つい先日まで咲き誇っていた桜は全て雨に押し流され、

 私立慶央大学構内の桜並木は地味な葉桜と成り果てた。

 講師サロンで昼食を摂り終えて構内を横断する慶央大学医学部第一内科助教授・遠野秋葉は

 「秋葉」という名の割に葉桜は好みでなく、ふっとメンソールの煙を吹きつけた。

 米国においては、喫煙者と肥満した者は管理職になれないと言われる。

 自らを律することもできない人間が他人を使えるはずもない、

 というのがその理由とされているが――――

「下らないわね」

 肥満という点で言えば久我峰斗波などはアメリカンの肥満漢と比べても遜色ないがこの不景気に業績を伸ばしているし、

 喫煙者という範疇には秋葉自身が含まれるが医学者としてありえない程の速度での地位向上を果たしている。

 どれだけ毛唐どもが非合理性を欠いた持論を主張しているかがわかろうというものだ。

 ……下らない事に思考と時間を費やしてしまった。

 アメリカンが愚かであるなど自明の理ではないか――――考えるまでもない。
 
 

 ブランドの携帯灰皿に、これもまたブランドの吸いかけのメンソールを押し潰すように入れると彼女は歩き出した。

 単層塩化ビニールシートで表面をコーティングした床は彼女のヒールの音も吸収しペタペタと反響させる。

 当初は気に食わなくて堪らなかったが、慣れとは恐ろしく、それ以上に兄の為と思えば諦めもできた。

 昼休みも残り少なく、今のうちに顔を出しておかなければ今日は会えそうになかった。

「ご機嫌は如何ですか、兄さん――――」
 
 

『或る幸福なる青年の実像』

Written by “EIJI・S"

 終わりのはじまりは唐突だった。

 いつものように生徒会の仕事をしていると、突然瀬尾晶が机に突っ伏した。

 何事かと秋葉が助けおこそうとするとわなわなと震えて彼女は言った。

「遠野先輩……殺しはいけません、いくらなんでもっ!」

 激しく泣き喚くまで嬲ってようやく詳細を聞き出すとそれ以上に心が躍る事等なかった。

 千載一遇!

 秋葉は帰宅するが早いか琥珀の首根っこを引っ掴んでシオンの部屋に駆け込んだ。

 遠野家悪巧み組は三人集い文殊を凌駕するどころか文字通り神を騙しにかかった。

 そうとも、遠野秋葉は地球意思を殺すのだ!

 そうとも、策士琥珀は今日を以ってカレーのにおいを遠野家から追い出してくれよう!

 そうとも、シオン=エルトナム=アトラシアは、真祖の最後を目撃した数少ない錬金術師となるのだ!

 

 タイミングは実に一瞬。

 少しずれても、もう戻ってこない。

 一週間後の朝、馬鹿猫となんちゃって女子高生はいつも通り遠野家に押しかけてくる。

 瀬尾晶が一瞬だけ見た悪夢を再現すべく

 シオンは立ち位置をミクロン単位でシミュレーションし、

 琥珀は餌を撒き、

 秋葉は聖堂教会の仲介役と折衝を重ねた。

 瀬尾晶の見た夢、それは志貴が転び、眼鏡が落ち、

 下にアルクアンドシエルが押し潰され、

 志貴の制服に『偶然』琥珀がボタンを直した時に残してしまった針二本が

 二人の死点を刺し貫く――――

 そんな、ありえない夢だった。

 だが、それは可能性と現実性を提示してしまった。

 5月15日7時37分25秒、最悪なことに、

 彼女は夢の中のロビーの時計と日めくりカレンダーを記憶していた。

 それは、そのままあの二人の臨終時間。
 
 

