煌々と月が地上を照らす中、志貴は車から降りた。

 N県、三咲町。「あの」公園。
 
 

「ああ、帰ってきたんだな…」

 長嘆息して周囲を見回す。

 そこも、そしてどこも。全て、彼の領地。

 世界中を回った。

 何ヶ月も滞在した街もあった。

 ホテルやマンションで何度もアルクェイドと眠った。

 それでも、やはり自分の故郷はここなのだ……浅いセンティメンタルの泉から上がると、

 世界の王は身を翻した。

「ここからは歩いていきたい」

「うん、わかった」

 アルクェイドは車から降りると運転席のバトラーに後の指示を出した。

 車が走り去る。
 
 

 二人きりになる。

「ここで、いろいろあったね」

 その一言で、様々な思い出が二人の胸中を去来する。

「……全く、思えば夢みたいだ。本来俺はまともな高校生だったんだぞ?」

「まるで私が悪の道に引きずり込んだみたいに言わないでよ」

 それもそうだ、悪いのはアルクェイドじゃない。

 遠野志貴が自分で考え、自分で決めた。

 彼が軽い謝意を示すと、彼女は簡単に許してくれた。

 ほんの少しの間、夫婦は微笑み合った。

「……行こうか」

 志貴は丘を見上げた。

 行こう、懐かしの我が家へ。

 

皇婿(プリンス・コンソート)志貴・第二話』



 カツカツと靴音高く征服者が行く。

 魔眼殺しをかけ、オーダーメイドのスーツを着込みコートを羽織って、

 世界を複数の意味で踏みしめて、

 それでもどこか不安そうな、七年前と変わらない顔。

 全く連絡をとらなかった。

 手紙も、電話も、電報も送らない、七年。

 翡翠は泣いたかもしれない。秋葉は許してくれないかもしれない。

 けれどそれはどうしようも無い事。

 あの時、遠野志貴は。それでもアルクエェイド=ブリュンスタッドと共に

 永遠を生きることを選んでしまったのだから。

 なのに、俺はこうして家への坂道を登っている。

 慄然とする。

 あの日、弓塚と歩いたこの道を歩み。

 向かうのは、俺が永遠を生きるために捨ててしまったあの家。

「なあ、アルクェイド。俺って欲張りなのかな」

 どこから気弱げな表情を浮かべた志貴。

 くすり、と彼の姫が笑う。太陽のように艶やかな月の姫君の微笑み。

「いいじゃない。それだけ志貴が妹たちを大切に思ってるってことなんでしょ?」

 ああ、やはり、俺は誰よりもこいつのために世界を手に入れたのだ……

 月下で、少しだけ抱き合った。
 
 

 遠野家正門は倣岸に他者を見下ろす。

 全く変わっていない。

 幸い、灯りはともっていた。

 ブザーを鳴らそうの延びた手が震える。

 果たして、一度全てを捨てた自分に彼女達に再会する資格があるのか。

「志ー貴」

 アルククェイドの手が志貴の手に重なる。

 そして、ブザーまで導いてくれた。

 微笑んで、見てくれている。スッ、と手が前に出た。

「はいはい…え…志貴…さん?」

 家からの灯りと、月の光がぼんやりと琥珀の体を照ら出した。

 変わっていない和服に割烹着、そして戸惑った表情。

 年を経て艶っぽさが増しているのに、それより可愛さを強く感じてしまう。

 あの時、二階から降りてきてリボンを俺にくれた少女。

 俺に、ここに帰ってくる理由をくれた少女。

 言おう、彼女に。

 万感の思いを込めて!

「ただいま、琥珀さん」

「おかえりなさい……おかえりなさい志貴さん。よくご無事で……ずっと待っていたんですよ……

 本当に……何処に……」

 あとは声にならない。

 志貴も、琥珀も。

 抱きついて、胸で泣いてくれている。

 七年前、今度は黙って出て行った俺のために泣いてくれている。

「ありがとう、琥珀さん……ごめん」

 しばらく泣き止みそうになかった。

 その泣き声を聞きつけたのか、それともいつまでも琥珀さんが戻ってこないから心配したのか。

 秋葉が、来た。
 
 

 凛とした雰囲気は一分も損なわれないままに、秋葉は美しく成長していた。

「兄さん……」

「よ、秋葉……綺麗になったな」

「……お久しぶりです。詳しいお話を伺いたいのですがよろしいですか?」

 きっと、七年前と同じ様に我慢しているのだろう。

 琥珀と同じように抱きついて泣くなんて、秋葉のプライドが許さないから。

 ……ましてやアルクェイドの前なら、なおさら。

 などと甘く考えていた志貴の予想は、大いに裏切られる事になる。

「そうだな、とりあえず中にはいろうか、琥珀さん、アルクェイド」

 翡翠は玄関で迎えてくれた。

「志貴さま、おかえりなさいませ。

 翡翠はかならず志貴様にお帰りいただけると信じておりました」

「うん、心配かけたね翡翠……それから」

「はい」

 声が震えている。表情は、この上なく豊か。

 ひたすらに、涙をこらえているのが察せられる。

「無理しなくていいんだよ、ごめんな、翡翠」
 
 志貴が包むように翡翠を抱きしめる。

「志貴、さま……」
 
 

 翡翠の声を上げない号泣が一段落してから、志貴はロビーに翡翠とアルクェイドを連れて入る。

 内装はほとんど変わっていなかった。今回は、覚えている。

「では兄さん、単刀直入に伺います」

 座長席の秋葉が、ストレートに質問を放つ。

「貴方は本当に兄さんですか?」