ドン・ジョヴァンニ。

 スペインの伝説上の人物。美男の好色漢、愛の遍歴者として多くの文学作品に登場する。

 モリーナの戯曲「セビリアの色事師と石の客」が原型。

 モリエールの喜劇、バイロンの長詩、モーツァルトのオペラなどで有名。ドン=ジュアン。ドン=ファン。

 上記の意味から転じて漁色家。女たらしの代名詞。
 
 

「――――何で彼が俺の根源だ!?」
 
 

 志貴の抗議に援護射撃は皆無で、それどころか店中の冷たい視線を浴びる羽目となった。
 
 

『時間通りに墓穴へ』後編




「しかし、正気かね『Mr. Moonlight』」

「(スルーかよ)」

 見事に志貴の抗議は無かった事にされ、『ドン・ジョヴァンニ』は深々と嘆息した。

「何、君が来る前にも公言したが僕は僕だ。 他の世界に行けば独身だし、他の世界には多くのまだ見ぬ美女がいようさ」

 先程の志貴との会話や女性達の応援で吹っ切れているのか『ノーブル』の表情は明るい。

 『ドン・ジョヴァンニ』はそんな『ノーブル』の一言に反応して片眉を跳ね上げた。

「『Mr. Moonlight』、君は貴族の範だが一つ大事なモノが欠けているぞ」

 はふぅ、とまた嘆息が志貴の耳を突いた。

 それは意外にも『ノーブル』の口から吐き出されたもので、二重に志貴を驚かせた。

 むしろ『ノーブル』が『ドン・ジョヴァンニ』に手袋を投げつける方が自然だ。

「もう諦めているのだよ」

 志貴の表情から心情を読み取った『ノーブル』は苦笑した。

「いいかね、我々美男子はあまねく女性全てに愛を振りまいてやらねばならんのだ……」

 ふんぞりかえって演説する『ドン・ジョヴァンニ』。

 流石は女たらしの根源である。

「撃墜数が自慢のエースだと思ってやりたまえ。 それ以外はいい奴だ」

 お前が貴族風を吹かす以外はまぁいい奴だと同じことかな、

 とこっそり『ノーブル』から目線を外して志貴は考えた。

「そうとも、君が人外にこだわる様にね」

「こだわってないっ! いや、それよりも――――」

 何で顔を背けたのに?

「いつまでも僕が読心術(リーディング)にばかり頼る理由はない。

 『男子三日会わざれば活目して見よ』といったところかな」

 ふと、志貴はその時気付いた。

「あれ、『ノーブル』、いつから一人称変えたんだ……?」

「いや、意識して変えている訳ではないのだがね……
 ただ安心していると一人称が僕になる傾向があるらしいな」

 それは、明日不本意な婚姻をする青年らしからぬ、柔らかな表情での述懐であった。
 

「一人称で思い出した」

「?」

 志貴は「はっ」と顔を上げた。

 彼自身も大分まわってきたらしい。

「『ノーブル』のカクテルネームは『貴族の責務(ノーブレス・オブリージェ)』だろう?
 何で『ドン・ジョヴァンニ』は『Mr. Moonlight』って呼んでるんだ?」

 くっ、と横で『ドン・ジョヴァンニ』が笑うのが垣間見えた。

 『ノーブル』は幾分自嘲じみた苦笑を浮かべると志貴の方に向き直った。

「……今でも語り草になっているが、僕は自分からカクテル・ネームをリクエストしたのだよ」

 人間というものは不老不死になろうが、天才であろうが変わらない。

 昔というのは恥だ。

 親戚の人間に、昔どんな事を子供らしくしたかなどという話をされて

 相手を絞め殺したくなる事は誰にでもあるのではなかろうか。
 
 

「『貴族の責務(ノーブレス・オブリージェ)』を名乗りたい」

 野心と知識欲に燃える少年は幾分仰け反ってオーナーに放言した。

「結構ですよ」

 それをさらりと流したオーナーも語り草だが、それに追加したのは『バーテンダー』であった。

「ただ、カクテルネームは複数名乗れまして……こちらから進呈しようとしたものも御座います、宜しければ併用願えませんか」

「それは?」

「『月下旅人(Mr. Moonlight)』」

 詩的で気に入ったので許可したが、この名前は実に意味深長だったのだ。

 複数の平行世界を旅するという意味と

 月下、つまり夜の旅人(つまりは夜に女から女へ―――)という意味と

 最後に、彼が好んで演じるミュージカル仕立ての曲名。
 
 

「若かったよ、全く」

 今でも十二分に若く、そのくせ擦れている青年はグラスを傾けつつ嘆息した。

「さて『Mr. Moonlight』、昔話も終わったところで聞くが今日来ているのは招待客だけか?」

 会話が途切れたのを見て『ドン・ジョヴァンニ』は『ノーブル』にせっついた。

「あ、あぁ……そうだが……?」

「では女性はお前が招待した娘ばかりではないか!

 一般客も入れてやれ! ただで飲み食いさせてやろうではないか!」

「そうだな、しばらく来れなくなるだろうし……」

「ようし決まりだ! では指示を出そう!」

Finch' han del vino

Finch' han del vino calda la testa,
Una gran festa fa' preparar.
Se trovi in piazza qualche ragazza,
Teco ancor quella cerca menar.
Senza alcun ordine la danza sia,
Chi 'l minuetto chi la follia,
Chi l' alemanna farai ballare.
Ed io frattanto dall' altro canto
Con questa e quella vo' amoreggiar.
Ah la mia lista doman mattina
D' una decina devi aumentare.
 