 薬や、ショックのあまりの現実逃避で変わってしまった志貴など志貴ではない、

 などとする偽善者や原理主義者はこの鋭すぎ昏い知性の持ち主の会合に参加していない。

 罪悪感に苦悩する志貴はまず気絶し、起き上がる前にシオンによって記憶を改竄され、

 起きるころには琥珀の精製したクオルードによって多幸感に包まれた爽やかな目覚めを味わった。

 それから、戦勝者達による分割統治が始まった。

 会議はシャンパングラスをクリュッグで満たし、乾杯によって幕を開ける。

 『四』者ともに礼儀は十全に弁えている為グラスは打ち鳴らさず目礼のみだ。

「まず、できるだけ兄さんを可能な限り外に出さない事を主張させて貰うわ」

 これ以上かかわる女が増えては敵わないし、わずらわしい。

 何より、「人外女殺し」をこれ以上外に出すのはこの四者協議に参加者を増やす可能性を増やすだけだ。

「賛成して貰えるなら挙手を――――」

 手が秋葉のそれを含め三本挙がる。

 本日からの参加者である瀬尾晶は自分のみが挙げていない事に気づくと怯えたようにおずおずと挙げた。

「では私は志貴を入院させてしまう事を提案します。
 志貴の体の事もありますが、何より病院という場は
 見舞いその他の名目がなければはいりにくい、言うなれば抑止力がある」

 またも晶以外の三人の手が挙がり遅れて晶の手が挙がる。

「私としてはまず遠野の息がかかった場所はオススメしかねますねー
 朱鷺恵さんあたりに油揚げ掻っ攫われかねません。
 郊外の大病院を買えませんか秋葉さま?」

「名案ね」

 とは言うが秋葉ははじめからそう考えていたのだろう、適当な病院を既に調べ上げていた。

 流石にもう遅れることもなく全員の手が挙がる。

「次に、私達全員が医療関係者になってしまうのが得策だと思うのだけれど」

 晶以外は一巡したと見て秋葉が再び発言する。

 晶は言うなれば事後共犯であるから積極的に案を出すことはない、と他の三者は共通して認識している。

「私と秋葉は医師、琥珀は薬剤師ですね」

 自分と秋葉が日本の国家医師試験に落ちるはずもない、と確信しているシオンがさらりと言う。

「……あの、私は」

「好きな職に就きなさい」

 看護婦の部門が空いているが、浅上を出て看護婦というのはどうかと社会的評価を慮って晶も医師を希望した。

「それから、志貴の魔眼を研究し少しでも寿命を延ばすべく我々は環境を整えるべきかと」

「でしたらシオンさんに大学在学中にいわゆる『オカルト』の存在を科学的に証明して頂くのはどうでしょう?」

 この点、琥珀は若干あざといという評価を免れ得ない。

 『オカルト』が秘せられてきたのは秘せられている点に価値があるからであって、

 証明されてしまえばそれはただの技術に堕ちるからだ。

 おそらく、シオンは多くの関係者から睨まれ、下手をすれば暗殺される可能性もある。

 しかし

「結構です、私もそれを考えていた」

 シオン一人では自己の研究と志貴の魔眼の研究を同時進行し志貴の在世中に完成させるなど、

 如何な彼女の天才をもってしても不可能だ。

 オカルトを証明し、一般の医療にも貢献するという建前を以って押し進めざるを得ない。

 協会で共同研究しようなどというのはまさに愚策で、志貴自身は殺され魔眼のみが()り貫かれる、

 という展開が容易に予想できる。

「暗殺の可能性は低いでしょう、またそれらを回避する為に私は公職に就く事も
 覚悟しています」

 その研究の第一人者となり、権威となり、SPが付くほどの地位に立つ。

 その立場には秋葉かシオンのどちらかが就かざるをえないだろう。

 秋葉とシオンの二者択一ならばシオンのオカルトに対する予備知識は秋葉のそれを凌駕する。

 さらに言えば世界規模で認められるなら白人のシオンの方が有利である。

 シオンはその頭脳を以ってすでにそこまで計算し終えていたのだ。

「最も予算が取れるのは東都大学ですけれども、シオンさんには早々に出世して頂かなくてはなりませんから――――」

「慶央ね」

 理事には医学部卒業と同時に晶が就任する運びとなった。

 遠野家からの多大な寄付をして発言権を高くせしめる。

「権威さえあればいい、研究にかかる予算などオカルトを導入した技術の特許がほぼ全て私のものになりますから」

 最終的には、志貴は慶央大学付属病院の特別室に鎮座する事となろう。
 
 
 
 

