孫家の食卓


孫策が社長に就任してからは殆ど実家には帰らなくなっていた。
一人暮しのマンションも持っていたが、会社の上に仮眠用の部屋がありそこでよく寝起きをしていた。

会長であり、父親の孫堅もやれ接待だゴルフだといってあまり家に寄り付かない。

孫策の母親はそれを家族の危機だと感じ、しっかりとした家庭方針を持っていた。
それは・・・

一家団欒の食事である。

孫策が忙しくなってきてからは、1ヶ月に1度、日にちを決め、どんなことがあっても実家に帰ってご飯を食べること、というお約束を母親としたのである。
それは父の孫堅も同じである。

そして団欒の時の食事の基本は「鍋」か「カレー」であった。

この日は孫策は仕事を周瑜に任せて、会社にきていた父・孫堅と共に夕方になると実家へ帰っていった。

父の真っ赤なポルシェで戻る途中ー

「なあ、父上・・・・もうこういうのやめにしないかな・・・いつまでも子供じゃないんだからさあ」
「まあ、そう言うな。あれだって一生懸命なんだ。わかってやれ」
「・・・俺が嫁さんを貰っても一緒に連れてかえらなくちゃなんないのかよ?」
「嫁と姑の良い関係のためにはそうするべきだな」
「げ〜〜マジかよ!?」



孫策には弟と妹が6人いる。
すぐ下の妹は既に嫁にいっていないが、次男の孫権は高校1年生、三男の孫翊は中学1年生、下の二人はまだ小学生で末娘は保育園に通っている。
実は下から2番目の弟は孫堅の愛人の子である。
産みの母親は産後すぐに病気で死去したので孫堅が引き取った。
それを孫策の母親はわけへだてなく育てているので孫堅は妻に頭が上がらないのだ。

孫策はかたくなに思った。
絶対こんなオヤジにはならない!と。
「俺は浮気なんか絶対しないからな!そのためも一番好きな女としか結婚しない!」
と以前孫策に縁談を持って来た母親の妹にきっぱりと言いきった。
しかしその叔母はぼそりと呟いた。
「あなたのお父様もお母様のことが一番好きだと言っていたんですけどねえ・・・」


やがて家につき、オートロックの3mもある鉄の表門が開くと中に車を進めた。
体育館のような車庫には名車が所狭しと並んでいる。孫堅は車好きなのだ。
しかも赤い車ばかり。

玄関のチャイムをならすと幼い妹が出迎えた。
「おとうしゃま、おにいちゃま、おかえんなしゃいー」
孫堅は目尻を下げて少女の体を抱き上げた。
「おお〜仁かあ〜いい子にしていたか〜?」
孫堅がほおずりすると
「痛いのよ〜ヒゲが」
といって不機嫌になった。

親ばかをほっといて孫策は家に入ると弟達がバタバタとやってくる。
「あにうえ〜〜!おみやげは?」
「ああ〜忘れた〜今度な!」
「チェッ、しけてんな〜」
とか不遜なことを言いながら弟たちはなにもないとわかるとそそくさと行ってしまった。
「ゲンキンなヤツらだ・・」

「兄上、おかえりなさい」
「おお、権。元気そうだな」
「兄上もお忙しいようで」
「おまえ、またこないだの校内模試、一番だったんだってな」
これが一番兄弟らしい反応であった。

家の中がなにかの匂いで充満している。
「兄上、今日はすき焼きだそうですよ」
「すき焼き・・・」
とてもすき焼きの匂いとは思えない。
焼肉の匂いではないか・・?
鍋か・・・・そういえば先月はシーフードカレーとかいってカレー皿のうえに皿からはみ出すくらいのでかい毛蟹が1杯乗っていたんだった・・・。
母上の料理ってダイナミックなんだよな・・・と思いつつリビングに向かう。
孫家の間取りは一階にリビングダイニング、キッチンがある。なんといってもその広さはハンパではない。
トイレだけでも6畳はあるのだ。

「おや、伯符にあなた、おかえりなさい。今できますからね!」
ダイニングの広いテーブルの真中に巨大なコンロがおいてある。
「・・・・・」
この広いテーブルで鍋をつつこうと思ったら立って食うしかない。
幼い弟たちはとりあえずおいといて目下のライバルは父と孫権である。

「さあ、できましたよ!」
鍋掴みでアツアツの大きな鍋をテーブルのコンロの上にのせる。
各人、席に着く。
「今日は神戸牛のすき焼きよ!お肉は10キロほど用意しているからたくさん食べてね!さあ、いただきましょう!」
母親の声が号令になった。
卵の入った小皿を片手に男が三人立ちあがり、肉を争奪していく。
「こら!お肉ばっかりでなくて野菜も食べなさい!」
食卓の戦闘が始まった今となっては母親のセリフなど耳には入らない。
孫家の男たちは老いも若きも食欲旺盛なのだ。
「ああっ、兄上、それはボクが目をつけていたお肉なのに!」
孫権が抗議しても
「目だけでなく唾もつけとけよな!」といって平気で肉をほおばる。
「伯符!あんたって子はそれでもお兄さんなの!?」
母親らしく叱っても
「母上は焼肉定食って言葉をしらないのか!?」と言い返すが
「それをいうなら弱肉強食でしょ!」
と孫権にツッコミを入れられる始末であった。
兄弟で争っている間に彼らの父は着実に肉を食べていた。
「おいおい、だいたい10キロもあるのにそんなに急いで食うなよ」
孫堅は父親らしく言ったが、彼の小皿には肉が山盛り入っている。
そしてよく見ると孫翊やまだ小学生の孫匡や孫朗までもが口いっぱいに肉をほおばっていた。