 クックッと『ノーブル』が喉の奥で笑う。

「相変わらずだ」

「底抜けに明るい曲だな……」

「歌詞も洒落にならない程に底抜けだ」

 笑いながら貴公子は通訳する。

「『シャンパンの歌』

 皆が酔いつぶれるまで

 華やかな宴を張ろう

 広場で娘を見かけたら一緒に連れて来い

 順序構わず躍らせろ

 メヌエットにラ・フォリア

 それにアルマンドだろうと

 何なりと構わず躍らせろ

 その間にこの女あの女と私は恋を楽しむのだ!

 明日の朝には名簿に10人ばかり名が増える。

 10人ばかり女の名が増えるのだ!」

「うっわ……」

「まぁ、そんな彼であるから、最後には地獄に落とされたわけだ。

 全くキリスト教の神というのは狭量だな」

 この男もまた女たらしで貴族であり、神を憎む。

 『ノーブル』と気があう訳だ。
 
 

「なぁ、『ノーブル』、神は……」

 志貴はふと「先生」の昔の言葉を思い出した。
 
 

『かみさまは意味もなく力を与えたりしない』
 
 

「神はそれほどまでに憎むべき存在なのか……?」

 志貴は仮に神がいても然程殺意を抱かない。

 確かに、アルクェイドや琥珀の運命を思えば、彼の描いた筋道に異議はある。

 しかし、生まれる事もなく、彼女らと会えなかった事を思えば……

「神の定義によるな」

 意外に、あっさりとした返事であった。

 神の因子を抹殺しようとしている男にしては飄々としており、分析的に過ぎる感が否めない。

「あぁ、僕が神は憎むべきだ!と断言しないのが不思議かね?」

 別に神全てを憎んでいる訳ではないよ、と灰皿で消えた葉巻を弄びつつ『ノーブル』は説明する。

「僕は君の国やギリシャの神々はそう嫌いではない。
 というか神を皆殺しにしようとしたらこの店で何回神話級の大戦をせねばならなくなるか」

 嘆息し、『ノーブル』は志貴の方に向き直った。

「だから、君が憎むべきはキリスト教の神だ」

「……え?」

「キリストを憎め! アメリカを憎みたまえ志貴!

 本来君は七夜という退魔の一族だったのだろう?

 血族保存の為に妾を持てたのではないか。

 その権利を奪ったのはアメリカでありキリスト教の掲げる一夫一妻制だ!」

 大声で叫ぶのではなく、言葉の隅々に凄みのある主張だった。

 一つ一つに事実が裏打ちされていて、それは説得というより神託のように厳かで、

「べ、別に妾なんて欲しくない」

「では君は恋人全員をメイドにして孕ませ、非嫡出子を産ませるのかね?

 そんな在り方を社会は認めてくれん。

 君の祖国は一昔前なら寛容だったが一夫一妻制を強制されて数十年、それが『常識』となってしまったからな」

 それでいて苛烈。

 神をただ憎んでいるのではない。

 憎むに十分な原因と理由があるからだ。

 とはいえ

「ま、君は誰かを本妻にして残りを妾という訳にもいかんか」

 急速に冷えた『ノーブル』は苦笑を浮かべてカウンターの向かいにあるソファに腰掛けた。そこは彼の指定席。

 翡翠と琥珀は使用人であるし、アルクェイドは形式にこだわらないからともかくとして、

 一夫一妻という観念にこだわりそうな秋葉とシエルと都古は問題だ。

 同情するように首を振ると、恋人の一人が持ってきた水を受け取って美味そうに口にした。

「『ノーブル』様」

 『バーテンダー』がニコリと笑みを浮かべつつ一礼してうがい薬をカウンターの上に置いた。

「うむ?」

「葉巻を吸われましたのでうがいをお勧め致します」

 ワインが供されるようだった。 
 

「以前ご依頼になったものです――――ロマネ・コンティ。 1789年」

「1789年?」

 志貴は首をかしげた。

 以前聞かされた秋葉の講釈によればワインには飲み頃というものがあるという。

 上質のそれは100年持つ。

 もちはするが、それは既にピークを越えていて最高の状態とはお世辞にも言えない。

 ましてや200年以上となれば。

 傍らで『ノーブル』の澄んだ笑い声が上がる。

「うん、ワインの知識を得たのはいいが、それが先行してしまって大事な事を忘れているね、志貴」

「え?」

「1789年、フランスで何があったか」

「……あっ!」

 フランス革命。

 ―――それが『貴族の責務』にとってどれだけ身の程知らずな革命に映るかは想像するまでもない。

 コンティ公が所有していたワイナリー、ロマネ・コンティがそんな年にワインが作れたか?

