東呉商事の一行が南蛮で大騒ぎしているころ、北魏の社員たちはいつもどおりの毎日を送っていた。
「楽進くん」
「はい」
呼び止められて振り向いた男は背が低く、一件猿を思わせるようなワイルドな風貌の男だった。
「なんでしょう、郭嘉様」
「君、李典くんと付き合っているって本当かい?」
「ははは〜やだなあ。誰から聞いたんです?」
楽進はぽりぽりと頭を掻きながら赤くなった。
「本当だったのか・・・!これは驚いた!李典くんの趣味も変わっているなあ・・いや〜魏の七不思議の一つに入れておこう」
「どういう意味ですか!それに七不思議って・・・なんですか?」
「おや、知らないのか?なら教えてあげよう。こっちへ来たまえ」
郭嘉はフッフッフ、と不気味な笑いをたたえて楽進をミーティングスペースへと誘った。
テーブルを挟んで郭嘉は神妙な顔つきで話し出した。
「まずは一つ目・・・」
楽進はごくり、と喉を鳴らした。
「社長室においてある社長の胸像が夜中になると動き出すらしい」
「え?あのブロンズの像が?誰か見たんですか?」
「そうだ。夜中警備員が巡回しているとき、最初入ったときにはちゃんと社長室の受付にあったはずなのに一巡して戻ってみると廊下に出ていたんだそうだ・・・まわりに人はまったくいないはずだった・・」
「誰か残っていたんじゃないんですか?」
「さてね・・・二つ目だ。やっぱり社長室の話なんだが・・・夜中になるとボソボソと人の話し声がするんだそうだ」
「だから誰か残っていたんじゃないですか?」
「三つ目だ。夜中になるとだれもいないはずの社員食堂からラーメンをすする音がするんだという・・・」
「・・・だから・・・それって別に不思議でもなんでもないじゃないですか」
「四つ目・・・・」
「もういいです」
楽進はテーブルに両手をついて立ち上がった。
「あれ、もうもう聞かないの?これからがいいとこなのに」
「これから李典くんを食事にさそいにいくんです。それに、そういう非科学的な話は李典くんが大っ嫌いなんですよ」
「ふ〜ん・・・非科学的、ねえ・・・確かにねえ」
なにを思ったかやけにうなづく郭嘉であった。
李典曼成、北魏の営業部の一課の課長補佐である。
曹操がまだ社長であったころからいるが、現在28才のなかなかの美女である。
楽進とはギョウ市に支社を設立する際に一緒にコンビを組んだのがきっかけで知り合ったのだが、楽進によれば、楽進の猛烈アタックにより、つい最近付き合うようになったのだという。
そして、彼女には別名・中年キラーという名が付いていた。
北魏の重役どころである夏侯惇・程cらはいたく彼女がお気に入りなのだった。
そしてもう一人。
曹操の大のお気に入りでもある合肥支社長の張遼である。
彼は、先の二人と違ってまだ独身であった。
ギョウ市の支社が落ち着いたあと、楽進と共に李典は合肥支社へ転勤になった。
合肥支社には北魏の警備会社、北魏安全保障がある。
東呉商事の子会社、東呉警備保障とここでにらみあっていた。
張遼が強引な営業に出ようとするのを楽進が止めたことで、喧嘩になりかけたところを李典が止めたことがあった。
最初こそお互いの印象は最悪だったが、一緒に仕事をしているうちに打ち解けていった。
張遼も彼女の冷静沈着さに一目置くようになり、気に入ってしまったというわけだ。
「あー楽進くん?今日は張遼支社長がいらしているんだけどね?」
「ええっ?!それは本当ですか!?」
「んでもって李典くんはさっそく誘われていったようだが?」
「むー!元ヤクザのくせに!!」楽進は頭から湯気を出して怒っていた。
「まあまあ、それは言っちゃいけないお約束だよ」
郭嘉はニコヤカに笑って言った。
張遼は元は董卓組の幹部をやっていたのである。
それがどうして北魏にいるかというと、実は数年前、董卓組のシマを荒らしたとして、彼は北魏に殴りこみに来たのだった。そのとき曹操には屈強のボディガードが十数人もついていたにもかかわらず、張遼に目の前に立たれた。その腕っ節に惚れた曹操はその後、警官隊に逮捕された張遼をどうしても自分の部下にしたくなった。警察幹部にかなりのコネがあった曹操は、張遼の身元引受人になり、説得して警備会社の社長にすえたのだった。
