事件の顛末(前編)
東呉商事の夕方5時はOLたちの終業時間である。
この時間になると女子トイレが混雑する。
特に週末ともなると、行列ができるほどだ。
化粧ポーチを持ち帰るのがめんどくさいので、わざわざ会社の経費で棚をしつらえてそこに置いておくので、誰がどこのトイレを使用するのか、決まっているのである。
社長室と秘書室のある最上階のトイレは使用するものは少ないのだが、庶務や総務など女性社員が多い部署の低層階のトイレはもはや戦場である。
「ちょっと、そこの棚私の場所なんだから、置かないでよね」
「私の、とか決まってないでしょ?」
「ちょっと押さないでよ!腕があたったじゃない」
「そのピンク、きれいね。どこの?」
「ちょっと、はやく鏡あけてよ」
「私のマスカラ知らない?」
彼女らはこのあとのデートの準備にいとまがない。
郵便を出して帰社してきた二喬たちは、一階のエレベーターでおしゃれして帰っていく彼女たちとすれ違った。
「あら、まだお仕事なんだぁ?お先に〜。おつかれさまー」
いつも秘書室の二喬たちを羨ましがっている一般OLの彼女たちが唯一優越感を感じる瞬間でもあった。
周瑜や二喬たち秘書は重役たちのスケジュールに左右されるため、他のOLのように定時には帰れることが少ない。
なので、平日のデートの約束などできないのだ。
庶務や総務の女の子たちが羨ましいこともある。
「はぁ〜、今夜は10時すぎるかなあ」
「今日は会食だものね」
二喬がブツブツ言っている秘書室へ周瑜が入ってきた。
「あ、周瑜さん。張昭専務と張紘常務、戻ってらしゃいました?」
「ええ、ちょうどさっき、すれ違ったわ」
「よかった〜、ちょっと行ってきますね」
「ええ。早く帰れるといいわね」
周瑜には孫策がいるので、デートの時間を気にする必要はない。
だからなるべく他の女子社員を先に帰そうといつも最後まで残っているのだが・・・。
「公瑾、まだ帰らないのか」
孫策が秘書室に入ってきた。
「社長・・ええもう少し」
「もう9時半だ。晩飯もまだだろう?」
「そうですが・・・ニ喬を先に帰さないと」
「・・・わかった。社長室にいるから声を掛けてくれよ」
「はい」
そうしているうちに二喬が戻ってきて、やっと退社していった。
そして、自分も仕事をひと段落させ、帰り支度をして社長室へ向かおうとしていた。
周瑜を待ちかねて、痺れを切らした孫策は、再び秘書室へやってきた。
ところが、扉を開けるとそこに彼女の姿はなかった。
「公瑾・・・?」
返事はない。
周瑜のバッグもない。
まさか、勝手に帰ったりするはずはない。
急に心配になって、フロアの部屋を全部探してみた。
どこにもいない。
「そうだ、携帯・・・!」
周瑜の携帯電話にかけてみた。
呼び出し音はなったが、すぐに留守番電話に切り替わってしまう。
「・・・公瑾、一体どうしたっていうんだ」
結局、その日孫策は日付の変わるまで待っていたが、周瑜に会えず仕方なく帰宅した。
連絡もしないなんて、周瑜らしからぬ行動である。
なにか、あったのだろうか-
心配で眠れなかった。
そして、眠れぬままむかえた朝方、孫策の携帯が鳴った。
その番号は周瑜の携帯番号だった。
急いで電話に出た。
「・・・!公瑾?!」
「孫策か」
期待していた声ではなかった。
「・・・!誰だ、おまえ!?公瑾はどうした?」
「あんたの美人の秘書さんは預かっている」
「なんだと!?」
「安心しろ、危害を加えたりはしていない」
「当たり前だ!公瑾に指一本でも触れてみろ、てめえ地獄まで追い詰めてその体、一寸刻みに切り刻んで張紘んちの鯉のエサにでもしてやるからな!」
孫策のドスのきいたセリフと剣幕に、電話の主は怯んだ。
どちらが誘拐犯なのか、わからない。
「・・・オホン、と、とにかく、返してほしければこちらの要求をきいてもらおう」
「おう!金か、なんだ、さっさと言え!」
「・・・」
「黙ってないでなんとか言え!おい!こるぁぁ!俺をイライラさせんな!」
「・・ま、また後で連絡する」
プツッ。ツー・・・
「おいっ!まて!切るな!こらぁぁ!!」
コメカミに青筋を立てて孫策は怒鳴った。
「くそっ・・・!」
孫策はすぐに太史慈に電話した。
一方、その誘拐犯の方は-
