「コーヒー、入りましたよ」
挽き立てのコーヒーの芳しい薫りが寝覚めの孫策の意識をはっきりさせた。
「ああ、ありがとう」
食卓につくと、コーヒーがカップに注がれる。
孫策の目の前には焼きたてのトーストと目玉焼き、サラダが並んでいた。
「ほっとするな・・・」
思わず呟いてしまった孫策にはワケがあった。
孫家のいつもの食卓では朝からハンバーグ丼やチャンコ鍋なんかがいきなり出てくるのだ。
孫家では朝だから軽い食事、という考え方など無いのだった。
「ご飯を食べるために早起きする」という習慣があって、孫策は一人暮らししていてもその癖は抜けず、朝食は必ず摂っていた。
ただ、周瑜の作る朝食は量も内容も、いわゆる普通のものだったので、孫策もなんとなくそれに合わせるようになっていた。
新聞に目を通しながら、コーヒーを口に含む。
ふと顔をあげて向かいを見ると、そこには愛しい女性が笑顔で座っている。
(なんて幸せなんだろう・・・)
孫策は実感していた。
周瑜と半同棲しはじめて一月が経とうとしている。
周瑜は自分のマンションはまだそのままだったが、月の半分はこうして孫策のマンションで過ごしている。
一応、プロポーズはしたけれども、いろいろとあって結婚はまだ当分お預けということになっていた。
それでも孫策は周瑜と一緒にいるだけでも幸せだった。
朝、一緒に食事をして、一緒に会社へ出かける。
ともかくず〜っと一緒にいるのだ。
そんな周瑜にある日、二喬が言った。
「ねえ、そんなに一日中ずっと一緒にいて、飽きません?」
「・・・?飽きる?」
周瑜は意外な顔をした。
「そう。たまには冒険したいな〜とか思いませんか?」
「冒険・・って?」
「別の男性とデートしたり、食事したり」
「・・・・別に全然思わないけど?」
「ふうん、周瑜さんって一途なんですね〜でもあんまり一緒にいると、相手の嫌なとことか見えてきませんか?」
周瑜はそう言った小喬の言葉の意を理解して微笑んだ。
「まあ、誰にでも癖の一つや二つはあるから。そういうのも含みで好きにならなければ、ね」
「周瑜さん、大人なんだ〜。私なら、たとえばいつも手が汗ばんでるとか、ふくよかな人とかダメですわ」
大喬はそう言った。
「私、なれなれしいひと、嫌!あと髭の人も嫌!背の小さい人も嫌!」
小喬も負けじと言う。
周瑜はそれを聞いて苦笑した。
「そりゃ社長は格好いいですもん。いいですよね〜」
二喬は声を揃えて言った。
「社長にだって、嫌な癖くらいありますよ」
周瑜のさりげない一言に、二喬は身を乗り出してそれを聞きたがった。
「ええ!?何?嫌な癖ってなんですか!?」
周瑜はこの二人が社内一噂好きだということを思い出した。
「それは言えません」
そう言ってそそくさと去っていった。
「やだー!気になる!」
「・・・こうなったら観察よ!絶対突き止めるわ!」
・・ということで俄然燃える二喬であった。
それからというもの、孫策の行くところ、ストーカーのごとく二喬が現れるのだった。
「・・・なんとかしてくれ。おかしくなりそうだ」
孫策は社長室の来客用のソファに腰掛けて、深いため息をつく。
「あいつら男子トイレまで押し掛けてきたぞ」
「・・・・」
周瑜はもう笑い事では済まされない状況になってきていることに気付いた。
「・・・すみません。社長・・・私の不用意な発言のせいです」
周瑜は孫策の隣りに立ったまま沈んだ声で言った。
「おまえのせい?・・・どういうことなんだ?」
周瑜は事情を説明した。
ところが孫策はこれに別の反応を示した。
「・・俺も知りたい。俺の嫌な癖って、一体なんだ?」
周瑜は言ってしまってから、しまった、と思った。
「・・・・・」