「ありえない」

「そう、ありえないワインだ」

 だからこのMoonTimeで注文した。

「ちなみにこのワインは飲み頃の年で止めてあるから心配しなくていい……

 さぁ、開けてくれないか『バーテンダー』?」

 『バーテンダー』は流麗な動作でコルク栓を抜き取り、確認した。

「丁度飲み頃かと存じます」

 というその言葉は彼には珍しい皮肉だろう。

 酒の神としては、酒の時間を止めるのが不本意だったに違いない。

 『ノーブル』の前に置かれたワイングラスに少量注がれ、彼がテイスティングしてから周囲の人々に配られた。

「味は当たり前だが通年のそれと変わらない。

 しかしロマネ・コンティが至上のワインであることに変わりは無く、

 この至上のワインの存在が一年否定されたのもまた事実だ。

 僕はワインを愛好する人間として、それを悼むよ」

 傍目から見ても、彼は自らを重ね合わせて居る事が窺い知れるだろう。

 他者の直情的な行為によって踏み荒らされた至高の存在。

 故に、今日のメインのワイン。

 その一杯で、自己憐憫にしては陽気すぎ、虚無主義に陥るには艶っぽすぎる宴は跳ねた。

「御馳走様――――それじゃ、しばらくの間さよなら」

 MoonTimeの全員への挨拶は、酷く簡素だった。

 『オーナー』に礼を述べるでもなく、

 『バーテンダー』と昔語りをするでもなく、

 『ソノラ』と愁嘆場を演じる事もなく、

 『ミレニアム』達に憎まれ口を叩く事も無く。 

 飄々として彼は出口に向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Harry and Everyone Starlight is reelin' home to bed now.

Mornin' is smearin' up the sky. London is wakin'.

Daylight is breakin'. Good luck, old chum,

Good health, goodbye.

Doolittle I'm gettin' married in the mornin'

Ding dong! the bells are gonna chime...

Hail and salute me Then haul off and boot me...

And get me to the church, Get me to the church...

For Gawd's sake, get me to the church on time!
 

星は消えゆき帰宅の時間 朝の光が空に広がる

目覚める町 明け行く空

幸運を祈ろう いつまでも達者でと

朝になって結婚式 教会の鐘が鳴る……
 

別れの声かけ外に蹴り出せ!

時間通りに教会へ!
 

必ず時間通りに教会へ!!
 

 

「行ってしまわれましたね」

 ガラン、としたメインホールは散乱していた酒瓶や酒肴の影もなく、

 先程までの主の今後を悼んでいる様に見えた。

 出口から、『時間通りに教会へ』の最後の一節と共に『ノーブル』は出て行った。

「…………あなたの好きな人と」

「え?」

あなたの好きな人と
踊ってらしていいわ
優しいほほえみも 
そのかたにおあげなさい
けれども 
私がここにいることだけ

「どうぞ、忘れない……で……」

 『ラストダンスは私に』。

 控えめで、余裕で、それでいて相手にしっかり釘を刺す可愛い大人の女性を感じさせる歌だ。

 しかし、何故『ノーブル』を送る時に歌わなかったのか?

 何故、それを聞くのは自分なのか、とまで思考を進めた『バーテンダー』は

 同時進行させていた思考とその原因が彼の脳内で合致し、小さく微笑んだ。
 
 

 つまり―――――
 
 

 そして急に、かすれていた彼女の歌が変わった。

 
アイツなんか大キライ 大キライ もう絶対顔も見たくない もう知らない

街で見かけるたびに 違う子 連れてる
嬉しそうに 呼び止めないで
怒る私に「君って案外コンサバだ」なんて
リベラルなつもりなの 無神経すぎるわ

アイツなんか大キライ 大キライ もう絶対電話かけたりしてあげない 覚悟してね
イヤな目つき ウソつき ヤミつき 開き直るその性格 いただけない

いいかげん 誰かとまじめに付き合ったらどう
仏の顔も 100回までだよ
けなげな私に「ボクは誰にも 優しいんだ」なんて
フェミニスト気取ってる ドンカンすぎるよ

アイツなんか大キライ 大キライ もう絶対顔も見たくない もう知らない
本気だから いくじなしで ろくでなし なしくずし このままじゃ後悔先に立たずだぞ

今何してるんだろう 今誰とどこにいるの? 電話くらいしなさいよ

アイツなんか大キライ 大キライ もう絶対笑いかけたりしてあげない お調子者
傍若無人 八方美人 それ以上 自信過剰 むかうところは 敵ばかり

アイツなんか大キライ 大キライ もう絶対顔も見たくない もう知らない
本気だから いくじなしで ろくでなし なしくずし このままじゃ後悔先に立たずだぞ
 

「罪つくりな方ですね、全く」

 空になった1789年のロマネ・コンティの瓶がコロリと頷くように、風もないのに転がった。
 
 
 
 
 
 

「女帝陛下万歳! 皇婿殿下万歳!」

 素面のように颯爽とルーカスはテラスに現れた。

 下の大衆達にとっては、彼はさぞ神の恩寵を独り占めした男に見える事だろう。

 生まれは帝国有数の門閥貴族。

 貴公子的な容貌。

 彼が生まれたのは分家でありながら本家の叔父は後継ぎも設けず亡くなった先妻を愛するあまり再婚せず、

 先月正式に叔父の養子となりヴィレンシュタイン侯爵家を相続するに至った。

 最初に就いた任務は侍従長であり、現在の女帝と深いパイプを築いた。

 数々の兵器を発明し、多くの戦争を勝利に導き、17歳にして元帥杖を授かる。

 ついには政治にまで口を挟むようになり、行政構造を一変させ、

 宰相には飾りの王族を据え、自らは副宰相となり財政を握った。

 そして今日この日、あつらえた様な晴天の下、王族に列し美しくも可愛らしい女帝を妻に迎える。
 
 

 才能と運と実力。
 
 

 極彩色に彩られながらその本人は墓穴に入って、投げ入れられる土を浴びる心境であった。

 愛してもいない女との結婚。

 裏で跋扈する魑魅魍魎と戦う叔父に、及ばない自らの実力。

 何も見えぬ大衆への、無駄にも思える啓蒙と教育と善政。

 酔った頭脳がざわめく。

「パンとサーカスさえ与えられていれば。

 女帝陛下と皇婿殿下が美幼女と美青年であれば。

 『実績』という表面が美麗であれば。

 自分たちさえよければ誰にでも万歳を唱える連中でしかない」
 
 

 では何の為に?

