑜を抱きしめていた。バレンタインにふさわしいチョコの味のするキスだった。
それが今朝のことで、孫策はいまだにそれを思い出してはぼんやりとしてにやけていた。
他の男が周瑜にチョコを貰おうが何をしようがもう今や彼の眼中にはなかった。自分はレベルが違うのだ、という自負の表れでもあった。

「今日は会長はお見えにならないんでしょうか」
孫策は夕べの出来事を周瑜には伝えていた。
おそらくチョコを受け取らないために今日は出社しないつもりなのだろう。
「それが賢明だな」
そういう孫策はこの日一日会社にいただけで200個のチョコをGETした。
なるべく周瑜に見つからないように、と思い机の下の足元に段ボール箱を置いて、そこへ入れておいた。せっかく今朝いい雰囲気で出て来たものをなにも無に帰すことはない。帰りにそっと実家に持って帰って弟たちにやろう、と思った。
(公瑾もあれで結構根に持つタイプだからなあ・・・、気をつけないと)

その日の夕方には社内の男性社員チョコGET数NO.1が決定していた。
本社に勤務する女子社員は300名。そのうち連名で送った者たちや一部の既婚者を除けば殆ど全員が孫策にチョコを送ったことになる。
社長室に周瑜を呼んで打ち合わせたあと、室内のスピーカーから音楽とともにけたたましい放送が流れ出した。
「は〜い!こんにちは!東呉コミュニケーションがお送りする社内放送♪今日のトピックスは東呉一モテる男はだ〜れだ!?です〜」
バレンタインやホワイトデーなどわざわざその結果を社内放送で発表するのが恒例となっていた。
社内コミュニケーション部と言われている総務の一部が受け持つ社内放送であった。
「さ〜て、今年の堂々第1位は孫伯符社長!なんとチョコGET数258個!すんご〜〜い」
これを聴いて孫策はうなだれた。
いったい、いつ数えたんだ・・・・?
「残念ながら第2位だったのは企画室の若きエース、陸遜伯言さ〜ん。そんでもって第3位は経理部の呂範さん!奥さんに怒られてもしらないぞ〜!」
周瑜もそれを聴いていて、孫策と目が合ったとき冷ややかに微笑んだ。
その笑みに背筋が少し冷たくなった。
「かといって受け取らないわけにも行かないんだ。分かってくれるよな?」と言い訳してみた。
「分かっていますよ。私が不審に思うのは、どうしてそれをこそこそと隠しているのかということなんです。後ろめたいことがあるみたいじゃないですか」
しまった、墓穴を掘った、と思った。
「だって去年おまえに冷たくされたからさ・・・」
「今年も冷たくされたいんですか?」
「いやだ・・・今朝みたいに優しくして欲しい」
孫策は椅子にかけたままちょっと甘えて言ってみた。
「してさしあげますよ。ただし、その前に机の下の段ボール箱を持ってご実家に行ってらしてください」
バレていた。
 

周瑜に冷たくされた孫策は会社帰りに実家に立ち寄った。
父がどうなっているのかを確認するためである。

「あっ、兄上!大変ですっ!」
玄関にあがるなり、孫翊が駆け寄ってきた。
「なんだ、どうした!?」
あわててリビングにあがると、そこには立ちつくす家族がいた。
孫堅である。
「ち、父上・・・?」
「おや伯符、お帰り」
父の前には母がいた。
そしてその食卓の上にはリボンのかかった巨大な箱が置いてあった。
幼稚園児が一人すっぽりと立ったまま収納できるくらいの大きさであった。
それを見て孫策は思わず後ずさりした。
この箱の中身が全部チョコレートだとしたら、一人で食べるのにどれくらいかかるのだろうか。そして虫歯か糖尿との戦いがそこにはあるのだろう。
「は、母上・・・これは・・・・」
「どうやら今日はチョコレートを誰からも貰わなかったようだから、第一段階はクリアね。で、次はこれよ」
呉夫人は平然として言った。
父は、リボンに震える手をかけた。
その脇では孫権が冷ややかな目で両者を見つめていた。
父のこめかみから、一筋の汗が流れ光る。
リボンを解いて、ついにその箱を開ける。
その場にいた全員が息をのんで見守る。
「・・・・!」
孫堅は驚きの表情になった。
「どうしたんだ?」
孫策が訊く。
と、孫堅はにっこりと微笑んで、箱を逆さにした。
大きな箱の中からでてきたのは掌に乗るくらいの小さなボール型のトリュフチョコが2個だけだった。
「おまえ・・・」
孫堅はほっとして呉夫人を見た。すると彼女はにっこり微笑んだ。
「それがあなたへのバレンタインチョコよ。さあ、食べて」
それを見ていた孫権も安心して「母上はやっぱり父上を愛していらしたんですね」といって目に涙を浮かべた。
孫堅は手に持ったトリュフチョコをふたついっぺんに食べた。
「あら」
呉夫人は瞬間そう口走った。
「うぐっ!!!」
その直後、父の様子が急変した。
「どうしたんだ?」
孫策が苦しむ父に駆け寄る。
「バカねえ。二ついっぺんに食べたりするから・・・」
呉夫人はそう冷静に言った。
孫堅は喉と鼻を押さえながら涙を流していた。
「み、みず・・・・っ」
「父上・・・?母上、これは一体どういうことです?!」
孫権は母親に問いただした。
呉夫人は笑いながら答えた。
「そのチョコの中身はひとつは純度100%超・きついワサビ。もうひとつは超・辛い天然唐辛子クリームなのよ」
「ひえ」
孫策は思わず悲鳴をあげそうになった。
「私の怒りがこんなもので収まるんだから、これくらい我慢していただきたいものだわ」

怖ろしい・・・・
女の恨みは怖ろしい。
孫堅の涙と鼻水にまみれた情けない顔を目の当たりにして孫家の男達はそれをまざまざと思い知らされたのであった。
帰り際に周瑜の為に花束を両手いっぱいに買って帰ろう、そう決心する孫策であった。
 
 
 

(終)