『みっともない恋をしよう』
「相変わらず、と言うべきかね?」
「………言わないでよ。みっともない、って、ちゃんとわかってるんだから」
「まあ、誰だって格好いい恋をしたいと思うのは自然な事だろう」
「………うぅ〜」
「恋愛映画を見た帰りなど、特に映画のように格好よくありたいと思うのも当然と言えるな」
「うん………」
「人を好きになると、少なくともその人の前だけでも、格好良く振る舞いたいと思うものだよ」
「でも、ちゃんと格好よく出来ない」
「そうだな。今の君たちのように、恋人と喧嘩なぞした時なんかは、出来れば包容力のあるようなところを見せたいと思うだろう」
「難しいよ、それ」
「ああ。それはなかなかに難しい。人を好きになったら、どうしてもみっともなくなってしまうものだからな」
「………自覚してる、けど………」
「ヤキモチやきになったり、小さな事が許せなくなったり、ささいな事でくよくよしてしまったり」
「………それも自覚してる」
「どうして格好よく出来ないのか、と、自分で自分が情けなくなってしまうものだ」
「………うん………」
「今、自分はみっともない事をしている、という事も自分で分かってしまうから、余計に情けないと思ってしまうものだよ」
「………えうぅ………」
「こんな事をしていたら、ますます嫌われてしまうんじゃないか、と、泣き出したくなってしまう」
「………うん………」
「私とてそうだよ」
「………え………、………そう、なの?」
「ああ。私など、こうやって君に恋愛指南の真似事をしているがね。じゃあ、自分はどうか、と言われると、実際には格好よくなどないのだよ」
「そうかな? 充分格好いいと思うけど」
「それは君と距離を置いているからだよ」
「………距離?」
「ああ。まあ、これについては少し後に話をしよう。私も、好きな人の前では格好よくないさ。寧ろ、愚図愚図している方だと言っていい」
「………何か意外」
「そうかね?」
「うん。いつ会いに来ても、ぴしっと格好いいのに」
「そうだろうね。しかし、結構私も愚図な方だよ。愚図愚図している私が『私』のところに相談に来たら、『じゃあ、やめたまえ』と一言で片付けられて、『………まだ居るのかね?』と切り捨てられてしまうぐらいに情けない」
「………どうしてなの?」
「人を好きになると、本当に情けない事をやってしまうものだからだよ。でも、もし、君がみっともない事をしたと悩んでいるのなら、教えてあげよう」
「うん、おねがい」
「みっともなくていいんだよ」
「………そう、なの?」
「ああ。人を真剣に好きになってしまったら、みっともなくなるものなんだ。いい格好を出来る、という事は、それほど相手の事が好きな訳じゃない。『いい格好をする』だけの余裕があるという事なんだよ」
「余裕があるのは、いい事なんじゃないの?」
「そういう受け止め方も出来るかね。しかし、それは『全力』を出しているかい?」
「………えっと、………それは………」
「まず、『今、非常にみっともない事をしている』とか『今、脈拍が猛烈に上がって来てる』と、自分を客観的に離れて見てみる事だ」
「うん」
「そして、それで落ち込むんじゃなくて、客観的に離れて見た時に、『こんなにも好きなんだな』と思える事が出来れば、それでいいんだよ」
「そうなの?」
「ああ。まあ、私とて『あれ』ほどではないが、若い頃に色々と遊びほうけていたし、気に入った女性を手当たり次第に口説いたりしてきた事もあるから、格好いい科白を言ったり、すごく格好いい男をドラマのように演じたりする事も、出来ない訳ではないよ」
「………何か、意外だけど」
「今になって言われるようになった事さ。そして、『あれ』が今通過しているところでもあるがね。しかし、そうなってしまったら、きっと相手に対する思い入れがどこかで『引いてしまった』という事だろう」
「………『引いてしまった』、って、どういう事?」
「相手を『One of them』の一人にしてしまうか、その程度の付き合いぐらいのところにおいてしまったら、それは格好良く振る舞えるさ」
「そうなの?」
「少なくとも、私はそう思っている。正しいかどうかはその人が考えればいい事ではあるがね。だから、私は、本当に相手の事が好きなうちは、とことんみっともなくなろうと思っているんだよ」
「………それもどうかと思うけど」
「もし、君の恋人が、みっともないとしたら、それは包容力がないのじゃなくて、君に対して本気だという事だろう」
「………でも、格好良くなってほしいのに」
「こういうのもなんだがね、『あれ』のように格好いい事を言えるようになって欲しい、と言うのなら、そんな考えは捨てた方がいい」
「でも、格好悪いよりも格好いい事を言って欲しいと思うけど」
「格好いい事を言える、と言う事は、他の相手にも同じ事を言えるという事に他ならないんだよ」
「………誰でもいい、って事なの?」
