体育祭前半戦


見事に晴れあがった空。

遠くでパン、パン、という破裂音が聞こえる。

孫家はその日は朝から忙しかった。
呉夫人は弁当を作るのに夕べから仕込みにかかっていた。
早朝からなにやら業者が出入りする家も珍しいだろう。
しかも、機嫌がサイアクに悪い。
 

「大事な息子の晴れ姿を、ゴルフに出かけていっていて見てあげないなんて、どういうこと!?」
呉夫人は夕べから電話口で大声で怒鳴りまくっていた。

孫堅は2日前から帰っていない。
洛陽でゴルフだそうで、袁紹産業や(株)北魏の社長らも来るらしい。

「どうしてよりによってこんなに日にゴルフなんか行くのよ!」

ぶつぶつ文句を言いながらも、着々と支度をする。

孫権と孫翊は朝食を摂っていた。
「母上、もう良いですよ。父上がお忙しいのは今に始まったことではありませんし。僕は母上が来てくれるだけで嬉しいです」
孫権のこの言葉に呉夫人はいたく感動した。
「あら〜もう、この子ったら・・・なんて健気なことを・・・わかったわ!お母さん、美味しいお弁当たくさんつくるからね!」
途端ににこにこと上機嫌になった。
「兄上ってば、そういうとこお上手ですね」
なにげなく孫翊にそう突っ込まれた孫権だが、ちら、と目線を送っただけで黙々と食事をしていた。

「さて、行ってきます」
孫権と孫翊ははりきって出かけていった。
「いってらっしゃい!お母さんあとから行くからね!」
孫権と孫翊は孫権の誘拐事件以来毎日通ってくる周泰の車で登校することになっていた。
 

さてこちらは東呉学園。

「お、今日は中高の体育祭か〜なつかしいな」
「おい、見ていこうぜ」
東呉学園の大学部から歩いてきたのは孫桓と孫瑜である。
「孫権たち、がんばってるかな〜」と、孫桓。
孫桓と孫瑜は孫権の従兄弟たちである。
東呉学園の大学部に通っている。
「ああ、そうそう。たぶん、おばさん応援にきてるんだろうなあ。親父さん、うちの親父たちとゴルフだっていってたし」
孫瑜が歩きながらぶつぶつ言っていると、後ろから声をかける者がいた。
「あの、すみません」
「はい?」
振り向くと同時に二人は硬直してしまった。
しかも頭の中で鐘が鳴っている。
そこには二人が今までみたこともないような美人が立っていたからだ。

「中高の体育祭の応援入り口ってこちらでよろしいんでしょうか?」
つばのついた白い帽子に白いワンピース。
色白の肌に薄紅のルージュ、さらさらの黒髪。
眩しさにわずかに細めた切れ長の目が涼しげである。
手には籐のバスケットケースを持っていた。

「あの?」
呆然と立ちつくす二人に彼女は声をかけた。
「はっ、はい!あの、応援・・・ですか?」
やっと正気にもどった孫瑜が答えた。
「ええ。中等部の」
「あっ、じゃあ、ボクら案内しますよ」孫桓がそう言った。
「すみません」
「あ、荷物持ちます」
そう言って三人は応援席まで歩いていった。
「あの、お名前を聞いてもよろしいですか?」孫桓はドキドキしながら訊いてみた。
「あ、私、周瑜といいます。今日は代理で応援にきたんです」
 
 

「お〜い!孫権!」
「あ、朱然。どうしたの?」
朱然は体操着に紅いハチマキをして、孫権の元へ走ってきた。
「俺二人三脚でるじゃない?その相棒がさ〜今日腹壊してやすんでんだよ〜。おまえ代わりにでてくんない?」
「ええ?ボクが?でも足手まといになるよ、きっと」
「平気だって!こういうのはさ、呼吸の問題だからさ」
「う〜ん」
孫権はうなった。運動は得意ではない。
「おまえ他に何出るんだっけ・・?」
「借り物競走と玉入れ」
「・・・・地味だな〜」
「悪かったね、地味で・・・仕方ないなあ、ビリになっても文句いうなよ」
「よし!今から特訓だ!」
朱然はなんだかはりきっていた。

