「ただいま、翡翠」
「お帰りなさいませ、志貴様」
いつものように屋敷に帰ると、これまたいつものように門の前で翡翠が待っていてくれた。
――いつも以上に、表情が強ばっている。
「………翡翠、何か………あったのか?」
「志貴様………その………少々………よろしいですか?」
「? なんだい?」
それは、あまりにも唐突で――
――躱すことも出来ず――
CHU!
「――お帰りなさいませ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
――朝の琥珀さんと同じだ。
――ほっぺにちゅ。
無表情を装っていても、昔のように表情が豊かになった翡翠の――
照れて俯いた横顔は――
――反則過ぎる。
「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
ふたり、顔を真っ赤にしたまま門の前で立ち尽くす。
時々、お互いを見るんだけど、それがまた、恥ずかしくて、俯いたままで――
――しばらく、そのままで二人、落ち着くまでそうやっていた。
月姫カクテル夜話《CZARINE》
カランカラン………と、ドアベルが鳴る。
「あ、お帰りなさいませぇ。カクテルバー『ムーンタイム』へようこそおこし下さいましたぁ」
落ち着いた雰囲気を見せる樹のドアをくぐると、入り口付近を走っていたウェイトレスが舌っ足らずな声を掛けて来た。
――って
こんな小さい娘までいるのか?
歳の頃は10歳かそこら。都古ちゃんと同じぐらいだろうか?
ロリロリとしたあどけない顔立ちに、つるんぺたんな体型。
チェリー・ブラウンの長目のツインテールが、動くたびにぴこぴこ揺れる。
それでいて、妙に体にぴったりとフィットした、露出の多いレオタード風味の、メイド服っぽいものを身につけているから――
――この衣裳、レンに着せたらどうだろう?
そんな邪まな考えさえ浮かぶ。
「志貴様、ようこそいらっしゃいました。今日はフェアをやっておりますので、大変混雑致しておりますけど、どうかご容赦願いますぅ」
「フェア………って、何の?」
「オーナー所蔵の美術展です。『画廊』の方の入り口が『接続』されておりますので、よろしければご案内させていただきますよぉ?」
時間は………まぁ、いいか。たまにはこういうのも見ておかないと。
――秋葉への言い訳にも使えるだろうし。
「じゃあ、お願いするよ」
「かしこまりました。あ、あたし、チェリーって言います。どうぞよろしくぅ」
「こちらこそ、よろしく」
くるり、と背中を向けて歩きだすチェリーちゃんを見て………
「………背中全開じゃん」
まんま、競泳用の水着のように背中全開。
ホルターネック――いわゆる肩紐の無い、首にかけて着るタイプ――のレオタードだから、肩口から背中、脇腹が大開きに開いている。
首の後ろと腰の後ろのリボンで止めているが、ちょい、と解けば、はらり、と落とせるタイプだ。
ウェストサイドからヒップ部分には大きめのフリルでスカートのようにカバーされ――
レオタードのリボンと一緒に纏めて結ばれたエプロンのリボンが鮮やかで――
エプロンとフリルスカートの間からはハイ・レッグに切り込まれたラインがのぞき――
右脚のリボン付きのニー・ソックスといい――
左脚の足首と太腿に付けたフリルのレッグ・バンドといい――
二の腕の半ばまでカバーするリボン付きのロング・グローブといい――
『えぷろんぱんてぃー』に近い、その凄まじき破壊力を内包した姿。
それは正に――
――匠の一品。
リボンは大きめなのがGOOD!
ツインテールはボンボン付きのゴムで括ってあるのがさらにGOOD!!
