「はい、仲権。これお土産!」
なにげなく姜維が夏侯覇に手渡したのは可愛らしいキャラクターが印刷された紙でラッピングされた包みであった。
「お、俺に!?」
「うん。この前送ってもらって手間かけさせたし。ちょっとしたお礼だよ」
「(う、嬉しいーーー!!)開けていいか?」
「うん!開けて!」
夏侯覇は嬉々として包みを開けた。
「・・・な?」
包みの中から出てきたのは、可愛いラッピングからは想像もつかないような「ぬか漬け」と書かれた袋だった。
「ぬ・・ぬか漬け・・・?」
夏侯覇は姜維を見た。にこにこしている。
二人はいつもの居酒屋に来ていた。座敷のテーブルの一角で、並んで座っている。
「そ!すっごくおいしかったから仲権にも買ってきたの!」
「はは・・・は・・ありがとう」
夏侯覇は実は漬け物が苦手であった。しかも独身寮で一人暮らしなのだ。ぬか漬けをいったいどう処理すればよいのか。
「ぬか漬けってね、おいしいの食べるとクセになるよ、絶対!」
そんな癖は持ちたくない、とひそかに思う。
しかし、満面の笑みの姜維がせっかく自分のために買ってきてくれたのだ。
これを食べなきゃ男じゃない。
夏侯覇はそう心に誓った。
姜維の機嫌がいいのは、諸葛亮と出張に出かけていたからである。
昨日の夜帰ってきて、今日は夏侯覇と飲みにいく約束をしていたのだ。
「・・・でね?このまえの女の人のこと、勇気を出して訊いてみたの。そしたらさ、誰だったと思う?」
「・・さあ?」
夏侯覇はくるくるとよく変わる表情の姜維を楽しそうに見ていた。
「東呉商事の社長秘書ですって!でもって社長の婚約者なんだって」
「へえ・・・」
夏侯覇はいつかホテルの前で諸葛亮と抱き合ってた女性を思い浮かべた。
「(孔明さん、振られたのかな・・?)」
「良かったよ〜孔明さまの彼女だったらとてもかなわなかったもん。どうりで美人なワケよねえ」
「ああ・・・良かったな」
「(これで晴れて孔明さまがフリーだってわかったし!私、はりきるからね!」
「ああ・・・」
夏侯覇は複雑だった。
姜維が元気になったのは良かったが、自分にとってはよろしくない。
「なあ、伯約?俺のこと・・・」
「ん?」
「どう思ってる?」
「んま!この唐揚げおいしいよ!」
「・・・(聞いてねーよ、この女ぁ〜)」
夏侯覇は無邪気な姜維に辟易したが、そういうところに惚れている自分にも気付いていた。
「ああ。唐揚げな・・・美味いな」
「うん!あ!レモン絞るの忘れた!」
姜維は唐揚げについていた半分に切られたレモンを持って、ぎゅっ!と絞った。
「おい。気をつけろよ」と夏侯覇が注意する間もなく
「きゃあ!」
その途端レモン汁が姜維の顔に飛んだ。
「いったーー目に入ったよ!」
「ああーーもう!言ってる傍から」
夏侯覇はおしぼりを取って、姜維の目に当てた。
「大丈夫か?滲みる?」
「いたーい・・・」
姜維の目は涙が溜まって潤んでいた。
夏侯覇はドキッとした。
「お。おう・・・涙で流しちまえば平気だろ?」
「うん・・・」
「おまえ、不器用だなあ。こういうの絞るときはもう片方の手でこうしてガードするのが普通だろ?」
夏侯覇は絞りかけのレモンをもって、片手でレモン汁が飛び散らないようにガードしながら上手に唐揚げに絞った。
それを見ていた姜維はまた急にうるうると涙ぐんだ。
「うう〜・・・不器用って、不器用って!どーせ不器用ですよお!」
「な、なんだよ、今度は・・・」
夏侯覇は自分の言った一言でまた姜維が泣いてしまったことで焦った。
姜維は半分ベソをかきながら事の次第を語りだした。
それは姜維が諸葛亮と漢中に出張に出かけた時のこと。
諸葛亮はその日、朝から少し不機嫌だった。
どうしてなのか、こわくて聞けなかった。
ホテルにチェックインしてから、明日の予定を確認するために、諸葛亮の部屋を尋ねていった。
「孔明さまー?」
「ああ、姜維。お入り」
諸葛亮は扉を開けて姜維を迎え入れた。
「は、はい・・・!」
ホテルの一室で、諸葛亮と二人っきり。
姜維の鼓動はひそかに高まった。
「(どうしよう・・・ふ、二人っきりで、このあと・・・「姜維、今夜はここで語らないか・・?」な〜んてことになって〜、お酒なんか勧められたりしてえ〜酔っぱらっちゃった私に・・・・孔明さまったら・・・うふふ〜v)」
そんな姜維の個人的な妄想と緊張感をよそに、諸葛亮は淡々と明日の予定を語りだした。
それを一生懸命手帳に書き留める。
「書いた?」
「は、はい!」
「じゃあ、もういいね」
「・・・え」
「用事は終わっただろう?」
諸葛亮のそっけない言葉に、なにかしら期待していた姜維はがっかりした。
「さあ、帰りたまえ」
そそくさと席を立たせて促す諸葛亮を振り返りつつ、姜維は不機嫌の理由を訊きたくなった。
