呪いのバレンタイン
陸遜は呉でも有数の名家の息子である。
いまだ独身なのであるが、どうやら付き合っている女性もいないようである。
「う〜ん、ほんと、謎だよね」
「そういう話、全然きかないもんね」
「どんなタイプが好きとか、ねえ」
二喬や魯育・魯班なども巻き込んで社内の独身OLたちがなぜか一同に会していた。
彼女らは今年のバレンタインデーをどうするか、の会議を、ランチを持ち寄って開いていた。
そこで、企画室のエース、陸遜の話になったのである。
「まあ、本命はおいといて、今年も一応部長以上には全員に配ることで決定?」
「異議ナーシ」
「えーっと、報告。今年も社長から社内配布用チョコの資金をお預かりしてまーす」
大喬がそう報告すると、女性陣からは拍手が起こった。
「さっすが社長よねえ〜。かっこよさが違うわあ」
「あ〜でもさあ、アレよね、よく考えたらこのチョコのお金は社長が出すわけだから・・社内の男性たちは社長からチョコもらってんのと同じよね〜」
「あははは!いえた!」
どっと笑いが起こった。
「まあ、そのことは内緒だから、いいのよ。モテない男性社員たちにバレンタインくらい夢みせてあげましょうよ」
「モテないといえばさ、あの甘寧部長、彼女できたんだって?」
「そうそう!財務の新人らしいわよ」
「え〜〜!?いつのまに?甘寧部長のこと、狙ってた娘、結構いたんだけどな〜」
「本人が気付かないもんだから、だ〜いぶ損しちゃってたわよねえ」
「え〜と、じゃあ時間もないことだし、チョコ買出し部隊と配布部隊、決めちゃいましょうか」
昼休みが終わりに近づき、各自自分の部署へ戻る途中、魯育は魯班に言った。
「あんたはカレシいるからいいわよねえ。あ〜あ、アタシはどうしよっかなあ」
「今年も陸遜さんねらいじゃないの?」
「もちろんよ。でもさあ、なんというかさ、もっと現実的に可能性のある男もキープしときたいわけ」
「ふ〜ん?」
「だってさあ、陸遜さんてば全然わかんないんだもん」
「そうねえ。女の噂とか一切きかないもんね」
「魯粛さんあたりに聞いて見ようか」
「それか周瑜さんがいいかも」
「あ、それナイスアイデア!」
二人はさっそくティーポットを持って廊下を歩く周瑜を目ざとく見つけ、話しかけた。
「陸遜くんの好み?さあ・・・そういう話はまったくしたことがないわ。仕事が忙しくて彼女どころじゃない、っていうのは言ってたと思うけど」
周瑜の返答にがっかりして、二人は庶務の仕事に戻った。
「・・・え?好みのタイプ・・・ですか?」
陸遜は突然の質問に面食らった。
「庶務の女の子たちが気にしていたみたいよ」
周瑜は会議の後、陸遜にそう訊いた。
「そう言われても・・・困りましたね」
陸遜は頭を軽く掻いた。
「たぶん、バレンタインが近いからなんでしょうね。女の子にとっては一大イベントですもの」
「ああ、なるほど」
「陸遜くん、人気あるから・・・少しでも情報を仕入れたいんでしょう」
「そんな、僕なんか社長に比べたら全然ですよ。・・・一時、僕と呂蒙センパイの仲がどうとか、ヘンな噂もありましたし・・・」
「・・・そういえばそんな噂もあったわね・・・」
周瑜は思い出して、クスリと笑った。
女ッ気のない陸遜は社内で呂蒙と一緒にいることが多かったため、二人の仲が怪しい、という噂が立ったことがあったのだ。
あのときは、どこへ行ってもヒソヒソとささやかれ、随分と落ち込んだものだった。
「陸遜くん、本当に好きな人、いないの?」
「いえ・・・、その、いないこともないんですが」
「あら・・・そうなの?」
「なんというか、その・・・完全な片想いなので」
周瑜はそれを聞いてピンときた。
「相手のいる人、っていうことなのかしら」
「ええ、そういうことになります」
「そう・・・難しいわね」
「でも、いいんです。僕が勝手に思っているだけなんで」
そのとき、廊下の先で、孫策が周瑜を呼ぶ声がした。
「いけない、もう行かなくては。早く、いい人が現れるといいわね」
周瑜はそういい残して去っていった。
「・・・難しいですよ、周瑜さん。あなた以上に素敵な人なんか、そうはいないんですから」
陸遜は周瑜の後ろ姿を見送ってそう呟いた。
「要するに、理想が高いわけか」
陸遜から話を聞いた呂蒙はそう言った。
「う〜〜ん、まあそういうことになるんですかね」
「でもなあ、いろんな人と付き合ってみなけりゃ、一体自分の本当の好みはどうなのかなんて、わからないと思うぞ」