「………いい店だ」
「ありがとうございますぅ」
感想が場違いだが、言葉は噛み合っている。
淡い桜色のレオタード風メイド服が、染みひとつ無い白い肌に映えて――
――清純さと妖艶さ――
――そして背徳の香りが――
………ヤバい考えになってきた。
軽く頭を振って邪念を払う。
――払い切れない辺り、男って悲しいよね………
「こちらですよぉ」
そう言って、扉を示す。
重厚な気配を見せる、大きな扉。
「中には、『ハイクラス・メンバー』でなければ入れない部分もありますけれど、志貴様でしたら『ハイクラス・メンバー』ですから、問題なくご覧になれると思いますよ」
「………きみ、は?」
「あたしがこの中に入るには、ご主人様がいないとダメなんです。ですから、ご案内出来るのはここまでなんですよぅ」
心底申し訳なさそうに頭を下げる。
「中には、中に入ることの出来るスタッフか、他のお客様がいらっしゃいますので、何か困ったことがあったら、近くの方に声をかけていただけますか?」
「ああ。わかった」
そして、開けられた扉をくぐり――
「――うぉわ」
その光景に、驚嘆の溜め息を漏らす。
入ってすぐの所は、吹き抜けを見下ろす回廊。
摺鉢状に組まれた吹き抜けの、四階部分に出る。
一階部分から、更に上の方までそびえ立つ水晶柱と、その中に輝く彫刻。
周囲の壁には、さまざまな絵画や彫刻などの美術品が飾られ――
「………だれか、連れて来ればよかったかな?」
ふと、そんな気分になる。
しかし、連れて来たら連れて来たでゆっくり鑑賞するどころの話じゃないだろうし。
「………うまくいかないモンだよな」
呟いてみる。
そして、展示を見るために歩きだした。
「………全部見て回ってたら、どれくらいの時間がかかるんだ?」
軽く2〜3階分の展示を見て回っただけでも、結構な時間が過ぎた。
絵画が主ではあったが、それ以外にも彫刻、彫像、陶器、宝石や貴金属細工。
――果ては武具類まで。
美術品――芸術品としても十分展示に足りる物ばかりではあったけれど。
展示が際限なさ過ぎる。
「時間………は………」
腕時計を見て――
「………うそ。故障かぁ?」
時計が止まって、ピクリとも動かない。
耳を当ててみても、コチリとも音がしない。
「まいったなぁ。デジタルの奴にしときゃよかったかな?」
「無駄ですよ? そんなことをしても」
横手から、声が掛かった。
「この中………[MOON TIME]の中では、時間は流れると同時に止まってもいるんです。ですから、いくら時計を変えても、結果は同じです。お店の外から持ち込んだ物であれば」
声を掛けて来たのは、歳のころは二十歳そこそこだろうか。
落ち着いた雰囲気の、理知的で優しげな雰囲気を持つ美女だった。
碧がかかった青い瞳は垂れ目気味で、どこか日溜まりの柔らかさを感じさせるし、女性にしては太めの眉は、それでも意志の強さと理性的な印象を与える。
腰ぐらいまで伸びる栗色の髪は、先っちょのあたりを黄色のでっかいリボンで纏めてあるのがおちゃめでぷりちー。
「このお店の中で造られた時計でしたら、多元に接続された『世界』それぞれの時間を表示しますから、そう問題は無いですけれども。なによりも、『お店に入った時間』と『お店から出た時間』が誤差で前後五分以内ですから、時間など、気にするだけ無駄なことですよ?」
「そうすると………この中でどれだけ時間が経っても………」
「ええ。お店の外に出ると、入ってからほとんど時間が経っていないことになります。その間、このお店の中では『疑似的に』ですけれど、一種、『不老不死』状態になりますから」
