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――その日も、いつもと同じ時間を過ごす事になると思っていた。
 
 
 
 
 

 カランカラン………と、ドアベルが鳴る。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 落ち着いた雰囲気を見せる樹のドアをくぐると、入り口付近で待機して居たウェイトレスが声を掛けて来た。

 そして、言葉少なにいつものカウンターに案内する。
 
 
 

 ……『バーテンダー』の居るカウンターでカクテルを傾け、預けておいた読みかけの本を読む。

 ほんの憩いのひととき。それが、いつものスタイル。
 
 
 

 ――しかし、今日はいつもと趣きが違った。
 
 
 
 
 

「……?」
 

 目の前の光景に、軽く片眉を上げる。
 
 
 
 
 
 

「――へぇ? そりゃあ、またあの子も大胆な……」

「――ほんとほんと、あの人がそんな行動に出るなんてねー。

 とても思い付きそうには見えないのに、人は見かけによらないと言うか……」

「――『チェリー』。その言い方は、彼女にいささか失礼だぞ?」
 
 
 

 静かな店内では、いささかトーンが高いその会話。
 
 
 

 『バーテンダー』のカウンターは、その会話の主達によって『占領』されていた。

 その会話の主達とは、友人の『ミレニアム』、その従者を務める『チェリー』、いつもならスタッフとしてカウンターの向こう側にいるはずの『ヨランダ』……。
 
 
 
 
 

 ……そして、彼らの中央にいる人物。

 緑色の長髪を、無造作に後頭部辺りで束ねた少女だった。
 
 
 
 
 

 背が、高い。

 流石に百九十を超える私には及ばないが、女性ながら百八十はあるその背丈は、カウンターでも一際目立つ。

 加えて、明らかに中世期の物とわかる衣服が、彼女が『やや特殊な場所』からの客人である事を如実に示していた。

 だが、何より目を引くのは、春の草原を思わせる淡い緑色の頭髪と――。
 
 
 

 ――『彼女』と同じ、血の如き紅い瞳。
 
 
 
 

「――おや、『エル・プレシデンテ』」

「む……」
 
 
 

 『バーテンダー』の声に我に返る。

 それと同時に、『ミレニアム』達が一斉にこちらへと振り向いた。
 

「旦那じゃないか。どうしたんだい、そんな所に突っ立って?」

「……いや、随分と楽しげに話しているなと思ってね。――それに、随分と珍しい客が居るときている」

「あ、なるほど……」
 

 私の返答に、『ミレニアム』は納得した顔で横の少女へと視線を向ける。『ヨランダ』と『チェリー』もだ。
 
 
 
 

 ……そう。私はこの少女の事を知っている。

 彼女は皆の視線に不思議そうな表情を浮かべ、私の方を見る。
 
 
 
 

「……もしかして、それってあたしの事か?」

「君以外に誰が居るというのかね? 私の知る限り、君がここに来たのは五ヶ月ぶりだ。

 ――『バーテンダー』、その間に彼女が来た事は?」

「いえ。私の記憶でも、五ヶ月前の『フェア』の際に来店したのが最後ですね」

「そうだっけ? 『魔界図書館』の方には何度か来てたんだけど……」
 
 
 
 

 私の返答に、少女は首を傾げてみせる。
 
 
 
 

 ……実は、私もそう思う。

 確かに、彼女とは五ヶ月は会っていない。

 だが、こうして顔を合わせていると、昨日も彼女と顔を会わせていたような気さえしてくる。

 それほどに、彼女の前では不思議と『時の隙間』を感じない。
 
 
 
 

「――ま、そういう事なら……久しぶりだな、『エル』?」

「ああ。君も元気そうだな、『モナーク』」
 

 久しぶり、と言うには余りにも気安げな挨拶。

 だが、彼女らしくはある――私は苦笑しつつ、それに応じた。
 
 








『Blushing Monarch』

〜命短し、恋せよ乙女〜



 
 
 
 
 
 
 
 
 