「あの、何かあったんですか?孔明さま、今朝から不機嫌・・・」
姜維がそう言うと、諸葛亮はいつになくキツイ眼差しと口調で言った。
「姜維。私はプライバシーを詮索されるのが嫌いなんだよ」
姜維はびくっ、として諸葛亮を見つめた。
「君はその不器用さで時々ひどく私をいらいらさせることがある。気をつけたまえ」
底冷えのする目だった。
「す・・すみませ・・・・ん・・」
姜維は萎縮してしまってろくに声も出せずにそのまま部屋を後にした。
部屋を出た姜維はショックのあまり泣いてしまった。
大好きな諸葛亮に嫌われてしまったと思ったからだ。
しかし、次の日真っ赤に目を泣き腫らした姜維を見た諸葛亮はいつもどおりの優しい彼だった。
「どうしたんだい?目が腫れているじゃないか?夜更かしでもしたの?」
気遣ってくれるのはいいが。
「(孔明様ひどい〜〜誰のせいよ、誰の!!)」
とは思ったが、えへへ、と笑っただけだった。
「・・・・可哀想にな・・・。あの人、時々おっかねーからな」
夏侯覇はビールを飲みながら沈み込む姜維の横顔を見つめた。
「うん・・・でもさ、さっきも言ったけど、結局そのあと、孔明さまの不機嫌の原因が例の東呉の美人秘書だったってわけよ。要するに振られちゃったのよね〜孔明さまったら!可哀想!!」
「可哀想・・・って、あんな冷たいこと言われてもおまえ、平気なわけ?」
「だって仕方ないじゃない?振られて落ち込んでるときは誰だってああなるよー」
「・・・・・おまえの考え方っておめでたいなあ、伯約」
「え?そう?なんで?」
「いいや。前向きで結構なこった」
相変わらず能天気なやつだ、と夏侯覇は思った。
「えへへ〜そんでね、そのあと、「昨日は酷いことを言って悪かった」って謝ってもらっちゃったんだvフランス料理もご馳走になってね!」
「(俺にはぬか漬けかよ・・・・)」
夏侯覇はちょっと不機嫌になった。
「さっきの俺の話、聞いてた?」
「ん?何?」
「俺のこと、どう思ってるかって」
「仲権のこと?友達だよ」
けろり、と言われてしまった。
「おまえな〜少しくらい考えてから発言しろよな」
「だって、他に何を考えることがあるのよぅ!友達っつったら友達でしょ!」
「ああーわかったわかった!おまえの気持ちはよっっくわかったよ!どーせ俺はぬか漬けだよ!」
「何ワケわかんないこと言ってんのよ〜」
姜維はりんごサワーをぐびぐびと飲みながら言った。
その様子にカチンときた夏侯覇は立ち上がりかけた。
「俺、帰る。テキトーに金置いてくからな」
「ええ?仲権帰っちゃうの?」
「ああ」
「やだー寂しいから帰んないで!」
姜維は夏侯覇の腕にすがりついた。
「甘えんな!俺はな・・・・!おまえが好きなんだ!他の男の話ばっかしてんじゃねー!」
夏侯覇の一喝が店内に響いた。
一瞬静寂が訪れた。
「(はっ・・・や、やべーまたやっちまった・・・!恥!)」
夏侯覇は店中の人間の視線を感じた。
そして姜維の視線も。
真っ赤になって夏侯覇は再び席に座り、姜維を見つめ返した。
姜維はしばらくぽかーん、としていたが、やがて笑顔になった。
「うん、知ってる」
「は?」
姜維の言葉に一瞬耳を疑った。
「だから知ってるってば。今更何いってんの。仲権が私を好きなことくらい随分前から知ってるよ〜」
「・・・・・マジで?」
「うん」
「・・・ってことは俺、振られてるってこと?」
「ううん、違うでしょ。私が孔明さまの恋人になれたら、仲権は振られる運命にあるけど」
「・・???言ってる意味がよく・・・わかんないんだけど?」
「私に恋人がいない間は孔明さまは上司だし、仲権は友達。何か変?」
「・・・・なんか・・・それってずるくないか?」
「なんで?」
「じゃあ聞くけどな、おまえは俺のこと好きなの?嫌いなの?」
「好きだよ。だって・・・さあ、私仲権がいなかったら、こうして愚痴言えなくなっちゃってストレス溜まりまくっちゃうよ」
「・・・・・(俺はストレス発散所かよ・・)」
夏侯覇は複雑だった。
「だが・・・ということは、孔明さんにおまえが振られれば、俺にも希望があるってことなんだな?」
「縁起でもないこと言わないでよね!それに仲権は友達だから、もっとずーーーっと努力しないといけないんだよ?」
「で、でも好きなんだよな?孔明さんの次に?」
「孔明さまのずーーーーーーっと離れて次に、ね」
夏侯覇はなんとなく希望の光がみえたような気がした。
「するする!俺努力するよ!」
「その前に私が孔明さまとうまく行くように考えてよね」
「へえへえ。(誰がそんなこと考えるもんか!)」
俄然元気を取り戻した夏侯覇は家に帰って鼻をつまんででもぬか漬けを食べようと思った。
(終)