「悪い言い方をすればね。『純愛』というとなんだか格好良くて『すごく包容力がある人』の事を指すみたいな錯覚をしてしまうけれど、『純愛』というのは、私はすごくみっともないものだと思うのだよ」
「『純愛』だとみっともなくて、そうでもないと格好いいの?」
「ああ。『格好よく出来る』と言うのは、『相手の事を好き』と言うよりも、それが『第三者から見られた時に格好良いと見て貰えるか?』と言うのを意識してしまっているからだと言う気がするね」
「でも、それを解ってくれる相手じゃないと、やっぱり格好良い方にいっちゃうんじゃない?」
「ああ。それを解ってくれる相手じゃないとつらいね。でも、君は今、その事を知っただろう?」
「………あ」
「本気になって、だからこそみっともなくて、それで恋人に嫌われて、恋人が格好良い事ばかりを言う奴の方に靡いていったら、結局、それまでなんだろう」
「でも、それってすごくつらいじゃない」
「ああ、つらいとも。誰かを好きになって、つらい気持ちになると『それは恋をしている証拠なんだから羨ましい』と言われるだろうけど、そんなに甘いものじゃない」
「うん。つらい」
「つらいさ、つらい。とことんつらいとも。独りで居た方がよっぽど楽だよ。『独りがつらい』、っていうけど、嘘だよ。誰かを好きになった方が絶対につらいさ」
「うん、それはわかる」
「『つらい』と言うのも、単なる『せつない』だけじゃなくて、やはり色々な事が起こる訳だからね。気持ちが通じれば通じるほど、相手の事がどんどん解ってくればくるほど、捕まえにくい部分というのがあるし、解ってくる」
「うん」
「そう言った部分を捕まえたなら捕まえたで『捕まえなければよかった』『知らなければよかった』と言う事にもなってくる」
「………そうだね」
「多分、そこでまた色々な事を乗り越えて、より強く結び付いていくんだろうけどね」
「うん。頑張る」
「自分以外はみんな格好いい恋をしているんだ、なんて、考えてはいけない。やはり、本気で好きになっている相手には、皆みっともなくなるものなのだよ」
「私みたいに?」
「ああ。みっともない相手と格好良い相手と二人いた時に、格好良い相手をとっているようではダメだね。それは気持ちのうえで、まだ『格好良さを保てる』くらいの浅いレベルでしかないという事なんだよ」
「じゃあ………『彼』も?」
「ああ。大勢恋人がいるようだが、誰にもいい顔が出来る程度にしかそれぞれに気持ちを割り振っていない、と言う事だ。本気で相手の事を好きになったら、格好良いままでは絶対にいられないからね」
「貴方も、そうだったの?」
「ああ。今までいた『恋人たち』全員から呆れられるくらいにみっともなくなったさ」
「そうなんだ………」
「そこまで本気になってしまうものなのだよ、そういう相手に出会えてしまうとね。聞いた話では、相手を愛するがあまりに成り振り構わなくなって自らを『死徒』に変えてでもその相手を愛し続けようとした男もいるのだよ」
「………すごい愛もあったものね」
「ああ。だから、『あれ』も、そろそろそういう事を悟りつつある。とは言え、それでも自分を格好良く見せようとしている当たり、私からしてみればまだまだなのだがね」
「うわ、結構辛辣」
「身内には厳しいさ。ともあれ、安心するといい。君は、いや、君なら大丈夫だから」
「………そう、かな?」
「心配かね?」
「うん、やっぱりちょっと」
「それでいいんだよ。人を好きになるという事は、そういう不安とともにある事なんだから。そして、人を愛するという事は、二つしかないんだ」
「ふたつ?」
「ああ。一つは信じる事」
「もうひとつは?」
「信じ続ける事」
「………どう違うの?」
「一瞬、人を好きになる事は、誰にでも出来るんだね。ところが、その人を『好きで居続ける』事には、ものすごい沢山のエネルギーが必要になってくる」
「沢山のエネルギー………」
「誰かの事を一瞬、『ああ、いいな』と思うのは自分の意思がなくても出来る。でも、たとえば、その人の嫌なところが見えたりした時に、嫌なところもひっくるめて好きになれるかどうかというのが、『愛し続ける』という事なんだ」
「でも、好きになれないところって、絶対にあると思う」
「ああ。でも、『気に入らない』というのにも二通りあって、一つは本当に嫌いになった時だ」
「もう一つは?」
「もう一つは、本当は好きなんだけど、あんまり好きになりすぎて、自分の気持ちがコントロール出来なくなってしまって『気に入らない』というのがあるのだよ」
「………好きになりすぎて?」
「ああ」
「なんか、それって不思議」
「そうだろうね。たとえば、喧嘩して別れるのは簡単だ」
「………簡単とか言わないでよ」
「それは失礼した。しかし、喧嘩して別れるのは簡単なのだよ。しかしそれでも、喧嘩したけど、でもなんとかやっていこう、と頑張って踏ん張り続けようとする所に、初めてその人の努力が出てくる」
「………逃げない事?」
「そうとも言える。そこでは『信じる事』が必要なのだが、その『一瞬だけ信じる』のではなく、『信じる事』を継続させていく事がもっと大切なのだよ」