「……………………………………………………」
――あぁ、それでか。
前にレンと来た時、帰りに見たあの後ろ姿は――
店に入る直前の『俺達自身』だったということか。
「………お店に詳しいんですね」
苦笑しながら言うと、
「まぁ、それなりに、ですけれど。私自身、そう長い間、このお店にいる訳ではありませんから。もっと長い間お店にいるスタッフの方や常連の方に比べれば、まだまだ、ですけれどね」
そう答えて、にっこりと笑う。
――いいなぁ、こういうひと。
俺の周りにはいなかったタイプだ。
「あ、すみません。俺、遠野志貴って言います」
「これはこれは、御丁寧に。私は『ツァリーヌ』と申します」
優雅に一礼。
いいなぁ。
アルクは、俺よりも遥かに年上とは言え、頭の中はお子様で、気まぐれで我が儘で何考えてるか判らないし。
秋葉は、何よりもまず年下で、頭はよくても考え方が独善的でこっちの言い分をまともに聞いてくれないし。
琥珀さんは日溜まりの柔らかさがあるとは言っても、いつもどこかで痛みを押し殺した『かげり』があるし。
翡翠は一途で一生懸命なんだけど、その分、思い詰めたような強情さがあって柔軟性に欠ける感じがするし。
シエル先輩は年上は年上なんだけど、お姉さんと言うにも、腹ぺこと言うにも、なにもかもが中途半端だし。
こういう、ちゃんとしたお姉さん――知的で優しそうで、聞けば何でも答えてくれるような、落ち着いた大人の雰囲気を持った女性っていないよなぁ、俺の周り。
「遠野君、でいいかしら?」
「ええ」
着ている衣服が、身体の線が浮かばないゆったりした長衣(ローブ)なので、どこか、不思議の国から来た魔法使いのような印象さえ受ける。
「もし、よろしければ、私の知っている範囲で案内しましょうか?」
「あ………お願い出来ますか?」
「ええ。それでは」
先に立って、歩きだすツァリーヌさんについていく。
「………ここって、どれぐらいの広さがあるんですか?」
「この『画廊の中』ですか? それとも『お店の中』?」
「んー。………両方かな? なにせ、俺、知らないことだらけだから」
「お教え出来る、と言い切れるほど知っている訳ではありませんよ? 私自身も。それでも宜しければ」
「お願いします」
「この『お店の中』でしたら、『世界まるごとひとつ』と聞いたことがありますけれど。私自身、行ったことのある場所は限られていますけれどね」
「………『世界まるごとひとつ』? それって、どういう………」
頭を傾げる。
よく、わからない。
「さて、そこまでは。このお店の蔵書を読み、出入り出来る場所に赴いたり、或いは端末などで情報を集め、知識を身につけても、このお店やオーナーのことについては、全然判りませんでしたから」
ますます、わからない。
「そう言えば、『アルカナ』をお持ちですか?」
停滞した話題を変えるように言うツァリーヌさんに、
「『アルカナ』ってカードの模様ですか?」
「ええ、そうです。私のは『ミストレス』ですけれど」
「俺のは………」
財布からカードを取り出すと、
「………えっと、『カブキ』? って描いてありますね」
「でしたら、ご案内出来そうですね」
そう言って、案内された先は、
「『アルカナ・ギャラリー』?」
「ハイクラス・メンバーの肖像画が展示してあるんです。御自身の物を確かめられるいい機会だと思いますよ?」
そう言って、壁に設置してあるカード・リーダーにメンバーズ・カードを通し、扉をくぐる。
後に続いて入ると、クラシックらしい管弦楽が響いてきた。
