惑いのバレンタイン


「お、朱治、なんだその箱は?」
各部署をまわってチョコを配布していた朱治は、社長室のある最上階までやってきて、孫策に声を掛けられた

「あ、社長。この不良パッケージのチョコなんですが、捨てるのには忍びないんで、社内の独り者に分けて歩
いてたんですよ」
「ほう、それは感心なことだ。でもそれなら庶務の女の子たちに預ければ一緒に配ってくれたのに」
言われて、ハッと気付く。
「・・・は、は、たしかに・・・その通りですね」
見れば、まだ箱の中にいくつかチョコが残っている。
ラッピングもされていないが、この冬限定で販売の新商品である。
「その残りは、俺が引き取ろう」
「えっ?で、でも・・・いいんですか?」
「ああ。もういいから戻って仕事しろ」
「は、はいっ・・!す、すいません!ありがとうございます!」

というわけで、箱を抱えて企画室へと入った孫策だが。

・・・そこで彼は、修羅場を目撃する。

立ち尽くす呂蒙と陸遜。
その前には泣き崩れている女子社員と彼女をとりまく2名の女子社員。
あきらかに仕事はしていない。

「な、なんだ、どうした?」
「しゃ、社長・・・!」
これはヤバイ、と陸遜も呂蒙も本能的に思った。
二喬と魯育はすがるよーな目で孫策を見た。
孫策は、何だかよくわからない状況だったが、女性たちがなにやら悲しげな表情をしていたので、思わず持っ
ていた箱のなかのチョコを全部、彼女たちに差し出した。
「なんだかよくわからんが・・・これでも食って元気出せよ」
「しゃちょぉぉぉ〜え〜〜ん」
女の子たち3人は孫策にすがりついた。
「よしよし、何があったかわからんが、明日はもっといいことがあるさ。な?」
そうやって、女性3人を慰めて、帰した。
「さすが社長・・・」
呂蒙も陸遜も舌を巻く思いだった。
「で、何があったんだ?」
聞かれても、孫策に言うわけにはいかない。
「陸遜がモテすぎるって話ですよ」
「ふーん?」
呂蒙が助け舟を出してなんとかその場は収まった。
「そういえば、公瑾を見なかったか?」
「あ・・ついさっき、ここへきましたけど、すぐどこかへ行ってしまいましたよ」
「そうか、わかった」
そう言って孫策は出て行った。
おそらくはこのあと二人でどこかへいく約束でもしているのだろう。

「は〜、助かった。先輩、ありがとうございます」
「いや、でもなあ・・・あの3人の口からたぶん洩れるぞ。今からなんとか対策をねっとかないとな」
「はあ・・・。でも、本当のことなんで、なんとも」
「いや、ほんとマズイって。絶対社長の耳にはいるぞ。社長がどんだけ独占欲の塊か、おまえだって知ってる
だろ?」
「僕、やっぱり左遷されちゃうんですかね・・・」
「睨まれるとは思うが、そこまで公私混同はしないと思うけど・・・たぶん」


一方、企画室から戻る途中の3名の女子社員たちはー。
「やっぱ社長って最高ね!男前だわ〜」
「やだ、このチョコ、うちで扱ってるやつじゃない?」
「ほんとだ、これ美味しいのよね」
「こんなに貰っちゃったけど、よかったのかな〜?」
「いいんじゃない?自分で食べる分だし。私会社の机の中にいれとこっと」
「そういえば魯育ちゃん、魯班ちゃんはカレシできちゃったから、寂しいんじゃない?」
「・・・あーん、思い出させないで。せっかく忘れてたのにぃ」
「あ〜ごめんごめん」
「でもさ〜私たちだってそうよ?毎日社長とか陸遜さんとか見てると、他の男がバカみたいに見えてくるんだも
ん」
「社長がフリーだったらな〜」
「そうよね〜周瑜さんてばやっぱうらやましいよね」

そんな彼女たちの会話をなんとはなしに廊下で聞いてしまった周瑜であった。
うらやましい、と言われて、悪い気はしない。
だが孫策が女子社員に人気があるのは少し複雑な気もする。

そうして周瑜は社長室に戻ると、孫策があとから入ってきた。
「お、公瑾、ここにいたのか」
「はい。社長も女子社員にチョコを配りにいったりしていたんですか?」
「は?」
「今年は逆チョコが流行っているんですってね」
「ぎ、逆チョコ・・・?」
「社長が秘書室の女の子たちにチョコを渡したことですよ」
「あ、ああ・・・あれは朱治が持ってきた不良パッケージのやつだよ」
「そうだったんですか。でも、喜んでいましたよ、彼女たち」
周瑜はにっこりと笑顔を作ったが、目元は笑っていなかった。
「・・・・」
孫策は、自分がもう少しであらぬ疑いをかけられるところだったことを自覚した。
それを気取られまいと、あわてて話題をそらそうとした。
「しかし、逆チョコって、そりゃバレンタインの意味ないんじゃないか・・・?」
「男性が女性からのチョコを待ってるだけじゃダメってことみたいです」
「・・・もらえない男の言い訳に聞こえるな・・・」
「義理だのなんだの多いですし、意味なんかもうないのかもしれませんわね」
「ん・・でもやっぱり好きな女からは欲しいもんだな」
「そうですか?」
「うん」
「じゃあ、はい」
周瑜はチョコを差し出した。
「おっ、すまんな」
孫策はそれを受け取った。
「今日はこの後レストランを予約してあるんだ。いいだろ?」
「はい」
周瑜はにこやかに応えた。


