クリスマスの奇跡
さて、世の中クリスマスである。
イヴの夜は、約束があるのか、東呉商事の社員たちも早く帰るものが多い。
そんな中、一人ボヤいている男が一人-
「チッ、な〜〜にがクリスマスだ!異教徒の祭がそんなに嬉しいか!ったく」
一人、残業をしているのは営業一部の甘寧である。
閑散としたオフィスには各部にちらほら、と人が残っている。
甘寧の携帯が鳴った。
若手の営業部員であった。
『あ、部長ッスか?今俺たち独身もんばっかで飲んでるんスけど、よかったら来ませんかー?』
という誘いであった。
クリスマスだというのになんの予定もない彼は、仕事が片付いたら合流する、と言って電話を切った。
社長自ら今夜は早くに帰るよう、社内に通達があった。
女子社員たちからは拍手が起こったが、何の予定もない男子社員たちからはため息が漏れた。
このフロアにはもう女子はいない、と思っていた甘寧だったが、ふと目をあげると、女子社員が一人残業して
いた。
あれは、財務部か。
東呉商事は大きな会社である。部署ごとにフロアが仕切られているのだが、その仕切りはガラス張りになって
いるので、向こう側がよく見える。
甘寧は自分の仕事を早々に片付けて、フロアを一回りした。
「よぅ、クリスマスイヴに残業か?」
女子社員は声を掛けられて、振り向いた。
甘寧はちょっとドキッとした。
肩までの黒髪、眉の上で綺麗に切りそろえられた前髪の下の、大きな黒曜石みたいな瞳。
(・・・こ、こんな美女、いたっけ・・・?)
「あ、甘寧部長」
美女はにっこり笑った。
「え・・・っと、君は?」
美女は椅子から立ち上がり、甘寧に会釈した。
その途端、机の上に置いてあったファイルが雪崩のように落ちてきた。
「うおっと、っと」
甘寧は反射的にそのファイル類を受け止めた。
「あ、すいません、私ったら。・・・ほんとーにもうドジで・・・。私、孫香と申します。先月からこちらでお世話にな
っているんです」
「なるほど、どうりで見たことないと思った。・・・って孫・・ってことは社長の親戚か?」
「はい、遠縁にあたります。もっとも社長とはまったく面識はないのですけれど・・・」
「へえ、そんなに遠い親戚なのか」
「はい。父が会長のまたいとこだとかなんとか。もうよくわかんないですよね」
そう言って笑った顔がまた魅力的だ。
「しかし、新人をほったらかしにして、財務部長はどうしたんだ?」
「あ、いえ・・・部長はもう帰る様に、って言ってくださったんで一度帰ったんですけど、どうしてもまだやっておき
たかった仕事があって戻ってきちゃったんです」
「・・・仕事熱心なんだな」
「いいえ、まだまだ未熟なので、頑張らないとみなさんの足を引っ張ってばかりなので・・・」
孫香は頭をかいた。
その手には絆創膏がたくさん貼られていた。
「その手は?」
「あ、これですか?ええっと・・・そのぅ、今日お茶を入れようとして茶筒を開けようとしたら思いがけずイッパイ
入っていまして・・・あやうくこぼれそうになったので手で受け止めようとしたら棚の扉にぶつけちゃって・・・」
(こりゃ、かなりのドジッ子だな・・・)
「でももう8時まわってるぜ。そろそろ帰った方がいい」
「あ、はい。甘寧部長も残業ですか?」
「俺ももう終わりにしたよ」
「じゃあ、一緒に帰りませんか?」
「・・・今日はクリスマスイヴだぞ?デートとか、あるんじゃないのか?」
「そんなの、ないです。・・・相手もいませんし」
(嘘だろ・・・・っ!?こ、こんな可愛い子が!?)