「………なんだかそういう歌があったわね」
「あったね、確かに。『アナタの事を信じている』と言うよりも『信じ続ける』と言う方が、その人の意志として大切なんだ。『信じる』事は簡単かもしれないが、『信じ続ける』事は難しい事なのかも知れない」
「えーと………『負けない事投げ出さない事逃げ出さない事信じ抜く事、駄目になりそうな時、それが一番大事』………だよね」
「そうだね。誰とも長く付き合えない人というのは、好きになって、信じていたのかもしれないけど、信じ続ける事をしていないのだろう。これは恋愛だけじゃなくて、君が一生懸命追い続けている夢についても同じ事が言える」
「………結構、無茶な夢だと思うんだけど」
「そんな事など関係ないさ。夢を叶えたい思う事は、それほど難しい事ではない。夢を叶えようと思い続ける事が、難しくて、大切な事なのだよ。夢というのは、『夢を見る力』だけじゃなくて、『夢を見続けていく力』が必要なのだよ」
「夢を見続ける『力』………?」
「ああ。まあ、例え話になってしまうが、良いかね?」
「うん」
「例えば………そうだな。作家になりたいと言う人がいて、ある日400字詰め原稿用紙に50枚書いた。でも、次の日は全然書けなかった。放ったらかしにしているうちにどんどん時間が経ってしまって、その作品は中途半端になってしまう。そういう書きかけの作品をいくら書いても駄目なのだよ。途中何度投げ出してもいいから、支離滅裂になってもいいから、とにかく『終わり』と書けるところまで書いてしまうのだ」
「………枚数少なかったり、無茶苦茶だったりしても?」
「そういう事は関係ないのだよ。たった5枚の小説だとしても、『終わり』と言うところまで書ければ、それで1本の小説を書き上げた事になる。書き上げる事が、自信に繋がっていく。1日に例え1枚でも2枚でもいいから、とにかく書き続けられる人だけが、作家になれる。時間が掛かっても、回り道しても、辿り着けるのだよ」
「………辿り着こうとしない限り、辿り着けない、って事なのかな?」
「そうとも言えるな。この間、ある裏社会の知人から聞いたのだが、『ヤクザを30年やっていて、親分にならなかったのは片手で数えられるぐらいしかいない』とね。つまり、ヤクザの世界であったとしても、続けていれば親分になれるという事だ」
「それって、難しいんじゃない?」
「ああ、そうだとも。『信じ続ける』という事は、とても難しい事だ」
「うん………」
「信じて疑って、でも信じて疑って、でも信じ直して、でも疑って、でも信じ直して………。積み木を崩しながらまた積んでいく作業を『ずっと続けていけるかどうか』だ」
「………でも、それは………」
「疑ってしまうのも当然だろう。でも、それを上回る『信じよう』とする気持ちも、あるはずだろう」
「………うん。ある。あるけど………」
「『目に見えるもの』が『現実』だとすれば、『真実』というのは、その人が何を『信じたい』と思っているかというものなのだろう。君にとって大切なのは、『現実』よりも『真実』の方だ。君が『信じたい』と思う事こそが『現実』だ」
「………でも………、………それでも………」
「それを疑ってしまうと、疑った『現実』が現れて、それが『真実』になってしまう。最初は、そんなものなど影も形もないものなのだが、『疑う』事によって、それがどんどん『現実の形』になっていく」
「そんなのやだ」
「それはそうだ。傍目に見ている方にもつらいさ。『疑う』という事は、言い換えれば『お化け』なんだ。『お化け』を自分で生み出しているにすぎないんだよ」
「じゃあ、疑ったら駄目なの?」
「いや、疑っても構わないさ。疑う事を否定する訳じゃない。一瞬でも疑ったら、次にはまた信じる。信じ続けるという事は、ちっとも疑わないという事ではないのだよ」
「疑ってもいいの?」
「あまり推奨はしないが、疑ってもいいという事ではある」
「………変なの」
「そうだろうね。しかし、目に見えないものを信じる事が出来るかどうかは、大切なんだよ。目に見えるものを信じる事は、誰にだって出来る。これは大人なんだよ。逆に、大人は目に見えるものしか信じない。信じる事が出来ない」
「現実的?」
「そうとも言えるが、それはそれで悲しい事なのだよ。子供は目に見えないものを信じるんだ。字を読めないとなおの事、絵本を持ったとしても、ストーリーとは関係なしに、自分の作り話で勝手にお話してる」
「………そうなの?」
「『あれ』にもそんな可愛らしい時期もあったがね。すぐに要らん知恵を着けてつまらない『大人』になってしまいおったが。しかし、子供というものは目に見えないものを平気で信じてしまえるものなのだ。これは強い」
「強いの? 子供って、弱そうだけど」
「『心の強さ』という意味では、大人よりも強いだろう。『柔軟』と置き換えてもいい。大人は、子供が一生懸命話している事を何故そのまま信じてやれないかというと、それは目に見えない事だからだ。子供はまだ素直だから、それが目に見えないものだろうがお構いなしに平気で信じる事が出来る」