そして翌日。
噂になっていることを覚悟して出勤した陸遜だったが、意外にも社内は平静で、いつもどおりだったので、少し
拍子抜けしたのであった。
そこへ同じく出勤してきた呂蒙も、同じ思いだった。
「あの3人がいて、この静けさ、どう考えてもおかしいよな」
「・・・少しは成長したんですかね?」
「どうかな。何か他に理由があるんじゃないのか?」
「やぶへびになると困るからそっとしときましょう・・・」



その当の3人のことについては、
事は昨日に遡る。

秘書室に戻った二喬は、例の陸遜の噂をさっそくそこにいた魯粛や周瑜に話した。
魯粛はいつもの噂話だと聞き流したが、周瑜は違った。
「そんな噂が社長の耳に入ったら、彼左遷か、悪くするとクビになっちゃうかもしれないわよ?」
「えーーっ!?」
「ついでに言うと、もしその話が嘘だったら噂を流したあなたたちも無事ではすまないかもね」
そう言われた二人はがくがくと震え出し、「今のは聞かなかったことにしてください・・・」と反省したようだ。

一方の魯育といえば。
ニ階の庶務へ戻るためエレベーターに乗った。
途中の階から乗ってきたのは、あまり見かけない男子社員だった。
「・・営業部の人?」
「え?・・・あ、僕ですか?」
「あんた以外に誰がいんのよ」
「は、はぁ・・・。僕、今研修中なんです。この春から正式採用で」
「あ、そうなんだ。新人さんだったのね。どーりで見ない顔だと思った。アタシは庶務の孫魯育よ」
「僕、朱拠子範って言います。朱治さんのとこでお世話になってます」
「ふーん・・・」
(あら、よく見たらちょっといい男じゃな〜い?陸遜さんより若いし!)
「あ、そうだ。これ、あげる」
魯育は、先ほど社長からもらったチョコレートの一つを朱拠に渡した。
「え!?い、いいんですかっ?僕なんかに」
「いいのいいの。今日バレンタインだしね」
「あ、ありがとうございますっ!わあ、嬉しいな。こんな風に女性に貰うの、初めてだったりするもんで・・・」
「そ、そうなんだ?」
「ええ、ずっと男子校で、大学でもクラブで彼女もできない状態だったんで・・」
魯育の目がなにやらキラーン、と光った。
「ま、まあ、なにか困ったことがあったら、いつでも聞いていいのよ?アタシは庶務の・・・」
「孫魯育さんですよね」
「そ、そうよ」
(な、なんなの、このドキドキは・・・)
ちょうどその時、エレベータが5階で止まった。
「僕、5階なんでここで。魯育さん、じゃあまた。チョコ、ありがとうございました!お返し、期待しててくださいね
!」
さわやかな笑顔を残して、彼はエレベータから降りていった。
「は〜〜〜っ!どうする?どうする?魯育ったら!お返し、期待してて、だって〜〜〜っ!」
一人で盛り上がっていると、エレベータは次に3階に止まった。
3階でエレベータを待っていたその人は、見てはならぬものを見てしまった。
扉が開くと、そこには、にへら〜と笑顔がこびりついた魯育が立っていたのである。
「ぎくっ・・・」
一瞬怯んだが、勇気を出してエレベータに乗り込んだのは諸葛瑾であった。
「魯、魯育くん、何かあったのかね・・・?」
「ロバ部長〜うふふふふ〜〜あったんですよぉ〜うふふふふ〜ふぉふぉふぉふぉ〜」
「こ・・こわい・・・」
「ん?何かいいました?ロバロバ〜?」
「ロ、ロバじゃなくて〜諸葛瑾ですってば〜」


5階の営業部に戻った朱拠は、その手に持っているチョコを目ざとく見つけた朱治に呼び止められた。
「む!そのチョコはどうした?」
「あ、部長。これは庶務の孫魯育さんに貰ったんですよ!」
やけに嬉しそうだ。
「そ、そうか・・・」
あきらかに、自分が内密に『モテない男子社員』に配ってまわった不良パッケージのチョコである。
なにがどうなって孫魯育の手に渡ったのかは謎だが、こんなに喜んでいる彼に真相を告げるのはやめようと
思った。
(それは実は俺からのチョコだ、なんて絶対言えないな・・・)


そんなワケで3人とも噂を流すどころではなくなってしまったのである。



(終)