中等部、高等部は全学年10組ずつある。それが各学年二組ずつ組んで対抗するのだった。
だからチームは全部で5。赤、青、黄、緑、白に別れている。
孫権は高等部1年の1組だから同じチームなのは中等部1年から高等部3年までの各1,2組ということになる。色は赤だ。
ちなみに弟の孫翊も中学2年の1組だから孫権と同じチームである。

凌統はというと、彼は中等部3年4組であった。色は青。
凌統が3年では一番脚が速いのは有名である。準備体操に余念がない。

「公績く〜ん」

名前を呼ばれて振り向くと、応援席から手を振っている白いワンピース姿が目に入った。
「周瑜さん!」
青いハチマキ姿でちからいっぱい駆け寄る。
「良かった、来てくれたんだね!」
凌統は嬉しそうに言った。
「もちろん。今日はがんばってね!応援してるからね」
「うん!」
元気よく頷いた公績はその周瑜の後ろに見知らぬ男が二人くっついているのを見た。
「・・・あんたたち、誰?」
「あ?や、やあ・・君、公績くんっていうのかあ!いやボクたちはここまでこの人を案内してきたんだよ!」
「そうそう、ボクらもキミを応援するからね!」孫桓と孫瑜は調子よく交互に言った。
「ふ〜ん・・・」凌統は不信の目で二人の男を見た。
そこへ、二人三脚の練習をしていた孫権が通りかかった。
「あれ?叔武さんと仲異さんじゃない。なにしてんの?こんなとこで・・・もしかして従兄弟のよしみで応援にきてくれたわけ?」
「わ!仲謀!」
孫桓と孫瑜は突然の孫権の登場に驚いた。

「こんにちは、仲謀くん」
「あれ、周瑜さん!?どうしたんですか?」
「うふふ、今日はね、ここにいる公績くんの応援なの。ごめんなさいね。それにしてもお二人とも、仲謀くんのお身内だったんですね」
孫権は周瑜の傍にいる凌統を見た。
「あれ、キミたしか・・・凌統くん?」
「はい、孫権センパイ」
「周瑜さんと知り合いなんだ?」
「はい、家がお隣同志なんで・・・」
この話を聞いていた孫瑜と孫桓は目をきら〜ん、と輝かせた。
「な、な、凌統くん。今度遊びに行っても良いかな?お兄さんと仲良くしよう!」
二人の魂胆がまるわかりなことに、孫権は溜息をついた。

「仲謀〜〜〜っ!」

孫桓、孫瑜はドキリとする。
「あの声は・・・」

「あ、母上〜〜!」
孫権は赤組の応援席に向かって手を振った。

「おにいちゃま〜っ!」
「おー仁!」
幼い妹も一生懸命手を振る。
孫匡と孫朗は小学生でいまはまだ授業中である。

それから、すっと孫権は孫桓たちに向き直り、
「叔武さんと仲異さん・・・おとなしく母上のところへ行ってた方が無難ですよ。それに・・・」
二人はぎくっとした。
「周瑜さんて兄上の恋人なんだよね」
孫権はさらりと言ってのけた。
「えーーーーっ!?はは、伯符さんの??」
孫桓・孫瑜は驚きの表情になった。
「ちょ、ちょっと仲謀くん・・・ち、違うよ・・・」
周瑜はあわててそれを否定する。
「え?違うの?周瑜さん、兄上と別れたの?」
驚いた孫桓・孫瑜の二人はキラリ、とまた瞳を輝かせる。

そのとき、校内放送が流れた。
「センパイ、もう行かないと!入場行進におくれますよ!」
「わ、そうか!じゃあ行こう!」
孫権が走り出した。
そのとき片足が重い事を思い出した。
「わ〜っ、ちょ、ちょっとまて!二人三脚してること忘れんなよなっ!」
「・・・あ、そうだった。ごめん朱然」
「俺を忘れるな〜〜〜っ!!」
孫権は本当に忘れていた。
 

