船が揺れた。

 揺れるはずの無い船が、だ。
 
 

 全く、最後まで「興味深い厄介事」を運んでくる男だ。

 思えば出会いの時からそうであったな。
 
 

「力を貸しなさい、じいや」

 久々に館に訪ねて来たかと思えば、それがアルクェイドの挨拶だった。

 計画に力を貸せ、アルトルージュと白翼公の二頭政治を潰す―――なかなか面白い話ではある。

 その肝がアルクェイドの男がアルトルージュを誑かすというのもいい。

  問題は―――

 つ、と視線をずらすと横にいたその男は昂然と見返してきた。

 萎縮しないとは意外だった。

「……女二人を騙して世界を狙うか? 殺人貴とやら」

「女の数で器量を割り算されるのですか? 元帥閣下」

 以来八年、あの二人に振り回され続けである。 

 回想し、ただ溜息をついた。

 これが最後であって欲しいと望みながら、船内の客共を沈静させる為、ホールへ向かう。

 そして着くが早いか、ケッセルリンクにせっつかれた。

「元帥!
 丁度よかった、急いで止めに参りましょう、このままでは……」

「慌てるな、ケッセルリンク。この船は沈まぬ」

 我が魔術の限りを尽くした『移動する最大結界』である。

 アルクェイドが無茶をしようが予が乗っている以上しばらくは保つ。

「それよりも、客は無事か?」

「元帥!」

「戯け。

 夫婦喧嘩など犬も食わぬわ。何故魔導元帥たる儂が食さねばならぬ。

 捨て置け。

 最悪の結果となろうとも予とメレムでアルクェイドは止められるわ」

「僕としてはそうなって欲しいなぁ」

 何やらクラッカーに乗せて食しながらメレムが口を挟む。

 こんな状況でホールにある料理に手をつけているのはこ奴くらいだ。

「傷心の姫君をお慰めするナイトって絵になると思われませんか?元帥?」

 そうならぬ事は目に見えているがな。

 二人でいる為に世界を手に入れた夫婦だ。

 その程度で壊れるような絆であれば、中途で敵に看破されたであろう。
 
 

 とりあえず…
 
 

「道化が、思い上がるでないわ」

 メレムを叩き伏せて、

 後は結果待ち……か。
 
 
 

『いちばんほしいもの』(皇婿志貴最終話)






「踊りに来たぜ、アルクェイド」

 微笑んで、志貴は対峙した。

「シキィィィィィ!!」

 アルクェイドは志貴である事を確認するが早いか掴みかかる。

 手に入れようと。

 手の中に握ろうと。

「ったく! おち! つけ! よ!」

 飄々としながらもかなり際どく志貴はかわす。

 正直なところ、志貴としてはよけるのが精一杯であった。

 吸血鬼としての体の性能差というのが実によくわかる。
 
 

 さて、このままでは拙い。

 何が拙いといってこれほど志貴にとって拙いことはない。

 まず時間制限。―――ゼルレッチの魔力、というか精神力が切れたらアウト。

 そうすぐではないにしろ、放っておくと世界が滅びるという点まである。

 次にアルクェイドをどう止めるか。

 体の線を切って動きを止めようにも武器が無い。

 船の部品を壊して代用しようにもその時間さえ与えてくれない。

 それ以上に、アルクェイドを傷つけるなどできそうにない。
 
 

 そう考えている間にも、

 アルクェイドの爪は空を薙ぎ、カマイタチを発生させ、

 脅威的なスピードで距離が詰められて接近戦に持ち込まれる。

 正直、固有結界も展開していない志貴には最悪の展開となりつつある。
 
 

 ―――――――――――一つだけ方法があった。
 

 ここに至ってようやく、志貴はその場にいるシオンの存在を思い出した。

 流石にこの戦闘から距離を取っている彼女に、

 アルクェイドの攻撃を紙一重でかわしつつ叫ぶ。

「シオン、悪いが逃げてくれ!

