カランカラン………と、ドアベルが鳴る。
 
「お帰りなさいませ。カクテルバー『ムーンタイム』へようこそおこし下さいました」

 安らぎをもたらす、いつも通りのそれは挨拶。
 
 だが、その日は逆説の助動詞がついた。

「ですが申し訳ございません、
 本日は当店の上級会員の送別会という事で少々騒がしく……志貴様!?」
 
 

「『ノーブル』様! 志貴様がお見えになりましたよ!」

 ヴィオが彼女らしくもなく慌ててパーティー会場に飛び込み、その日の主賓を探した。

 そう、その日は『ノーブレスオブリージェ』の送別会であったのだ。

 彼は会場のステージの上で美女に囲まれて歌っていた。
 

Get Me To The Church On Time(時間通りに教会へ)
 

Jamie, Harry, Friends There's just a few more hours.

That's all the time you've got. A few more hours

Before they tie the knot. Doolittle

There are drinks and girls all over London,

and I've gotta track 'em down in just a few more hours !

I'm getting married in the morning! Ding dong !

The bells are gonna chime. Pull out the stopper !

Let's have a whopper! But get me to the church on time !

I gotta be there in the mornin'

Spruced up and lookin' in me prime.

Girls, come and kiss me;

Show how you'll miss me.

But get me to the church on time !

If I am dancin' Roll up the floor.

If I am whistlin' Whewt me out the door !

For I'm gettin' married in the mornin'

Ding dong! the bells are gonna chime.

Kick up an rumpus But don't lost the compass;

And get me to the church, Get me to the church,

For Gawd's sake, get me to the church on time !

Doolittle and Everyone I'm getting married in the morning

Ding dong! the bells are gonna chime.

Doolittle Drug me or jail me, Stamp me and mail me.

All But get me to the church on time !

I gotta be there in the morning

Spruced up and lookin' in me prime.

Doolittle Some bloke who's able Lift up the table,

All And get em to the church on time !

Doolittle If I am flying Then shoot me down.

If I am wooin',

Get her out of town !

All For I'm getting married in the morning !

Ding dong! the bells are gonna chime.

Doolittle Feather and tar me;

Call out the Army; But get me to the church.

All Get me to the church...

Doolittle For Gawd's sake, get me to the church on time !
 
 
 

「御機嫌ですね、『ノーブル』の奴」

「あれは―――」

 空元気というものですよ、と『バーテンダー』が出迎えの一礼をしつつ静かに応じる。 

「空元気?」

 少しばかり眼を細める。 この志貴のストレスの度合いは――――

 では、彼は結婚を知るまい。

「あの御方は―――明日婿(とつ)がれるのです」

「―――そんな馬鹿な」

 いつしか伝染った異世界の盟友(海神 航)の口癖がつい志貴の口から転がり出た。

 『ノーブレス・オブリージェ』といえば

  自他共に認める『女たらし』で。

 店の看板歌手である『ソノラ』さえ時に独占し。

 異世界の全てにいる恋人や愛人の類を数え上げれば100人は越え。

 あまつさえ志貴自身シオンを寝取られそうになったのは読者諸氏の記憶に新しい。

 その彼が、結婚!?

「あの御方は―――いえ、ご自身の身の上話は自ら志貴様に語られるでしょう。
 今日、ずっと志貴様をお待ちでしたから。」

「?」

「せめて、あの歌は決して陽気に歌っているのではないという証明に―――」
 
 
 

 『バーテンダー』は虚空に訳詩を読み上げた。

「あと数時間 それが残された時間

 あと数時間 年貢を納めるまでに
 

 町に溢れる酒と女 トコトン楽しもう最後の時間を 

 僕の奢りだ!
 