甘寧は半ばあきらめかけていたクリスマスイヴに、運試しすることにした。
「じゃあ、飯でも食っていくか。・・・まあ、イヴだからどこも混んでるかもしれんが」
「あ、私絶対空いてるとこ知ってますよ」
「へえ?じゃあそこにするか」
「はい!」
そうして二人が行き着いた先はー
甘寧も行き慣れている牛丼屋だった。
「・・・ほ、ほんとにここでいいのか?」
「ええ!大好きなんです!あ、ツユダクで!」
「・・・変わってるなあ、あんた」
孫香は甘寧の言葉に、しゅん、と俯いた。
「・・・よく、言われるんです。付いていけないって、そうやって振られちゃってばっかりなんです・・・」
「あ〜〜、いや、そういうマイナスな意味じゃなくてな・・・」
「いいんです、励ましてくださらなくても。私ってばドジだしお酒は底なしだし空気読めないし・・」
「へえ、酒、いけるクチなんだ?じゃあこのあと、行くか」
「あ、あのっ、・・・いいんですか?私、ほんっとーにタチ悪いんですよ?」
そのとき、二人の前に牛丼がどん、と置かれた。
「ほれ、ともかく食おうぜ」
「は、はいっ!」
クリスマスイヴに、他の客が誰もいない牛丼屋で二人は牛丼を平らげていた。
店を出たところで、甘寧の携帯が鳴った。
先ほどの営業部員からだった。
というか、甘寧はすっかり忘れていたのだった。
「あ〜わりい、ちっと行くとこ出来ちまったから、そっちいけねーわ」
その会話を聞いていた孫香は、申し訳なさそうに言った。
「どなたかとお約束だったんですか?なら私・・・」
「ああ、いいんだ。やつら、どうせ大勢で飲んでるだけだし」
「そうなんですか?」
「ああ、俺の行きつけの店に行こうぜ。以前社長に入れてもらったボトルがまだキープされてるはずだから」
「はい!」
そう言って歩き出そうとした孫香はつんのめって倒れそうになった。
「きゃぁっ」
「おっと」
転びそうになった彼女を間一髪で甘寧が支えた。
「・・・あ、ありがとうございます・・・」
「なんでこんななんもないところで転ぶんだ」
「・・・なんでだか、よく転ぶんです・・・」
「そりゃあんた、アレだ。注意力が散漫なんだ」
「そうかも・・・しれません」
そしてまた俯いてしまった。
「ま・・ま、気をつけるこった。な?」
「はい・・・」
甘寧と孫香は甘寧の行きつけのバーに入った。
ところがー
「あっ、部長!やっぱ来た!」
「げっ!おまえら・・・」
「イヴになんも用事のない部長が行くところがあるって、絶対なんかあるって思ってたんですよ!誰なんスか、
この別嬪さん!?」
甘寧たちを待っていたのは営業部員たちであった。
「この人は・・・だな、財務部の・・・」
「あ、先月入った孫香です。みなさん、営業の方ですか・・?」
うおおおおおおぉぉぉ!!