 『最悪の冗談』がマジになっちまった……」

 

 それは、本当に最悪の冗談。

 志貴が自らの構想をシオンに述べた時、シオンの口からふと出た素朴な連想。

 ―――千年後の朱い月を空想具現化で創り出した真祖は、朱い月と同化していたようでした。

 志貴も、この固有結界が完成すれば月の形を自在に変えられる、つまり―――
 
 

 志貴、貴方も朱い月になれるのでは?
 
 

「!? 止め……」

「元に戻れる可能性は…まぁ五分五分かな…?

 アルク自身だったら100%なんだろうけど、何せ元々身体のキャパシティが違うしな…」

 腕をあげる。

 あの日からいつも、月齢や月の軌跡を頭に入れておく様になったな。 

 固有結界が発動する。

 昔、夢の中で聞いた台詞が会った。

 月の色が、大きさが変わる。

 彼女は―――奴は?―――言っていた。この身は朱い月、あの者の悪夢、と。
 

 
 だから、何だ?

 アイツもまたアルクェイドじゃないか。

 ならば―――俺は、それも受け入れよう。
 
 

 空を覆う雲を振り払うようにして現れたその月は、

 空の上に朱い華が咲いた、と評するにはあまりに毒々しい色だった。
 
 

 シオンは最早泣き言も後悔の念もなく、船室に転がり込んだ。

 止めなければ、如何なる手段をもってしても。
 
 

「さぁ、踊ろうぜアルクェイド!

 世界なんぞどうなってもいいがお前だけは絶対に止めてやる!

 お前がいないと永遠も退屈そうだしな!」

「コロシテアゲルわ、志貴。 貴方にあげた世界ごと」
 
 

 空想具現化同士がぶつかりあう。

 景色が歪んだかと思えば周辺が吹き飛び、

 隕石が志貴に向かったかと思えばプラズマがそれを吹き飛ばす。

 津波が志貴の足を攫おうとすると強風がそれを押し戻す。

 急に船が自然発火するが早いか今度は津波がそれを打ち消し、

 雷が志貴を狙うと、急速にその雲の部分のみが晴れ渡り、しばらくして元の曇り空に戻る。
 

 
 アルクェイドは遠距離戦に限界を感じたのか、距離を詰めていく。

 接近戦になった。
 
 

 アルクェイドの膂力は凄まじい。

 先述の様に、この船はゼルレッチによって結界処理がされており、

 甲板のデッキも並みの金属より硬い。 というのに。

 志貴がかわして、はずれたその一撃はそのデッキどころか数層を突き抜けた。

 志貴はこれ以上かわし続ける事もできなくなった。

 このままでは穴が空いて、船が沈む。
 
 
 
 

 どうするか?
 
 
 
 

 シオン自身ではこの戦いを止められるはずもない。

 では、この場にあって唯一朱い月という絶対存在に勝利した記録を持つ男を動かすのが最も道理に叶っていると言えよう。

「魔道元帥!」

 ホールの扉が勢いよく開け放たれる。

 入ってきた人物を認めると、ゼルレッチは片眉を跳ね上げた。

「アトラスの錬金術師か、何の用だ」 

「仲裁を! 志貴が……志貴が朱い月を!」

 その時、ホールがとんでもない量の殺気で満たされた。

 特に人間の中でも精神力が強いはずの、

 この場に招待されていた客達ですら全員が気絶したのだから尋常でない。 
 
 

 魔道元帥が動き出す。
 
 

 さて。

 皇婿・志貴=ブリュンスタッドは死徒である。

 しかも、一時的にとはいえ朱い月を身体の中に収め、その力を使っている。

 吸血衝動が皆無であるはずがなかった。

 彼女からは絶え間なく、

 拳が放たれ、

 蹴りが飛ぶ。

 下向きのものは受け止め、

 上向きのものは受け流すしつつ、

 彼は機会を見ていた。
 
 

 アルクェイドが再び距離を取る。

 志貴の意図に気付いたようで、

 空想具現化で船を沈めようとしているのか、あたりが歪む。
 
 

――――――――その、一瞬の隙をついて。 
 
 