 朝になれば結婚式 教会の鐘が鳴る

 酒をあけろ 大いにやろう

 だが時間までには教会へ

 朝になれば教会へ 一世一代のこの晴れ姿

 恋人たちよ名残のキスを

 だが時間には教会へ
 

 踊りをやめなきゃ簀巻きにし 口笛をやめなきゃ叩き出せ

 朝になれば結婚式 教会の鐘が鳴る

 いくら酔っても忘れるな? 僕を教会へ運ぶのを

 時間までには教会へ

 朝になれば結婚式 教会の鐘が鳴る

 テーブルを持ち上げられる力持ち 頼むぞ 僕を教会へ

 飛んでいたら撃ち落せ 口説いていたら女を追放

 朝になれば結婚式 教会の鐘が鳴る

 なぶり者もよし、軍隊を呼ぶもよし
 

 とにかく時間には教会へ!
 

 朝には彼は結婚式 教会の鐘が鳴る

 酒をあけろ 大いにやろう

 朝には彼は結婚式 教会の鐘が鳴る

 この時とばかりにめかしこみ

 恋人たちよ名残のキスを

 踊りをやめなきゃ簀巻きにし 口笛をやめなきゃ叩き出せ

 一服盛るか 投獄か 切手をはって郵送するか
 

 とにかく時間通りに教会へ!」
 
 

「……ヤケクソな歌だね」

「あぁ、志貴!」

 ととっ、と小駆けて当の『ノーブレス・オブリージェ』が、キスマークのお化けになって現れた。

「お祝いは言ってくれないのかい? 皮肉入りでもいいのだが」

 相等酔っているようで、彼は『バーテンダー』に指摘されるまで気付かなかった。

「『ノーブル』様、こちらの志貴様は貴方様と親交ある志貴様ですが……」

「?」

 訝しげな光が『ノーブル』の酒精をたたえた目に走った。

「『ハーレム』は、まだお持ちではありません」

「!!」

「?」
 
 

『時間通りに墓穴へ』(前編)






 先程の『バーテンダー』の発言によって少しばかり『ノーブル』は態度を改め、志貴にスツールをすすめた。

 自らも志貴の隣にかけると『ノーブレス・オブリージェ』を注文する。

 今日は別のスタイルらしい。
 

★貴族の責務『Noblesse Oblige』★
  バーボン………1/3

  ドランブイ………1/3

  ベルモット(『ガンチア』ロッソ)………1/3

  オレンジ・ジュース………2tsp

    シェークして、カクテル・グラスに注ぐ。
    オレンジ・ピールを搾りかける。
 

 一口、まるで覚悟を決めたかのような表情で飲み干すと、ぽつりと言葉が彼の形のいい唇から転がり出る。

「志貴、そういえば言ってなかったな。 実は私は大衆的に過ごすのが好きだ。
 下卑た酒場も、阿片窟も、小汚い劇場も時に立ち寄る。
 そんな私はさぞかし普通の人間から見ると嫌な奴に見えるだろう?
 だがそう見られるのが私は好きだった。
 その『普通の』人間は私が私であることを知らぬのだ。
 私は私の世界で副宰相で統合幕僚会議会員で元老院議員だ」

 予想外に高い地位に志貴は目を見張ったが、一瞬後には納得した。

 こちらの世界の常識など通用するはずもないのだ。

 文字通り別世界なのだから。

「そして、自慢ではないがこの若さで『表』での功績は伯父上にさえ勝っている。
 そんな私を侮蔑したら、そいつは更に客観的な存在からどれだけ侮蔑されるのだろう?
 そんな事を考えながら人知れず乱行するのが好きだったのだよ」