「はぁっ、はぁーーっ、こ、こわかったーーっ」
「ばかっ!なんで用件いう前に切っちゃったんだよ!」
「だ、だってアニキ、すげー怖かったんだもん!」
「こっちには人質がいるんだぞ?怖がる必要なんかないっ!」
「そ、そうッスね・・・」
「そうだ!そういうわけだから、もっかい電話しろ」
「ええ〜〜〜っ!い、いやだよ、怖いもん!」
「このバカ!」
「メ、メールでもいい・・・?」
「仕方ねえな、早くしな!」
「う、うん・・・」
「アニキ、要求って現金で5億だったっけ?」
「いや、宝石じゃなかったか?」
「へ?なにそれ」
「王晟さんがそう言ってただろ?現金で5億だと重いからって」
「え〜〜!宝石なんて換金するときにアシつくじゃん!」
「だから高飛びして外国で換金すんだろ?」
「税関でつかまっちゃうかもしんないじゃん」
「そこまでしらねーよ!俺たちは王晟さんから報酬もらうだけなんだからよ。人質交換とか金の受け渡しとか全然きいてねーんだし」
「あ、そっか。いくらもらうんだっけ」
「二人で一千万だろ」
「・・・・なんかさ、5億要求すんのにそれって少なくね?」
「・・・言われて見たらそうだな・・・」
「な〜やっぱ現金で5億にしようよ!」
「ああ、もうじゃあ勝手にしろよ」
「へへっ」
まったくもって現実的でない犯人たちである。
そうして相方の銭銅が必死でメールを打っているときだった。
「ん?なんだかやけに表が騒がしいな・・・」
窓のカーテンをそっと開けて表を見てみた。
「ゲッ!!」
表を武装した男たちが走っている。
ヘリまで飛んでいる。
「な・・・な・・・なんだ、こりゃ!?軍隊かよっ!」
そこへ、男の携帯が鳴った。
「あ、王晟さん・・・えっ?あ、はい!お、おい銭銅!すぐ携帯の電源切れ!」
「へ?」
「バカ!その携帯からGPSで電波ひろわれちまってんだよ!はやく切れ!」
「うへっ!」
「やべぇな・・・思った以上に早い動きじゃねえか」
「はやすぎるよっ!さっき電話してから30分も経ってないのに!」
「くそっ・・・軍隊もってるなんてきいてねーぜ!」
「どどどど、どうしよう?アニキ!見つかっちゃったのかなあ?」
「いや、この地区に絞られたってだけだろ。今のGPSじゃ中継局周辺までしかわからねぇハズだ」
「で、でもさ、一件一件まわってきたら・・・」
「そんときゃしらばっくれりゃいいだろ」
「そ、そうか」
「そういや・・・その人質は?」
「王晟さんが連れてったよ」
「な、なにぃぃぃ!!?なーーんでてめ〜それを早くいわないんだっ!」
「だ、だってさ〜俺たち王晟さんに頼まれただけじゃん」
「だってじゃねえ!俺たち、人質もなしにどーすんだよっ?」
「どーすんだ?」
相方のまぬけっぷりに、その男-鄒他はプチッ、と切れた。
「バカッ!バカバカバカバ!」
「中継局は烏逞です。半径10キロまで絞り込めました」
太史慈の報告に孫策は頷いた。
孫策は有事に備え、私的軍隊を持っていた。
孫策が合図をすれば10分で行動に移れる精鋭部隊である。
「よし、一件一件しらみつぶしにしろ。ただし、犯人を刺激するような真似はするな。いいか、あくまで公瑾の身の安全が最優先だ」
「はっ!」
孫策がいるのは私製の移動指揮車である。
大型車の中はコンピューターやモニター、無線などがあり、ここからあらゆる司令を出すのである。
孫策が緊急事態用にと用意したものであった。
「社長、蒋欽です」
その、車の無線が入った。
「昨夜の玄関と秘書室の廊下のモニターの分析が終わりました」
「報告しろ」
「昨夜10時から0時までの間に秘書室の者以外に廊下を通った者が3名おりました」
「誰だ」
「総務の諸葛瑾、張昭専務、そして会長です」
「社外の者はいなかったんだな?」
「はい。それから11時すぎごろから廊下のモニターの画像が一旦停止しておりました」
「なんだと」
「何者かが警備室のモニターを操作したようです」
「内部の者か・・・」
「その可能性が高いです」
「・・・・」
孫策はしばらく考えてから、太史慈を振り返った。
「親父はどこにいる?」
「今朝から連絡が取れません」
「・・・親父が何か知ってる可能性が高いな。そっちも探せ」
「はっ!」
「・・・まさか・・・な」
(後編へ続く)