「なあ、おまえが嫌な思いをしてるんだったら、直すから。言ってくれよ」
「・・・・・」
周瑜は相変わらず黙ったままだった。
「公瑾!」
「・・・あの・・・そう、我慢できないというわけではありませんから」
「うっわー!気になるっ!!」
孫策は頭をガリガリと掻いた。
立っている周瑜の腕を引き寄せて、自分が座っているソファの隣りに座らせた。
「あ・・・っ」
「言ってくれ!頼む!」
哀願だった。
周瑜は少し困った顔になったが、ふと何かに気付いて立ち上がった。
そしてドアに近づいて、そっと扉を引いた。
「きゃあっ!」
ドテドテッと、まるで漫画のお約束のように二喬が倒れ込んできた。
「おまえたち・・・!」
孫策も立ち上がって、呆れて二人を見つめた。
「いった〜・・・やだバレてたの・・・」
その二人の前に立って、周瑜は毅然と言った。
「いい加減にしておきなさい。悪ふざけも程々にね」
「はぁ〜い・・・ごめんなさ〜い・・・」
二喬はしおらしく返事をした。
「・・・まったく仕方が無いな。今度やったらクビだぞ?」
これを聞いた二人は飛び上がって驚き、何回も謝罪して立ち去った。
孫策は社長らしいやり方で二人をこらしめるのに成功したのだった。
「ふう」
ひとつため息をついて、孫策は周瑜に向き直った。
そしておもむろに引き寄せると、その桜色の唇に軽くキスをした。
「・・・!」
キスした方とされた方の反応は正反対だった。
孫策はニコニコしていた。
が、周瑜の反応は・・・
「・・・・これです!私が嫌だといった社長の癖は!」
「は?」
なんのことやら?な孫策であった。
周瑜は今キスされたばかりの唇を押さえて孫策を射るように睨んだ。
「・・・あたり構わずキスすることですっ・・・!」
(がーーーん・・・・)
孫策の心の中で衝撃の鐘が鳴った。
「そ・・そんな・・・」
「社長は人前でも平気でするじゃないですか・・!私、もう恥ずかしくて・・!」
周瑜は頬を染めながら訴えた。
「・・・・・」
孫策はショックを受けながらも、考えていた。
これって癖なのか・・?
癖と言うよりは日常の生活習慣に近いような気もする。
でも正面切って「嫌な癖」と言われたことにショックを受けた。
しかし持ち前のプラス思考で孫策は考え方を切り替えた。
「あのさ、でもさっき我慢できないほどじゃないって言ってたよな?」
「・・・・・」
「・・・ということは全くダメ、ってことでも無いんだな?」
またしてもしまった、と思う周瑜であった。
「俺は、キスしたいときにする主義だ!我慢してくれ!」
開き直られてしまった、と周瑜は思い、嘆息をついた。
その傍らでほっと、一息つく孫策だった。
「良かった・・・もっと別のコトかと思ってドキドキした。寝相が悪いとか、食事の摂り方が汚いとか」
それを受けて周瑜はくすり、と笑った。
「でも寝ているときの事は言ったって治らないでしょう?」
冗談で言ったつもりだったのに、藪蛇になった。
「・・・俺の寝相ってそんなに悪い?」
周瑜はくすくすと笑って「時々寝言も言いますね」と言いながら部屋を出ていった。
「おい!教えてくれよ!気になるだろう?!」
再び周瑜の後を追い掛ける孫策であった。
部屋を出たところで廊下の影からその二人が出ていくところを見守っていた二喬がいた。
「どうする・・?寝相と寝言ですってよ?」
「確かめる術がないわね・・・。やっぱり周瑜さんに聞くしかないかしら?」
「今度お茶に睡眠薬入れてみる?」
「周瑜さんに見つかったら怒られないかしら?」
「じゃあ周瑜さんにも一服盛る?」
「・・・難しいわね。あの人鋭いから」
「う〜ん・・・」
またしても懲りない二人であった。
(終)