「大人だと難しいの?」
「難しいね。『現実』を自分で固定させてしまうからだろうが。だんだん大人になってくると、目に見えないものは信じられなくなって、目に見えるものだけを信じるようになってしまう。目に見えるモノは、それを確かめる事が容易だからね」
「それが、大人は弱いって事?」
「そうだ。そうなってくると、『夢』と『現実』の距離がどんどん小さくなって、どんどん『夢』が小さくなってしまう。自由であるはずの『夢』が『現実に即したもの』にまで貶められてしまうのだよ」
「夢が見えなくなる?」
「そう。『夢』は、目に見えないからこそ『夢』なのだよ。『夢』は、その『夢を見ている人』にしか見えない」
「私の夢は、私にしか見えないの?」
「君の気持ちは君にしか解らないようにね。誰かを好きになると、その人がすごく格好良く見えるようになってしまう。それは、他の人には『見えていないもの』を『信じている』からなんだよ」
「………私だけが分かる、って事?」
「そういう事だ。夢と同じだと言えるかな?」
「夢………」
「自分は将来こういう事をやりたい、と思う。それはまだ実現していない。『形』になっていないから、目に『見えない』。でも、きっとやれるはずだと信じる」
「見えないものを信じる」
「不思議な事に、『渡り鳥』と同じだな。『こっちへ飛んでいけば、きっと南の島へ辿り着くに違いない』、と思いながら信じて渡り鳥は飛ぶ。鳥は地図を見ているわけでも、千里先が見えているわけでもない。言ってみれば、夜空の星を目がけて飛んで行くようなものなのだよ」
「『見えている』けど『見えないもの』を目指す」
「そう。例えば、彼と24時間ずっと一緒にいる訳ではなくて、離れている時間がある。………まあ、君にしてみれば、離れている時間の方が多いのだろうがね。それでも、離れている時間も君は彼の事が好きで、ずっと想い続けている」
「うん」
「その時に『ひょっとして、彼が浮気していたらどうしよう』と想うのは、『目に見えないもの』を『信じられなくなっている』という事なのだよ」
「でも、会っていない時は、何やってるかわかんない」
「二人でいる時は信じられるけど、自分と一緒に居ない時に、他の女の子と会っていたらどうしよう、と考え始めると言う事は、『目に見えないものを信じている』どころの話ではない。『目に見えないもの』まで『作り初めている』という事だよ」
「私が………ありもしない事を勝手に作っている、って事なの?」
「そうだ。自分と一緒にいない時は、彼は彼なりに頑張っているんだ、と言う事を、信じる事が出来るか」
「見えないものを信じる」
「そう。『愛情』なんてモノは、最終的には目に見えないもので、形に遺せるものでもないのだよ。それを信じる事が出来るかどうかだ。それは恋であってもそうだし、夢であっても同じだ。目に見えるモノであれば、不安でもなんでもないのだろうが、目に見えないモノになると、途端に不安になってしまうものだ」
「確かめられないから、不安になっちゃうのかな」
「だろうね。人が進歩し始めた時は、実は立ち上がった時から何だろう。立つと、不安定になる訳だ。今まで寝転がっていたのが、急に二本足になるのだからね。どうしてもバランスが悪い」
「倒れるの?」
「そう。前に倒れそうになる。思わず、片方の脚を踏み出した。倒れそうになるのを支えるためにね。そうしたら、身体が前に進んだ。進んだものだから、ますます重心が前に傾いて、更にバランスが崩れた」
「そして、また前にもう片方の脚を踏み出した」
「そう。そしてまた逆の脚を………、と。こうして、人は歩き始めたんだ」
「不安定だから?」
「そうだ。安定感があるから、歩けるんじゃない。不安定だからこそ、前に進むんだよ。カップルだって、似たようなものさ。二人いて不安定だからこそ、うまくやっていこうとして前に進めるんだ。最初から安定してしまえば、そこから動かなくなるものなのだよ」
「………だから、私たちなら大丈夫だ、っていうの?」
「それもあるかね」
「もう」
「ははは。さて、少し長い話をしよう。いいかい、想像力を働かせて聞いてほしい」
「うん」
「それは『一枚の板』というお話しだ。
人生の階段には、常に1枚の板しかない。その1枚の板の上を、私たちは上り続けている。
今、君はたった1枚の板の上に乗っていて、一歩踏み出し、重心が移ったら、そこに板が移動していく。
君の重心のあるところに板がある。
今いる板の上に重心を残したまま次へ踏み出そうとしても、板は前に行かない。
前に足を出しても、板が前に進まないから、君は落ちそうになる。
そうすると、君は前に出した脚を引っ込める。
結局、今乗っている板に重心を置いている限り、君はいつまでたってもそこから上には登れない。
君の後ろには、もう板はないんだ。
重心が移った瞬間に、初めてその板は前へ移動する。
板は延々と続いて居るのではなくて、結局、1枚しかない。
