私と俺(上)
「わ〜!待ったぁ〜!」
閉まりかけたエレベーターにむかって大声で叫んでいるのは呂蒙だった。
すると、エレベーターの中にいた人物がドアを止めて、彼が乗ってくるのを手助けした。
「ふぅ、助かった」
無事に乗れて、ドアを開けていてくれた人物に向かって礼を言った。
「助かりました!どうもありがとうございます…」
「いいえ、どういたしまして」
ドアの脇に立っていたのは周瑜だった。
「わっ、し、周瑜さん…!」
早朝にも関わらず、爽やかで美しい彼女に一瞬見とれる呂蒙だった。
「おはようございます、呂蒙先輩」
呂蒙は思いもよらぬ背後からの声に驚いた。
「わっ、陸遜…お、おはよう」
「先輩、いま僕の存在に気付いてませんでしたね?」
「え?い、いや、そんなことは…」
周瑜がクスクス笑っている。
とんだところを見られた、と呂蒙は赤面した。
「先輩、今日は早いじゃないですか」
「うーん、昨日ちょっとやり残した仕事があって。…って二人とも、いつも朝こんな早いんですか?」
「僕は今朝の会議の資料作りのために早く来たんです。周瑜さんは?」
「私も同じよ。夕べ早く帰っちゃったから」
「3人とも同じですね」
「それにしても、早く工事終わらないですかね。このエレベーターも仮設だしなんだか怖いな」陸遜がそう言うと、呂蒙は頷いた。
「全面的に耐震工事してるんだよ。他のエレベーター使おうと思ったら裏の入口から入らないとダメだし、一度乗り遅れると5分くらい待たされる時あって参ったよ」
「このところ地震も多いから、仕方ないわね。ビル全体も工事用のシートに覆われちゃって外見えないし、なんとなく密閉されているような感じでちょっと不気味ね」
周瑜も苦笑する。
「でもさすがにエレベーターの工事は明日には終わるみたいですよ。朝大行列できちゃって苦情がすごかったみたいで」
呂蒙が笑ったところで、エレベーターが突然止まった。
「わわっ!?な、なんだ?」
「…揺れてますね」陸遜が壁に手をつけて言った。
「地震かしら?」
「はやく治まるといいですね…」
3人はしばらくじっとしていた。
「おさまったようだから緊急連絡ボタン押すわね」
エレベーターには通常、緊急時に外部と連絡が取れるよう、緊急連絡用ボタンというものがある。
周瑜は、エレベーター内から外部へ連絡するためのボタンを押そうとした。
「あら?」
「何です?」
「見て、ボタンが2つあるんだけど…」
「あ、ほんとだ。気付かなかったけど、なんで2つもあるんですかね?」
呂蒙がボタンを覗き込んだ。
非常時、このボタンを押し続けると外部と連絡が取れます、と書いてある下にボタンが2つ並んでいた。
「これじゃどっちを押していいのかわかりませんね」
「でも、色が違うわね。赤と青。どっちも押していいのかしら」
「こんなとこに関係のないボタン、普通ついてないでしょう」陸遜が冷静に言う。
「それもそうね」
周瑜は青のボタンを押した。
その瞬間、空気が振動した気がした。
「…?今なんか、変な感じでした?」
異変を感じ取って、陸遜がそう訊いた。
「そう?」
ボタンを押し続けていると、ボタンの上のスピーカーから声が聞こえてきた。
『ひょっひょっひょ…』
「え?」
『お客さんかの』
「あの〜…もしもし?」
『ひょっひょっひょ…さて今日は何の実験をしようかの…』
「え?あの?実験…て?もしもし?エレベーターがですね、止まってるんですよ!」
『わかっとるわい』
「だったら早く助けてください!」
『あ〜、それならボタンがもうひとつ、あるじゃろ?そっちじゃ』
「え?あ、そうなんですか?」
周瑜は青のボタンを離して赤のボタンを押した。
するとすぐに管理会社と連絡が取れて、係員が到着するまで待っていてくれ、とのことだった。
「…なんだったんですかね、さっきの」
呂蒙が不安そうに言った。
「まちがってどこか別のところに繋がっちゃったのかしら」
「なんだか変なこと言ってましたよね、実験とか…」
周瑜と陸遜は首をかしげていた。
「ふぅ、それにしてもついてないな。せっかく早起きしてきたのに」
呂蒙がぼやいた。
すると、また突然エレベーターが動き出した。
しかもすごいスピードで上昇を始めた。
「きゃぁ!」
「周瑜さん!」
倒れかかる周瑜を呂蒙が支えた。
