東呉商事のお昼休み。
社内放送がふいに入った。
ピンポーン♪
「庶務の魯育でーす!慰安旅行のアンケート投票箱設置しましたー!締め切りは一週間後です!今回は、アンケート上位三カ所から選択方式にしまーす!多数の場合は抽選で振り分け!必ず全員参加のこと!特に理由なく参加しない人はボーナス減給でーす」
放送後、社内はどよめいた。
三年に一度の東呉商事の慰安旅行が近づいていた。
なぜ三年に一度かというとあまりにも本社子会社併せて社員が大勢いるため、小分けにして行かせているので全員の旅行が終わるのに三年かかるというわけだ。
社内はとにかく浮き足立っていた。
「公瑾はどうする?おまえ前回行っていないだろ?」
「ええ・・・出張と重なってしまって」
「しかしな、前回のアレは苦行だったな・・・親父のせいだ、あれは」
周瑜は苦笑した。
「・・・ずいぶん大変だったみたいですね。あれは」
「おまえ、行かなくて正解だったぞ。なにせ強制参加だったからな。たしか誰か骨折とかしてたっけな」
「酸欠になって入院した方もいたと聞きますが・・黄蓋さんでしたでしょうか」
「ああ、張昭や張紘もな。親父たちが漢の浪漫だなんだとかいいやがって・・・」
「じゃあ、今度はゆっくりできるところがいいですね」
「う〜ん。俺はあたたかいところがいいなあ」
社長室のデスクで腕組みしながら孫策は考える。
「そうすると南蛮あたりのビーチリゾートでしょうか」
周瑜は手元のスケジュール帳を確認しながら言った。
「ああ〜いいな!それ。社長の強権発動で南蛮リゾートは絶対入れとこう」
「くすっ・・いいんですか?」
「いいんだよ!俺が行きたいんだから」
さて、アンケート回収作業に追われる庶務課である。
孫魯班と孫魯育の二人が担当している。
この二人は姉妹で、孫堅の遠縁にあたる。ふたりともコネ入社であるためか、社内一態度のでかいOLとして有名である。
二人ともそれなりに可愛いのだが、いかんせん「ギャル系」である。
少し前まではヤマンバのようなメイクなどもしていてひんしゅくをかいまくっていた。
故に男性社員のみならず他の女子社員からも煙たがられている。
彼女らとよく比較される秘書室の二喬とは当然ながら相性は悪い。圧倒的に二喬は人気があったからなのである。
「ふう〜やってらんないわよねえ〜」
「ちょっと大虎!社長がさ、南蛮リゾートは絶対入れろってさ!向こうで自分だけ恋人とズラかるつもりなんじゃん?」
大虎、もとい孫魯班は椅子にそっくりかえって座っていた。
「べっつに〜?いんじゃないの?前回の万里の長城一周コースなんて罰ゲームみたいな旅行に比べたら天国よ」
「う〜ん。それもそうね。・・・あれは酷かったよね・・あ、これいいな〜許都でブランド品お買い物ツアー!」
「随分近場ね・・・」
「だってさ、近いとこだと旅行代金の余りをお小遣いとして支給されるんだよ?絶対お得だって!」
魯育が興奮して言う。
「げ!匈奴料理食べ放題だって・・・」別のアンケートを開いていた魯班が声をあげた。
「え?嘘・・こっちもよ!」
「あれ?あれ?マジで〜?なんで匈奴なんか行きたいのよ〜〜!あんな辺境」
「これ絶対組織票よ。組織票は無効!ってことでボツ!」
「小虎はどうすんの?リゾートで男でも漁る?」
小虎こと魯育はそれに対して、あっけらかんと答えた。
「そうねえ〜でも私今ね、狙ってるオトコいんの。だから今回そういうのパスね」
「えー!誰?」
「へへーん、内緒!」
「意地悪!いいんだもん、アタシだっているんだから!」
なんとはなしに二人の間で小さな火花が散った。
「アンタの顔ならたいしたオトコじゃないよね?」
魯育は鼻で笑った。
「ふん、アンタこそ不倫とかじゃないの?脂ギッシュなオヤジでしょ、どーせ」