それは、『今』なのだよ。
一歩自分が脚を踏み出して重心を運んだ時点で、初めてそこに板が現れる。
自分の乗っている板が動いていく。
板が1枚あれば、君は落ちない。
『見えるもの』だけを信じようとする人は、目の前に板が出て来てから、安全を確かめてようやく踏み出そうとする。
ところが、今、1枚の板には自分が乗っているのだから、目の前には板は永久に現れない。
その階段が延々と続いて、私たちは1枚の板を登り続ける。
板が1枚しかない、前にも後ろにもない、と思って、急に怖くなると駄目なのだよ。
高いところへと登るコツは、下を見ない事。とにかく、脚を踏み出す事なのだ。
これは象徴的な話なので、解りづらいかもしれないがね」
「………ん〜………」
「一瞬で解ってしまう人もいるがね。別に、今、解らなくても構わないよ。いつか思い出してみた時に、解るようになっているかもしれない。誰かに何かを伝える、という事は、そういうものなのだよ。即効性を求めてはならないんだ」
「………わかったような、わからないような………」
「映画で例えれば、よく象徴したシーンがあったよ」
「え? どんな映画?」
「インディー・ジョーンズ・シリーズのパート3、『最後の聖戦』の中で、断崖絶壁なのに、『信じて跳べ』というシーンがあるんだ」
「あ、見た見た。うん、知ってるよ。何にもないところなのに、歩いていける、ってシーンだよね」
「そう。脚を踏み出してみると、目も眩むような断崖絶壁なのに、自分は宙に浮いてる。実は目の錯覚を利用したトリックで、砂を撒いて見ると保護色に隠された橋がある。私は、これは象徴的なものだと思うね」
「脚を踏み出したら解るけど、そこにあるから脚を踏み出すんじゃないんだ」
「そういう事だよ。だからしかし私はどうか、と問われると、そんな事を偉そうに言えるほどではないのだがね。相変わらず家内に笑われそうだし」
「そんなに厳しい人なの?」
「厳しかった、と言うべきかな。私に対しては容赦なかったね。敵を明確に作るタイプでね、好き嫌いが激しかった」
「そんなにすごい人だったの?」
「ああ。口癖は『下らない八方美人になるな』だったからね。いや、女性関係を清算させられた時ったら、我が生涯もこれまでか、と嘆いたものだよ」
「………実は凄かったの? あなたも」
「今でこそ意外だと言われるがね。今の『あれ』ほどではないにせよ、色々と遊んでいたものなのだよ。しかしまあ、家内に会ってから変われたね、色々と」
「変わらされた、とか」
「確かにそうだろう。しかし、それがもとで本当に大切なものが解るようになったから、感謝こそすれ恨む事など出来ないよ」
「素敵な人だったんだ」
「そうでもないさ、言ったろう。『敵を明確に作るタイプ』だと。好きでも嫌いでもない相手には、嫌われようが気にしない質でね。逆に、そんな相手に対して労力や時間を費やすくらいなら、好きな人と好きな事を一緒にやるために時間や労力を費やしていた方が建設的だ、とはっきり言い切るタイプだったよ」
「はっきり言っちゃうんだ」
「ああ。『1人に思いきり愛される方が、100人に満遍なく愛される事よりも嬉しい』と言い切っていたぐらいだよ。確かに、1人に思いきり愛される事よりも、100人に満遍なく愛される事を選んでしまったら、つまらない事になってしまうさ」
「八方美人は意味がない、って事?」
「ああ。例え99人に嫌われてもいいから、この人だけには愛されたいし、愛したい、と言う相手がいる事が大事なんだよ」
「あ、それは私にも分かる」
「しかし、そうなってくるとみっともなくもなるし、責任も発生するから疲れるし、ぶつかりもするし喧嘩もするし、いい事ばかりじゃない」
「でも、100人相手にする方が疲れるんじゃない?」
「逆だよ。100人に満遍なく愛される事は、それほど難しい事じゃないのだよ。責任を持つほどでもないし、喧嘩するほどの付き合いがあるわけでもない。100人と付き合っていると、自分にとっては100人のうちの1人なんだから、相手に腹が立つ事もないし、それほど深入りする事もない。ましてや、『あれ』は、気に入らない相手を切り捨てるのに躊躇いを覚えんのだ。そもそも深入りなどしないし、気に入ったものだけが集まっていればそれで気が済む程度だからな。100人すべてに深入り出来るなど、絶対に無理なのだし」
「………最初に言ってた、『相手を『One of them』の一人にしてしまうか、その程度の付き合いぐらいのところにおいてる』って事?」
「そういう事だよ。『あれ』は自覚しているのかどうかわからないが、そも『八方美人』というのは、相手が独りだと淋しいものが多いのだよ」
「………1対1だと、耐えられないの?」
「無責任だから、と言う言い方も出来るな。あるいは、自力で解決するだけの覚悟が出来ていない、とも言える」
「それって何かキツイ言い方」
「それはそうだよ。恋愛で何が一番つらいか、と言うと、相手と自分の間で何かが起こっていても、誰にも助けを求められないという事なんだよ」