「………どこかにスピーカーでもあるのかな?」
「このお店がそんなことをする訳がないでしょう?」
指し示された先を見ると、オーケストラが生演奏中だった。
「……………………………………………………」
「………ね?」
柔らかく微笑みかけてくれる。
こういう時、俺の周りにいるみんななら、呆れたように指摘してくるだけだろうから。
大人の余裕のようなものを感じる。
「………あら、遠野君が………『初代(オリジン)』?」
「え?」
彼女の視線を追うと、そこには――
「……………………………………………………俺?」
俺の肖像画が架けられてあった。しかも、目茶苦茶デカい。
縦3メートル半、横2メートル半程度のでかでかとした絵。
眼鏡を外しかけて七夜の短刀を軽く構えた姿。
「『初代カブキ』………カクテル・ネームは………あぁ、まだ無いのですね、それで御本名を」
「……………………………………………………」
色々突っ込みどころのある状況だ。しかし――
「カクテル・ネーム?」
「………遠野君はまだお持ちじゃないようですね。私の『ツァリーヌ』と言う名前は、カクテル・ネームなんです。このお店の常連として、バーテンダーたちに選んでもらったんですけれどね」
「それだと………ヴァイオレットやチェリーっていうのも………?」
「それは『ヴァイオレット・ビューティ』と『チェリー・カクテル』から、ですね。お店のスタッフは、ほぼ例外なくカクテル・ネームを持っているらしいですよ?」
「じゃ、オーナーは?」
「残念ながら、私も聞いたことがないんです。本名はおろか、カクテル・ネームさえも」
心底残念そうに眉を顰める。
「古参のスタッフや、オーナー個人の古くからの友人や、お弟子さんたちなら聞かれたことがあるかも知れませんけれども、私のような若輩者は………」
「そっか。………いや、ごめん」
「いえ。どういたしまして」
穏やかな笑みを浮かべて、俺の肖像画をうっとりと見上げるツァリーヌさん。
周囲をぐるり、と見渡して見ると、大きな肖像画と、その脇に並べられた小さめの――とは言っても縦2メートル半、横1メートル半の大きさの――肖像画。
解説のプレートにはタロットナンバーのローマ数字、英語のタロット名、漢字に片仮名ルビのタロット名、カクテルネームが順に記されてあった。
「ナンバー0(ゼロ)、THE FOOL、歌舞伎(カブキ)、………カクテルネームは未決定、か」
――リバースナンバーの[T]の所の『初代』の肖像画が『額に水夢と描かれた謎の生物』なのは………どういうことだ?
「ナンバー、リバースのT。SUGAM EHT………なんて読むんだ、これ? 水蛭子(ヒルコ)、カクテル・ネームは………『未知との遭遇』?」
なんだ………これ?
よく、わからない。
………まぁ、深く考えないことにしよう。
考えると頭が痛くなりそうだ。
そうやって絵を眺めながら歩いていると――
「………アルク?」
アルクェイドの肖像画が掲げられてあった。
「………ンにしても………」
綺麗だ、と、素直に思う。
カクテル・グラス片手に、空を見上げて、物憂げな顔で心持ち、小首を傾げている姿。
白いドレスが――ロアの記憶で覗いたものとは違うドレスだが――よく似合う。
もし――
もし、この姿で目の前に現れたら――
――自分自身を押さえ切る自信がない。
そこまで、蠱惑的で儚げな雰囲気を描き出している肖像画だった。
………そう言えば、アルクのはあっても、シエル先輩や秋葉や琥珀さんや翡翠のが無いな。有彦や晶ちゃんのも。
――ハイクラス・メンバーじゃないんだろうか?