そしてご飯の量もハンパではなかった。
20合炊きの巨大な炊飯器が、カラになってしまうのである。


「ふう〜〜っ食った〜、ごっそさん」孫策は腹を撫でて言った。
「母上、ごちそうさまでした」
「はい、仲謀はいつも良い子ねえ」
「かあさんや、茶をくれ」
「はい、あなた」

ようやく一息ついたところでここからが家族団欒なのである。
孫家の食事タイムはこのように皆食べる事に夢中になるため無口になるからである。

「来週の日曜、うちの学園の体育祭があるんですよ」
「まあ、仲謀、そうだったわね!おかあさんおまえの好きな海苔巻たくさん作っていくわね!」
「母上、海苔巻の中に殻付きの伊勢エビ丸ごと入れるのはやめてくださいね・・・」
孫権はなにか思い出したように溜息混じりに言った。
「たしか中高同時にやるんだったよな。おまえは何に出るんだ?運動、あんまり得意じゃないんだろ?」
「・・・体育祭の一位総なめの伝説を持つ兄上に比べられるボクの身になってほしいですね」
孫権はミルクをたっぷり入れたコーヒーをすすっていた。
「といってもボクが出るのは借り物競争と綱引きくらいですが」
それを聞いて孫策ははは、と笑った。
「権の親友の朱然はどうだ?」孫堅が茶を飲みながら訊く。
「彼は長距離が得意なので1万メートル走に出ますよ、父上」
「あいつは持久力だけはありそうだもんな」
孫策は笑った。

「そういえば、伯符。このまえ渡した資料、ちゃんと目を通したでしょうね?」
孫策は母親の言葉にぎく、とした。
「資料・・・ってえっと・・なんだっけ?」
「まぁたとぼけて・・・お見合い写真集ですよ」
「お見合い写真集?なんだそりゃ」
孫堅が訊くと、呉夫人は答えた。
「婦人会の奥様方からのご紹介があとをたたなくて・・・ねえ。形だけでもなんとかしておかないと、失礼にあたっちゃうでしょ?」
「しかしいくらなんでもまだ早いんじゃないのか」
「あら、あなたが伯符の年頃にはもう伯符が産まれていたではありませんか」
「はっはっは!そうだったなあ」
そうしているうちに呉夫人の膝にいた末娘がぐずりだした。
「あらあら、もうおねむなのね」
それを機に、孫策は席から立ちあがった。

「母上、俺好きな人がいるから、そういうのもう受けないでくれよな」

「ええっ!伯符、それは誰なの?おうちへ連れてらっしゃい!」
立ちあがって去って行く孫策を横目で見ながら孫堅がさり気に言う。
「策、公瑾はダメだぞ」
ばっ、と振り向くと孫策は父親の元へ飛んできた。
「なんでだよ!?」
「それはだな・・・・」
「それは、なんだ!?」
「・・・・ここではいえん」
「なんだそりゃあ〜〜!ま、まさか・・・父上・・・」
孫策は孫堅の襟首を掴んだ。
「馬鹿、早まるな・・・っ」
「あら、伯符の好きな人って公瑾なの?意外性のない展開ねえ。でも無難よねえ」
呉夫人は幼女をあやしながらそう言った。
「ねえ〜兄上ぇ、公瑾とケッコンするの〜?」
気が付くと孫策の脚に小学生の弟たちがまとわりついている。
「けっ・・・!ケッコン・・・・?」孫策は慌てた。
「だからダメだって」父はそう言う。
「なんでなんだよ!教えろよ!」
「ここでは言えないっていってるだろ?」
「じゃあ、こっちへ!」孫策は孫堅を連れ出して出て行ってしまった。
「ああら、ちょっと、二人とも!もう〜〜っ」
「あっ・・・は、母上、後片付けお手伝いします」
孫権は立ちあがって母のご機嫌をとった。
「ちっ・・・うまく逃げたわね、あの二人・・・・ああ、おほほほ!仲謀、ありがとうね!」
食い散らかした後片付けは男の仕事なのである。


ということでうまく逃げおおせた孫堅と孫策は来たときと同じポルシェで家を出て行く。

孫堅は鼻歌まじりに運転している。
「おまえ、だんだん、タイミングを掴むのがうまくなってきたなあ」
「父上もね・・・・それよりさっきの話だけど」
「ああ、公瑾はダメだって話か」
「何でなんだよ?」
「そりゃおまえ・・・・」
「?」
「うちの社員のやる気がうせるからだ」
「はあ〜〜?なんだそりゃ!」
孫策はあきれた声を出した。
「本当のことだぞ。おまえ公瑾がうちの社でどれだけ人気があるか知らんな?」
「そりゃ・・・」
「とにかく公瑾の一人占めは禁止だ!わかったな!」
「そんな、そんなこと守れるか!」
「守れなければ公瑾をおまえの秘書からはずして俺の秘書にする」
「あっ、きったねえ!それが目的かよ!」
「ふふん、会長の権限だ」
「くそ〜俺は社長だ!負けないからな!母上に言いつけてやる!」
「大人気ないやつだな!」
「どっちがだ!」
…結局似たもの親子なのである。



(終)



孫家の一家団欒は波瀾の連続です(笑)
すき焼きは定番でしたね。
やみ鍋とかやったらきっとおそろしいことに(爆)