張遼はといえば、身寄りのなかった自分をヤクザの世界から足を洗わせ引き受けてくれた曹操に恩義を感じている。
「李典くん」
「はい?」
李典はセミロングの黒髪をなびかせて振り向いた。
「・・・・おかしな噂を聞いたんだが」
「何でしょう?」
「キミが楽進と付き合っている・・という話を小耳に挟んだんだが」
「付き合ってるといえばそうなりますか」
その返答に張遼はテーブルの上に置いた両手の拳を握った。
張遼は李典をフレンチ・レストランに誘ったのだった。
ご丁寧にちゃんと予約までしている手回しのよさ。
今年41になる張遼は勝負をかけているのかもしれなかった。なにしろ厄年なのだ。
「悪い冗談かと思ったよ。君ほどの女性に彼は似合わない」
「殿方は外見ではありませんわ」
李典はスラッと言ってのけた。
「そ、そうだね」
張遼は手に汗を握った。
「しかし・・・楽進のどこが気に入ったんだね?」
「積極的なところかしら」
「ふ、ふーん・・・じゃあ、私ももっと積極的にならんといかんな」
「ふふ、嫌ですわ。張遼支社長ったら。私に気があるみたいじゃないですか」
李典はくすくすと笑った。
本気なのかわざとなのか、張遼は苦笑いするしかなかった。意外と手ごわい。
「こほん。あ、いや李典くん、実は私はね・・・・」
気を取り直して張遼は李典に向かった。
「私は君が」
張遼が意を決して告白しようとしたそのときであった。
「李典くーーん!!!!」
しっとりとおちついた雰囲気のレストラン内に不似合いの大きなダミ声が響き渡った。
「・・・・・」
李典は持っていたフォークを取り落としそうになった。
おそるおそる店の入り口を振り返ると、そこには予想どうり楽進が肩で息をしながら立っていた。
張遼はそれを見て、
「なんと場の雰囲気を壊す男だ」と言って怒っていた。
李典も溜息をついた。
「本当に、彼は猪武者ですわ」
こちらをみつけた楽進が李典のいうとおり猪のごとく突っ込んでくる。
「李典くん!迎えにきたよ!」
楽進は李典に笑顔を向けていった。
張遼はがたん、と席を立った。
「楽進、君には李典くんが今何をしているのかわからんのかね」
楽進はキッ、と張遼を睨んだ。
「李典くんは今日、私が食事に誘う予定だったんです!」
「予定もなにも、今李典くんは私と食事中だ。邪魔をするな!」
両方ともにらみ合って一歩も引かない。
「二人とも落ち着いてください。私静かに食事したいんです」
李典は落ち着いてそう言った。
「あ・・ああ」
「李典くん・・・」
張遼は席に座り、楽進は立ち尽くしたままだった。
「楽進さん、邪魔ですから帰ってくださらない?」
李典にそういわれて、楽進は愕然とした。
「じゃ、邪魔?り・・・李典くん・・・?」
張遼は嬉しそうにこの反応を楽しんだ。
「そうだとも!帰りたまえ!二人の邪魔をしないでくれ!」
「がーーん」
ショックを擬音にして口をついた楽進は立ち尽くしたまま李典を見た。
「二人の邪魔、でなくて食事の邪魔ですわ、支社長」
「え・・・はあ・・・」張遼はクギをさされてどもった。
李典はチラ、と楽進を見た。
「殿方は冷静沈着な方がよろしいですよ?やきもちなんてするものではありませんわ」
「がーーーん」
再び擬音を口にする。
そしてそのまま後ずさりして店を出て行った。
「くすくす。面白い人」
李典はそう言って笑った。
「・・・・」
張遼は不思議な気持ちで彼女を見た。
理解しがたいほど不思議な魅力のある女性だ・・・と思った。
「ところで先ほど言いかけたこと、何です?」
「ああ・・・いや・・・その・・・」完全にタイミングを逸した張遼はこのあとも何も言えず、新しいワインを頼もうかと思った、などと言い訳をしただけだった。
次の日、楽進は沈んでいた。
同僚が声を掛けても一向に立ち直る気配もない。
その落ち込みの原因とされる李典はいつもと変わらない。
その李典は張遼に役員室に呼び出された。
「李典くん、私は君を合肥支社に戻すように社長に願いに来たんだ」
「はあ・・・」
「どうだね?」
「私なら大丈夫です」
「そうか!なら来月からさっそく異動してくれ」
それを聞いた楽進はまたしても猪のごとく役員室にやってきた。
