眼鏡の功罪
「お、おい、もう行くのか」
「悪い、景兄、公瑾と8時に待ち合わせしてるんだ」
呉景と仕事の打ち合わせで、すっかり遅くなってしまっていた。
「8時って、まだ1時間もあるじゃないか。そんな遠くで待ち合わせなのか」
「いや、呉都のレストランで」
「おいおい、そこへいくのに15分もあれば余裕だろ」
「あいつ、いつも早めに来るんだよ」
「女くらい、少しは待たせたっていいだろ」
呉景はあきれ顔で言った。
「景兄は知らないからそんなことを言うんだ」
「何を」
「以前・・・・」
孫策は思い出していた。
あれは、まだ孫策が大学生だった頃。
孫策はその日、講義が引けてから周瑜と映画に行く約束をしていた。
周瑜は買い物があるから、と先に出た。
映画館のある通りぞいで、待ち合わせをした。
ところが、孫策は教授につかまって、教材を運ばされることに。
時間はどんどん過ぎる。
やっと終わって、慌てて待ち合わせ場所へと向かう。
「な、なんだこれ・・・」
通りは車で渋滞していた。
しかもなにか言い争う声もする。
「あ、伯符」
人混みの中でこちらに手を振る周瑜を見つけた。
「どうしたんだ?」
周瑜の周りには大勢の男たちと車が止まっていた。
彼らがなにやら怒鳴りあっている。
「俺が先だ!」
「いいや、俺だ!」
「な、なんだ?」
周瑜はバツが悪そうに言った。
「あの・・・実は私ここで待っているとき、風で髪が乱れたんで髪をかきあげたんです。そうしたら、この人達の車が急に次々と止まって・・・・」
「・・・おまえが通りで手をあげたように見えたわけか」
「ええ・・・」
そうしたら、後ろの車が玉突き事故を起こしてしまって・・・」
「・・・・」
「やっぱり、私が悪かったんでしょうか」
「うーん」
(美しいってのはなかなか罪なもんだな)
「ま、おまえは何もしちゃいないし、第一こいつらタクシーでもなんでもないじゃないか」
「そ、それもそうですね」
「だいたいおまえをナンパしようとしたんだろ。ほっとけ。さ、行こうぜ」
孫策は周瑜の手を取って、その場を離れようとした。
「あっ!なんだあのガキは!」
「ちょっと彼女!待ってよ!」
「げげっ、追い掛けてくる」
「どうしましょう」
「逃げるにきまってんだろ」
そうして楽しいはずのデートが一点大逃走劇となってしまったのだった。
また、それとは別の日に、やはり待ち合わせをしていた二人であったが、またしても孫策が遅れてしまった。
で、待ち合わせの場所に慌てて行くと・・・
周瑜の周りに人だかりが出来ていた。
当然ヤローばっかりだ。
「おい、公瑾。何をやってるんだ?」
「ああ、伯符。この人が道を尋ねてきたんですが、私わからなくなって別の方にお聞きしたんです。そうしたらその他の方々も集まってらして・・・」
結局、そこにいる全員で道を教えて、そいつは去り、親切心とナンパ心をもった他の男たちがいなくなるまで30分をムダにしてしまった。
こうなったら屋外はキケンだから、と喫茶店で待ち合わせをしたところ、あろうことか、そこの店員の男が彼女の前の席に陣取って口説いてみたり、周瑜にしつこいスカウトがまとわりついたりと、本当に彼女を一人にしておけない状況が多々あったのである。
それ以来、絶対に待ち合わせには遅れないようにしてきた。
大人になった今でも、彼女を一人にすることを、孫策は厭う。
「思うに、周瑜って人はフェロモンが強いんじゃないかな」
孫策の回想をうち破って、呉景が言った。
「フェロモンか・・・」
「ただ、美人だってだけならモデルとか女優とかたくさんいるじゃないか」
「それもそうだよな・・・」
「おまえさ、一度遠くから隠れて彼女の動向をみてみれば?なんかそういう所作があるんじゃないのか?それさえ注意させれば次からは大丈夫だろ?」
「・・・・・」
呉景に言われて孫策は周瑜との待ち合わせ場所のレストランの周辺で彼女を待つことにした。
レストランはガラス貼りで、通りの柱の影からでも中が見渡せる。
しばらく待つと、タクシーから降り立つ彼女の姿を認めた。
遠くから見てもその美しさがわかる。
優雅な足取りでレストランへと入っていく。
別に変わったところはない。
店の外からじっと見ていると、周瑜は席に案内され、普通に座る。
じっと見つめること15分、特に彼女が何かしている様子はない。
・・・・しかし。
孫策は気づいた。
店のなかにこれだけの客がいるのに、外からみると、つい彼女に目が行ってしまうのだ。
要するに、周瑜は「目立つ女」なのであった。
そうこうしているうちに、周瑜の席にグラスワインが運ばれてきた。
やばい、15分も待たせている。
孫策は慌てて店の中にはいった。
「公瑾」
孫策の姿を認めると、周瑜は席を立って彼を迎えた。
「伯符」
「遅れてすまん」
「いいえ」