Written by “てぃーげる"

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 ――彼女の名は、『ブラッシング・モナーク』と言う。
 

 カクテル・ネームを持っている事からわかる通り、

 彼女もまた『ハイクラス・メンバー』に名を連ねる者なのだが――我々とは少々毛色が違う。

 数年前、この店のオーナーが彼女の住む『異世界』で道に迷った際、偶然通りがかった彼女が道案内したのをきっかけに意気投合。

 その日の内にこの[MOON  TIME]へと招かれ、『ハイクラス・メンバー』にも加えられた変わり種だ。
 
 
 
 
 

 系統的には、最近『カブキ』としてメンバーに加えられた『彼』が近いか?
 
 
 
 

 しかし、当の本人としては自分の世界で『遊び回る』のに忙しいそうで、

 オーナーの誘いや『フェア』でもない限り、そうそう『ムーンタイム』に訪れる事はないらしい。

 当の私も、彼女と顔を会わせたのはこれで四度目である。
 
 
 
 
 

「――面白い話?」

「ああ。この子がさ、それはそれは愉快な話を持ち込んでくれてね。旦那が来るまで、その事でワイワイやっていたのさ」
 
 
 
 
 

 彼女達に誘われる間にカウンターに着いて数分後。

 片眉を上げた私に、席を譲る形でカウンターに戻った『ヨランダ』は、そう言って私の隣にいる『モナーク』を指差した。

 『モナーク』は、そんな彼女にむっとした表情で口を開く。
 

「あのなぁ、『ヨランダ』。愉快な話って何だよ。

 さっきから面白がるばかりで……こっちはそれなりに真剣な心持ちで持ってきたって言うのに」

「ごめんごめん。あんたやあの子にしてみれば、笑っていい話でもないやね。

 ――とりあえず、さ。こっちの旦那にも相談してみたらどうだい? 『ミレニアム』よりは、ためになる話が聞けるかもよ?」

「……おい。どういう意味だよ、それは?」

「そーよ、『ヨランダ』。確かに今までは不真面目だったけど、

 本気になったご主人様にかかれば、他人の色恋の一つや二つちょちょいのちょいなんだからっ」
 

 今度は『ミレニアム』と『チェリー』が抗議の声を上げる。
 
 
 
 

「やれやれ……」
 
 
 
 

 皆の注意が『ヨランダ』へと向いている間に、私は『バーテンダー』に向かってため息をついてみせる。

 このカウンターに留まる事を強いられた時点で覚悟してはいたが、いつものような憩いのひとときとはいかないようだ。
 
 
 
 
 

 しかし――色恋?

 軽く思考を巡らせる。
 
 
 
 
 

 話を聞く限り、とりあえず『モナーク』自身の話ではないようだ(それならそれで、実に興味深いものがあるが)。

 『モナーク』の知り合いについてらしいが……あの子とは誰の事だろうか?

 自分の世界の友人か、それともここの関係者か――。
 
 
 

 ――と、不意に腕の辺りを肘で小突かれた。
 
 
 

「――おい。何一人でぼんやりと考え事をしてるんだよ?」

「ん? ……『モナーク』か」

「『モナーク』か――じゃないっての。人がせっかく『ヨランダ』の言う通り相談を持ちかけようと思ったら」

「相談? 先の話についてかね?」
 

 私の問いに、『モナーク』は頷く。
 

「……確かに、『ミレニアム』とかよりあんたの方がこういう話得意そうだからさ。だから、ちょいと相談に乗ってくれないかな?」

「オーナーの『お気に入り』直々の頼みと会っては、無下に断る訳にもいくまいよ。

 私が役に立つというのなら、付き合おう」

「ありがと。と、その前に……『バーテンダー』?」
 
 
 
 

 彼女の言葉に『バーテンダー』は軽く頷き、注文も聞かずにカクテルを作り始める。

 ……なるほど。相談を持ちかける事への詫びの、つも、り――。
 
 
 
 