「支社長ーーー!私も合肥支社に異動させてくださいっ!!」
「ダメだ」
張遼の冷たい一言が楽進に突き刺さる。
「ふふふ。彼女は私がいただく。君はおとなしく振られるのだ」
「いやだーーーー!!」
「君には荊州へ行って貰う。がんばりたまえ」
楽進は半泣き状態になった。
「李典くーん」
楽進は李典のところへ来て、泣き言を言い始めた。
「張遼さんがあんなこと言ってたけど、どうなんです!?ぼ、ぼかぁ君と離れたくないんだっ!君と離れるくらいなら、長江に飛び込んで死んだ方がマシだよっ!」
「ちょっと楽進さん、そんな大げさな」
李典は困ったように言った。
「大げさなもんか!君は張遼支社長と私を天秤にかけるつもり?それともやっぱり金持ってる方がいいわけ?ねえ?李典くん!」
楽進は少し涙声になっていた。
李典は眉間に皺を寄せた。
「じゃかあしい!!男なら自分の力で合肥に来な!!」
一瞬、営業部のまわりがシーーン!となった。
その様子を部屋の入り口でこっそり見ていた張遼も凍りついた。
はっ・・・!とまわりを見渡して、コホン、とひとつ咳払いをすると李典は気を取り直して言った。
「荊州で手柄をたてて社長に直訴すれば異動くらい簡単でしょ」
さすがにゴツイ男たちのなかで営業の手腕を買われた李典なだけはあった。
「合肥は今東呉とあらゆる部門でシェア争いしている大事なところなのよ。向こうは大量に資金をつぎ込んできているわ。こっちは少ない予算でいかにシェアを勝ち取るかが問題なのよ」
張遼も扉の外でうんうん、と頷いていた。
(さすが李典くん、いいことを言う)
「で、でも張遼さんのことは?ぼ、ぼかぁ、李典くんと離れたくないんだよーぅ!」」
いまだに情けない楽進にまた李典はプチッと切れた。
「だぁかぁら!仕事に恋愛感情を持ち込むなっつってんだろー!!」
李典のこの一言に、再び営業部中がしーーーーん、となった。
「てめぇが一生懸命だから付き合ってやってんだろ!男ならもっと自信もってシャンとしろぃ!」
怒鳴られた楽進は目をパチクリ、とさせていた。
再び、李典は咳払いをし、
「わかった?もうくだらないことはいわないでね?支社長とは仕事でいい関係なだけだから誤解しないでね?」
と今度は優しく言った。
楽進は黙ったまま真っ赤になって頷いた。
張遼もこっそりとそれに頷いていた。
「私も心を入れ替えて彼女と仕事をしよう」
張遼はそう心に誓った。
「そしてきっといつか彼女のハートもGETする!」
つまるところ、そうなるのだったが。
「楽進くん」
「はい、何でしょう、郭嘉様」
楽進はまた郭嘉か、と思って振り向きもせずに応えた。
と言っても山ほどのファイルを持っていたため振り向けなかったのだが。
「君、勤務中に李典くんにどなられたんだって?」
「はい。おかげで目が覚めました!やっぱり彼女は魅力的な人です!」
「ふーん・・・奇特な人だねえ」
「彼女はやっぱりすばらしい人です!」
やたらと元気がいい。
「そういえばこのまえ四つ目の不思議を話しそびれていたよねえ。続き聞かない?」
郭嘉は楽進に微笑みながら語りかけた。
「結構です」
「あら・・残念・四つ目は本当の不思議なのに」
「どうせ、誰かが残業してたんでしょ。郭嘉様もそんな暇してないで仕事したらどうですか」
「君も言うねえ・・・」
楽進はふふ、と笑ってファイルごと振り向いた。
だが。
そこには誰もいなかった。
「あ、あれ・・・?郭嘉様?」
楽進がきょろきょろしていると通りすがった荀ケが不審な顔で声をかけた。
「どうかした?」
「今郭嘉様がここにいたはずなんだけど?」
「ええ?そんなはずないわよ。だって郭嘉さん先月からずっと会長について株主さんまわりに出かけてるから留守だもん」
「・・・・・え?本当に・・・?」
「うん。一ヵ月半くらい会社には戻ってないわよ」
「・・・・・・」
楽進は背中に冷たいものを感じた。
一ヶ月ということは先週会ったはずの郭嘉は・・・。
ぞぞーーーーっ。楽進は総毛だった。
「り・・・李典く〜・・ん」
楽進はファイルを持ったまま少し足をもたつかせながら李典のところへ向かった。
このあと再び李典に怒鳴られたのは言うまでも無い。
はたしてこの話は北魏七不思議のひとつになった。
(終)