さて、いよいよ体育祭が始まった。

最初は中等部の100M走だった。

「公績く〜ん!がんばれ〜!」

凌統は周瑜の声援を受けてスタートに立つ。

ピストルの音がなって、スタートした。

凌統は最初からぐん、と速く、トップに立った。
楽勝かと思われたが、コーナーを曲がったところで後を追ってきた少年に追いつかれた。
「くそっ!」
凌統はやっとの思いでなんとか振り切った。がその差はほとんどなかった。
ゴールしてから凌統は隣を見る。
自分と同じように肩で息をしている少年がいた。
凌統は彼に話しかけた。
「よ、おまえ、速いな。名前なんてンだ?」
「・・・・丁奉。くそっ、もう少しだったのに・・・やっぱあんたはええや!」
「丁奉か。憶えとくな。俺は3年の凌統ってんだ」
丁奉は凌統を見て、
「知ってるよ。あんた有名だもん。俺は1年だよ。小等部んときじゃずっと一番だったのになあ」
と、悔しそうに言った。

さて高等部の番である。
短距離の花形100Mの優勝者は高校2年の朱桓であった。彼は青組である。

「やばいなあ。青に先制されてるな。ここらでがんばらないと!」
「う〜ん。朱然ががんばってくれよな、10000M」
「おお!長距離には自信あんだ」
 
 
 

トラック競技が行われている間、フィールドでは走り幅とびや高飛び、三段跳びなどが行われていた。
孫翊は走り高跳びに出場していた。

「翊〜〜〜!!しっかりぃぃ〜〜!」

「母上の声がこんなフィールドの中まできこえるなんて・・・」
孫翊は今更ながら自分の母親の凄さを知った。
それでもなんとか3位に入賞できた。

走り幅跳びには凌統も出ていた。
短距離の早い者は大抵この種目も成績が良いものである。
またしても丁奉との争いになったが、かろうじてここでも凌統が勝ったのであった。
 

「然ー!がんばるのだぞ!!」
10000Mを走っている朱然には父親の朱治が応援に来ていた。
「おう!まっかせとけって!!」
などとまだ余裕があるようである。
この種目、がんばった甲斐があって、朱然が優勝した。
朱然は他に1500Mにも出場したが、こちらは朱桓に負け、2位であった。
 
 

そしてお昼休み。

「さあ、食べて頂戴!お母さんがんばったのよ〜〜!」
呉夫人は息子たちを前にして弁当を広げ出した。
シートの上にところせましと並ぶ巨大なお重。
ここへ運ぶのに、弟の呉景に運ばせたのであった。

「は…母上、これは・・・」
孫権が箸をつけようとしたお重には孫権の頭より大きなカツが乗っていた。
「ああ、それね〜今朝建業農場のブタを輪切りにしてもらったのよ〜おっきいでしょう?揚げるの大変だったんだから〜」
「・・・あの・・切れ目がはいってませんが・・・」
「そんなのかぶりつくに決まってるでしょ!」
さすがは大胆な孫堅夫人である。

「はい、ご飯はここね」
別のお重の蓋を開けると、金粉のふりかかったお赤飯が詰まっていた。
良かった、まともだ・・・と内心安心した孫権と孫翊であった。が・・・
「それとこれ」
赤飯の下のお重を開けると大きな海苔巻きが山ほど入っていた。
孫権はおそるおそるその海苔巻きに手を延ばす。
「・・・・!」
直径10センチ以上はある海苔巻きの中身はどうみても分厚いステーキ肉で、丸ごと巻物のように丸められていた。
「母上・・・このステーキは海苔巻きにする必要があったんでしょうか・・・?」
素朴な疑問を孫権が口にすると
「だって食べやすいでしょう?そっちのほうが」
すかさず母はそう言う。「はい、ステーキソース」