「ま、一杯やってくれよ。それはあたしの奢りだからさ」

「…………」
 
 
 
 

 そのカクテルが出された所で、にっ、と笑みを浮かべて『モナーク』。

 彼女としては、本当に相談する事への詫びと、純然たる好意によるものだったのだろう。

 ……だが、目の前の淡い緑色のカクテルは、私の最も苦手とする類の物だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

★グラス・ホッパー『Grass hopper』★

 クレームドカカオ(ホワイト)………1/3(20ml)
 クレームドメンテ(グリーン)………1/3(20ml)
 生クリーム………1/3(15ml)

  材料を十分にシェイクしてカクテルグラスに注ぐ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「……『モナーク』、これは君一流の嫌がらせかね?」

「ん? なんで?」
 

 思わず、口から出た言葉に彼女は眉をひそめる。

 ……迂闊だった。五ヶ月ぶりという事もあって、彼女が酒に関しては限りなく甘党(辛口もいけるらしいが)であった事を忘れていた。

 今の私の顔が余程おかしかったのか、『ミレニアム』が声を上げて笑う。
 

「ははっ、旦那は甘い物が苦手だから。『グラス・ホッパー』なんていう超甘口のカクテルはキツいかもな」

「……そーなのか?」

「ああ。……しかし、『ミレニアム』。

 『バーテンダー』がコレを出すと感付いていたなら、止めてくれても良かったんじゃないないのか?」

「いや、旦那の情けない顔なんてそうそう見られるもんじゃないし。

 その機会をみすみす逃すなんて――」

「あ、確かにそれは言える。あたしも旦那の今みたいな顔なんて見た事なかった」

「…………」
 

 思わず、嘆息。

 この連中にその手の気遣いを求める方が愚かという気はするが、こうもにこやかに応じられるといささか……。
 
 
 
 

「えーと、『エル』? 何なら、別のカクテルを用意させるけど?

 そいつは、あたしが飲めばいいし……」

「……いや、いい。差し出された物を押し返すのは礼に反するしな」
 
 
 
 

 まぁ、それについては後でもいい。

 今は、『モナーク』の相談を聞く方が先だ。

 彼女のの申し出を丁重に辞退すると、私はとりあえずグラスへと口を付けた。
 
 
 
 

 ――口内に広がる、この上なく甘ったるい味わい。
 
 
 
 

 思わずグラスを取り落としそうになるのを堪え、顔が独りでに歪もうとするのを自制する。

 そして、顔を向けなくてもわかる、横からの好奇の視線――。

 まったく……人の好みに口を出すのも何だが、よくもまぁこんな純然たる食後酒を単独で飲んでいられるものである。
 
 
 
 

 これは少しずつ飲んで片付ける事にして、改めて視線を『モナーク』へと戻す。
 
 
 
 

「――で、私に聞いて貰いたい話とは何なのかな?

 端から聞いていた限り、君自身ではなく、君の知り合いについての相談らしいが」

「んー……その事なんだけど、さ」

「ふむ?」
 
 
 
 

 どうも、歯切れが悪い。

 彼女にしては、随分と珍しい(私とて四度目の顔合わせに過ぎないが)反応である。

 先程、『ヨランダ』の評に憤慨していたが……彼女としては、それなりに大きな悩みという訳か。

 やがて、決心が付いたのか『モナーク』が口を開いた。
 
 
 
 

「……実は、『ツァリーヌ』の奴に好きな人が出来たらしいんだよ」

「ほう?」
 
 
 
 

 出てきた名前に、少々驚く。

 その名前は、私の知っている女性のものだった。
 
 
 
 

 ……『ツァリーヌ』とは、この[MOON  TIME]に連なる『魔界図書館』にて、司書に従事している女性の事である。

 彼女は、少々特殊な事情でこの“店”で身を置く事になった事もあり、

 当時は私を含めた『ハイクラス・メンバー』の面々で、色々と世話を焼いてやったりしていた。
 
 
 
 

 ――まぁ、それも外の時間で六年前のこと。
 
 
 