「………んー、でも、私は貴方に助けを求めているけど」
「解決は君の手で行っているだろう。恋人がいるにも拘わらず浮気や不倫に走るきっかけというのは、そこなのだ。本命の恋人と問題が起こると、つい別の人に助けを求めにいってしまう。2人の間で問題を解決するのではなくて、別の誰かに助けを求めていく。見た目には解決しているようではあるのだがね、結局のところ、『2人の問題』と言う名の『ジョーカー』を他所へ持っていっているだけの話なのだよ」
「解決しようとせずに、逃げてるだけ?」
「2人ともがね。そういう人は、例えば、もう1人の方とも問題が起こった時に、今度はまた本命の方に戻っていく。まあ、逃げ帰る、と言う事なのだよ」
「………うぅ、何か身につまされる言葉だよ」
「それが自覚出来ているだけ救いはあるだろう。だから覚えていくといい。こういう事をやっていると、いつまでたっても2人の関係は深くならない。相手と起こった問題は、やっぱり相手と2人だけで何らかの決着をつけていかないといけないんだよ」
「私たちの問題は、私たちだけで解決しなきゃならない、って事なのよね」
「ああ。まあ、よく、『好きな人からは好かれなくて、好きでもない人からはいっぱいアプローチされてうまくいかない』という言い方をする者がいる。それは『好きだ』と言われたら、自分ももっと相手の事を愛そうと思うんじゃなくて、『この人は私を愛していると言っているから大丈夫だ』と考えて満足してしまって違う人の方に行ってしまうからなのだよ」
「………それって、凄い我が儘」
「確かにそうだろうね。相手に言われたから絶対に大丈夫だと勘違いしてしまって安心してしまうのだろう。それでは駄目なのだよ」
「んー。でも、やっぱりそれは相手がいるからこそでしょう?」
「そうだね」
「独りだと、やっぱり寂しいよ」
「それは『独りである事』を楽しんでいないからだ。独りの時に、2人でしか出来ない事をやりたいやりたいと思いながら、独りでしか出来ない事をやらない。その癖、いざ2人になったら、せっかく2人で出来る事が有るのに『独りだったらこんな事が出来るのに』とくよくよ考える。そうなると、結局どっちになっても何も出来ないで終わってしまう事がある。そうなってはならないのだよ」
「じゃあさ、独りの時は、独りで出来る事をしておくの?」
「そうだ。独りの時でしか出来ない事をしておくのだよ。独りでいたら、独りでいる事を積極的に楽しむのだ。そして、2人になったらやりたい事を沢山書いておけばいい。つまらない相手と付き合って時間を無駄にするよりは、独りでいた方が余程いい。独りでいる事は、みっともない事ではないのだよ」
「う〜ん、でも、何か『独り』だと、色々と言われるし」
「だからといって、そこいらの男では意味がない」
「うん」
「『とりあえずいる』、のではなくて、『この人にこそいて欲しい』という相手がいるのなら、その人の事を考えるべきだろう。だが、厄介な事に独りの方が色々と自由がきくのも事実だ。2人だと、相手がいるから煩わしい事も多く出て来てしまう」
「………ん〜、そういう実感はあんまりないかな。私が意識していられるようになった時には、もういたから」
「なるほどね。まあ、私は『戦う者』だから多少は実感出来るが、『芸術家』と呼ばれる者は独りでなければ絶対に物を造れないのだよ」
「だったら、ずっと独りなの?」
「いや、そんな事はないさ。いい芸術家というものは、皆、素敵な女性と付き合っているものなのだよ、不思議な事にね。そして、素敵な女性と付き合っているからこそ、独りになれるのだよ」
「あなたもそうなの?」
「まあ、確かに、家内と出会ってからは『独り』でいられるようになったな。『独り』でいたとしても『私は独りではない』といつだって安心して思っていられるからだろうな。その時からだろうか。私が本当の意味で強くなり得たのは」
「独りでも、独りじゃない」
「ああ。これが本当に『独りぼっち』だと、どこか不安で仕様が無くて、あっちの女、こっちの女、といつでもうろうろしていなければいけないようになってしまう。そうなると、結局『独り』になっていないから、『戦う事』も、『造る事』も出来なくなる」
「独りだけど寂しくない、の?」
「そうだ。物を造る者は、付き合っている相手がいるからこそ、独りになっても寂しさとは無縁で、孤独であったとしても者を造り出す事が出来る。戦う者にしてもそうだと言える。帰りを待って自らを受け止めてくれる人がいるからこそ、遠く離れた戦場で戦う事が出来るのだよ」
「そうなんだ」
「そういう女性を、芸術家たちはしばしば敬愛を込めて『創造の女神(ミューズ)』と呼ぶのだ。無論、これは芸術家に限った事ではなくて、誰にだってそうなんだろうけどね」
「私もそうなれるかな?」
「君が独りでいる事の意味を確かめられるようになれば、自然とそうなるものだよ。やはり、勉強するとしても独りにならないと出来ないし、本だって独りにならないと読めないものだ。そんなふうに、『独りになれる』という事は、ちゃんと落ち着いて独りになっても孤独じゃないと思える相手がどこかにいてくれるという事なんだよ」