そして孫翊が手を出そうとしていたひときわ背の高いお重には・・・
「ひゃあ!な、なんか動いたよ〜このお重!こ、こわいよお」
「なあに?男の子でしょ!それくらいなんですか!」
呉夫人は不気味に動くお重の蓋を開けた。
お重の中身は数匹の生きたイカであった。
「わあっ!は、母上〜〜これはイカです〜」
「そんなの見ればわかるでしょ!近海ものよ!とれたてなのよ〜!ちょっと!そこのあなた!」
呉夫人は孫権の後ろに物も言わずに立っていた周泰を呼びつけた。
「これ、さばいてちょーだい」
「は」
周泰は懐から匕首を出し、夫人の持って来たまな板の上で下ごしらえを始めた。
「ま〜上手ねえ」
「幼平・・・・すごい」
孫権もその手つきに感心した。
イカを丸ごと持ってきた七輪に乗せて焼き出す。
あたりはたちまちイカ焼きの匂いで充満した。
「なんだか海の家にいるような気がしてきた・・・」
孫権はそっと呟いた。
黒いスーツ姿でうちわでイカをぱたぱたと仰ぐ周泰の姿が涙ぐましかった。
 

「はい、公績くん」
「わあ〜すごい!美味しそうだね!」
周瑜とお弁当を広げた凌統は感嘆の声をあげた。
「本当だ!」
凌統のさらに後ろにいる孫桓と孫瑜も同じ声を出した。
凌統の目の前には色とりどりのサンドウィッチ、五目いなり、おにぎり、から揚げそしてタコさんウィンナー、海苔入りオムレツもあった。
「デザートもあるのよ」
周瑜は凌統の後ろの二人に視線を送った。
「公績くんが食べた後ならお裾分けしますけど?」
「ええ?本当ですか!?」
凌統が一通り食事し終わったあと、次の種目に備えて出ていった。
まだ、たくさん残っている。
それらをみて嬉々としている二人に、そのとき思いがけない出来事がふりかかった。

「よう」

周瑜のうしろから声を掛けるものがいた。
「あっ、社長!」
周瑜が振り向くとそこには孫策が立っていた。
「お?なんだおまえら、なにしてんだ?」
孫策は目ざとく孫桓、孫瑜を見咎めた。
「わっ!伯符さんっ!」
急な登場に孫桓も孫瑜も慌てた。
「結局いらっしゃったんですか・・・・」
「ああ、暇だったしな。それにやっぱ弟の応援もしたいし」
孫策がそう言うと周瑜はにっこり笑った。
「そこのお二人にも勧めていたんですがお弁当がすこし多かったので社長も召し上がりませんか?」
「ん?いいのか〜♪?」
そういって孫策は周瑜の隣にちゃっかり座った。
「あ、あの・・・僕らは・・・」
途端に孫策の目がぎろり!と二人を睨んだ。
「おまえたちは授業があるんじゃないのか?なあ、大学生?」
「あ・・はは・・」
圧倒されて少しさがる。
「で、でもあれ?さっき伯符さんとは別れたっていってなかったっけ・・?」
よせばイイのに孫瑜がそんなことを思い出して口にした。
「誰と誰が別れたって!?」
「あ、いえ〜なんでもありません〜」孫桓が孫瑜の口を押さえたまま遠ざかって行く。
「あはは、そんじゃ周瑜さん、ぼ、ぼくらはこれで・・・」
「あら?もうお帰りになるのですか?案内してくださってありがとう」
周瑜が礼をいうと同時にぴゅ〜っと去って行った。

「なあ、公瑾、こうしてると俺達夫婦みたいじゃないか?」
「はあ?・・・社長ったら冗談ばっかり」
孫策はせいいっぱい真面目に言ったつもりだったが周瑜にこともなげに笑い飛ばされてしまった。
「それにしてもさっきからやけにイカを焼いたような臭いがするなあ・・・露店でもでてんのか?」
 
 
 

体育祭後半戦に続く・・・