………正直、聞きたい気もするけど、秋葉あたりに聞いたら怒り出しそうだからやめておこう。
「はい、遠野君、どうぞ」
「………これ、は?」
ツァリーヌさんが差し出すカクテルを受け取る。
「今、ここで流れている曲目に因んだカクテルだそうですよ」
何だろう? 過去に………中学の時の音楽の授業で聞いたような気がする。
「『パパゲーナ』ですよ」
「………あぁ、なるほど。確か、モーツァルトの『魔笛』だったかな? 出てきたの」
「ええ、そうですね」
★パパゲーナ『Papagena』★
モーツァルト・チョコレート・クリーム・リキュール………1/2
ブランデー………1/4
フレッシュ・クリーム………1/4
十分にシェークして、カクテル・グラスに注ぐ。
デザート感覚で呑めるカクテルみたいだ。
「アルコール度数が15度前後ですから、それなりの度数なんですけれど。口当たりが甘くて柔らかいですから、案外、呑み易いでしょう?」
にっこりと笑いかけてくれる。
――と
「お〜に〜い〜ちゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。はやくはやくぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
舌っ足らずな声と共に現れた少女は――
「………ぶっ!」
さっきのチェリーちゃんと似たような格好をしていた。
色は、チェリーちゃんの桜色と違って、鮮やかな『紅』であるということ。
違っている、と言えば、エプロンの胸当てが無いことと――
――ホルターネック・レオタード風味メイドだったチェリーちゃんと違って、まんま、セパレートのビキニ(?)にエプロン。
――足元は似たような、左右非対称の、ニー・ソックス………いや、ハーフガーターとストッキングに、フリルのレッグ・バンドの組み合わせ。
――しかも、フリルのレッグ・バンドは太腿、膝下、足首の三段。
――デカリボンでツインテールを束ね、要所を飾るように結び。
――ネコミミネコシッポまでフリフリと。
上は――
そう――上が問題だった。
太めのリボンを結んで隠してあるだけ。
しかも………前結び。
――無防備過ぎ。
服着てると言うより、下着姿でうろついているのと変わらないぞ。
「……………………………………………………なんなんだ?」
よく、わからない。
「待つロリ(語尾)。急がなくても絵は逃げないロリ(語尾)」
奇妙な語尾発音の――
『額に水夢と描かれた謎の生き物』がぺったらぽったら走って(?)来た。
ひょっとして……………………………………………………これか?
しかし、さっきの『おにいちゃん』は、何だったんだろう?
まさか、この生き物が………?
「ほらほら、おにいちゃんの絵が。ね? マヤの言ったとおりでしょ?」
「………オレだロリ(語尾)。なんでオレの絵が描かれてあるロリ(語尾)?
「だって、おにいちゃん、このお店の『ハイクラス・メンバー』なんだもん。『ハイクラス・メンバー』だったら、画廊の中のこのスペースに入ってこれるし、『初代』なら、大きな絵で描いてもらえるんだよ?」
すごいよね、と、続ける。
………なぜにおにいちゃん………
わからない――
さっき、チェリーちゃんが言っていたような『御主人様』のバリエーションみたいなものなのだろうか?
よく、わからないけれど。
「お店の娘(コ)………でしょうね、彼女。何人か、見たことがありますよ」
「お店の………って、この店のウェイトレス?」
「ええ。私が知っているだけでも、6人はいますよ。ほとんど同じ顔立ちで………『造り出された人形』だとかなんとか」
「………『造り出された人形』?」
「………ええ」
詳しく聞いた訳ではありませんけれど、と、続ける。
「何でも、彼女――彼女らの『肉体』は、あくまでも『魂魄』を封入するための『器』――『殻』でしかないそうです。相手に最大の油断を導くために『あどけない少女の姿』をしているらしいですね。そのため、当人の意志と『主』となった者の指示によって無限に変容してみせるとか」
――『魂魄』を封入した『殻』。
――作り物の、身体。
「ただ、造り出されたものであっても、彼女らの中身………『魂魄』はその人格と権利を認められているので。それに、彼女たちは『最終兵器』として開発されていたらしいので戦闘能力の高さは、ハイクラス・メンバーの『戦闘系な人達』に匹敵するらしいですよ」
「………強いのか」
「恐らくは。これも聞いた話ですけれど、そうやって『造り出された人形』の内のひとつ――ひとりは、起動と同時に暴走し、オーナーを含む最古参のメンバー総掛かりで封印しなければならなかった、と言う『いわくつきの少女』もいるらしいです」
確かめた訳ではないので、事の真偽は不明ですけれどね、と、続けてくる。
ふと、気になって『額に水夢と描かれた謎の生き物』と、それを「おにいちゃん」と呼ぶロリツインテールの少女を見る。
――確かに、半端じゃない強さのようなものを感じる。
七夜の血が、人ならざる『異形』の気配を感じて警鐘を発している。
それが、少女の方なのか、あるいは変な生き物の方からかは不明だけど。
………よく、わからない。
「……………………………………………………ふぅ」
ともかく、あのふたりに、こちらに対する敵意や他人に対して危害を加えるような気配がないので、そのままにしておくことにした。
「……………………………………………………っっ!?」
俺と同年代の少年とすれ違う。
右眼の上を縦一文字に走る刀傷の跡を持った、それ以外は穏やかな容貌の少年。
右眼が金色、左眼は黒。黒髪の、芒洋とした平均的な日本人顔。
「……………………………………………………っっ!?」
ドグン――
心臓が、自分の意思を無視して撥ねる。
七夜の血の発現。
『人外』に位置する者達と出会うと、ほぼ強制的に発現してしまう『退魔の血』。
手足の先が痺れるように冷えていく。
――まさか、先刻の少年が?