 悪趣味、という領域ではないだろう。

 わかっているのだ。

 だが、普通に快楽を楽しむのにも飽いたのだ。

 十二分過ぎる才能は彼から普通の楽しみを普通に楽しむという大衆じみた事を許してくれなかった。

「だが、大衆的に過ごしてはみても大衆と交わったことは無かった、
 が、先日、試してみてね――」

 それは、いつも高級なデザートを食べている彼が触れるつもりもなかった駄菓子に挑戦したようなものだった。

「そんな意外そうな顔をしないでくれないか」

 志貴のぽっかりと開いた口に苦笑を浮かべつつ『ノーブル』はグラスを傾けた。

「面白いものだった――――
 『大衆の日常』、その体験を戯曲にするならそんな題名をつけるだろうが、決して売れまい」

 貴族には醜悪に映るだろうし、大衆には当たり前の事しか演じられていないからな、

 と付け加えるとまた新たに会場入りした女性に手を振る。

 慣れているのだろう、彼女は微笑を浮かべながら招待された席について『ノーブル』を見つめるだけだ。

「しかし、私には非常に刺激に満ちた、同時に刺激の無い日々だった。
 労働に耐え、家族と団欒を持ち、酒場で貴族の悪口を言い、時に道を踏み外しては喧嘩をするのだ。
 それが長く続くとこのままでもいいかな、と思えてきて――――危険だな」

 単純な肉体労働に慣れてしまうと、精神が肉体に引き摺られる傾向を彼は自らを実験台として見出した。

 つまり、労働に耐え、疲労して帰宅し、ほんのわずかな自由時間を楽しむというルーティンワークに体が慣れ、

 また同時にそれに対し精神はその状況の維持を試みる。

 結果、思索にふける事も芸術に触れる事もしないインスピレーションなど湧かない働き蜂のような大衆が出来上がる――――?

 そこまで考えるとゾクリと背筋が冷えるのを感じて彼は自らの豪邸に立ち戻ったのだった。

 それはさておき。

「志貴、……頼むからその鳩が豆鉄砲食らったような顔を戻してくれ」

 大事な話をするのだから。

 舞台俳優の様な自然さでホールの中央に彼は立った。

 尤も、俳優にしては気品がありすぎ、適任な役がかなり制限されてしまう。

 やはり生粋の『カリスマ』か。

 綺麗に響くテノールが会場中に届いた。
 
 

「だが、彼らの視点でなければ見えぬものを多々得られた―――諸君(レディス)、この志貴のお陰で私は王族になる覚悟を決めたのだ」
 
 
 

 ガタン!と一斉に会場の椅子という椅子が倒れた。

 招待客全員(志貴以外全て女性)が椅子も引かずに立ち上がったのだ。 

 彼女らは、送別会としか思っていなかったようで、この決意表明には狼狽することしきりだった。

「ルー……『ノーブル』様!?」

 危うく『ノーブル』の本名を呼びそうになりつつも、

 彼の恋人の一人は血の気が引いた白皙の頬を震わせつつ呼びかけた。

「いいんだ。 いいんだよエリーゼ」

 寂しそうな笑みだった。

 いつもエリーと呼ばれる彼女はテーブルに突っ伏して嗚咽の声を漏らした。

 愛称で呼ばないときは彼が本気である事を知っているのだ。

 会場の女性達も同様らしく、気丈な才媛風の女性と人生経験豊かな人妻風の女性十数人以外は皆彼の為に泣いている様だった。

「いいんだ……それに、ずっと一緒だ」

 一人一人に声を掛けつつ、睦言を囁いていく『ノーブル』の器用さと会場の空気の双方に志貴は身じろいだ。

 そして、そんな志貴の目に泣くでもなく、ただ慈しむように『ノーブル』を見つめている『ソノラ』が映った。
 
 

 一段落すると、意外な事に彼はまた志貴の隣に戻ってきて語りだした。

 しかも、話題は随分と飛んで彼の世界の神話だ。

 志貴は何度か注意したが彼は「まぁ最後まで聞きたまえ」と言って聞かない。

 女性陣も諦めているのか、納得しているのか、弁えているのかのどれかで睨んでは来ないので志貴もまた諦めた。

「――――私の世界の神は、君の世界の神より余程寛容だ。 逆に、単純と言えなくもない
 彼は君の世界とある程度似た我々の世界を作り終えてから考えた。 私が教師であれば赤点をつけるような酷いシステムを」