魯班も嫌味たらたらに言う。
「ふん!」
側で黙って見ていたのは総務課長の諸葛瑾であった。
「・・・早く決めようね・・」
ピンポーン♪
「ということで決まりましたー!」
社内放送がかかる。
社員、全員が息を呑んで耳を傾ける。
「まずは〜南蛮リゾート!エメラルドの海と綺麗なコテージでのんびり!」
まずは拍手が起こった。
「次は〜高麗見物&お買い物ツアー!辛いもの三昧!汗かいてベソかいてゴ〜!」
ざわめきが起こった。
「最後は〜成都見物!蜀の桟道を歩いて昇る体力と度胸だめし!桟道頂上からのバンジージャンプもアリ!」
最後には悲鳴が起こった。
「・・・ほんとにアンケート結果なのかよ・・・これ」
営業部の李異が呟く。
「匈奴はどうしたんだ、匈奴は!」
「黄龍温泉は〜?」
あちこちから文句が爆発した。
ついに庶務課に殴り込みが入った。
「やいやい!おめえら、アンケート勝手にいじってんじゃねえだろうな!?」
営業部長の甘寧である。
怒鳴り込んだとき、庶務の孫魯班と孫魯育は三時のおやつタイムだった。
「こらー!おめえら、会社で菓子なんか食ってんじゃねえ!」
「なによう。庶務課には三時のおやつタイムがあるのよ」
「あのなー!って、そうじゃねえ、旅行のアンケートだ!」
「甘寧部長、こわーい!助けてロバ課長〜」
孫魯班がアメをほおばりながら叫んだ。
「ロバじゃなくて、諸葛瑾課長だろ!そういうことはおっきな声で言うんじゃねえ!」
甘寧が大声で怒鳴っているすぐ後ろに諸葛瑾は立っていた。
諸葛瑾は面長で風貌がロバに似ている。
「あの・・・ね、甘寧部長?あなたの声の方が断然大きいんですけどね?」
そう穏やかに言われて、甘寧は振り向いて「すみません」と言った。
「アンケートは組織表を省いたらああいう結果になったんです。悪かったですかね?」
「ああ・・いえ」
甘寧はチッ、と口の中で舌打ちした。
甘寧は物腰の柔らかいこの諸葛瑾に一目おいているところがある。
自分は部長で相手は課長でも、なぜか敬語なのである。
営業部全員を脅して匈奴料理、と書かせたのは彼なのだった。
「ちなみに南蛮リゾートは社長のたっての希望だったからね。それ以外は票が割れすぎてしまって、二番目は6票、三番目は3票だったんだよ」
「げ!それじゃあ、本当にみんなバラバラだったんスか」
「本当にまとまりがなかったね」
諸葛瑾は苦笑した。
「参加者が一人もいなかったコースは無くなるんですか?」
「一人でもいたらやるからね。でも投票者がいるんだから最低でも三人はいるでしょう」
「匈奴料理・・・食って見たかった・・・」
「甘寧部長って野蛮ねえ。別に南蛮料理でもいいじゃない」
孫魯育がポップコーンを食べながら言う。
「うう〜、仕方がねえなあ・・」
「社長が行くと言うことは秘書室も一緒ですね。南蛮で美しい女性たちの水着姿が見れますよ、きっと」
なにげなく言ったその諸葛瑾の言葉に、甘寧の目がキラーン!と光った。
「・・そ、そうか!そっちがあったか・・・!!」
何か急にやる気になった甘寧はウキウキしながら帰っていった。
「さすがね〜ロバ課長!」
孫魯班と孫魯育は拍手でもって諸葛瑾を褒め称えた。
「ははは、どうも。でもロバじゃなくて諸葛瑾です」
口調は穏やかでも少しは怒っているようでもあった。
「これじゃ、南蛮リゾートが一番マシじゃないか」
孫策は結果を聞いてそう漏らした。
「そのようですね。いっそのことこれ一本にすれば良いのに」
「だれが成都でバンジージャンプなんかしたがるんだ。死ぬぞ」
「そうですね。社員旅行は一週間もありますからね。体力尽きそうです」
くすくすと笑う。
「なんであんな僻地に行かなきゃならんのだ。だいたい成都なんつったら蜀漢の本拠地じゃないか」