 そんな連中でしかなくともこれから善政を敷いていく心算なのは何故だ?

 倫理か? プライドか?

 与えられた権利に対する対価としての義務か?
 
 

 ――――――……それとも、『浄化』のスイッチが入るのが怖いからか……? 
 
 

 だから神を殺すのか。

 怠けるために?

 断じて否。

 では何故?

 『ノーブレス・オブリージェ』の頭脳がはじき出したとは思えぬ愚問であるな。
 
 
 
 
 
 

「大衆の中にもまだ会った事のない美女がいるさ」
 
 
 
 
 

 心機一転、飛び切りの笑顔で

 彼は手を振った。

 これもまた恵まれた

 類稀な視力で

 城下に集まり、彼の結婚を祝う大衆の中に美女はいないかと

 見つけては一人一人の心を読む。

 十中八九は彼のような美青年と結婚する女帝を羨んでいる為、成功率は高そうだ。

 今夜はどこで食事をするのか。

 今夜はどこで飲むのか。

 今夜はどこで泊まるのか。

 MoonTimeを経由して

 何百人でも同時攻略してやるさ!
 
 
 

 万歳の声が木霊する。

 自分と、今日からの配偶者に向けられるそれはなんと無責任なことか。

 青年はただ苦笑し、それでも頭脳を傾け無責任な大衆の為に善政を敷く。

 権力が無制限に振舞われると彼のような不幸な存在が生まれる事を悟った以上、

 傍らの我侭な女帝を諌め続けねばなるまい。

 それが終わったら―――――――
 
 
 
 
 

 彼はこの日以降20年、妻となった女帝に追い掛け回され、

 『ソノラ』に手綱を握られるのは数千年先の話。

―――――――――――――――――――――――――――の、はずだった。
 
 
 
 
 

 a prelude

 送別会、と言っても彼が踏ん切りをつける為に催したものであって、別に長らく来れなくなるという訳ではない。

 地獄の様な初夜を過ごした彼はフラリと若干やつれて尚美貌を誇る容姿をひっさげてMoonTimeに現れた。

 それが、志貴達の結婚式以来の大騒ぎの起点になるとも知らぬままに。

 カランカラン………と、ドアベルが鳴る。
 
「お帰りなさいませ。カクテルバー『ムーンタイム』へようこそおこし下さいまし……『ノーブル』様!?」

 店員のローテーションはいつも一定という訳でもない。

 ウェイトレスには『ノーブル』に好意的な女性が多いが、運がいいのか悪いのか、その日は好意的な娘だったのは確かである。

「お、お帰り下さい、じゃなかった。今は店にお入りにならない方がいいです!」

「?」

「大変な事になっているんです、責任は私が取りますからどうか……」

 その健気なウェイトレスの脇から

 地獄から延びてきたような手が這い出してきて『ノーブル』の機能的かつ芸術的な腕を捕えた。

 いや、延ばされた手も本来そのような形容をされるようなおどろおどろしいそれではなく、

 白皙の、溜息が漏れるようなしなやかな女性の細腕である。

 しかし

「…………ねぇ、『ノーブル』、あの娘は誰?」

 ニコニコと柔和な笑みの歌姫の口から紡ぎ出される美声に幾分ドスが効いている。

 『ソノラ』はそう表情も声も感情によっては変化しないから、それはかなり怒っていると見るべきであろう。

 で、あの娘?