 全く、全ての存在が幸福でない世界を作って何が神か、と毒づいて『ノーブル』はガスライターを取り出しつつ、

 『バーテンダー』に指示して換気扇を回させた。

 『バーテンダー』が一礼して指を弾くと『ノーブル』の真上に換気扇が現れた。

「自らの力を2つに分ける。
 『執行』と『浄化』だ。
 そこには君の世界のような善悪二元論はない、ただ善があるのみだ。
 『執行』は王族が担当する。
 『王』は他者より圧倒的な才能と力を所有する。
 王子や王族は唯の人間だが、『王』は神の片割れだ」

 で、あるからして『王』に捧げられる尊敬は志貴達の世界のそれとは比べ物にならない。

 政教一致の神聖帝国と言える。

 版図は世界の9割を占め、残るは異民族の集落国家が点在するのみで敵も無い。

「『王』はその実力で民を安らげ善政を敷く。――――それが義務だ」

 言い切って、ライターで葉巻に火を点ける。

 ライターの澄んだ開閉音が静かな会場に響いた。

「とはいえ『王』でも死ぬ。 死んだら今度は王族の誰かに『執行』因子が発現する」
 一方、我ら貴族は『浄化』が担当だ。
 誰が、とは決まっていない。
 いつスイッチが入るか、それすらもわからない。
 ただ、『王』が堕落した、そう彼の中の神の因子が裁定を下した瞬間に―――」

 演説に熱が篭る。

 恐らく、そこが佳境なのだろう。

「貴族のうちの誰かに『革命家』としての因子が発現する!
 『革命家』は『王』を打倒すると今度は自らが『王』として『執行』も行う為そちらの因子も発現する。 一瞬とはいえ神となる。
 僕は僕こそが『革命家』となり、『王』を打倒し、自らを研究し、エゴで世界を作った神を抹殺するつもりだった! だというのに!」

 端正な口元にくわえられていた葉巻がギリ、と悲鳴を上げた。

「あのバカ―――僕にプロポーズをしたのだ!! 11歳で!! 消せない血の盟約を以ってして!!
 僕の世界の『王』―――女帝陛下は―――僕より年下だ、僕が侍従長を仰せつかってより、初めてにして唯一の上司だ……
 殺せるもんか、十中八九『革命家』は僕だと誰もが睨んでいるが―――」

「落ち着いて、ルーカス」

 『ノーブル』の肩が強く揺さぶられた。

 先程泣かなかった女性の一人が唇が触れるほど顔を近付け『ノーブル』を見据えていた。

「今上陛下を弑し奉って盟約を取り消せばいいでしょう!?
 臣下の意志を確かめもせず結婚を迫るなど暴君以外の何ですか!
 幼少で幼馴染だから殺せないなどとそれでも帝国史上最大の殊勲者ですか!?」

 どこかシオンに似たその美女は貴族なのか、『ノーブル』に敬語を使いながらも対等に見えた。

「無理だ」

「ルーカス!」

「統計学上、その程度でスイッチは入らない」

「ルーカス……ッ!」

「寧ろ最良の選択とされてしまうだろう――――あの我侭な遺伝子に」

「決断しろ!! 帝国副宰相、ルーカス=フェルディナント=フォン=ヴィレンシュタイン!!」 

 嘆息して首を振ると、『ノーブル』の金褐色の前髪がさらりと落ちて彼の表情を隠した。

 会場が沈黙に支配されるかに見えたが、静寂はすぐに破られた。 

「見損なったよ、『ノーブレス・オブリージェ』」

 志貴の声は『ノーブル』のそれよりも柔らかいが、その舌鋒は苛烈であった。

「君はそんな幼い彼女を何年、その恐怖に震えさせたんだ?
 彼女が震えるその瞬間に他の女を何人抱いた!?」

「518人だな」

 仕える主の事等何とも思っていないのか、軽侮するように正確な数字が挙げられた。

「っ! 彼女の気持ちを考えた事があるのか!」

「ああ、勿論」

「その上で彼女の精一杯の気持ちから逃げるのか!?」

「うんざりだね」

「それが、貴族の責務を名乗る人間のする事か!!」

「……たわけ」

 考えてもみるがいい、好きでもないタイプの幼女に強制的に求婚されて喜ぶものか。

 世間体も問題だ、幼女趣味などと思われたらどうする?