「あぁ、秋葉。おかげで元気にやってるよ」

 顔を上げてノートパソコンから視線を秋葉に移し、志貴は微笑を浮かべた。

 どうやら、研究を纏めていたらしい。

 彼は外で働く事ができないと診断されている為、

 通信制で慶央大学を卒業した後大学院に進学し、

 文学部で古典を研究していた。

 大学院は敷地内にある大学付属病院からタクシーで移動する。

 彼には現在助手という立場が用意されており、数年もすれば専任講師、いずれは文学部教授の椅子が与えられるだろう。

 理事長・瀬尾晶の強い推薦があり、

 装飾過剰が過ぎる程の肩書きと権威を持つ医学部長兼文部科学相シオン=エルトナム=アトラシアの圧力がある。

「そうですか、もうすぐ兄さんの魔眼の解明も終わるそうですよ。
 そうしたら久しぶりに外出もできますから」

「あぁ、楽しみだな……でも変装しないといけないかな、
 そっちの分野で有名になっちゃったんだろ、俺」

 シオンの現在の研究という事で志貴は医学誌に大々的に報じられていた。

「ええ、でもちゃんと私達がご一緒しますからSPも付きます。
 変装はいりませんよ」

 『私達』というのは勿論あの四人だ。

 志貴は四人によって共有の財産とされていた。

 無論本人は知らないし、ただ自分を四人が想ってくれていて、四人の中でも話はついていると思っている。

「そっか、シオンも時間取れるんだ……いいトコ泊まれるんだろうなぁ」

 普段は淡白な病院食しか食べていない志貴には、上質のホテルで摂るディナーは大きな誘惑だった。

「楽しみにいていてくださいね」

 志貴は笑った。心底から嬉しそうに。

 それは知らぬが仏という言葉がこの上なく似合う表情で、
 
 

 とても幸せそうだった。
 
 

 本人が知らず、覚えてもいないのであるから、
 
 

 この話は、ハッピーエンドであるはずである。
 

 終  


注釈
第一内科助教授・遠野秋葉
上役(教授)はシオン。

「秋葉」という名の割に葉桜は好みでなく
さっと散る桜の花の後の、瑞々しい生命力に溢れた葉桜が志貴の寿命を連想させイヤ。

聖堂教会の仲介役と折衝
アルクアンドシエルが死んだ直後に教会に連絡が取れるように最寄の教会の人間とコンタクトを取っていた。
二人の死後、史上最も傲慢な宣言を秋葉はする。
「真祖アルクェイド=ブリュンスタッドをも殺しうる我々は貴様等教会などどうにでもできるが私怨のあるシエルの処分のみで手を打ってやる、今後我々のする事に手を出すな」
――――そんな秋葉が実はシオンの下風に立たされているあたり、機微を感じて頂ければ幸いである。

この点、琥珀は若干あざといという評価を免れ得ない。
次いで、浅はかであったという評価も免れ得ない。
シオンが4人の中で最も強大かつ志貴と時間を共有する為に、一見スケープゴートじみたこの役をはじめから買って出るつもりであった点に気付けなかったのだから。

彼は外で働く事ができないと診断されている
ベッドの上で元気に暴れまわれる程に回復しているのに外で働けないという診断は
ぶっちゃけありえない。

ちなみに
翡翠は普通に志貴の身の回りの世話をしている。幸せそうだ。


後書
まずは夫人、22万ヒットおめでとうございます。
一度ダークに挑戦してみたいと考えておりましたのでこの機会に、と書いてみたものを投稿させて頂きます。
恵たんの黒さには及びもつきませんが、月茶EDのように手広く手を出してハーレムを形成しても、
人生穴だらけであるからハーレムの維持には常に力を注がないといけないよという警鐘SSでした(半分嘘です)
花見、涙、お酒、これらのお題からは全く連想もできないSSになりましたが、如何でしたでしょうか。
お礼が最後になりましたが、楽しい企画に参加させて頂きありがとうございました。それでは、ごきげんよう。
 



Lost-Way後書き
 22万ヒット記念企画参加作品第一号、有り難う御座います。
 最近ダークな作品ばかり思いつく中、捻りの加わった変化球。
 流石だなー、と思わせるSSを有り難う御座います。
 『知らぬが仏』とはよく言ったもので、実際にはバッドエンドかダークエンドなのに、当人が知らぬがゆえのハッピーエンド。
 シオンのエーテライトの記憶改竄ネタはいくつか読んだことがありますが、ここまでひねりが加わっているのは流石です。

 このお礼はまたいずれ。
 EIJI・Sさんのお好きな『シエル弄り』にてお返しさせて頂きますね。

 では。『18禁領域でも御世話になってます(苦笑)』Lost-Wayでした。