定軍山の攻防



北魏と蜀漢カンパニーは今、レジャー部門で対立している。
定軍山を観光地として開発する巨大テーマパークの案が浮上しているのだった。
これにあたっているのは、蜀漢カンパニー・レジャー事業部の黄忠。そして北魏は夏侯淵であった。
 

「山だっちゅーのになんだか蒸し暑いのう・・・」
黄忠はぼやいた。
「ハエが飛んでおるな。ちゃんと管理しとるのかね、ここは」
「ちょっとハエタタキを貸せ。叩き落としてくれる」
黄忠は厳顔からおいてあったハエタタキを受け取り、目にも留まらぬ速さでハエを叩き落とした。
「お見事!いや〜さすが」
「ほっほっほ。まだまだ若い者には負けんわい!」
 

黄忠はこの年59才。
蜀漢カンパニーの定年は60才なので、この仕事で定年を迎えることになる。
しかし自分ではまだまだ若いつもりでいるらしい。
とにかく年寄り扱いをされるとものすごく怒るのだ。
今回のプロジェクトでは黄忠のサポートに張飛と趙雲がつくことになったが、一切手出し無用、と言い切って山の入り口近くに置いてきた。
その代わりに一緒に連れてきたのが同僚の厳顔であった。

その黄忠らは定軍山へ下見に来ていた。
定軍山の峠には宿泊施設があって、そこへ泊まることになっているのだが、そこで夏侯淵らと鉢合わせしたのだった。

「おや、ご老体。このような山に登って、酸欠にならねばよろしいが」
夏侯淵が黄忠に笑ってそう言う。
「おぬしこそ山登りで少しは痩せたか?」
黄忠はちょっと小太り体型の夏侯淵をあざ笑うように言った。
「ほっとけ!こういう体型なんだ!」
「ふふ〜ん。そんなに太っていてはそれ、そこらに飛んどるハエすら追えんじゃろうて」
「ハエがどうしたって?だまれ、このハエ取りジジイ!」
お互いに憎まれ口を叩いて、ふん!と顔を背けあう。
 

「ぬ〜あやつと同じ空気を吸っとること自体が気にいらん!」
黄忠はそう吠える。
「まあまあ、黄忠さん、落ち着いて。地主の陳式さえ押さえればこちらの勝ちですから」
そう諫めるのは今回諸葛亮の代わりに黄忠についてやってきた蜀漢のブレーンの一人、法正であった。
陳式はもともと蜀漢の人間なのだが親の代からのこの土地を継いで退職したのだった。
未だに土地を売らないと、がんばっているのだ。
この宿泊施設も陳式の持ち物だった。
「その陳式はどこに?」
「さて、蕎麦でも食いにいっておるのだろう。大の蕎麦好きらしいからのう」
「・・・こんな山奥に蕎麦屋なんかあるんですか」
法正は不信な顔をした。
「最近漢中の入り口に出来たらしい。立ち食いらしいが、なかなか旨いと評判らしいぞ」
「あなたも食べたんですか」
「醤油味が濃いらしんでな。儂は遠慮した」
「醤油味・・・それは大変。黄忠殿、それはきっと罠です」
「何?罠じゃと!?」
「濃い醤油味は曹操の好物・・・というか魏の地方の味。その蕎麦屋はおそらく北魏の・・・」
「本当か、それは!一大事じゃ!」
「もう遅いかもしれません・・・。なんとか彼をこちらへ引き戻す方法を考えねば」
法正が腕を組んで考え込んでいると、表で笑い声が起こった。

「なんじゃ、不謹慎な!」
黄忠が悪態をつきながら表に出ると、そこでは厳顔が見慣れない若者と花火をしていた。
「な・・・何をしとるんじゃ!?」
「おっ、黄忠。いや、この若者が道に迷ったというのでここまで案内してきてやったのだ」
厳顔は楽しそうに言う。
若者は線香花火を持ちながら立ち上がって、礼をした。
「お邪魔してます。ボクは夏侯尚伯仁と言います。叔父さんとこの山へ来たんですが、高山植物の写真を夢中で撮っている間において行かれてしまって」
夏侯尚と名乗った若者はなんだかのほほん、とした雰囲気があった。
「夏侯・・・・もしや叔父さんとは夏侯淵のことですかな?」
黄忠の背後で法正がそう訊いた。
「あ、はい、そうです。叔父をご存知なんですか?」

