蜀漢カンパニーの本社は成都市にある。
東呉からはかなり遠い場所にあるのだが、「特急長江」に乗れば3時間で着く距離である。
社長は劉備玄徳、お人好しで有名な男だがなぜか彼の周りには人が集まる。
社長を支え、実質会社を動かしているのは役員の諸葛亮を筆頭に
専務の関羽、常務の張飛、それに役員会のメンバーの黄忠、趙雲、馬超である。
「孔明さま、荊州へ参られるのですか?」
声をかけたのは諸葛亮の秘書、姜維である。
姜維はワインレッドのスーツにタイトスカート姿で、栗色の髪を肩まで垂らしていた。
「ああ、行ってくる。おまえも来るか?」
「はい!」
孔明の秘書姜維伯約は、口にはださないが孔明に惚れている。
「ちょっと、ちょっと、仲権!聞いてよ〜〜!」
その恋のなやみをいつも相談されているのは同期の夏侯覇であった。
「あのね、明日孔明さまと二人っきりで出張なのよ〜!イイでしょう!」
「いいでしょう、ったって・・・あのな、伯約・・・」
夏侯覇は悩みを聞きつつも、自分が姜維に惚れていることはうちあけられなかった。
なかなかに切ない男である。
諸葛亮は以前、蜀漢カンパニーに就職するまえ、東呉商事に面接にいったことがあった。
だが、そのときの面接官はなんと甘寧であった。
面接会場でイレズミを見せた面接官は、訪れた者達を恐怖のどん底に叩き落とした。
最終面談まで残った諸葛亮は自分にはこの会社は合わない、と辞退したのであった。
言うまでもなくそのあと、甘寧は人事部にこっぴどく叱られたのだったが。
「特急長江」の車内で、姜維は初めての二人での出張にドキドキしていた。
「あ、あの、みかん、食べます?」
諸葛亮は静かに本を読んでいた。
グリーン席なので回りは広々としており、諸葛亮はゆったりと足を組んで座っていた。
が、姜維の声は届いていないようだった。
諸葛亮は一旦夢中になると何も目に入らなくなる癖があった。
返事をもらえないまま姜維はみかんをネットから出して隣をちろちろと見ながら一人で食べた。
今日の諸葛亮は薄いブルーのスーツにカーキ色の細いネクタイ、長髪を首の後ろでひとつにくくっていた。
(孔明さま〜ステキ・・・・)
姜維の目がハートになっている。
(いいんだ、相手してくださらなくっても・・・こうしてお傍にいるだけで・・・ぽっ)
本を読むときにだけかける縁のないメガネがまた知的でかっこいい、と姜維は思う。
「ん?なにかいった?」
ものすごく間ののびた返事だった。
「あ・・いえ、別に・・」姜維は一人で全部みかんを食べてしまったのでもう特に用事はなくなっていたのだった。
途中、夷陵の駅から人が乗ってきた。
諸葛亮たちの二つ前の席に一組の男女が乗ってきて座った。少し遅れてサングラスをかけた男が一人乗ってきた。
本に夢中の諸葛亮に無駄だとわかっても声をかけてしまう姜維であった。
「ねえねえ、孔明さま〜今前に乗ってきた人たち、すっごい美形でしたね!芸能人かなんかですかね〜?」
「ん?」
意外や意外、今度はちゃんと聴いていたらしい。
(やだ、孔明さまったら。意外にミーハーなんだわ)姜維はひそかにそう思った。
「本当か?それは」
「ええ、あとあのアヤシイサングラスの人も・・・」
そう言っていると、前の座席からスーツ姿の女が立ち上がり、デッキに歩いていくのが見えた。
諸葛亮はすぐに立ち上がり、
「何か買ってくるよ。ジュースでいい?」と姜維に訊いた。
「あ、はい!なんでも結構です!」
姜維は嬉しくなって舞い上がった。
諸葛亮はそのままデッキへ歩いていった。
そのまえに二つ先の席の方にちらりと目をやった。
(ふうん・・・あれは・・・。そうかそうするとさっきの女性は・・・)
デッキをすぎた先にある売店に女はいた。
少し距離をおいて諸葛亮はじっと眺める。
クリーム色のタイトスカートのスーツがとても似合っている。
黒髪が肩に落ちて、色の白さを際だたせていた。
彼女は新聞と缶コーヒーとお茶、ネットに入った5こ入りみかんを買って一辺に持って行こうとしていた。
諸葛亮の方に歩き出そうとしたとき、案の定缶コーヒーが床に転がった。
それを拾って女に差し出そうとした。
「あ、拾ってくださってありがとうございます」
「いいえ。でもこれ、今のショックで缶が変形してしまっていますよ」
「あ・・・」
諸葛亮はその缶コーヒーを女に渡さず、売店の女に言って新しいものに替えさせた。
それを受け取って女に渡そうとした。
「すみません、どうもありがとうございます」
「でもそれだとまた席にもどるまでに落としてしまいそうですね」