孫策は少しうつむき加減に彼女を見て言った。
「・・・何もなかったか?」
「・・・あ・・・」
「ん?」
「いえ・・・」
「なんだ?」
「あの、このグラスワイン・・・」
「なんだ、おまえが注文したんじゃないのか?」
「伯符が来る前に一人で飲んだりしません」
あ、と孫策は思った。
そういえば、そんなことをする周瑜ではなかった。
彼女は待ち合わせの時、いつもなにも頼まずじっと待っている。水を飲むくらいか。
それが申し訳なくて余計に待たせたくなかった。
「じゃあ誰が・・・」
孫策はまわりをきょろきょろ見回した。
店の奥に座った男が咄嗟に顔を背けるのがわかった。
「・・・・だれだあれは」
「さあ・・・」
俺の周瑜を勝手に見つめている男がいるー
そう思うだけで不愉快になった。
「店を変えよう」
「伯符、お仕事大丈夫だったのですか?」
「ああ、呉景と打ち合わせしていただけだし、大丈夫だよ」
「そう・・・それなら良いのですが」
すでにタクシーの中である。
「ホテルのレストランに行こうか」
「お任せします」
「・・・・なあ公瑾」
「はい?」
「おまえはいつも普段どおりにしてるのに、どうしていろんな男が寄ってくるんだろうな?」
「・・・そんなこと・・・わかりません」
周瑜は困ったように言う。
「・・・どうしたらいいのかな・・・。このままじゃ俺心配だよ」
孫策は周瑜の綺麗な顔をじっと見つめた。
「・・・・そうだ。おまえ目はいいんだったっけ?」
「はい、両眼とも1.5ですが」
「おい、ちょっと止めてくれ」
孫策はタクシーを止めた。
ちょうど、メガネショップの前であった。
「これ、いいじゃないか」
「・・・・伊達メガネですか」
「ちょっとした変装みたいだが、悪くないぞ?」
黒縁のフレームの少し大きめのメガネを、周瑜はかけてみた。
「別に、芸能人でもあるまいし・・・本当に必要なのでしょうか?」
「だいぶ印象かわるからな。やってみる価値はあるぞ」
「・・・まあ、いいですけど」
メガネをかけてもその美貌には変わりがない。
孫策は充分わかってはいたが、遠目には変わるはずだ、と思っていた。
そして、2,3日たったある日。
「伯符さま!」
朝早く、社長室に飛び込んできたのは周瑜だった。
「どうした?」
「た・・・助けて・・・」
「・・・・!一体どうしたっていうんだ?」
「これがうちの郵便受けに・・・」
周瑜が差し出したのは、四つに折り畳んだノートの切れ端だった。
孫策はそれを取り上げて中身を見た。
「・・・・・」
おねーたま☆ミいつも綺麗な人だと思っていましたがな、☆なーんと!
メガネ掛けるようになったんですねええ!ヽ(^0^)ノ
僕チンうれぴー(..)(^^)(^。^)(*^o^)(^O^)ウレシーーーー!!!
ちょ〜似合いますね!☆ミ
メガネッ子萌えーー!
孫策の額には怒りのマークが浮かび上がっている。
「・・・・なんだこれは・・・」
「私、怖い・・・」
周瑜から男を遠ざけるために薦めたメガネがまさかこんな形になろうとは。
「太史慈ーー!カムヒアー!」
孫策が内線で怒鳴った。
すぐさま太史慈がやってきた。
そして先ほどのメモを渡して言った。
「これを公瑾の家の郵便受けに入れたアホウを見つけて引っ張ってこい!」
「はっ」
踵を返して太史慈は部屋を出ていった。
それから傍らの周瑜を振り返る。
「・・・すまん。俺の見込み違いだ・・・」
「世の中・・・いろんな人がいるものですね・・・」
「・・・・まあそういうわけだから、公瑾。あのマンションを引き払って今日から俺のとこへ来い。な?」
「伯符・・・」
メガネ萌えのストーカーはすぐにつかまった。
同じマンションに済むオタク風浪人生だった。
孫策が厳しく叱ると泣きながら帰っていった。
「社長、早く周瑜さんを奥様に迎えられればよろしいのです。そうすればこのようなことも無くなります」
太史慈はそう言うが、物事には順序というものがあるのだ。
「そうしたいのはヤマヤマなんだがな・・・」
「とにかく、私どもの仕事が増えるので、外での待ち合わせなど極力おやめください」
「・・・・・」
太史慈の助言をいいように解釈した孫策は、とにかく彼女を外に一人で出さないために
家から会社まで四六時中一緒にいることにした。
自分のマンションを引き払うことに抵抗があった周瑜も、今回のことで孫策の提案に頷いた。
いろいろとあったが、結果的には孫策にとっていい方向へと向かった出来事であったのである。
「しかし・・・メガネ萌えねえ・・・。わからんなあ・・・」
経営室で周瑜のメガネを取り上げて、自分で掛けてみた。
「キャッ、どーしたんです社長。メガネ・・・似合いますね」
「あーん、私最近、メガネ萌えなんですぅ〜」孫魯育たちがそういって騒ぐ。
慌ててメガネを外す。
「マジでわからん世界だ・・・」
(終)