黄忠と法正は顔を見合わせてニヤリ、とした。
「はっはっは!でかしたぞ、厳顔!」
ワケもわからず褒められて、厳顔は首を傾げた。
 

その頃、定軍山の麓、広石では張コウが花柄のエプロンをして蕎麦屋で呼び込みをしていた。
韓浩が店の中で蕎麦を打っている。
「は〜。ホントにこんなことでひっかかってくれるのかなあ」
張コウが天を仰いでいると、
「おねーさん、お蕎麦一丁」
と店に入りかけながら声をかける者がいた。
「あ〜ら、陳式さん!いらっしゃ〜い」
おねーさん、といわれた張コウだったがなんだかそれが嬉しかったようでニコニコしていた。
張コウは北魏の社員であり、役員の一人でもあったが今回夏侯淵とともに定軍山プロジェクトを任されたのだった。
ちなみに張コウは身長190センチの大男だったが、女装癖があった。
社内では普通にしているが、言葉遣いがオネエ言葉なので曹操や司馬懿などには嫌がられている。

張コウは韓浩に片目をつぶって合図を送った。
韓浩は頷いて蕎麦を作り出した。
 
 

黄忠はともかくも、麓の蕎麦屋まで出向くことにした。
店の前で大男が呼び込みをしている。
「いらっしゃ〜い」
「むう。蕎麦をひとつ」
「は〜い。お蕎麦一丁〜」
黄忠が立ち食いのカウンターの前に立つと、なにやらカウンターの奥にうずくまっている物体があった。
「う〜〜う〜〜」
「わっ!?なななんじゃ?!」
黄忠は驚いてその物体を見た。
「ぐひ〜もう食べれまへ〜ん・・・」
蕎麦の食い過ぎで動けなくなった陳式だった。
「ぬう!陳式!」黄忠が陳式に手を延ばそうとしたとき、その前に韓浩が立ちはだかった。
「おっと、この人はうちのお客さんですよ。あんたは蕎麦を食べたらさっさと帰ってください」
そう言いながら、蕎麦の入った丼をカウンターにどん、と置いた。
「むう〜無礼なヤツめ!きさま北魏のものじゃな!そいつを返さねば夏侯尚がどうなっても知らぬぞい!」
「伯仁さんが?」
韓浩は驚いた。
「そうじゃ!夏侯淵の甥は儂があずかっとる!交換に応じろ!」
張コウもこれには顔色を変えていた。
「ふふん」
黄忠は余裕げに蕎麦に手を付けた。
そして一口麺とスープを飲んだ直後であった。

「なんじゃあ!こりゃーーー!!まずーーーい!!」
黄忠は蕎麦を丼ごと投げ飛ばした。
「きゃあーっ」
それが側にいた張コウのエプロンに飛び、韓浩の頭に蕎麦がかかった。
「あちっあちっ!!」
韓浩は慌てて蕎麦を振り払い水で顔を洗った。
「ちょっとジジイ!アタシのお気に入りのエプロンになんてことすんの!ばか!」
張コウはエプロンに蕎麦の汁をおもいっきりかけられて憤慨していた。
「バカとはなんじゃ、バカ!デカイ図体して気色の悪いやつめ!オカマか、おぬしは!」
黄忠の稲妻のような叱責が張コウを打ちのめした。

「・・・・オカマ・・・?誰が・・・?」
「おぬしに決まっとろうが!他に誰がいる?カマ!カマ!カマボコ!板オカマめ!」
「な・・・・なんですって〜〜〜〜!!板オカマってどーいうことさ!!」
張コウは低音のドスの利いた声でいきりたった。
「オカマが板についとるっちゅーことじゃ!バカオカマめ!」
「バカオカマっていったわね!!」
「バカなオカマじゃから仕方がない」
張コウは目にいっぱい涙を溜めて黄忠の前に立った。
側に立つと、さすがにデカイい。
「寄るな、デカオカマ!おまえのせいで手元が暗くなる!」
「・・・・!ひどっ・・・・!気にしてるのに!!」
言うなり、張コウは身体を翻して泣きながら去っていった。

「ふん、気色の悪いヤツめ・・・おお〜寒い寒い」
黄忠がカウンターを再びふりむくと、陳式の姿がない。
韓浩がすでに連れ去った後だった。
「むう〜動きの素早いやつめ」
 
 

