マラソン大会
東呉商事の年中行事にまたひとつ加わったことといえば、マラソン大会である。
昨年急に孫堅が愛する妻に
「あなたお腹が出てきたのじゃない?」
と言われ、多少なりとも気にしていた体型を維持するために走り始めたのであった。
それに加え、このところのマラソンブ ームに背中を押され、孫堅と一緒に退社後に東呉公園周辺を走る社員が増えてきたことで、マラソン大会をやりましょうよ!という声が多くでてきたからであった。
コースは42.195キロを走るフルマラソンコースと10キロを走る初心者コースの2つ。
参加賞と6位入賞者にまで賞金が出るというので、東呉グループの社員と家族たちははりきって出場するのであった。
さすがに地元の大企業主催のマラソン大会とあって、出場者も半端な人数ではない。
地元の警察や東呉警備保障から警備の人員を出すのと、東呉商事の秘書室は運営を担当することになった。
「なんだ、公瑾は走らないのか」
少しつまらなさそうに孫策が言う。
「ええ、でも私マラソンは苦手ですから助かりましたわ」
「そうだったか?」
「そうですよ。忘れたんですか?高校生のときのマラソン大会で…」
あれはまだ孫策と周瑜が東呉学園高等部にいた頃。
学年対抗のハーフマラソン大会で、10キロを過ぎた時点で先頭グループにいた周瑜は脇腹を押えて立ち止まって しまった。
女子から30分遅れてのスタートになった男子の先頭にいた孫策はすぐに女子に追いついた。
そのなかに歩いていた周瑜を見つけて声を掛けた。
顔色が青かったのをみて、具合が悪いのだと思った。
周瑜は先に行ってくれと言ったが、何を思ったか孫策は周瑜を背負って走り出した。
周瑜は驚いたが、孫策は周瑜を下ろそうとしない。
それでも孫策の走りは少しも衰えない。
「そういえばそんなこともあったっけな」
「ええ。私を背負ったままでも学年一位でしたから、さすがは社長でしたわ」
「ん、まあ、おまえ軽かったし、あれくらいのハンデがあってちょうどよかったんだよ」
「…でも私、嬉しかったです」
「ん」
孫策は思いだした。
ゴールしたあとに周瑜にキスしてもらったことを。
思わずにやけてしまう孫策であった。
「あーごほんごほん」
ラブラブな雰囲気のところへ咳払いをしながら入ってきたのは孫堅である。
「あ、会長」
「なんだ、策はこんなところで油を売っておらんで仕事せんか」
「俺はちゃんとしてるぜ。マラソン大会だってんで早めに切り上げてきたんじゃないか」
「ほう。それは殊勝なことだ。で、マラソンの練習の方はやっとるのか?」
「愚問だな。俺は何にもなくても毎日10キロは走ってるんだぜ?」
「まあ、おまえは別に入賞せんでもいいからな。こんなときくらい社員に花をもたせてやるのもいいだろう」
「いつだって俺は全力でやる。それで俺に勝とうってくらいのヤツがいるほうがいいだろーが」
「ふふん、俺だってまだまだおまえには負けんからな」
「おう!勝負だ、親父!」
二人のやり取りをみて、周瑜はクスッと笑った。
やっぱり親子だ。
会社のマラソン大会とはいえ、グループ会社の社員とその家族を含めエントリーしている者だけで5千人近くを数える 。こうなると運営も大変だ。
この1週間、周瑜はほとんど家に帰っていない。
過労で倒れたりしないかと、孫策は気が気ではない。
ただでさえ忙しいのに、それに加えてのイベントなのだ、無理もない。
だが、
「私は大丈夫です、伯符は走ることだけ考えてくださいね」
などと言われては、頑張るしかない。
さて、いよいよマラソン大会当日。
一般男性部門、女性部門、60歳以上のシニア部門など数部門に分かれ、いよいよ始まる。
東呉ケーブルTVが実況を中継するというので、アナウンサーがなにやらスタート位置にて解説を始めた。
『さあ、いよいよ始まりました~!優勝賞金は300万円!』
ということで一番出場者が多い一般男性部門がスタートした。
順調にトップグループをキープして走っていた孫策だったが、彼はスタート地点にもいなかった彼の恋人の姿を探していた。
出発するときも運営本部にいなかった。
きっとまた走り回っているに違いない。
どこかで倒れていたりしたらどうしよう。
--心配だ。
そんな不安からか、孫策のスピードはそれほどあがらなかった。
その彼の隣りを颯爽と走るのは彼の父。
「どうした策?調子でも悪いのか?」
「は?誰がだよ」
「そうか、じゃあ先に行くぞ~はっはっは!」