 入り口から見えるホールの一席に煌く様な少女が佇んでいる。

「ほう」

 流れるような黄金の髪、輝くような笑顔、バランスのとれた肢体。

 まるで、宝石がそこに自分のためだけに光を集めて存在しているような少女だ。

()いな」

 思わず口をついて出た感想は、語尾が悲鳴に変わった。

 腕を掴んでいる力が強くなったのだ。

 これは拙い。何が拙いといってこれほどまで『ソノラ』が怒っている様を見た事がないかも知れないのだ。

 『ソノラ』は直接的な攻撃をしてきた事など無い。

 この浮気者を恋人にしていながら最大限に機嫌が悪くなった時でもせいぜい無視するか、故意にレスボンスを遅くするかだった。

 それが今日はなんと直接的な事か。

 本来であれば感受性が豊かになった、これでまた新たな魅力がと喜ぶような詩人気質の『ノーブル』だが、

 怒られて喜ぶようなマゾヒズムは持ち合わせていない為早々に問題を解決する事にした。

「知らないよ」

 そっけない、酷く冷たいそぶりで、彼に夢中な娘がそう言われたら自殺しかねない程だった。

 すると、掴まれ続けた彼の腕は今度は牽引され始めた。

「なっ…………?」

 『ソノラ』が先程示した少女のテーブルまで『ノーブル』を引きずるように連行すると、

「貴女なんて知らないそうよ」

 きっぱりと言い放った。

「ちょっと待ってくれ、状況がわからないのだが……」

 困惑した表情の『ノーブル』を認めると、少女は光が弾ける様な笑顔を見せた。

「『ノーブレス・オブリージェ』様?」

「……ええ」

 思わずその笑顔に惹き込まれて『ノーブル』もよそいきの笑顔を浮かべる。

「ルーカス=フェルディナント=フォン=ヴィレンシュタイン様?」

「……ええ」

 今度は流石に彼も表情を改める。

 本名を知るとなると、ひょっとすると彼自身の世界からの――――

「――――ああ、お会いしとうございました」

 ふわり、と『ノーブル』がよける間もなく抱きとめ「られて」しまっていた。

 まるで、彼が進んで少女の胸に飛び込んだような形になったが、

 彼はまったくそのような動作を行っていない。

「また熱烈な告白だが――――」

 『ノーブル』はよくも悪くもそうした事には慣れているので落ち着いたものだ。

「君は誰だい?」

「――――私と別れて欲しいそうなの、貴方が必要だから」

 『ソノラ』がいつも通りにこにこしたまま呟くと、

 大急ぎで椅子に片手をかけて『ノーブル』はがばりと少女の腕から逃れた。

「何を馬鹿な……初対面の相手と、君とでは重みが違う」

 しかし、少女がついと手を動かすと『ノーブル』の片手が力を失いガクリと彼の体は少女の胸に落ちた。

「お会いしとうございました……まだ毒婦に捕まっていないご先祖様……」

 なでりなでりと『ノーブル』の金褐色の絹のような髪を撫でると、

 少女は彼を抱いたまま立ち上がった。

「はじめまして」

 くい、と『ノーブル』の顔をサロメがヨナカーンの生首に手を添えるような構図で

 ほとんど力も入れぬまま彼の体を支え、彼の顔を自らのそれに近づける。

「貴方の四代後の子孫で、ルクレツィアと申します」

 ついばむようにキスをするとニコリと微笑んだ。

 呆然、という言葉がその場の雰囲気を最も表現しうるだろう。

 誰もがルクレツィアの雰囲気に飲まれていた。

 そこからまず立ち直ったのは流石というべきか『ノーブル』でまず根本的な疑問を呈した。

「いや、待ってくれ、確かにここには時間概念は無い。 しかし……逆に言えば狙って相手に会えるとも限らない……」

「ええ、素晴らしい着眼点ですわご先祖様。
 凡百の愚民にはそこに至るまで数分を必要とするでしょう」

 魅きつけられるような笑みでキツい事を言う辺り、

 確かに『ノーブル』と血は繋がっていそうなルクレツィアは言葉を続けた。

「でも、私どうしてもご先祖様にお会いして添い遂げたかったのです。
 ですから、『混沌と矛盾の領主』にお願いを……」

 彼女が『混沌とむ』まで言葉を紡いだ辺りで『ノーブル』は絶叫した。
 
 

「領ーーーーーーーーーーーーー主ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
 
 

「まいどーー」
 
 

 いつしか、『領主』は彼らの集まっていたテーブルの一席に座っていた。
「どうしんだ、坊ン、そんなに怒った顔してたらお前が大好きな美女も話しかけるのを躊躇うじゃないか」
「どないしてんや、坊ン、そないな怒った顔しとったら、別嬪さんらかて、ビビって話かけれんやないかい」

 その言葉に反応したのは、だが、『ソノラ』の方が早かった。

「何をお考えなのかしら『領主』、私も一応古株なのに一言もご相談頂けないなんて悲しいですわ」
「あー、すまないね、ソノちゃん。 あまりに面白いことを持ちかけられたからつい、な」
「あー、すまんなぁ、ソノちゃん。 あんましおもろいコト持ちかけられたさかい、つい、な」

「面白いではすみません、第一何でこの娘とコンタクトを取るのです、会わずに済めば――――」

「会わずには済まなかった、という訳か、『領主』」

 怒りのベクトルを『領主』にむける前に『ソノラ』が先を越したため、『ノーブル』は幾分冷静に推理できた。
「その通りだ、相変わらず『そんな状態』でもご自慢の頭だけあってよく回るのだな、坊ン」
「せやね。相変わらず『そんなん』でも、頭回るんはさすがやな、坊ンも」

「ルクレツィア、君は――――」

「この店では『ハウンド』の初代、『パーフェクト・レディ』、そう呼ばれております」 

 ウインクして、

 テーブルに人数分のそれがウェイトレスによって届けられるのと同時に彼女は言い終えた。
 
 

『パーフェクト・レディ』
ドライ・ジン………1/2
ピーチ・ブランデー………1/4
レモン・ジュース………1/4
卵白………1個
シェークして、カクテル・グラスに注ぐ。
 
 

「――――待て、君は――――いやそんな馬鹿な……だが……」

 全てを想定した行動、彼が逆らえなかった先ほどの抱擁、そして『初代』。

 『ノーブレス・オブリージェ』の頭脳は一番出したくない解答を弾き出した。

「ええ、私はご先祖様が残された宿題を全て解決しました」
 
 
 