しかし、同時に本能が急制動をかけている。
彼と対峙するのは何よりも危険だと。
言うなれば、ブレーキを踏み、ハンドブレーキを引いたうえでのアクセル全開。
「ちょっと………遠野君!?」
薄れる意識の向こう側で――
ツァリーヌさんの切羽詰まった声が聞こえた。
「………あ………あれ?」
「あ、気が付きました?」
額にひんやりした感触と、頭の後ろの柔らかく暖かい感触。
………俺を覗き込んでいるツァリーヌさん………って、ことは………
――膝枕っ!?
がば、と起き上がると、またしても、くらり、と来る。
「ダメですよ、もう少し落ち着くまで横になっててください」
め、と、指一本立てて軽く睨む。
とは言え、目元は柔らかく微笑んでいたが。
そのまま、また彼女の膝――いや、柔らかな太腿の上に頭を乗せる。
「どうしたんですか? いきなり倒れるから吃驚しましたよ?」
「あ………ごめん。たまに、こうなっちゃうときがあるんだ」
「幸い『パーペチュアル=ミレニアム』さんが通りかかってくれたから運べましたけど………女の細腕で男の子ひとり抱えるのって、大変なんですからね?」
「………ごめん」
――『パーペチュアル=ミレニアム』
――たぶん、彼のことだろう。
――強大な
――強大すぎる『人外の者』
それに反応した結果が――これ――なんだろう。
「……………………………………………………なにものなんだ」
小さく、口の中だけで呟いてみる。
無為自然に、ただそこにあるだけの少年。
知らない奴が見ても、顔の痕に違和感を覚えるくらいの穏やかさ。
しかしなぜ――俺の『七夜の血』は反応したのか。
「……………………………………………………ふふふっ」
ツァリーヌさんが笑みを零す。
頭の上に走る暖かな感触………って。
――頭撫でられてる!?
「………かーわい」
小さく呟く声が聞こえた。
「………こうやってると………まるで恋人同士みたいですね」
照れ臭くなってからかい半分に言うと、
「ちょっ! なっ!? そっ! そんなっ!?」
慌てる。
「………ぷぷっ」
かなり初々しくて笑いが込み上げると、
「もう、遠野君。大人をからかうもんじゃありません!」
いや――全然説得力無いし。
「大体、会ってその日のうちに、こっ、こっ、恋人同士だなんて………」
ぱたぱたと慌ただしく手を動かしながら。
そんな彼女を、下から見上げる形で、
「でも、膝枕して貰ってるし」
「そそそそれはそのまま寝かせとくよりも身体が楽にできるというか、決して遠野君の寝顔がかわいかったからずっと見ていたいなと思っちゃったからだとか、寝てる間中頭撫でててあげたかったからだとか、ほっぺぷにぷにしてたとかそう言うのはなくて、ですね………!?」
しかも自爆してるし。
――かわいいよな、やっぱ。
「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
そのまま、何も言わない時間が過ぎていく。
どちらも、何も言わない。
彼女は俺の頭を撫で――
俺は彼女の膝枕で――
落ち着いた所為か、穏やかな空気がまったりと。
ただ――
彼女の表情がいくぶん、悲しげな笑みになっているのが気になった。
「………ツァリーヌさん、どうかしたんですか?」
「………いえ。ただ、少し………考え事してました」
「考え事?」
「ええ。………遠野君のことです」
「………俺の?」
お互い、顔を赤らめる。
「遠野君は………多分………世界と自分との間に『線』を引いてしまう種類の人なんじゃないかな、って」
「………『線』………?」
私の勘違いかも知れませんけれどね、と、続ける。
「近付いても傍に居られない。来る者は拒まず………去る者は追わず………執着が薄い、と、言うべきなのでしょうか。『世界は必ず終わる』ということを知っている………オーナーさんにも似た雰囲気を持っていますから」
