成都に本社をおく蜀漢カンパニーの廊下を思いの限りのスピードで走り抜ける男がいた。
首の後ろで一つに束ねた黒髪が走る度に刎ねあがる。
彼はその勢いのまま、社長室のドアを激しくノックした。
「誰だね?ドアがこわれるじゃないか」
「子龍です、社長、入ります」
趙雲が扉を開けると、そこには蜀漢のそうそうたるメンバーが集まっていた。
社長の劉備は椅子に腰掛けたままだった。
その両脇に関羽、張飛が立ち、その隣には黄忠と馬超が、反対側には馬良、簡雍らが立っていた。
諸葛亮は劉備の正面に立って、趙雲を振り返っている。
「そんなに慌ててどうしました?」
諸葛亮はゆっくり尋ねる。
趙雲は息をひとつついて答えた。
「どうしましたじゃありませんよ。社長、引退なさるって本当ですか!?」
劉備はそれをにこにこしながら聞いていた。
「さすがに耳がはやいね」
「引退といっても会長職につかれるだけですよ。影響力は今までとかわりません。それにまだ少し先のことですよ」
劉備の言葉をひきついで諸葛亮が答えた。
「そうですか・・・」
趙雲は少しホッとした。
「劉禅を少しは次期社長として鍛える必要があると思ってね」
劉備はそう言う。
「し、しかしいくらなんでもいきなり社長は・・・だいたいまだ高校生じゃありませんか」
趙雲がそう言うと、劉備はそれを遮るように言った。
「だからね、卒業するまでは待つけど、そのあとは君が面倒みてやってくれ」
「は?誰が?」趙雲は空耳でも聞こえたかのように訊き返した。
「君が」劉備は趙雲を指す。
「誰を?」
「劉禅を」
「なんですって?」
「面倒みてくれといっておる」
「ええっ!?どうして私が!」
「劉禅の家庭教師を9年間ずっとやっておった君にあれは一番なついておるようだし」
「し、しかし・・・」
「よろしく頼むよ」
趙雲は劉備の人の良さそうな笑顔には逆らえない。そういうふうになっているのだった。
「ところで先日のお見合い、断ったそうだね」
劉備は話を変えた。
「あ・・・はい」
「随分と美人だったって話じゃねえか。なんで断っちまったんだ?もったいない」スーツの腕をまくりながら張飛が言った。
「そうそう、なんでもご指名だったらしいじゃないですか。趙姓の男で二枚目で・・・って」馬良がくすくす笑った。
趙雲は辟易していた。
「自分は、あのような派手目の女性を好みません。それでお断りしました」
「なんだ、要するに好みじゃなかった、ってことか」
馬超は腕組みをしたまま趙雲を見て言った。
趙雲は馬超をじろりと睨み、「そういうことだ」と応えた。
「まあ、いいだろう。しかし先方の女性は随分乗り気だったというから、フォローはしておかないとまずいんじゃないか?一度くらい食事にでも誘ってあげなさい」
劉備が笑顔でそう言うので趙雲は仕方なく頷いた。
部屋を出て、がっくりと肩を落とす趙雲に背後から声をかける者がいた。
「子〜龍♪」
声の主は誰だかわかっていた。
趙雲はゆっくり振り向いた。
そこにはまんまるの桃のような顔に満面の笑顔を浮かべた男子高校生が制服姿で立っていた。
その体型はずんぐりとしている。
「ぼっちゃま・・・」
劉備の息子、劉禅公嗣である。 社長の一粒ダネだがボケだのバカだのとすでにもう噂がたっている。
「ね、聞いた?ボクちゃん社長になるんだよ〜!すごいでしょ!ね・ね?」
「・・・はい。伺いましたが・・・私はちょっと心配です」
「どーしてさ!?ボク楽しみだよ!社長ってばえらいんでしょ!?ボクが社長になったら子龍のこと副社長とかにしてあげるよ!」
「ぼっちゃま、それはいけません。私はいまの五役員で充分なんですから」
「そう〜?」
劉禅はつまらなさそうに言った。
蜀漢カンパニーを支える五役員の一人である趙雲は自分の個室に戻ると、大きなため息をついた。
「ま、諸葛亮殿が副社長になるのならまだマシか・・・・。いやそれより問題は・・・」