「………独りになれる事と、『独りぼっち』とは違う、って事?」
「そうだ。『独りぼっち』はどこまでいっても独りでしかないが、独りになれるという事は、二人でいるという事なんだ。それは、独りになっても寂しくない」
「でも、独りは何か寂しいと思う」
「否定はしないよ。当然ね。ただ、独りにならなければ『自分の内側の自分』との対話が出来ない。鏡を見るのもよい事だろう。自問自答出来るよい時間だからね」
「………でも、私、暇な時に結構ここで騒いでる気もする」
「確かに、友人知人と会って喋っていると、『寂しい』という気持ちは紛れるだろう。しかし、独りになって自分と対話する時間がないと、やはり人は成長しない。『本を読みなさい』と言うのも、何も本を信奉しているから言っているのではなくて、自分自身と対話するための時間を持ちなさい、と言う事に他ならない」
「あなたが、ここにきた時によく本を読んでるのを見るけど、そういうことなんだ」
「ああ。同じ本を、もう十何年も繰り返し読んでいるな。何度読んでも読むたびに違う印象を感じられる」
「じゃあ、本が自分との会話になるの?」
「本を通じて、と言うべきかな。本を読む、という事は『自分自身と対話する』ための道具であり手段だと考えれば良いだろう。独りになってしまう事は怖い事だと考える必要などない。寧ろ、そういうふうに考えて独りになれない者は誰かと付き合おうとする事は無理なのだよ」
「独りを楽しめないと、誰ともいられない、って事?」
「そうだ。『独り遊び』という言い方をしてしまうと何か無様な感じもするが、『独り遊び』とは何か、と考えれば、『独りの時間と独りの空間を楽しむ事が出来る』という事なのだよ。ところが、独りでいられないから2人でいる、と言う者は、やはり相手に頼ってしまうか、我が儘になってしまうかのどちらかだ」
「独りでいても時間と空間を楽しめるからこそ、初めて2人でいても楽しいし、3人以上になっても楽しめるの?」
「そういう事だ。その辺りを勘違いしてはいけない。ただ相手を求めて賑やかな所に行くのであれば、それは大勢いるのではなく、結局孤独でしかないのだよ」
「じゃあさ、独りでいる時と、一緒にいる時に、どういうふうに考えたら良いのかな?」
「相手が君を求めて色々と動きを束縛するようであれば『愛されている』とそのまま受け止めればいい。逆に独りでいる時間が増えてきたのなら『信頼されているのだ』と考えればいい。しかし、一緒にいても何を話すでなく、その沈黙すらも平気で楽しめるようになれば、心の中で沢山の言葉を交わして通じ合えているという事だろう。実際に、そういう組み合わせを見た事とてある」
「会話じゃない会話をしてる、って事?」
「ああ。例えば、………そうだな。こうやって呑んでいる時や、あるいは食事している時でも、喋っていたはずなのに、ふと気が付くと沈黙の間があいている事がある。気が付いて、間があいているという時というのは、相手が言った一言や、相手の表情や仕草とかで、頭の中で色々な事を考えている時なのだよ」
「相手の事を考えてくれてる、って事?」
「そうだ。相手の事について色々と考え、小説じゃないけれど、イメージを思い巡らせている。当人はそれが一瞬の心算なんだろうが、客観的に見ると何か間があいているように見える。その時に『何考えてたの?』と問いかけるべきではない。少なくとも、他の誰かの事を考えている訳ではないからね」
「じゃあ『今、私が言った事で、何か思いを巡らせて、どこかへ気持ちが飛んでるんだ』って考えるの?」
「ああ。『話す』には、まず『聞く』事が大事だからね。そして『受け止める』という事は、『耐える』という事と同義語では決してない。むしろ、逆だと言っていい」
「………そうなの?」
「ああ。我が儘と素直は根本が一緒ではあるが、だからこそ『我慢』をしてはいけない。素直は徹頭徹尾その有り方を押し通してしまうが、我が儘というのは後から出てくるものなのだよ」
「………後から?」
「例えるなら『〜〜したい』と最初から主張するのが『素直』。逆に『〜〜したかったのに』と取り返しがつかなくなってから文句を言うのが『我が儘』だよ」
「………取り返しがつかなくなるまで我慢するのが駄目なの?」
「そう。その時は最後まで言わないのが正しさだよ。なぜ、我慢する事がいけないかというと、我慢しているうちにいつの間にか『私がこんなにも我慢しているのに、何よ』と、変な方向に曲がっていってしまうからなのだよ」
「あはは。心当たりあるよ、そう言うの」
「そうなってしまうと、自分が『正義の代表』になって、さらには『被害者』になってしまうのだ。『正義の代表』になどなってはいけない」
「正義だと、良くないの?」