「社長がいくことがわかったら、劉備社長に接待されますね、間違いなく」
「絶対やだ!仕事を忘れにいくってのに〜・・・・。なあなあ、南蛮で象に乗ろうぜ!」
「はいはい」
「・・・で?誰なんだ、蜀の桟道を歩いて登りたいなんていう変人は!」
甘寧は大声でそう聞いてまわった。
「さあ?」
「前回の行き先提案した黄蓋殿じゃあないんですか」
「三人いるんだそうだ」
甘寧がチラリ、と営業本部長である程普を見た。
とたんに程普は咳払いをし始めた。
(・・・一人目はコイツか)
そこにいた全員がそう思った。
「・・・ということは」
甘寧は後ろを振り返った。
蜀の桟道登りだなんて、絶対口裏を合わせたにちがいない。甘寧はそう読んでいた。
振り返った甘寧から慌てて目をそらした者が約二名いた。
営業三部の韓当と、四部の黄蓋である。
(・・・やっぱこのジイサンたちか・・・。無理しちゃって)
甘寧は溜息をついた。
「あのな・・・高いとこ、空気薄いからあんたら、死ぬぜ?」
甘寧の一言が、ジイサンズの魂に火をつけた。
「なんじゃと!若造が!」程普が急に机を叩いて立ち上がった。
「儂らを舐めるなよ!これでもバリバリ現役じゃぞい!」同じく韓当。
「そうじゃそうじゃ!!年寄りをもっといたわれい!」そして黄蓋。
「・・だからいたわってんだろ・・・」
ちょうどそのとき、廊下で女子社員たちのはしゃぐ声が聞こえた。
「きゃー本当?だいたーん」
「やっぱビキニの方がいいんじゃん?」
「白って今年ダメ?」
・・・・なんとはなしに男性社員の耳が劉備並に大きくなる。
「秘書の周瑜さんも水着買いに行くっていってたよ」
「えー私も買おうかなあ。行くならやっぱ南蛮リゾートよねえ!」
「どうしよう〜ダイエットこれから間に合うかなあ?」
一瞬、その場がシーン、と静まりかえった。
しばらくして、ゴホンゴホン、と咳払いが各地で聞こえた。
「あー、やっぱり年寄りにはあったかいとこがええかのう」
急に年寄りくさいことを言い出したのは黄蓋だった。
「なんじゃ!桟道のぼって体力つけようっつーたのはあんたじゃろう!?」
韓当は黄蓋に向かって叫んだ。
ゴホンゴホン、とまた咳払いが聞こえた。
「あーうー、儂も海が見たいのう」
程普が明後日の方向をみながらそう言った。
「なんじゃとー!この裏切り者めらが!!」
韓当だけが怒っていた。
「こうなったら儂一人でも行く!」
韓当は怒ったまま席を立って行ってしまった。
「あ〜あ」
ジイサンズの結束も意外にもろいのな、と甘寧はひそかに思った。
だが、しばらくして、韓当が鼻歌まじりに戻ってきた。
「あん?」
不審な顔でその場の全員が韓当を振り返った。
「韓当部長、どうしたんですか?」
全jが尋ねた。
「ふふふっ♪儂も南蛮でリゾートするわい!」
「ええっ?」
「何があったんですか」
「そこで秘書室の二喬に会ったんじゃ。一緒に水着を見に行くのに付き合うことになっての〜ほほほ」
「なにぃーーー!!」
韓当の言葉に、そこにいた男性社員たちが一斉に声を張り上げた。
「韓当部長!俺もお供しますっ!!」
「お、俺も!!」
ばたばたと韓当の前に人だかりができたが韓当は余裕で笑っていただけだった。
「くそー悔しいわい!」
黄蓋が独り言のように本音を言った。
甘寧は横目でそれを見て、また口の中で舌打ちした。
「男としてみられてないって証拠だよな・・・ある意味ジイサン、役得だな」
程普もそちらを見ないようにしていた。
成都は参加者なし、ということで無くなった。
お買い物ツアーには孫魯班と孫魯育が参加することになって、他の連中は回避した。唯一、お目付役として諸葛瑾が同行することとなった。
そして、結局今年の社員旅行は、ほぼ全員一致で南蛮リゾート一本になった。
(終)