営業部員たちの歓声が上がった。
「ささ、飲みましょう!」
「甘寧部長、最高!こんな綺麗な人連れてくるなんて、さすがッス!」
少々、アテがはずれたが、まあ仕方が無い。
甘寧は彼らと一緒に飲むことにした。
美女が一緒だというので、随分テンションがあがっている。
当然飲むペースも速くなる。
部員たちは徐々に酔いつぶれてきた。
そんな中、孫香だけはまったく変わりがなかった。
部員たちに囲まれていた彼女がやっと甘寧の隣に来た。
「・・・結構飲んでるのに、まったく変わらないな」
「あら、部長こそ」
「・・・?」
なんだか、先ほどまでとは雰囲気が違う。
「本当は酔っているのか?」
「あははは!」
突然笑い出した彼女に、甘寧はぎょっとする。
「正解〜!もうね〜べろんべろん、なのよぅ!あはははは」
そういえば酒がはいるとタチが悪い、と自分で言っていたっけか。
「ねえ、部長?あたし、どう?」
「どう?って?」
「どう?って聞いたらどう?なのよ〜!あははは!」
笑いながら甘寧の肩をバシバシ叩く。
「あら・・・甘寧部長って、逞しいのね」
「まーな」
甘寧も酔うと結構手が付けられない方だが、こうやって先に酔われてしまうと妙に冷めてしまうものである。
「やん、好み♪」
「・・・酔ってる・・・んだよな?」
「うん、そう!もうね〜べろんべろん♪あはははは!」
いくら女に飢えているとはいえ、酔っている女を口説くのはあまりにもリスクが高すぎる。
かといって、こんな美女に「好み」だなどと言われて悪い気はしない。
「まあ、酔っても楽しい酒ならいいんじゃないか?」
甘寧は静かに自分の酒を注ぐ。
「甘寧部長って、目立つのよね〜」
「まあ、俺は声も態度もデカイからな」
そのとき、孫香の顔が真顔になる。
「ね、甘寧部長。好きな人、いるの?」
甘寧はじろ、と横目で睨む。
「・・・今ンとこいねーな」
「ふーん。じゃあフリーなんだ。あたしアタックしてもいい?」
「あんたが明日になって素面になっても今日のことを覚えていたら、な」
甘寧のくせに、偉そうに、と呂蒙などがここにいたらきっと思っただろう。
「うん、憶えてる。だってあたし、酔ってないもの」
「・・・どっちなんだよ」
「さあ?どっちでしょ〜〜!あはははは!」
まったくタチが悪い。
酔った女ほどタチが悪いものはない。
結局、最後まで酔えなかった甘寧が、彼女をタクシーで送っていく羽目になった。
酔いつぶれた営業部員たちは置き去りにした。
きっと途中で目が覚めて適当に帰るだろう。
あの店は朝5時までやっているのだ。
彼女のマンションまで送ってやると、なんとか自分の足で歩けるというので、玄関で別れた。
(黙って立ってりゃ可愛いんだけどなあ・・・)
いつもの甘寧にしてみればかなり贅沢なことを言っている。
ドジな上に酒癖が悪いときてる。
まあ、可愛いといえば可愛いのだが。
きっと、今夜のことも明日になればきれいさっぱり忘れているだろう。
ちょっと残念なような、ほっとしたような、複雑な気分だった。
しかし、ここしばらく女性と一緒にクリスマスを過ごしたことなどなかった。
「こんなのも、いいな」
一人暮らしのマンションに帰って、そう甘寧は独り言を呟いた。
さて、次の日ー
酒臭い営業一課に、彼女は現れた。
「あの、甘寧部長、いらっしゃいますか?」
孫香だった。
「ひょ〜部長、隅におけないな〜」
「うるせえ!」
部員たちにひやかされながら、席を立って、孫香の側まで歩いていく。
「あの、昨日は・・・ありがとうございました!そして、すいませんでした。ご迷惑をお掛けして・・・」
「ああ、いいって。あんなの慣れてっから」
「それで、あの。これ」
「あん?」
孫香は持っていた包みを甘寧に渡した。
「・・・クリスマスプレゼント・・・です」
「は?俺に?」
「はい」
「昨日の礼ってんなら無用だぜ?」
「それもありますけど・・・だって部長、昨日おっしゃったじゃないですか」
「・・・・まさか」
「はい!私しっかり覚えてますから!」
「・・・どこまでマジなんだよ」
「最初から最後までです」
うふっ、と笑う。
「・・・かなわねぇなあ。ありゃ芝居か?」
「ふふっ。だってそうしないとぶっちゃけられないカンジだったから・・・」
タチが悪い。
あまりにもまぶしい笑顔だ。
「・・・あ、ありがとよ」
「あの、また誘ってもいいですか?」
「ああ・・・でも、俺なんかでいいのか?」
「はい!甘寧部長がいいんです」
そこまでの会話のあと、営業部員たちからヒョ〜〜ッ!と囃し立てる歓声があがった。
「甘寧部長に春がきたぁ!クリスマスの奇跡だ!」
(終)