そう言って孫堅は孫策の前を走っていく。
「おいおい…今からそんなに飛ばすと後半バテるっての」
甘寧や呂蒙、陸遜なども参加していたが、どうやら彼らはマラソンは苦手らしい。
「さっすがに社長は早いなあ…もう姿も見えないじゃんか」
「俺はまだ昨夜の酒が残っててなあ…」
甘寧はそう言いながらのろのろ走っていた。
「キャー、会長、カッコイイ!」
沿道からの声援に、孫堅は手を振る。
この時点で孫堅は1位だった。
孫策はトップ集団にはいたが、かなり後方につけていた。
「ふふん、なんだ策め、口ほどにもない。公瑾とデレデレしてるからだ」
などと半ばやっかみと思われるようなことを思いつつ、走る孫堅であった。
実況『依然、トップは孫堅会長。沿道の女性社員たちの黄色い歓声をうけ、手を振る余裕があります!さて、そろそろ30キロ地点。このまま会長が独走するのか、はたまた…』
やがて孫策は、最後の給水所に、彼の恋人の姿を見つけた。
やにわに彼はスピードをあげて恋人の前に走り出た。
「社長…!?」
「俺におぶされ!」
「ええっ?」
「いいから早く!」
強引に周瑜は孫策におぶされる形になった。
孫策は周瑜をおぶったまま、再び走り出した。
「い、一体、何なんです?」
「おまえ、鏡見てみろ。ひどい顔色だぞ」
「えっ…?」
「あんなとこにあのまま立ってたらおまえ、絶対倒れてる」
「だからってこんな…。失格になっちゃいますよ」
「別に構わん。おまえの方が大事だ」
「…伯符…」
周瑜は孫策にぎゅっ、としがみついた。
大会社の社長になっても、あの頃と変わらない孫策に周瑜の胸は熱くなった。
そのころ、トップを走っていた孫堅の息が上がってきていた。
「さ、さすがにきつくなって…きた…な?」
と、隣りをふと見ると、信じられない光景が目に飛び込んできた。
『おおーっと、こ、これは何なんでしょう?トップ集団から抜け出してきたのは…なぜか女性を背負った孫策社
長だーーーっ?!』
実況ががなりたてた。
「な…な…!なんだ策!背中のそれは…!おい、非常識だぞ!」
孫堅の隣りを、周瑜を背負った孫策が信じられないスピードで追い抜いていく。
「ま、まてっ!こら!おまえは化け物かー!」
「会長、お先にー!」
孫策に背負われた周瑜の長い黒髪がなびく。
そして孫策はそのままゴールテープを切った。
沿道にいた第3者に接触した形になったため、失格となってしまったのだが、彼に対する拍手は鳴りやまなかった。
そのため、順位が繰り上がって2位でゴールした孫堅が1位となったのだが…
「うーん、納得いかん!」
といって憮然としていた。
結局、賞金については孫堅は最初から辞退していたので、2位以下に繰り下げられた。
一方、甘寧がゴールする頃、ゴールでは彼の恋人が待っていた。
「甘寧部長ー!おつかれさまでした!」
「お…おう。なんだおまえ、早いんじゃねーか」
「はい。おかげさまで女子の1位を取らせていただきました」
「い、1位…」
ニコニコして孫香は言うが、甘寧のプライドは多少傷ついた。
ドジっ子の彼女でも取り柄があるものだ。
そして来年からはもう少し練習しよう、と心に決めた。
「あれ?そういえば社長は?」
「表彰式もまだなのに…ってそうか、失格になっちゃったんでしたっけ」
呂蒙の問いに、陸遜が汗を拭きながら言う。
それでも彼らはがんばって100位以内にすべりこんでいた。
「あー策ならとっくに帰ったぞ」
孫堅がぶすっとして答えた。
「え?帰った…?」
「公瑾を送って行った。あいつめ、女の前だからといいかっこしおって」
社長としては開会の挨拶をしてすでに務めは終えているのでいなくても問題はないのだろう。
表彰式と閉会の挨拶は孫堅が担当することになっていたのだ。
「それにしても社長、すごいですよね。30キロ走ってきてそのあと女性一人背負ってゴールだなんて」
「むう…」
「でも会長もがんばりましたよ。あれは社長が異常なんですよ」
事実なのだが、孫堅には慰めの言葉にもなっていないのではないか、と周りも気を遣っていたのだが。
「ちくしょー、俺だって若い女の子背負って走りたいわい!」
孫堅の叫びに、思わずまわりが突っ込む。
「えーっ!?そっち!?」
孫堅の納得いかない部分は順位を抜かされたことじゃなくてそこだったのか。
呂蒙と陸遜は呆気にとられたが、あまりにも孫策の父らしくて吹き出した。
「さすが親子…」
(終)