 接近し、齧り付く。

 アルクェイドの首筋に、今度こそ、朱い華が咲いたようだった。
 

 
「……二度目ね。貴方が私の血を飲むのって」

「なんだかんだいっても、この身体には『オマエに飲まされた』血が残ってるんだ、

 舌が、脳が。

 覚えてるんだよ、その甘美な味をな」

 倒錯的だ、と志貴自身わかっていた。

 アルクェイドは志貴の血を飲んだら終わりであるから、志貴に自分の血を飲ませ、

 愛した相手の血を飲むという吸血鬼として最大の欲求をみたさせるという、

 代償行為を今、彼女はしているのかも知れない。

「これから、私を殺せば志貴は自由だね。

 ……ふふ、アルトもあの夜はこういう気持だったのかなぁ……」

「さてな」

 思い出したくもなかった。

 あの夜。

 裏の世界史上最大の簒奪が行なわれた夜。

「……そう。私、死ぬんだ……それもいいかもね……」

 虚ろな表情でアルクェイドが呟き終えるより早く、

 志貴が頭を振る。

「誰が死なせるもんか。

 さっきも言ったろ? お前がいない永遠なんて退屈だ」
 
 
 

 
 朱い月が消え、具現化した自然の脅威も消え去って、
 
 

 闇の中で交されたキスは、彼女の血の香り。
 
 

 絡み合った舌を離すと、朱色の唾液の橋が宙に浮かんだ。
 
 

「……一度しか言わないからな。

 引き返せる訳が無い。

 捨てられるはずが無い。

 殺せる訳があるはず無い。

 ――――――――――――――愛しているよ、アルクェイド」
 
 

「言ってくれるの、遅すぎだよ、志貴ぃ……」

 いちばんほしかった。

 その言葉が聞きたくて。

 その一言の為に全てを捧げたのに。

 他の女に言われるのが怖くて……

「ヒステリー起こして、大暴れして、唇には自分の血がついてて……

 なんでこんなぐしゃぐしゃな顔の時に言うのよぅ……」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 志貴のばか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 夜は明けた。

 大海は何事も無かったかのように穏やかで、

 晴れ晴れとした天気はいい一日を予感させる。
 
 

 船室への入り口からシオンを伴って出てきたゼルレッチは二人を見て笑みを浮かべた。

「終わったようだな」

 元帥ゼルレッチが独白し、皇婿・志貴=ブリュンスタッドが苦笑した。

「あぁ、迷惑かけたね」

「別に構わん。

 ……儂などよりも客達の機嫌を取り結ぶ方法を考えておくといい」

 横のむくれているシオンが志貴には印象的だった。

「あと、私の機嫌もね。 ……全く、朱い月に体乗っ取られて戻れなくなったらどうするつもりだったのよ」

「……あっ」

 嫌な汗が吹き出る。……まだ出た事に志貴は驚いた。

「全くです! 大体志貴、貴方という吸血鬼(ひと)は全世界の独裁者たる自覚と言うものが……」

 老元帥の含み笑いと、姫君の照れ笑いを見ながら、シオンにがなりたてられて。

 志貴はそれでもこの上ない満たされた気分であった。
 

「じゃ、とりあえず」

「行こっか?」

 腕を組んで歩き出す一組の夫婦。

 世界最高の権力者達。
 
 

 ―――――――――――太陽は今日も、彼等を明るく照らし続ける。

 本当なら、陽に当たる事すら許されない吸血鬼達を。
 
 

終わり
 
 
 


注釈

「…二度目ね。貴方が私の血を飲むのって」
アルトルージュを騙してその部下になる時、彼女に取り入る為志貴は嘘をついた。
「アルクェイド=ブリュンスタッドの血を飲まされた。
隙をついて逃げてきたがこのままでは遅かれ早かれ彼女の支配下に戻される。
俺を部下にする気はないか?」
アルトルージュにすれば悪い買い物ではない。
直死の魔眼持ちである上、それを強化して自らの死徒とでき、アルクェイド関係での溜飲も下がる。
勿論疑ってもいたが、彼に惹かれて以後それも気にしなくなったのだ。
――――――――その為の、下準備。

船室への入り口からシオンを伴って出てきたゼルレッチ
朱い月をぶち殺そうと殺る気マンマンで甲板に出てきたところでラブシーンに遭遇して、
出るに出れず(笑