「うわっ!」
今度は突然止まったため、3人の体は宙に浮かんで再び床にたたきつけられた。
周瑜をかばっていた呂蒙だったが、何か頭に強い衝撃を受けた気がした。
3人ともそのまま気を失ってしまった。
「痛…た…っ」
最初に起きたのは陸遜だった。
床に倒れている二人を見つけ、駆け寄る。
「周瑜さん!呂蒙先輩!大丈夫ですか?」
呂蒙と周瑜は重なって倒れていた。
やがて、呂蒙が先に気づいた。
「う…ん」
「先輩!良かった…」
次に周瑜も気づいた。
「いててて…」
「二人とも、大丈夫ですか?怪我は?」
「うん、大丈夫」
「どこか打ったみたいだけど、大丈夫」
「良かった…!」
周瑜が立ちあがって、呂蒙に手を差し出す。
「大丈夫ですか?」
「ええ」
その様子を陸遜は見て
「あれ?…」
と首をかしげた。
なにかおかしい。
そして周瑜と呂蒙はお互い顔を見合わせた。
「…ええ?」
「あ…れ…?なんで俺が…そこに…」
お互いの言葉と中身があべこべに聞こえた。
「ま、まさか…」
陸遜は戦慄を覚えた。
「し、周瑜さん…」
「はい」
と呂蒙が返事をした。
「で、呂蒙先輩…」
「おう」
と周瑜の口が答えた。
「…ええええーーーーーっ!!!?」
陸遜の悲鳴がエレベーター内にこだました。
エレベーターの管理会社の係員に3人が助け出されたのはそれから40分後だった。
結局朝の仕事そっちのけで、3人は社長秘書室の周瑜の部屋に集まっていた。
「どうやら、お二人の中身が入れ替わってしまったようですね」
いろいろ検証と相談の結果、陸遜はそう判断した。
「マジかぁ…」
「どうやったら元に戻れるのかしら」
二人とも狼狽を隠せない。
陸遜がピン、ときた。
「エレベーターの中で、周瑜さんが緊急ボタン押したとき、変な声がしましたよね。あれと何か関係があるんじゃないでしょうか」
「うーん、たしかに、ちょっと変だったわよね。実験がどうとか言ってたし。あれ仮設のエレベーターだったから、何かあるのかも」
呂蒙が女っぽい口調で言うのをみて、陸遜は違和感を拭えない。
「しかし…こんな話、普通信じてもらえないですよね」
「ドラマとか小説でしか見たことないシチュエーションだものね」
言葉の出てくる主のギャップに耐えられない陸遜は頭をかかえた。
「よりによってどうして呂蒙先輩の体となんかに…」
「なんかに、ってなんだよ伯言」
周瑜の顔と声でそんな言葉を吐かれるとは。
「あああ〜先輩、やめてください!周瑜さんの顔でそんな言葉遣いしないでくださいよ」
「仕方ないだろ、中身は俺なんだから」
「もう、頼むからさっきみたいにそのミニスカでガニ股歩きは絶対止めてくださいよ!」
陸遜は涙目で懇願した。
「仕方ねーだろ!ハイヒールなんて生まれて初めて履いたんだもんよ」
一方の呂蒙は中身が周瑜というだけでなんとなく仕草が色っぽいのだが、こちらも微妙だ。
「…頭が混乱しそうです…」
陸遜が悲しげに言った。
「ともかく、周瑜さんがこんなことになった以上、社長にはちゃんと話してわかってもらわないと、ですね」
「…あ〜…俺、殺されるよな〜絶対…」
中身呂蒙の周瑜はそう言って頭をかかえた。
陸遜はじろっと見て冷たく言った。
「外見が周瑜さんのうちは大丈夫ですよ」
「ともかく」
中身周瑜の呂蒙が立ちあがった。
「なんとか元に戻る方法を探しましょう。それまでは…」
「それまでは?」中身呂蒙、陸遜同時に言った。
「お互いそれらしく振る舞うしかないでしょう」
「えーーーっ!そんな!俺、無理ですって!!周瑜さんのフリなんかできませんよ!」
「うーん、そうねえ。言われてみると、私も男になったことなんかないからどうやって歩いたらいいとか、話し言葉とか…なかなか難しいわね。かといってこのままだとオカマみたいだし」
陸遜はブッ、と吹き出した。
「でも、一番困るのはトイレとかお風呂よね…」
中身周瑜の呂蒙が神妙な顔で言った。
「そ、そうでした…。俺、女子トイレ行かなきゃならないんですよね…」
「当たり前でしょう。体は周瑜さんなんだから」
陸遜は怒ったように言った。が、ハッと思いなおして慌てて訂正した。
「あ…でもダメ、ダメです、先輩!し、周瑜さんの…し、下着とか…見ちゃダメです!!」