先日、桂陽支社に査察に行った趙雲は、そこの支社長の趙範の接待を受けた。
趙雲の調べによるとどうも帳簿をごまかしているようなのだ。
それを追及するために来たのだが、独身の趙雲に対して趙範は自分の兄嫁(未亡人)を紹介したのだった。
要するに自分の兄嫁と自分を結婚させて趙雲を味方に引き入れようというのだ。
「この俺を色仕掛けで買収しようなどとは、笑止な」
そう思って断ったのだが、こともあろうに趙範はその後本社の劉備に直接見合いの話を持ちこんで、趙雲に見合いを強要したのだ。
あの女はたしかに美人だった。
しかしブランド物の派手なスーツを身にまとい、爪と唇を真っ赤に染めた女にいい印象を持たなかった。
「樊さん、とか言ったな・・・」
劉備は食事にさそえ、と簡単に言ったが、趙雲には頭の痛いことであった。
なにしろ、会社一筋武道一筋だったので女に免疫がないのだ。
そのとき、ドアにノックがあった。
「誰だ?」
「俺だ、馬超だ」
「ああ、入れよ」
部屋に入ってきたのは五役員の一人、馬超だった。
「だいぶ困ってるみたいだな。大丈夫か?」
「・・・・どっちの話しだ?」
「女に決まってるだろ。とりあえずぼっちゃんの話しはほっとこう」
「・・・ぼっちゃんはな・・・」
「ついさっき、社長あてに趙範から連絡がはいってな、例の女、ちゃんとおまえの口から説明を聞きたいんだとよ。明日「喫茶江陽」に一時だとさ」
「・・・・・」趙雲はがっくり肩を落とした。
その様子を面白そうにみている馬超はさらに申し出た。
「なんなら俺が一緒にいってやろうか?」
「いや、いい。おまえ、俺の困ったところを見たいんだろう?」
「あたり」
そういって馬超は豪快に笑った。「いつもとりすました顔をしてるおまえがうろたえる所を是非見たいんだがな」
「くそ〜〜なんで俺がこんな目に・・・」
「ああ、そうそう、うちの妹がおまえに夢中でな。また遊びに来てくれってさ」
「・・・・・・妹って・・・雲緑ちゃんか?」
「他にいないだろ?」
馬超の妹はまだ大学生で、なんだか幼い感じの小柄な少女なのだ。
馬超が一人暮らししてからはちょくちょく遊びにいっていてその妹をよく遊びにつれていったりしているが、趙雲にとってはまだまだ子供、といった感じである。
「おまえが見合いしたって言ったら、慌てていたぞ」
「・・・・おまえだって大変だろうに、孟起」
「ああ?」
「離婚調停・・まだやってんだろ?」
馬超は一見、さらさらの金茶色の髪に二枚目風の容姿で、そんなふうには見えないが実は妻子と離婚調停中である。子供は3人いるが、何があったかあっさり別れている。
「もうあとは手続きの問題だけさ。養育費は払う事になってるんでな」
「・・・だったらおまえだって独身も同然だろ。どうして俺なんだ・・・」
「趙って名字が好きなんだろ」
そういって馬超はくすくす笑った。
そして次の日。
趙雲は美女・樊を前にしていた。
「私の一体どこが気に入りませんの?」
面と向かってそう聞かれて、趙雲は答えに詰まっていた。
(ねえ、お兄様・・・あれがバツイチ女のお見合い相手ですの?)
(そのようだな)
趙雲たちの座っている席から生垣を隔てた席に馬超とその妹・雲緑が座っていた。
(ふーん・・・綺麗な人だけど、ちょっと年増よね)
(こらこら。あんまり失礼なこと言うんじゃない)
樊という女性はいかにも大人の女といった感じでブランドのワンピースにスカーフを首に巻き、髪もきれいにセットされていた。
「私、こういってはなんですが、お茶もお花も免許を持ってますし、女としてそれなりに努力もしています。どこがどうあなたのお気に召さないのか、はっきりおっしゃっていただきたいのですわ」
なかなかに気の強い女である。
「どこがどう、気にいらないというのではないんです。・・その、私はまだ・・・」
(ああん、、子龍様ってば、じれったいわ!)