諸葛亮は缶コーヒーを持ったまま、女の持っているみかんを取り上げた。
「席まで持っていって差し上げますよ」
「でもそんな、見ず知らずの方に申し訳ないですわ」
「いいんですよ。そのかわり私がジュースを買うまで待っていていただけますか?」
「ええ・・・・」
女は少しいぶかしげな顔をした。
諸葛亮は売店でりんごジュースを一本買うと、女に振り向き「お待たせしました」といった。
「失礼ですが・・・東呉商事の方ですか?」
諸葛亮が唐突に問う。
「え?はい・・・そうですが・・・でもどうして?」女は驚いていた。
「あなたの胸の記章」
「ああ、そうでしたか」
女は少し安心したかのように言った。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「・・・そういうあなたはどなたなのです?」
女は挑戦的な目で諸葛亮を見た。
「失礼・・・私は蜀漢カンパニーの者で諸葛亮、と言います」
「蜀漢カンパニーの・・・・!」
女は驚いた。名前を知っていたらしい。
「そうでしたか。知らぬこととはいえ、失礼を致しました。私は東呉商事で秘書をしております周瑜と申します」
「周瑜さん・・・あなたが!」
諸葛亮も周瑜の名を知っていたらしい。
「お名前はかねがね伺っておりましたよ。でもまさか、こんなに美しい方だとは思ってもみませんでした」
「そんな・・・諸葛亮さんこそ、こんなにお若い方だとは思っておりませんでしたわ」
デッキで話し込んでいると、諸葛亮の後ろから不機嫌そうに声をかけるものがいる。
「たかだか新聞を買うのになんでこんなに時間がかかってるのかと思ってきてみれば、この男にナンパされてたのか?」
孫策である。
「子義、おまえがついていながら、なんだ。公瑾にこんな虫を近づけるんじゃない!」
孫策は自分の後ろのサングラスの男にきつく言った。
「申し訳有りません、社長」
孫策と周瑜の出張に付いてきたSPの太史慈であった。
諸葛亮が振り向くと、孫策は彼をみとめて言った。
「おまえは蜀漢の・・・・!」
「孫社長。先日は我が社の創立記念パーティーにご出席いただきましてありがとうございました」
「いや、失礼。諸葛亮殿、だったかな、たしか」孫策は少し態度を改めたようだった。
周瑜はこれまでのことを孫策に説明した。
「そうか、うちの秘書が世話になったな」
「いえ」
孫策は一応礼をいうとすぐに興味を失ったかのように、視線を移し、
「公瑾、気が変わった。食堂車にいって何か食おう」と言う。
この「特急長江」にはシャンデリア付きの食堂列車が連結されている。
「まあ、本当に気まぐれですね・・・わかりました」
諸葛亮は周瑜の困った顔と、自分が持っている缶コーヒーとみかんとを見比べた。
「諸葛亮さん、すみません。助けていただいたお礼といってはなんですがその缶コーヒーとみかんはお持ちになってください」
そういって一礼すると孫策に促され、周瑜は前の車両に消えていった。
「・・・・・」
諸葛亮はため息をひとつついた。
「やだ、孔明さま、ここにいらしたんですか」
姜維があとから駆けつけてきた。
諸葛亮は姜維をじっと見た。
姜維はそれへぽっ、と頬を赤らめた。
「なんですか〜?」
「いや、おんなじ秘書でも違うものだなあと思って」
「はい?」
「なんでもない・・・」
諸葛亮はそういうとリンゴジュースを手渡した。
「あっありがとうございます〜!」
そして諸葛亮の手にあるみかんを見た。
「あれ・・・・孔明さま、みかん、食べたかったんですか・・・?」
「ん・・・いやこれはね・・・」
諸葛亮は周瑜の秀麗な顔を思い浮かべた。
「・・・・うん。みかん、食べたかったんだよ」
「え〜〜っ・・・そうなんですか・・・」
(しょぼ〜ん・・あたしっていいとこないなあ〜)
姜維はせっかく持ってきていたみかんを一人で食べてしまったことを後悔した。
諸葛亮はその残念そうな姜維を、自分もみかんが欲しかったのだと解釈してしまった。
「じゃあ、一緒に食べよう。私は2こもらう。3こあげるからね」
「は、はい・・!」
(孔明さま、優しい〜〜!!)
諸葛亮はにっこり微笑んで言った。
「このみかんを食べると美人になれるよ」
「え・・・・」
その一言が、姜維のオトメごころを蹴飛ばした。
(ひっど〜〜い!それじゃあ、私が美人じゃないみたいな言い方じゃな〜い!)
そんな姜維の乙女心など知る由もなく諸葛亮は今日会った美女にもう一度再会するための策を練り始めるのだった。
(終)