 

 見目麗しく、聡明で穏やかな人柄の彼女は、今では店内の誰からも好まれている存在となっている(この『モナーク』などとは、特に仲がいいらしい)。

 当の私も、彼女の事は実に好ましく思っていたが――。
 
 
 
 

「……それは、驚いたな」

「だろ? 俺達も正直驚いたよ。

 あの子、やや天然っぽいの性格のせいか、そういう話題には縁がなかったし」

「気にしてる男の方は結構居たけど、『ツァリーヌ』様ったらまるで気付いてなかったみたいですからねぇ。

 それが、唐突に好きな人が出来たって言うんだから――」
 
 
 
 

 私の感想に、『ミレニアム』と『チェリー』が同意する。

 口元に浮かぶのは、小さな苦笑。
 
 
 
 

 ――恋を知る前に人生を決められかけた娘が、運命の荒波に翻弄され、巡り巡ってようやく本物の恋を知る。
 
 
 
 

 それは、実に喜ばしい事と言えるだが……反面、寂しく思う者もいるかも知れない。

 メンバーの中には、世話焼きが長じて彼女を『娘』や『妹』のように思う者も居ない訳ではなかったから。

 ましてや、彼女を慕っていた者達からすれば――。
 
 
 
 

「……この事実が広まったら、ヤケ酒を煽りに来る客が増えるだろうな」

「そうですね。狙っていた方もおられましたし」
 
 
 
 

 口から出た感想に、『バーテンダー』が苦笑を浮かべる。
 
 
 
 

 店員達、そして図書館の利用者達の中にも彼女のファンは多い。

 この事が公になれば……その際には、偶然にも居合わせて絡まれぬよう、注意したい所である。
 
 
 
 

「……して、その思い人というのは誰なのかね?

 あの子が見初めたというのだから、そちらの方にも興味が湧くが」

「ああ、それなんだけど――」

「――ストップ」
 
 
 
 

 『モナーク』が開き書けたその時、不意に『ミレニアム』が割って入った。

 話を遮られ、私と『モナーク』は彼の方へと視線を向ける。
 

「おい、『ミレニアム』。何のつも――」

「いや、さ……」

「ふむ?」
 

 彼は、懸命に笑いを堪えているようだった。

 隣の『チェリー』、カウンターの『ヨランダ』も同じ様子である。

 そして、普段ならせいぜい苦笑程度しか浮かべない『バーテンダー』さえ、今回は何とも言えない、困ったような表情を浮かべていた。

 こちらが困惑していると、『ミレニアム』が口を開く。
 

「……実はさ、旦那。『モナーク』としては、偶然にも旦那が来てくれたのは願ったりなんだぜ?

 何せ、旦那も『ヴィオ』と一緒で呼ばれる資格はあったんだから。

 知人の応対でここには来てないど、あの人もまた例の男と接点があったらしいしな」

「資格? 接点?」
 

 彼の話に、眉を寄せる。

 資格とは面妖な話だ。つまり、『モナーク』は敢えて彼らに相談を持ちかけた事になる。

 そして、実は私もその資格があるという。

 とは言え、例の男と接点があると言われても、それが誰だか――。
 
 
 
 

 ――ふと、『彼』の事が脳裏によぎった。
 
 
 
 

「……おい、まさか――」
 

 思わず、声が出る。

 ……正直に言おう。私は、明らかに動揺していた。
 
 
 
 

 こんな冗談のような話があるというのか?
 
 
 
 

 確かに、『彼』を知る者達は、冗談交じりにその『可能性』について話題にしていたらしいが――。

 私が問いを言葉にする前に、『チェリー』が高らかに答える。
 
 
 
 

「――そのとーりっ! な・ん・と! 『ツァリーヌ』様のハートをゲットしたのは、今この“店”で話題の『七股男』、遠野志貴様なんでーす!」

「――――」
 
 
 
 

 ――私は、今度こそ持っていたグラスを取り落とした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

continue………?

 
 
 


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