 今後美しい華を見出しても手折りにくくなるではないか。

 いや、それ以前に彼がなるのは世界の覇者の婿である。

 立場が立場だけに現在彼が自宅に有しているハーレムさえ維持できるか。

 彼女の求婚は結果的に彼だけでなく多くの女性を不安に晒しているのだ。

 そんな女をどうして好きになれようか? 

 そして、それ以前に彼女が恐怖に震える?

 ありえない。

「我ら貴族、そして王族は死など恐れんよ。彼女にしても例外ではない。
 我ら貴族、同じく王族、常に重責を担い、自由を失い、かわりに豪奢な生活を営む。
 表面しか見えん大衆には、そうした豪奢な生活はさぞ羨ましかろうさ。
 だがね」

 それでも大衆の為に。

 否、帝国臣民150億の為に。

 迎合せず、媚びず、奢らず、誇り高く。

「君の国で例えるなら皇族、それから政治家で言えば大久保利通、さらに遡って武士を挙げれば清水宗治。
 彼らの偉大さ、無私、決断力。
 あれこそが貴族に相応しい。大衆に選ばれなくとも、大衆に嫌われようとも、最終的な目的は大衆の為の善政なのだ」

 数少ない認める相手であるところの『エル・プレジデンテ』の由来を聞いても彼はそれを唯々受け入れる訳ではない。

 大衆に有能な人間を選出する能力はないと確信している為だ。

 否、あったとしてもまだ可能な段階にないのだ。

 その段階にない以上大衆を動かすにはマキャベリズムを以てすべきである。

 曰く、君主は敬愛されるよりも畏怖される方がよい。

 故に、『ノーブレスオブリージェ』は、

 『帝国副宰相・帝国軍参謀次長・帝国元老院特別顧問ルーカス=フェルディナント=フォン=ヴィレンシュタイン』は、

 叔父のような大衆受けがいい行動はしない。

 効率を重視し、反対意見を封殺し、強権を以て政策を実行する。

 敬愛されるのは叔父だけで十分だと考えている。 

「あぁ、君と口論をするつもりはなかったのだがな―――少し酔ったか」

 やはり酒はいい、とこんな時に『ノーブル』は思った。

 こいつがまた罪を着てくれる。

 『バーテンダー』にあとで一杯奢ってやろう。

「結局、僕にその決断をさせたのは君なのだ、感謝しているよ。
 僕は彼女の望みに応え、いずれは神の因子を抹殺する……本来は、結ばれる前になんとかしてやりたかったのだがね」

 志貴の仏頂面はまだ直らない。

 まぁいいさ、とばかりに紫煙を上に飛ばした。

「いずれわかる、君は僕すら変える存在になる。 彼女達を守る為の責務を負うのだ」

 とっておきの女殺しの笑顔で言ってやる。

「せいぜい、苦しむがいい」

「な!?」

「君の前途には多大な災難がそびえているぞ。 しかし乗り越えねばならん。 それが、貴族の責務だ」

 『ノーブル』はフラリと立ち上がる。

「そして―――これが」

 女性陣、いやはっきりと恋人達と書こうか。

 彼女等もまた立ち上がる。

「貴族の責務の執行」

 貴族の責務で最も嫌なものは何か。

「王に命ぜられれば、命さえ投げ出す―――いわんや、体など」

 意に添わぬ政略結婚だ。
 
 

「―――――――例え彼女を反吐が出る程嫌いでもな」
 
 