だから、と、続ける。
「このままいきなり消えてしまうんじゃないかな、って、不安になっちゃいました」
そう、小さく呟く。
それっきり、また、二人、黙り込む。
ただ、それだけの時間が過ぎた。
あの後、何度かカフェテリアやレストエリアなどで休憩を挟みながら、ツァリーヌさんに案内してもらった。
ツァリーヌさんはとても博識で、絵画や彫刻、それらにまつわる歴史や背景、作品に込められた意味などを分かりやすく説明してくれた。
わからないところを聞いても、知っている限り教えてくれる。
優しげで落ち着いた才女、って感じだよな。
そのわりに、からかうと『素』が出て結構可愛いし。
………いいなぁ。
いなかったタイプだよな。うん。
そうやって、二人で美術品を見ながら歩いていると、気になる絵に逢った。
「………『人生、あるいは幸せを探して』………?」
雨の街並の中、傘を差して歩いている人達の絵。
薄暗い灰色のトーンで描かれているが、ふたつばかり明るく浮かび上がるものがある。
『宙に舞う傘』と、『花束』。
「………気になりますか?」
「――なんとなく、心に引っ掛かるって言うか」
なんだろう。
とても――とても大切なことを語りかけているような気がする。
作者は――『バーテンダー』。
「開店当初からのスタッフで、ずっとオーナーのサポートをしてきた方らしいですね」
私も好きな絵なんですよ、と続ける。
「タイトルどおりの絵ですし」
「……………………………………………………」
意味としては通っているような気がする。
でも、どこが? と問われると、どう説明していいのかわからない。
「人生は、雨の中を、傘を差して歩くようなものですから」
「……………………………………………………」
何かの譬え、なんだろう。
「辛いことや嫌なこと、あるいは厄災が降りかかるのが嫌で、自分の周囲の狭い範囲だけに捕らわれて、周りを見ない生き方をしてしまいますから」
――そうすると、『雨』が『辛いこと』や『嫌なこと』、あるいは『厄災』で、『傘』が『自分の周囲の狭い範囲』、ってことか。
「じゃあ………この………宙に舞う傘と、花束は………?」
「雨に濡れること――辛いことや嫌なこと、あるいは厄災が降りかかることを覚悟して、周りに目をやって見れば、今まで気が付かなかった世界が見えて来る、すぐそばにあった幸せに気が付く。そんな意味が込められているんですよ」
ね? と、小首を傾げる。
「遠野君。あなたも、見逃してはいませんか? 厄介な事から逃げるだけでは、本当に大切な『何か』を、そうと気が付かないまま、見落としてしまいますよ?」
私も、人のこと言えるほどじゃないですけれどね、と続ける。
「それでも、そう簡単に雨に濡れることを覚悟出来る訳じゃないんです。直接雨に濡れることや、雨に濡れた後のことを考えてしまって、晴れているのに、傘を差して歩くようになってしまう。傘を差すことで、本来受け取れるはずの、あかるいおひさまの光も拒むようになってしまう」
そんな生き方は、さみしすぎますよ、と、悲しげな笑みを浮かべる。
俺は――
恐れて………いる。
そう。
雨に濡れることを。
だから、多分。
晴れた日も、傘を差したままなんだろう。
『今』の関係が壊れてしまうことを。
『今』のバランスが崩れることによって、みんながバラバラになってしまうことを。
「……………………………………………………」
「………遠野君、ひとつ、言わせてもらいますけれど」
どこか、むっ、とした表情で、声に、わずかにではあるが怒りと苛立ちを滲ませて、
「目の前に女の子がいるときは、他の女の子のことを考えないようにするのが男としての義務ですよ?」
めっ、と、琥珀さんみたいに怒る。
いや、拗ねる、と言った方がいいか? この場合は。