「そ、そりゃ俺だって…!でも、だったらどうしろってんだよ!」
「呂蒙くん…」中身周瑜の呂蒙は困ったような顔をした。
その時、ドアをノックする音がした。
入ってきたのは孫策だった。
「よう、早いな。なんだ、おまえたち、こんな朝っぱらから公瑾に何の用だ?」
「あ、社長」
「おはようございます」
異口同音で挨拶をしたのは陸遜と中身呂蒙の周瑜だった。
「お、おはにょうございます…」
「ん?」
周瑜の様子がおかしいことに気づき孫策はいぶかしげに彼女を見る。
「社長、実は…」
陸遜が説明を始めた。
「マジか…!?」
孫策は目を丸くした。
そして周瑜をじっと見つめた。
「あ、あの、社長…?お、俺の顔に何かついてます?」
周瑜の口をついて、らしくないセリフを聞いた孫策はがっくり項垂れた。
「…で、こっちが公瑾だってのか…?」
「はい」
呂蒙が答える。
「俺を担ごうってわけじゃないな…?今日は四月一日じゃないはずだが」
孫策は疑り深く3人を見た。
「こんなウソついたって何の得にもなりませんよ」
「そうッスよ!」
陸遜に同調する周瑜の口調に孫策は眉をひそめた。
「公瑾」
「はい」
返事をしたのは呂蒙だ。
「…」
「子明」
「はい?」
返事は周瑜から返ってきた。
「ほんとにほんとなんだな」
「…なんかすいません、社長。俺なんかが周瑜さんの…」
孫策は周瑜をじろ、と見た。
「俺って言うな」
「す、すいません…」
「社長、仕方がないですよ」
フォローしたのは呂蒙だった。もちろん中身は周瑜の。
孫策は深く溜息をついた。
「なんでこんなことになったんだ…」
「それを調べて元に戻る方法を探そうと思っています」呂蒙は冷静に言った。
「それは俺も協力するが…とりあえずはどうするんだ。入れ替わったまま生活するつもりか?」
「だって…仕方ないじゃないですか〜」中身呂蒙の周瑜が情けなさそうに言う。
「うーっ!やめろ!公瑾の口でネガティブな発言すんな!」
孫策が怒鳴った。
「すんません…」
しゅん、となった中身呂蒙の周瑜を見て、孫策はまた嘆息をついた。
「中身が違うとこうまで変わるか…」
そんな周瑜とは逆に立ち姿も凛々しい呂蒙が、孫策の前に立って言った。
「しばらく違和感はあると思いますが、仕方がありません。それぞれの立場というものがありますし」
「そ…、そうだな…」
いつもとはうってかわった呂蒙に、孫策は圧倒された。
「き、気のせいか、先輩の顔つきまで違うような…」陸遜も感心した。
中身周瑜の呂蒙はコホン、と咳払いを一つした。
「で、ですね、問題は…入れ替わったお互いの性別が異なるということなんです…」
「…」
「…」
「あ、あの〜」中身呂蒙の周瑜が口を開いた。
「なんだ」
「なんか…トイレに行きたくなってきちゃったんですけど…」
孫策、陸遜の目がくわっ!と見開いた。
「い、いかん!ダメだ!我慢しろ!」
「そうですよ!周瑜さんの体なんですよ!」
「わかってます!でも〜〜洩らしちゃったらどうするんですか〜!」
中身呂蒙の周瑜は半泣きになった。
すっと中身周瑜の呂蒙が立ちあがって、周瑜の手を取った。
「私が一緒についていきますから。悪いけど、陸遜くん、女子トイレに誰も入ってこないか見張っていてね」
そう言って二人は連れ立って行った。
「僕も行ってきます」
三人を見送って、孫策は頭を抱えた。
「うう〜〜わかってはいるんだが…公瑾の体に子明が触れるってのがすっげー複雑だ…くっそ〜〜」
そう言ってからハッ、と思いついた。
「そうだ…逆もあるんじゃねーか!あああ!公瑾が子明の○○○を触ったりすんのか!?いかんいかーん!」
孫策は半分悲鳴みたいな絶叫をしながら三人のあとを追って走りだした。
「いいか、絶対触れるなよ!下着とかも見んな!見たら殺す!」
「わ、わかりました!目つぶってします…」
「あと、下品な言葉遣いはすんな!俺とか言うな!〜ッス、とか言うな!」
「は、はい…」
「しゃきっとしろ!」
「は、はいーっ!」
孫策は中身呂蒙の周瑜を前にいろいろと注意をしていた。
そんな孫策を尻目に、陸遜は注意深く中身周瑜の呂蒙を観察していた。
「ふぅ…勝手が違うといろいろ大変だわ」
(な、なんだか、ドキドキしちゃうのは…やっぱり中身が周瑜さんだってわかっているからなんだろうか…?)