 酷く冷たい声がカウンターに響いた。

「ふはっ、あっはっはッはっはッは!」
 

「飲みすぎだよ『ノーブル』、彼女達に悪い」

 流石に志貴は止めた、が。

「彼女達は皆わかってくれてるんだよ、志貴」

 幼くて綺麗な癖に人の悪い笑みに出迎えられた。

「僕が人夫(ひとづま)になっても……この表現はアレだな、
 皇婿(プリンス・コンソート)になっても、僕を愛してくれる娘を呼んだのさ」

 くるり、とターンする。

「第一」

 ズパッ、と右腕を挙げるとオーケストラが現われ

「僕が本来の世界で他人の夫になろうが」

 いつしか『ソノラ』が舞台の中央にいた。

「他の世界では独身なんだ!!」

 指揮者『タクト』が両腕を上げると

「なら! より多くの他の世界に行けるようにする! それが男の甲斐性というものじゃないか! なぁ、皆!?」
 

『がんばって』
 

 神様にあやまりながら

 ライバルたちの不幸祈った
 手に入れたい恋の前じゃ

 タフにもならなきゃ
 

 なのにデートの朝に
 風邪を引いたり なんてサエない
 くたびれたパジャマで
 もう ふて寝しかない

*Hey Hey がんばってね
 せいぜい がんばってよ

 So So がんばってみて
 巧みにGETして
 Hi Hi がんばってね
 いいわ がんばってよ

 Gan Gan がんばってちょ

 あなたらしくやってね

 ホケツトが軽い日曜日

 ムダに晴れてる空がニクイ
 冷蔵庫には何もない
 Pay dayは明日
 

 カッコ悪いこんな日に
 「デートしよう」と 彼女の電話
 お金のかかる恋

 それってどういうもの?

 *繰り返し

 なのにデートの朝に
 風邪を引いたり なんてサエない
 くたびれたパジャマで 鼻をかんで
 もう ふて寝しかない

 *繰り返し

 Hey Hey がんばってね
 せいぜい がんばってよ

 So So がんばってみて
 明日はよくなる

 Hi Hi がんばってね
 どんどん がんばってよ

 Gan Gan がんはってちょ

 あなたらしくやってね
 

 サビの部分が『ソノラ』に、他の部分は『ノーブル』ラバーズの合唱で謳い上げられた。

 選曲も、展開も全てわかっていたようでその相互理解に志貴は度肝を抜かれた。

 ホールにガキンガキンとヒレをかち合わせたような拍手が響いた。

「まるで、ミュージカルロリね」

「『未知との遭遇』――どこから出てきたのだい?      という野暮な問いには答えてくれないのだろうな?」

「話は聞いたロリよ……さて、『貴族の責務』」

「?」

「てめぇの血は何色ロリかぁぁぁーーーー!?」

「な、殴ったね、両親どころか伯父上にも殴られた事無いのに!」

「知るかこのブルジョワがーー!」

 まぁ予測できた展開だが、と思いつつもふと志貴は疑問を感じた。

「……ダイヤモンドさえ切り裂くヒレで殴られたのになんで頬が腫れるだけなんだ?」

「美形だからよ」

 何言ってるの?     と瀟洒なドレスを纏った美女が艶やかに微笑んだ。

「『ノーブル』様は格好イイから大宇宙の法則に守られてるのよー」

 カジュアルなパーカーを羽織った少女は楽しそうに胸を張った。 

 女性陣の多彩さには敗北感を拭いきれない。が、

 知り合いの中で最大の美形のアルクェイドは結構傷ついてた気もするのだが。

「11歳ロリよ!?   その希少価値と自らの僥倖さがわからんロリか!?」

「知るかっ! 仕方ないだろう、好みじゃないんだ!」

「美人じゃないのかな?」

 誰にともなく呟いた言葉には、しっかりと返答が返ってきた。

「いや、将来間違いなく美人になる。 神の因子が発現しているからな」

「お帰りなさいませ。カクテルバー『ムーンタイム』へようこそおこし下さいました。 招待状を確認させて頂きます」

 本日の主役は珍しく男性を何人も呼んだようだった。

「『エル・プレジデンテ』……貴方までおいでとは」

「わざわざ招待状が来たよ……全く、道化るのが好きな困った甥だ」

 苦笑して『エル・プレジデンテ』がいつもの席に付く。

「じゃあなんで『ノーブル』の奴嫌がってるんですかね?」

 挨拶を済ませてから志貴は会話を戻した。 

ノーブル(あれ)は、あれなりにソノラに操を立てているらしい」

「「「「はあぁぁっ!?」」」」」

 『ムーンタイム』開店以来、『バーテンダー』は初めて手を滑らせ、グラスを割った。
 
 