雲緑はイライラして、ついに席を立った。
(お、おい!よせ!)馬超が止めるまもなく雲緑は生垣を超えて趙雲たちの傍へつかつかと歩み寄って行った。
そのときだった。雲緑の前をその影が横切ったのは・・・・。
「子〜龍〜♪」
ここにいるはずのない人の声を聞いて趙雲は驚きの表情で振り向いた。
「・・・ぼ、ぼっちゃま・・・どうしてここに・・?!」
そこに立っていたのは例の間の抜けた笑顔をたたえた劉禅だった。
「・・・どなた?」
樊はいぶかしげな表情をして訊いた。
「あ、ああ、こちらは・・」
「ボクちゃん劉禅。今度社長になるんだよ〜ん」
「劉禅・・・?もしや劉備さまのご子息・・・?」
「あったり〜!おばさん賢いねえ〜」
「お、おばさん・・・!?」
趙雲は頭を抱えた。
「ぼっちゃま、どうしてここへ・・・?」
「父上から子龍がお見合いするって聞いたからボクちゃんびっくりしちゃって!邪魔しにきたのよ〜」
「はあ?」
「子龍〜結婚なんかしないでよ〜ボクちゃんこんなおばさんに子龍を取られるのいやだよ〜」
樊の眉が釣りあがった。
「なんですって!失礼なっ!」
「ちょっとちょっと!好き勝手なこといわないでよ!子龍様は私のなの!」
雲緑が劉禅と趙雲の間に割り込んだ。
「わ!なんだ雲緑ちゃんじゃないか!」
趙雲は立ちあがった。
その趙雲の腕に雲緑は抱きついて「子龍様〜〜!私と結婚して!」とわめく。
「趙雲様、これはどういうことですの?!」樊の声はわなわなと震えていた。
「ああ〜〜もう!」
趙雲は泣きそうになった。
「雲緑、よさないか」
そこへ馬超がやってきて、助け舟を出した。
「すまん、子龍。妹がどうしても来たいって言うものでな」
それから馬超は樊を見た。
「樊さん、すみません。私は趙雲の同僚で馬超といいます。ご迷惑をおかけしまして」
樊は馬超がハンサムなのと礼儀正しく謝ってくれたのとで気を良くした。
「あ、あら・・・いいんですのよ」
「孟起ーー!助かった・・・」趙雲は馬超に寄りかかった。
「よしよし」馬超は趙雲の肩をぽんぽん、と叩いた。
「おまえが来てくれなかったら俺はどうしたら良いのかわからなかったよ・・・!」
「だから一緒に行ってやるっていったろ?」
それをじっと見ていた樊は、急に立ちあがった。
「・・そう、そういうことだったのね・・・」
「えっ?何が?」
趙雲は振り向いた。
「趙雲様のような凛々しい殿方がどうしていままでずっと独身でいらしたのか、ようやくわかりましたわ」
趙雲はいやな予感がした。
「・・・たしか女に興味がないと御見合いの席でもおっしゃっておられましたわよねえ」
「う・・・」
趙雲は肩に馬超、右手を雲緑、左手を劉禅に取られたまま立ち尽くしていた。
「でもまさかホモでショタでロリコンだったなんて」
樊はちらり、と横目で少し軽蔑するかのように趙雲を見た。
樊の言葉は趙雲の胸に深くつきささった。
「ちょっ!ちょっとまって!俺はそんなんじゃない!」
「でも、ま、いいわ。他の女に取られるんだったら私のプライドがゆるさないけど、ホモなんだったら仕方が無いものね。相手が美形なのがせめてもの救いだわ」
樊はそういうと踵を返して去っていこうとした。
「お、おいっ!違うっ!誤解だっ!」
「さようなら趙雲様。もうお会いする事はないでしょう。その方達とお幸せにね」
「俺の話しをきけって!!おーーーい・・」
それはむなしい叫びとなった。
「ねえ、お兄様・・・子龍様どうなさったの?」
「そっとしとこう。ショックがでかかったんだろう」
すっかりうなだれて肩をおとしたまま喫茶店の席にすわったきり動かない趙雲を後ろの席に座ってみている馬超兄妹であった。
「あら?劉禅のバカは?」
「おやつの時間だからってさっき帰ったよ」
「あ、そう」
馬超はコーヒーをすすると、立ちあがった。
「さて、俺も帰るかな。おまえはどうする?」
「うーん。私もうちょっと子龍様のおそばにいるわ」
「そうか。ま、うまくやれよ」
その後、趙雲はなぜか馬雲緑となんとなくいい関係になっていくのだが、常に劉禅という邪魔がはいったことは言うまでも無い。
ホモはともかくショタとロリコンという汚名をこのあともずっと返上できないまま過ごす趙雲なのであった。
(終)