「あ、いや、その………ごめん」
「わかってくれればいいんですよ。………貴方は、多分、『だれかひとりのもの』にならない………いえ、なれない人なんでしょう。だから、大勢でなければ、そばにつなぎ止めておけない」
悲しげな笑顔のまま、続ける。
「貴方の周りにいる、魅力的な女性たち。彼女たちも、気が付いているかも知れません。貴方という存在が、自分一人のものに出来ない、独り占めしておけない、危うい存在であることに」
だから――
「だから、辛いんでしょう。自分一人を見ていて欲しいのに、ライバルは多く、自分一人で貴方を『抑えきる』自信がないことに」
だからせめて――
「だからせめて、二人きりの状況では、私だけの『志貴』であってほしい。そう、考えているはずです」
「……………………………………………………」
「だからせめて………遠野君自身、戸惑うでしょうけれども、貴方のそばにいる素敵な女性たちとふたりっきりの時には………せめてその時だけでも、『彼女だけの志貴』でいてあげてください」
難しいでしょうけれどね、と、続ける。
「………ですから………」
真っ赤になって続ける。
「今は………今だけでも………その………『私だけの志貴』でいてくれませんか?」
「……………………………………………………」
って――
――かわいい。
今までになかった可愛さだ。
「多くは………望みません。ですから………お店に来られた時で………お独りの時は………私を、呼んで下さい。あなただけの『私』………『ツァリーヌ』に、そばにいさせて下さい」
駄目………ですか? と、言葉にせずに続ける。
――って。
――これって………
――反則――過ぎる――
――俺が、答えた言葉は――
「……………………………………………………」
夜道を一人、家路を辿る。
――すっかり遅くなってしまった。
出て来た時間自体が遅かったから、特に変わらないと言えば変わらないのだけど。
店の外に出た途端、思い出したかのように動き始めた腕時計。
念のために帰り道のコンビニで確認したけれど、時間は狂っていなかった。
『流れていると同時に止まっている時間』のおかげで、あれだけ長い間店にいても、時間が全然過ぎていないのは、これからも救けられることになるだろう。
MOON TIMEのオーナーとの出会いによって、変わりつつある。
――俺も、みんなも。
変わって行かなければ、と、思う反面、変わることを恐れる自分がいる。
――ツァリーヌ。
君が言うように、雨に濡れる覚悟はまだ出来ない。
――でも。
――でもね。
時々、雨の合間でも、空を見上げてみようと思うんだ。
今まで見ようとしなかった世界が、見えるかも知れないだろ?
「……………………………………………………」
でも………
これって………
「………考えてみれば………」
自分の考えに怖くなって、ちょっと青ざめてみたり。
「………外に、愛人囲って浮気してるみたいだよな………」
そんな俺を………
月は、柔らかい光で照らしていた。
end………?
or continue………?
This Story has been sponsored by 『MOON TIME』
& 『KAZ23』
THANKS A LOT!!
後書き………のような駄文。
『ツァリーヌ』出ました。
シエルと違ってちゃんとした『お姉さんキャラ』です(苦笑)
書き出しの翡翠のフォローは、続く作品にて、と言うことで。
こんな感じで、お店側のスタッフや常連客に『こんな人物出してくれ』というリクエストを募集します。
期限は無期限ですけれど、必ずしも出られるとは限りません(苦笑)
まぁ、可能な限り描きたいですね。
色々練習しなければなりませんし。
周りも見ないといけません。
雨に濡れる覚悟は、出来てませんけれどね。
では。
LOST-WAYでした。