―――店中の注目が集まり、怒号と溜息と歓喜の叫びが入り混じる。

 どうやら賭けの対象であったらしい。

「大穴だ!」

 という叫びが数箇所で挙がっては叩きのめされ、あるいはたかられる。
 
 

「操、というのは誤謬があったな。 謝罪の上訂正しよう。
 言ってみれば『ソノラ』が例外中の例外なのだ、あれにはな」

 語りだした『エル・プレジデンテ』を囲むようにして

 カウンターに一般客が集中したのは自然であったろう。

「あちらの招待席を見てもらえばわかって貰えようが、
 あれは滅多に自分より立場が弱い女以外相手にしない。
 ある時は下級貴族の才媛、ある時は農家の素朴な娘、またある時は大貴族の妻……とあれの趣味は多彩だが、
 我が国において奴より強い立場の者など数える程度しかいない。王族でさえ奴に睨まれれば臣下に落とされる恐れが十分にある」

 実際『ノーブル』に帝国軍最高司令官と帝国宰相を兼任させたところで誰も違和感は感じないだろう。

 恐怖に慄く事はあっても。

 それが為されないのは一重に年齢と爵位の問題である。

「それにあれは初代『カリスマ』のお気に入りだ、限られてはいるが他の世界にも行く。そこでも同様だ。
 地位権力だけではない、頭脳にしろ剣技にしろ容姿にしろ最高だ。叔父馬鹿に聞こえるかも知れぬが
 あれは『執行』因子を持った突然変異なのではないかと噂されるほどだ。
 そんな男が心まで読めるのだ、自分に靡く華を手折るのがどれだけ楽だと思うかね」

 自分に好意を持っているのがわかればそのまま抱くのは容易であるし、

 気にいらないと思われている点があれば相手の前で出さなければいい。

「あれの恋人は自分に靡いてきた相手が大半だ……
 残りかね? 気にいった相手に手を変え品を変えだよ。
 何度も言うが心が読めるのだ。
 ―――簡単だろう、燃え上がるのも、消え入るのも」

 相手の心に少しでも打算が見えれば興味を失う。

 余程他に魅力があれば別だが。

「結果、残っているのは大抵従順であれを崇拝する娘やあれ無しでは生きてはいけない哀れな娘達だ。
 あれは恋をし過ぎて愛を知らぬのだ」

 と、そこまで言うと横で伸び伸びと道化る甥が彼の視界に入り目を細めた。

「否、知らなかったと言うべきだな。
 私も、胸に覚えがあるからあれの乱行を諌め切れなかった。
 一族二代に渡ってこの店の世話になったという事か」
 
 

 横では『ノーブル』が極小携帯モバイルから「ホログラフ&擬装肉体&声色編集済み『マヤ』ちゃん」を取り出していた。

 殴られた返礼はしっかりとするつもりらしい。

「お兄ちゃんなんてだいっっっ嫌い!! 死んじゃえ!!(涙目」
(※ノーブルの極小携帯モバイルから出したホログラフ&擬装肉体&声色編集済み『マヤ』ちゃん)

「モケーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」

 カービィがゲームオーバーになったかの如く、額に水夢と書かれた生き物は目を回して倒れ伏した。

「ひゃっほう! 神殺し達成! 声色編集マンセー―!」
 
 

「「「「…………」」」」

 カウンターに沈黙が訪れ、しかる後に笑いの渦が巻き起こり、最後に全員が脱力した。

「立ち直り早いな」

「完全復活、と言ったところですか?」

「神は何考えてあいつに無駄に大量の才能与えたのやらね」

「先生……本当に神様は何の意味も無く力を与えたりしないんですか……」
 
 