 
 

――――大貴族が昏倒しております。 しばらくお待ちください。
 
 
 
 
 

「気が付いた?」

 『ソノラ』の私室のベッドの上で見る天井を確認。

 気絶したのか、と自嘲すると『ノーブル』は起き上がった。

「まだ寝ていてもいいのに」

 幾分残念そうに『ソノラ』は鉱水と脱脂綿をサイドテーブルに置いた。

 彼女としては滅多に弱みなど見せない恋人を世話してみたかったらしい。

「……すまない」

「何がかしら」

「全てだ。 何から何まで計算外だ、こんなにみっともないのは久方ぶりだ……」

 くしゃくしゃと頭を掻くと『ノーブル』は勝手を知ったる洗面所で顔を洗った。

「私は落ち込んでいる貴方も好きよ、滅多に見られないし、いつ壊れてしまうかわからない硝子細工みたいで綺麗」

 そもそも、彼らの縁は『ノーブル』が心底落ち込んでいた時に『ソノラ』が声をかけた事にはじまる。

 全ての神を憎んでいた若すぎた彼は『バーテンダー』に闘争を挑んで完敗したのだ。

「……負けるのは、恐怖ではないが、君にそう言われるのは少々怖いな。
 どこまでも甘えて堕落してしまいそうだ」

 バス・タオルで顔を拭くと完璧な彼が鏡の中にいた。

「疲れていたのね」

 気付かれていたらしい、と『ノーブル』は苦笑した。

「あぁ、疲れすぎていた余り避妊を忘れた。 これがまず一つ」

 『ノーブレス・オブリージェ』はそもそも子供が大嫌いだ。

 五月蠅く、我侭で、弱いくせに青い。

 自分が過去子供であった事実さえ忘れたいだろう。

 だから、彼は自身の精を自作の薬で一時的に全滅させてから行為に臨む。

 しかし初夜においては多くの女と酒に酔った上で『女帝』との事に臨んだ為、ハネムーンベイビー爆誕、

 結果『パーフェクト・レディ』が存在する要因を作ってしまったのだろう。

「馬鹿ね」

「あぁ、やってられないくらいに馬鹿だ」

 本来であれば他人に面と向かってそう言われたらその相手を破滅させるであろう青年は、

 残念ながら現在それを否定する事はできなかった。

「そして先ほどのはもう思い出したくもない。
 疲労した上にあんな事を言われたものだからこの様だよ」

「あの様子だと全てを『識って』いるようね?」

 『ノーブル』の口元が歪む。

 それは彼の最終目的であった。

 アカシック・レコードの全てを記憶する。

「あの娘、どこをどうすれば、自分の思い通りになるかを『識って』いた」

 彼が吸い込まれるように彼女の胸に抱きしめられてしまったように。

 彼女はおそらく何かしらの動作を行ったのだろう。

 しかし、それはその場でどうこうするのではなく、予めそうなる為の一定条件を満たしていた。

 つまり、それは。

「この世界だけではない、全てのパラレル・ワールドのそれまでも読破している……」

 ギリ、と『ノーブル』は奥歯を噛み締めた。

 つまり、彼女自身が『ノーブル』を手に入れる為のフラグも『識って』いるのだろう。

「化け物め……」

 自分がそうなるのを望んでいたにも関わらず、圧倒的な実力差の前に彼はうな垂れた。

「何を落ち込んでいるのかしら」

 『ソノラ』の方は落ち着いたものだった。

「君は……僕から引き離されてもいいというのか……」

「重症ね」

 ソノラは予め作っておいた朝食を暖め直して彼の前に並べた。

 空腹だと気も弱くなるのよ、と無理にでも食べるようすすめる。
 
「打たれ弱いとは思っていたけど、もう少し自分が逆境に置かれたシミュレーションもするべきよ『ノーブル』」

 もくもくと気弱な表情で咀嚼する恋人は愛くるしいが、強くなって貰わなければあの女のいいなりだ。

 面白くない。

「いい? 
 彼女は全ての展開と過程を『識って』いるにしても完全に彼女のものにならなければ、
 幾らでも貴方には逆転の手はあるでしょう」

 つまり、パラレル・ワールドは可能性の数だけ存在する。

 穿った見方をすれば、『ノーブル』が最後の一手でルクレツィアに逆転する世界もあるはずなのだ。

 ゴクン、と最後の一口と彼女の言葉を飲み込んだ彼の目に野心の光が戻った。

「せいぜい頑張って、『ノーブル』? 私が惜しいなら、それくらい貴方には容易いでしょう?」

 そして気付けに、一杯のカクテル。
 
 

★ソノラ『Sonola』★
ホワイト・ラム………1/2
アップル・ブランデー………1/2
アプリコット・ブランデー………2dashes
レモン・ジュース………1dash
シェークして、カクテルグラスに注ぐ。
 
 

「それでこそ……」

 彼はそれを飲み干して、

 確かな足取りで出口に向かって歩き出した。

 出口から光が溢れていた。

 クス、と『ソノラ』は笑顔で彼を送った。

「それでこそ僕の恋人」

「それでこそ『ノーブレス・オブリージェ』」
 
 