「でも社長と周瑜さんは中学のときからのお付き合いだと聞きました。たくさんの人とつきあえばいいってものでもないでしょう」
「あの人たちは特別だと思うけどな・・・」
「僕だって、昔から隣に周瑜さんみたいな人がいたら、今頃は結婚してたと思います」
「そうか?・・・俺なんかは逆に心配しちゃうけどな」
「心配?」
「だって、あれだけの才色兼備な人だぞ?他に目移りしないか、とか、本当に俺でいいのか、とかさ」
「ああ・・・そうか」
「周瑜さんみたいな人を惹きつけるなんてなかなか難しいよ。社長みたいな人だから、うまくやっていけてるんだと俺は思うな」
「・・・たしかに。あんなふうに自分に自信がもてる社長って、やっぱりすごいです」
「・・・過剰なくらいだけどな・・・」
呂蒙は苦笑いした。
そうして、バレンタイン当日。
社内のあちこちでチョコを渡す光景が見られた。
あの甘寧も今年はチョコを貰えたとあって、今年も甘寧にやろうと思って、不良パッケージのチョコを山ほど用意していた朱治は、途方に暮れていた。
「くそ、仕方がない。こうなったら社内のモテない男に配りまくろう」
一方、企画部。
陸遜の机の上と引き出しの中は、チョコでてんこ盛りになっていた。
「ふあー、やっぱすごいな、おまえ・・・こりゃお返しが大変だなあ」
呂蒙はその様子を見て感嘆の声をあげた。
「で、そのチョコはいつも全部食べてるのか?」
「まさか。実は福祉施設に渡しているんですよ」
「へえ〜」
「女の子たちには悪いと思うんですがね、もっと有効に使えるのならそのほうがいいと思って」
陸遜はそういいつつ、チョコを用意してきたスポーツバッグにしまいこんだ。
そこへ、二喬と魯育がやってきた。
「はい、陸遜さん!」
3人の手からチョコを差し出され、ありがとうございます、と言って受け取る。
「はい、呂蒙さんも」
3人から2人に減ったが、呂蒙もチョコを貰った。
魯育はその場で、思い切って陸遜に聞いてみた。
「あの〜陸遜さん?たぶん、いっぱい貰ってるとは思うんですけど・・・本命っているんですか?」
「いえ、いませんよ」
それに二喬も便乗した。
「どうして彼女作らないんですかぁ?」
「どうしてと言われても・・・」
そこへ周瑜もやってきた。
「あら。タイミングが悪かったみたいね」
周瑜は紙袋を抱えていた。
「あ、周瑜さん」
「でももう、時間もないし、ここで渡していいかしら?」
周瑜は呂蒙と陸遜にチョコを渡した。
「あ、ありがとうございます」
陸遜は、周瑜から受け取ったチョコをじっと見つめた。
「・・・こういうの、渡して社長は気にしたりしないんですか?」
「いつもお世話になっているから、バレンタインにかこつけてのお礼なの。だからお返しはナシにしてね。社長も別に気にしてはいないわ」
「それなら、ありがたくいただきます」
じゃあ、といって周瑜は去っていった。
陸遜はその背をじっと見つめる。
陸遜の視線に、魯育はピーン!ときた。
「わかった!陸遜さんて、周瑜さんが好きなんだ!」
「えーーっ!?」
二喬が意外そうな声をあげた。
「そ、そ、そんな、こと、ないですっ」
陸遜は、あきらかに狼狽していた。
「あーーっ!赤くなった!」
「ち、違いますっ!赤くなんか、なってませんよ!」
「いや、その顔色は絶対シャア専用だってば!」
「は?シャア・・・?何ですかそれ・・・」
「へえ〜〜!そうなんだ!陸遜さんて周瑜さんが好きなんだ〜〜!」
「だから、違いますって!おかしなこと、言わないでください!」
「相手が周瑜さんなら、言うわけにいかないわよねえ」
「でもさ〜、社長に知れたら左遷かもよ?」
「ちょ、ちょっと、だから!変な噂流さないでくださいよ!」
実はビンゴなのだが、これを社長や周瑜に知られるワケにはいかない。
その騒ぎの最中、魯育がうるうると泣き出した。
「ぅえ〜〜ん!!」
突然の出来事に二喬も陸遜も驚いた。
「ど、どしたの?」
「だってだって!周瑜さん、あんなに綺麗で、カコイイ恋人がいるっていうのにぃ、陸遜さんまでもってっちゃうなんて!世の中不公平よぉぉ!ぅえ〜〜ん」
「そうよね〜」
「たしかにね〜」
「陸遜さんも、そんな顔してさらに面食いだなんて、罪だわ!」
「はぁ・・・」
もう、どうしていいのか、わからない陸遜であった。
呂蒙は気の毒そうに一歩ひいてそれを見ていた。
(もう、修羅場だな・・・)
「先輩、助けてくださいよ〜!」
陸遜の悲痛な叫びが企画室にこだました。
(続く)