 そんな男性陣を気にかけもせずに軽快に舞台に飛び乗ると再び『ノーブル』は指示を出した。

「さぁ『オーケストラ』諸君(レディス)、演奏だ! 『タクト』! いつものを頼むよ!」
 

『Mr. Moonlight-愛のビッグバンド- 』

「ちょいと生意気っぽい青年 ちょいと粋なステップで Up Side Down」

「割と泣き虫っぽい青年 みんな弱いもんだぜ Up & Down」

「だからあわてず行こう青年
そうさ人生つまり Step By Step
まあ BABY BABY 今夜は Forget
オ・ド・リ・ませんか!PARADISE」

「(Mr. Moonlight)今夜誓うよ
(Mr. Moonlight)出来るだけ
(Mr. Moonlight)愛しているよ
(Mr. Moonlight)たぶんきっと
(Mr. Moonlight)愛しているよ
(Mr. Moonlight)出来るだけ
(Mr. Moonlight)愛していく
Be Up & Doing!
The Future Is Mine!」

「Yeah!」

 と、最後に青年の唇が動いた。

 軽薄な大衆受けしている曲の最後に、よくアドリブで付け加えられる
英語の一節を謳い上げれば、それで終わり。

 その歌の男役よろしく『ソノラ』を抱きしめて、

 唇が触れ合う寸前まで顔を近づけるところまで再現し終えると、 

 心底楽しそうな笑顔で彼女の手を取って青年はカウンターのスツールに飛んでくる。
 
 

「―――その曲も、今日で謳い納めですか、『ミスター・ムーンライト』」

「そうだね」

 その日、何度目になるかわからない自嘲の笑み。

「これで演じるのは終わりなんだ、『バーテンダー』。
 舞台の幕は閉じて、ラストダンスだ――そして僕の人生は墓場へと向かう!」

 高々と杯が掲げられると、その単一色の世界に一人の男性が映っていた。

 その人物に気付くと『ノーブル』はトン、と舞うようにスツールから降りつつ向き直った。

「ジョヴァンニ! 来てくれたか!」

「あぁ、今宵は新月か『Mr. Moonlight』!?
 君が結婚するから送別会をするなどという馬鹿な招待状をレポレロが持ってきた! 嘘だと言ってくれ!」

「……誰?」

 『ノーブル』の男友達というのは非常に珍しい。

 そう強そうでも無く、かといって学者風でもないその男性に親しみを込めながら

 自分の隣のスツールを勧める『ノーブル』が、志貴の目には奇異に映った。

 それに、『ノーブル』のカクテルネームは『貴族の責務(ノーブレス・オブリージェ)』でありながら、

 先ほどから『ミスター・ムーンライト』と呼ばれている事も気にかかる。

「紹介しよう、志貴、僕と君の根源の始祖だ」

 つい、と自然であるかのようにカウンターに用意されたカクテルを手に取ると

「『エル・プレジデンテ』と同じ読み方をするならば私の名は『ドン・ファン』と呼んでくれたまえ、初代カブキ!」

 一気に飲み干して陽気に色男は挨拶した。
 

ドン・ジョヴァンニ『Don Giovanni』
 

モーツァルトチョコレートリキュール30ml

アマレットリキュール10ml
 

シェークしてカクテルグラスに注ぎ、ホイップドクリームを中央に盛る。
 
 

続く


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

後書

 ノーブルが「あの後」どうなるのか?というご質問を多く受けて、

 蛇足ながら続編を書かせていただきたく思い、LW夫人にお願いして投稿の運びとなりました。

 『ノーブレスオブリージェ』は私EIJI・Sのオリキャラであります。

 彼が住んでいる世界も神の在り方も彼の性格や設定に合わせて作りました。

 「完璧な印象」という感想を頂きましたが、あのように恵にコールド負けした理由は、

 キャラがよくも悪くも作者の分身であるといういい見本であると感じている次第です。

 とりあえず彼も一歩前進している点と、

 負けたからといって素直に忠告聞いて改心するような中途半端な思想の持ち主でない点、

 そして最後に彼と志貴の奇妙な対比と友情を書き切れれば、という決意を以って

 後編に繋げたく存じます。

 それでは、ごきげんよう。