注釈

名簿に10人ばかり名が増える
ドン・ジョヴァンニは自分が抱いた女の名前を名簿に載せている

英文の歌詞の名前
「時間通りに教会へ」はミュージカルで多くの登場人物が一曲に代わる代わる歌う。
その部分を歌う人物の名前が記載されているのだ。

ルクレツィア
いつもフラグ通り行動している訳ではなく、時に何も考えず思いのままに振舞う事もある。
その辺りは先祖似。

蛇足
ここで終わると格好いいのだが。
 
 


後書

長いSSを読了いただきましてありがとうございました。

EIJI・Sです。

夫人のSS第二部再開をお祝いして後編を贈らせて頂きました。

今作で敢えて「裏」の志貴でなく「表」の志貴と話したのは表裏の志貴の対比も兼ねています。

成功しているといいのですが、如何でしたでしょうか。

『ノーブレスオブリージェ』の印象も大分変わったと思いますが、

実は前作から彼は「多妻を持つのは貴族の権利」(「跡継ぎをつくるための」義務ではなく)と言っていたので

女好きは確定していたのです。

シオンにちょっかい出した時点で読まれていたらその方の勝ちですね。

それでは、夫人の第二部の成功を祈って筆を置きます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

This is superfluous.

 格好よく『ソノラ』の部屋を後にしたにも関わらず、彼はいきなり驚愕させられた。

 ルクレツィアが出てすぐの場所にいたのだ。

「おはようございます、ご先祖様」

「おはよう――――それから私の事はこの店では『ノーブル』で頼む、
 ご先祖様と呼ばれると猛烈に老け込んだ気分にさせられる」

 と、返事をして彼は気付いた。

 また一段、親密になってしまってきている。

 気を取り直し、警戒しながら『ノーブル』は『パーフェクト・レディ』と相対した。

「畏まりました、『ノーブル』様」

 しかし、彼女の魅力は抗い難い。

 単に佳人であるだけならかなりの数をこなした彼ではあったが、

 眼前の女性ほどに多々の才能を兼ね備えている者などそういなかった。

 敢えて何人か候補にあげるなら女神と称される実力の持ち主達が辛うじて拮抗できるかどうかだろう。

「さて、私はこれからでかけるので失敬するよ」

「図書館ですか?」

 やはり、全てが予測される。

 気分のいいものではない。

「でしたら、もう不要ですわ」

「……どういう意味かな」

 少々言葉に怒りが篭る。

 知識の蒐集は彼の最大の快楽の一つである。

「陸礎達に認められる為の邁進など不要なのです、『ノーブル』様」

 いつしか、彼はまた彼女に抱かれていた。

「貴方は存在するだけで価値のある奇跡の様な御方。
 わざわざ他人に価値を教えてやるために実力を身につけられる必要などございませんわ」

「別に、」

 他人に価値を教える為ではない――――

 と言ってからさらに気付いた。

 君の様になりたいのだ、などとはまるで口説き文句のようではないか。

「『ノーブル』様、只今より貴方に私の全権を委任致します」

「な!?」

 それに気付いて不快げに押し黙っていると、また彼女は彼を驚愕させた。

「よってトリプルスートなどの為に200年も連中に裂いてやる必要もなくなります」

 その分、自分に回せというのか。

「いい――――私は自らの力で得たものにしか自信を持てない」

「では、必要なものがあったら、陸礎に所用ができたら、誰に依頼されるのでしょうか?」

 そう。

 それだけはトリプルスートになろうが叔父を継ごうが得られない。

「『貴族の責務』ともあろう御方がその度に伍長如きの粗末な食卓に並ばれる御所存で?」

「『パーフェクト・レディ』、チェスでも手の差し過ぎは逆転(リバース)を食うよ」

 激しく動揺しながら、『ノーブル』はようやくそう言った。

「……そうですね」

 意外にも、彼女はそこで引いた。

「でも、私でよければ幾らでもお力になります。
 いつでも私の私室をお訪ねくださいましね」

 わからない。

 この女はわからない。

「君は――――」

「はい?」

 引き止めたのは、たぶん失敗だったろう。

 しかし、彼は知りたくなったことは知っておかねば気がすまない。

「君は、何故そうまでして僕を欲するんだ」

 『ノーブレス・オブリージェ』は自分が何故女に愛されるかは知っている。

 飛びぬけて貴公子的な容姿。

 アンバランスな子供っぽさ。

 強大な実力。

 相手の心理を読んだ上での演技。

 膨大な財産。

 深遠な知識。

 そんなところだろう。

 しかし目の前の女性は別だ。

 顔や性格が自分以上にいい男の存在などある程度は存在しようし、

 彼女クラスになれば彼の権力や家柄、財産や知識など瑣末事でしかない。

「貴方が、偉大だからです」

「嫌味か」

「いいえ。 貴方以来、我が帝室は革命的な発展を遂げました」

 それはまるで奇跡のような子孫達。

 『ノーブル』の娘は産業を爆発的に推進させ帝国の最盛期を築き上げ、

 孫娘は恐ろしいまでの話術と煽動を以て世界を征服し

 曾孫娘は『革命者』を返り討ちにして、その時点での相手の精を保存し、
 
 そして、神たるルクレツィアが産まれた。

「――――なんだそれは」

 そんな手があったのか、とノーブルは顔を覆った。

 では、あの娘は

 『女帝陛下』はやろうと思えば彼を追い込んで精だけ奪い、神殺しを遂げる事ができたのか?