いつもとかわらないハズの呂蒙なのだが、立ち姿や仕草なんかがやっぱり違う。
そんな視線に気づいて、中身周瑜の呂蒙は陸遜ににっこりと笑いかける。
「何?」
陸遜は真っ赤になって立ちあがった。
「先輩…じゃなくて、周瑜さんっ…そんな表情、したらダメですっ」
「?そう?ダメ?」
「もっと、雑にしてください!先輩らしく!」
「雑…って?」
それを聞いていた中身呂蒙の周瑜は思わず「おい!なんだよ雑って!」と怒鳴った。
「や・め・ろ〜〜〜」
孫策の声が響いた。
ハッ、と気付いたがもう遅い。
「俺の公瑾の声で、そんな言葉遣いすんな!」
「はいっ!すんません〜〜!!」
「すみません、だ、バカ者っ!」
思いっきり孫策に叱られてしまうのだった。
「そっか…言葉遣い、ね。私も呂蒙くんらしい言葉遣いしないと、だね」
「でも、仕事はどうするんです?さすがにそれは交替できないでしょう」
陸遜がもっともなことを言った。
すかさず孫策がフォローを入れた。
「仕事ならこの部屋ですればいい。今のうちに仕事道具一式ここへ持って来い」
「は、はい」
「陸遜、おまえ、一緒にいて子明をフォローしてやれ」
「はい」
「なら、私はどうしたらいいでしょう」
「そうだな…よし、社長命令だ、しばらく社長室勤務ってことにしとく」
「良かった」
中身周瑜の呂蒙はほっとした。
「しかし…」
部屋を出ていく陸遜と周瑜の後ろ姿を見送って、孫策は嘆息をついた。
「あれはひどい」
そしてちら、と傍らに立つ呂蒙を見た。
「ひどいですか?」
「ああ、あの公瑾を見たら幻滅するよな…絶対他のヤツらに会わせられん」
呂蒙はクスクス笑った。
「……」孫策は無言で呂蒙を見つめた。
「何です?」
「いや、やっぱりおまえ、公瑾なんだなあって思って」
「だからそう言ってるじゃないですか」
「そうなんだけど、やっぱり外見は子明だしさ。なんとなく納得してなかったんだよな」
「…まあ、非現実的ですしね」
「おまえ、子明になってみてどうなんだ?」
「さあ、私もまだ実感がわかないです」
「…おまえも子明のあちこち、触んなよ」
「可能な限り善処します」
「せめて入れ替わったのが俺とだったらまだ良かったのになあ…」
「嫌ですよ」
「何でだ?子明よりいいだろうが」
「どうせいろいろ悪戯するに決まってるからです」
「…げふんげふん」
下心を見破られた、と孫策は思った。
(もし俺が公瑾だったら…あふん…)
なにごとかよからぬ妄想をして思わず鼻の下が伸びた孫策であった。
「図星でしょう?」
呂蒙のするどい目が、孫策を射抜く。
「ぎくぎくっ!」
「社長の考えることくらいお見通しです」
「だってよ〜…」
「伯符は平気なんですか?」
「俺は平気だけど?」
「…私は恥ずかしいです」
孫策はじっと呂蒙を見、嘆息をひとつついた。
どんな可愛いことを言っても、呂蒙の姿が邪魔をする。
「はやく元に戻ってくれ…その姿のおまえじゃ抱きしめることもできん」
「あら、どうして?別にいいじゃないですか」
「嫌だ…そんなごっつい体抱きしめたくない!」
「でも、ずっとこのままだったらどうします?」
「…それは困る。中身はおまえでも男と結婚はできんからな」
「では、外見が私なら結婚するっていうことですか?」
「それはないな…いくら外見がおまえでも、中身が違うんじゃ別人だろ」
中身周瑜の呂蒙はクスッ、と笑って「嬉しいです」と言った。
さて入れ替わってしまった周瑜と呂蒙の運命は?
果たして無事に元に戻れるのか?
続く!