「・・・で、おまえはこうして逃げ帰ってきたというワケか」
夏侯淵は山の中腹にある別荘で張コウを前にシブイ顔をしていた。
「だって〜ぇ」
「だって〜ぇ、じゃない!愚か者め!」
「で、でもこうして人質はつれてきたし」
陳式は縄でぐるぐる巻きに縛られたまま転がされていた。
「・・・韓浩、その顔の包帯はどうした?」
「あ・・・はい・・その・・・名誉の負傷です・・・」
韓浩はアツアツの蕎麦をかけられて顔中火傷を負っていたのだった。
「・・・で、伯仁のヤツがやつらの手に落ちたというのだな?」
「あのジジイがそう言ってました」
「くっそ〜。仕方がない、コイツと交換だ」
「え〜!あのジジイ、半殺しにしないと気が済まないわ!」
張コウがそう言って不満を露わにした。
「カマ言葉はよせ!」
夏侯淵は苛立った。
「カマっていうなー!」ドスの利いた声で張コウは怒鳴った。
「カマって言われたぐらいでおまえも泣くな!バカ者」
「だってひどい!いじめよ!言葉の暴力反対!」
そう言ってメソメソ泣き始めた。
夏侯淵は頭を抱えた。
張コウは河北物産をリストラされて北魏に来たのだったが、入社したばっかりのころはまだマトモだった。
何がきっかけでこうなったのかは謎だが・・・・優秀だがこんな部下はいらん、と夏侯淵は思った。
 
 

翌日、峠の宿泊施設で黄忠と夏侯淵はお互いの人質交換を行った。

「あっ、叔父上ー!」
夏侯尚は嬉しそうに口を開いた。
「この・・馬鹿者めが!」
夏侯淵はいまいましげに甥を睨み付けた。
自分が人質になっているという自覚がどうやらないらしい。
お互いの人質を放したところで、夏侯淵は陳式の背中に一発ケリを入れる。
「わわっ」
陳式はつんのめって法正の前に倒れ込んだ。
黄忠も持っていた縄をぐい、と引くと夏侯尚の片脚が取られてそのまますっころんでしまった。
「伯仁ー!」
夏侯淵はあわてて脚の縄を解いてやった。
「この卑怯者め!」
「お互い様じゃろ!」
夏侯淵と黄忠はお互いににらみ合った。

「ぬうーー!こうなったら身体でわからせるしかないようだな!ジジイ!」
夏侯淵は吠えた。
「だれがジジイじゃ!小太り中年!」
黄忠も負けていない。
「むっかーーー!度重なる暴言、貴様ーゆるさーん!」
夏侯淵は黄忠に突っ込んでいった。

「黄忠殿、はい!」
そのとき、法正が黄忠になにかを手渡した。
「おう!」
ぱしっ!と受け取って、それで向かってくる夏侯淵の顔をピシャリ!と叩いた。
「とぅりゃぁーーーーー!!」
左右交互に、目にもとまらぬ速さで夏侯淵の顔を叩く。
みるみるうちに夏侯淵の顔が真っ赤に腫れ上がっていく。

「う・・・ぐっ・・・・・惇兄ーーーーーー!!」

そう叫ぶとそのまま夏侯淵は膝から崩れ落ち、地響きをたてて倒れた。

「す・・・すごい・・・」
張コウはごくり、と息をのんだ。

「見たか!老練なる舞を!!」
黄忠は手にハエタタキを持っていた。
それを高く掲げて勝利のポーズを作った。

張コウは夏侯尚と、夏侯淵を抱えて山を降りていった。

「はっはっは!見たか!」
得意になっている黄忠の横で法正は陳式を助け起こしていた。
「陳式さん、大丈夫ですか?」
「は、はあ・・・なんとか」
「酷い目に会いましたね。もうお蕎麦なんか食べにいっちゃダメですよ」
「うう〜〜〜でも・・・・・蕎麦〜〜」
「じゃあ、こうしましょう。うちがここを開発したら、うまい蕎麦屋を誘致します。それなら毎日食べられるでしょう?」
法正がニッコリ笑ってそう言った。
陳式はとたんに満面の笑顔になった。
「それならいいです!今すぐ契約しましょう!」

黄忠は法正をチラと見た。

なんという簡単な男なのか。
結局手柄は法正一人のものだ。
「なんじゃ・・・・儂がでるまでもなかったのう・・・」
黄忠は内心複雑であった。
 

「いやー黄忠殿が夏侯淵を追い返してくださったおかげで簡単にことが運びました。社長によく言っておきますね!」
心中を察してか、法正は黄忠を褒め称えた。
「は、ははは、そうか?」
黄忠は苦笑いしたが、その後彼はこの手柄により、社長賞をもらうことになり、定軍山は蜀漢カンパニーのものとなった。
 

そして夏侯淵はというと、ハエタタキでぶたれたショックで精神的に参ってしまい、少しだけ痩せたのである。
「・・・俺はハエか・・・」
「しかもちょっと太ったハエですね」
お見舞いに来ていた張コウがくすっと笑ってそう言った。
「いらん事を言うなーー!!」
 
 
 
 
 

(終)