 いや、流石にそこまでは気付いていないだろう。気付いていないはずだ。

 ……気付いているわけがあるか!!

 目の前の全世界アカシック・レコード全集に聞けばわかるのに聞こうとしないのは何故か、などとは彼は思いもしなかった。

「貴方が帝室に加わってからです、全ては」

 彼女の声で正気に戻る。

 そうとも、自分の理念を曾孫娘が受け継いだのだろう。

「貴方の遺伝子は恐ろしく優秀で、ほぼ例外なく偉大な子が産まれるでしょう――――4代目までは」

「4代目まで?」

「そこまで行くと影響も薄くなるのです」

 じゃあ何か。

「僕は種馬か!!」

「いいえ。
 ……信じて貰えないとわかっていますが敢えて申し上げますと、
 私は貴方の肖像画を一目見たときからお慕い申し上げておりました」

「嘘だろう」

「嘘ではっ……」

 涙を浮かべつつ彼女が言うと『ノーブル』は苦笑しつつ彼女を抱きしめた。

「信じて貰えないとわかっているなどというのは嘘だろう?」

 そこまで言われたらどうしようもないじゃないか、あぁ、捕まった。

 一目惚れの例の一学説も知っているつもりなのに、どうやら知っているのと割り切れるとは違うらしい。

「まずは愛人から、ではダメですか」

「普通お友達から、じゃないのかな……」

 バー・カウンターにかけると『バーテンダー』は全て心得たようにシャンパンを開けた。
 
 
 
 
 
 
 
 

And each of the three solved the problem in his own way.
 
 
 
 

――――私は貴方を独占しようとは思いません。

 全て『識って』いますから。

 だから、あの女だけのものになんてならないで。

 私の、ご先祖様。
 
 
 
 
 
 
 
 

――――わかっている。

 『ソノラ』はノーブルが落ち込んで来た時の為にとっておいたワインを一人で空けていた。

「あの子が流されやすいのも、あの娘がそれをわかって『今』に来たのも」

 わかっているのだ。

 『混沌と矛盾の領主』め、絶対に許さない。

 『パーフェクト・レディ』め、絶対に許さない。

 『貴族の責務』め――――
 
 

 大キライ。
 
 

 チャリ、と手中で音がした。

 ワイングラスを砕いてしまったらしい。

 演劇とかならもっと格好よく、演出的に砕ける筈なのに。

 舞台から降りたら歌姫もただの女なのだろうか。

 ルーカスの馬鹿。

 勝手に人を舞台から降ろした癖に放ったらかしにして。

 ルーカスの馬鹿。

 目についたクリスタルのグラスが余りに気に食わなかったものだから、

 『マイスター』に頼んでワイングラスにしてしまおう。

 今度来たとき反省すればいいのだ。

 あんな馬鹿。ばかばかばか。

 

 もう絶対知らない。
 
 
 
 
 
 

――――なんてことだ。

 まるで悪夢と淫夢を同時に見ているようで実に妙な気分だ。

 本来なら喜ぶべき事だ。

 稀に見る能力と美貌の女性が自分から飛び込んできたのだから。

 しかし、完全に別格に想ってきた『ソノラ』と同格に立とうと。

 『ソノラ』が別格である事を識っていると。

 冗談じゃない。

 切り抜けねば。

 切り抜けて見せる。

 『パーフェクト・レディ』と『陸礎』をシーソー・ゲームのように操って、

 屈辱を味合わせてくれた『ドリーム』と『ミレニアム』を完全に叩き潰してやる。
 
 
 

 見ていてくれ、『ラヴァーズ』。キミ達の為に全てを手に入れてみせる。
 
 

 


注釈

一目惚れについての一学説
一目惚れというのは、その相手となら遺伝子的な相性が最高で優秀な子供ができるから
その相手とセックスして子供をつくれという遺伝子の命令である、とする説。
 



 

Lost-Way後書き

よく読めば解るのですが、彼は『自爆君』です。
あるいは『地雷踏み』と呼んでもいいかもしれません。
自分の言ってる事ややってる事でどんどん墓穴を掘っていく。
傍目に見れば滑稽なほど、自分が醜態を晒し続けている事に気付いていない。
そんな『言動の矛盾点』を突っ込む事で、『裏』では恵が彼を打ちのめしました。

………解って書いてるのかな、えーちゃんは(汗)
気付いて書いてるならいいけど、キャラが生きて動くから書いてるんだったら………
それはそれで面白いですけれどね。
貴族の責務(ノーブレス・オブリージェ)には不憫かもですけれど。

いつも面白いお話を有り難う御座います。
似通った感性をしていながらも、微妙に向いているベクトルがずれているので、
互いの不備を補完しあえている。

こちらのSS書きにも色々と助けて頂いています。

さて。
この ―― 実に様々な意味合いで大きな ―― 『墓穴』を掘ってしまった
貴族の責務(ノーブレス・オブリージェ)なわけですけれど。

誰に突っ込ませてへこませようかしら(笑)

貴族の責務(ノーブレス・オブリージェ)の言動に指摘する部分は多々ありますが、
それらの突っ込みはえーちゃんの許可を貰ってから、別のSSで語らせていただきたいと思います。

いつも素敵なSSを有り難う御座います。

では。
『結局“お子様”なのかしらね、貴族の責務(ノーブレス・オブリージェ)は(苦笑)』
Lost-Wayでした。