「自分が正しいと思い込んでしまうからだよ。正しさは別の場所に有るにもかかわらず、ね。でもまあ、普段は素直なのに、好きな人の前だから、と意識してしまって素直になれないという事もよくある話だよ。初めて出会ったころは、素直な自分を出せなくても仕方がない」
「………そうなの?」
「うむ。しかし長くその人とやっていけるかどうか、と言うのは『無理をしない自分』を出してみた時に、通じる相手かそうではないのかという事だろう。自分を出す事を躊躇っても、結局、その関係が変わるわけではないのだから」
「時間が長かったら、そう言うの出し易いんじゃないの?」
「そんな事は性格上の相性の問題だから、10年付き合ったからと言って受け入れてもらえるかどうかなんて関係ないものなのだよ。『我慢してるな』と感じたら、それは相手の事がそれほど好きじゃなくなっている、と言う事なのだよ。それは、恋人であれ、夢であれ、同じ事なのだろう」
「………んー、でも、待ってるのは淋しいけど我慢してるか、って聞かれたら、ちょっと違う気がする」
「それは『努力』しているからだろう。『努力』はどんどんしなければならないが、『苦労』はしてはならないのだよ」
「どう、違うの?」
「好きなものに対してするのが『努力』で、仕方なしにやっているのが『苦労』なのだ。好きな事をしていれば、苦労など感じないものだからね。周りがいくら『苦労している』と言ったところで、本人にしてみれば『好きな事をしていられる』のだから、そんな意識なんて全くない」
「そんなものなのかな」
「ストレスにしても、同じ事だよ。向いていない事を無理やり『向いている』と思い込んでやったとしても、ストレスは溜まる一方だ。恋人と一緒にいて、ストレスが溜まるとしたら、そんな相手とはさっさと別れた方がいい」
「でも、私、一緒にいられると凄い幸せだよ?」
「そうだな。恋人といる時ぐらい、ストレスを発散しなければね。それでなくとも、世の中にはストレスが溜まる事が沢山あるのだから」
「あはははは。確かに、見てるとよく解るよ」
「だからこそ、無防備になれる時が必要で、無防備を受け止めてくれる相手が必要なんだよ」
「それは、私の方から甘えてもいいの?」
「無論だよ。恋人同士というのは上下関係でも主従関係でもない。どこからどこまでも対等だからこそ、『恋人』たりえるのだ。だから、『あれ』のように、ただ周りに侍っていればいいと考えているうちは、まだまだ難しかろうな」
「そうなんだ」
「対等であるからこそ、お互いの持っているものが混ざり、解け合い、そして分離する。その時に、お互いが持っていたものが入れ替わってくるんだよ、不思議とね」
「考え方とか?」
「性格的な事とか、ものの考えとかね。夫婦生活が長く続くと似た者夫婦になる、と言うのは、その辺りから来ているのだろうな。相手の事が好きであればあるほど、価値観などが一致しなくても、やがて融合、分離の時に入れ替わってしまうものなのだよ」
「………立場も?」
「もとより対等だろうがね。言っている事が逆転してくるから、『それは俺が前に言ってた事じゃないか』と自分で分かるから突っ込まれてくる事を防げなくなる。言っている方も『あなたが前に言ってたじゃない』と責めるのではなく、求めるのでもなく、本気でそう思えるようになるんだ」
「………あ、それ、ちょっと解るような気がする」
「そうなると逃げ場なぞないぞ。何せ、自分の言葉だったのだからな」
「あはは」
「追い詰められるからこそ、見える事もある。何かを得ようとするのなら、まず、握り締めた拳を開いて、手を広げて余計なものを捨てなければならない」
「余計、かな?」
「余計だとも。『自分自身』以外のものはすべて余分だ。だが、好んでそれを背負おうとしてしまうのもまた、ヒトのヒトたる業ではあるがね」
「難しいね」
「正しい答えなどあってないようなものだよ。君が探そうとしなければね」
「独りで、探せないよ?」
「だからこそ、だろう」
「だから?」
「そう。奇跡はいつも君の目の前で起きている」
「ただしそれは、独りで動いている時に?」
「そういう事さ」
「………あれ、この曲………」
「ああ、これか。あの夫婦が得意としている歌い方だ」
「んー………今回のお話しにぴったりの歌ね」
「そうだな。まあ、彼らもしょっちゅう夫婦喧嘩をしているようなのだが」
「えー? 仲良さそうに見えるよ?」
「仲は良いだろう。だから毎度のように喧嘩して、仲直りしている。そういうものだよ」
It's a miracle that you and I
For the first time when you
and I
A single breath , a single sigh
There's nothing sure in this
world
Through good times and bad
times
The man that I am now
can't promise all
Through good times and bad
times
A single breath , a single sigh