「は、はは………」

  笑いが漏れる。

  笑う以外に出来ることは無かった。

「あは、は、はははっ………」

  涙が零れる。

「ははは………、あは、あはははは………」

  圧倒される。

  妾は、『これ』に勝る心算だったのか?

「あははっ、はっ、あっははははははっ………」

  ただただ圧倒され、涙交じりの笑いが零れる。

  太洋に沈む太陽。

  世界全てを『朱』に変えて、太陽が沈む。

  それは『赤』から『朱』へ、そして『紅』へ。

  時として金色の輝きを放ちながら。

  太洋に太陽が沈んでいく。

  夜闇の衣が東の空から覆っていく。

  浅葱色から青へ。青から群青へ。群青から紫へ。紫から闇色へ。

  それに連れて、西の空へと『朱』が逃げてゆく。

  まるで、夜を恐れるように。

  頬を風が擽る。

  風が髪を靡かせる。

  闇が空を覆っても、満天の星空が世界を照らす。

  海原にも、空の星を映した輝きが満ちる。

「………世界とは………」

  知らず、言葉が漏れる。

「世界とは、美しいものなのだな」

「……………………………………………………」

  返事はない。

  彼らは、そういうものだ。

  だから、だろうか。

「世界とは、素晴らしいものだな」

「……………………………………………………」

「世界に満ちる生命の営みの、何と偉大で素晴らしいことよ」

  両手を広げ、少しでも世界を感じ取ろうとする。

「有り難う。そなたたちに会えて、妾は世界を見ることが出来た」

「……………………………………………………」

  彼らは、何も答えない。

  構うものか。

  感動しているのは、妾の心なのだから。
 
 

















月姫カクテル夜話《Moon in the Darkness》



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Written by “Lost-Way"

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  カランカラン………と、ドアベルが鳴る。

「お帰りなさいませ、旦那様」

  落ち着いた雰囲気を見せる樹のドアをくぐると、入り口付近で待機して居たウェイトレスが声を掛けて来た。

  そして言葉少なに、いつものカウンターに案内する。

「お召し物を」

  帽子とコートと上着を預け、いつもの席に腰を下ろす。

  カウンターにはいつも通りに、『バーテンダー』がグラスを磨いていた。

  私が腰を下ろすと、双方無言のうちにカクテルと革装丁の本が出される。

  そして、彼は再びグラスを磨き始める。

  これが………いつものスタイル。
 
 
 
 

「ふむ」

  革装丁の本の鍵を開け、しおりを挟んだところから続きを読み始める。

  カウンターには、禿頭の初老の紳士が独り。

  ショットグラスのシングルモルト・ウイスキーを、ちびりちびりと呑んでいた。
 
 
 
 

  と ――
 
 
 
 

「………郵便です」

  すすすっ、と、気配も足音もさせずにカウンターに近寄り、手紙を置いて、また速やかに立ち去って行く。
 
 
 
 

「………彼女は?」

「『郵便屋(ポストマン)』ですね」
 
 
 
 

  ………スタッフか。
 
 
 
 

  割合に、この店に来ている方だと思ったが、知らない部分がまだまだ在るようだ。

「………失礼を、『ストレート・ロウ』様?」

  ………成程、彼が、か。

  身の丈190を越える私に並ぶほどの、均整のとれた長身。

  左目にはめた単眼鏡(モノクル)。
 
 
 
 

  噂が確かなら、『魔法使い』に分類される。

  『バサラ』のスート………恐らく“一桁(シングル)ナンバー”の。

   ―― 『魔道元帥』ゼルレッチ=ラスキン。
 
 
 
 

  こんなところで同席出来るなど。

「オーナーたち『六礎』から、『ストレート・ロウ』様宛に封書が届いて御座います」

「………私に、かね?」

「こちらを」

  先程『ポストマン』が届けた封書と、ペーパーナイフを手渡す。

「………ふむ?」

  微かに眉を顰め、封を解き、便箋を引き伸ばす。

「……………………………………………………?」

  そして、困惑の色を深くする。

「………『バーテンダー』。君は、オーナーたちとの付き合いが深いようだが」

「はい」

「“これ”の意味について、心当たりは在るかね?」

  と、目を通したばかりの便箋を手渡す。

「………読ませて戴いても?」

「ああ。君で解ることなら、教えてほしい」

「畏まりました」

  そして、目で追う。
 
 
 
 

「『世界を見よ。求める答えはそこに在る』 ―― 『真名指(まなざ)す瞳』………これはオーナーですな。

  『天地陰陽万象悉く混沌より生ぜざるもの無きなり。矛盾こそ真なり』 ―― 『混沌と矛盾の領主』。

  『死は生の始まりにして生は死の始まり。還る事なく還り続ける輪廻は絶え間無き生まれ変わりを伴う』 ―― 『死の如き静寂』。

  『過去は如何にしても所詮過去。今を生き、未来を求めぬ事こそ恥知らずの所業』 ―― 『時空(とき)流る水、宇宙(そら)渡る風』。

  『我等が誰かを憎む場合、我等はただ彼の姿を借りて、我等の内に在る何者かを憎んで居るに過ぎない』 ―― 『無窮なる理に断り無く挑む者』

  『至言は耳に逆らう』 ―― 『留まる事なく流れる音』
 
 
 
 

  ……………………………………………………これは難解ですな」

「……………………………………………………」

  不意に ――

  左耳の後ろが引き攣る。
 
 
 
 

   ―― 危険。
 
 
 
 

  今までの経験則から、絶大な危険が迫っている気配だ。

  この店内では珍しい ―― と言うよりは、まず在り得ない ―― 反応。

「………君でも難解かね?」

「些かに。………ただ、答えさせて戴くならば」

  言葉を選んで喋る『バーテンダー』。

「………『ありのままの相手を見て、その相手を受け入れよ』………とでも訳しましょうか」

「不思議な訳だな」

  苦笑とも取り難い、難解に歪められた顔。
 
 
 
 

   ―― 依然、本能からの『警告』は鳴り止まない。

「………この店とも相応に長い付き合いだが………」

  一口、『ストレート・ロウ』がウイスキーを口に含む。

「彼らについては、解らない事が多過ぎる」

「それは我々スタッフからしても同じことですよ」

  『バーテンダー』が苦笑を浮かべる。

「あの方々こそが、当店最大の『謎』ですから」

「………七不思議のうち既にむっつが埋まっているのだな」

「……………………………………………………」

  パタン、と、栞を挟んで本を閉じる。
 
 
 
 

   ―― 何だというのだ?

  左手を確かめる。

  『金剛不壊之盾』は、いつものようにある。

  店内で使わなければならない羽目になる、と言うのは、あり得ないことだ。

  いや、あってはならないこと、と言うべきか。

  如何なる『神』、如何なる『魔』であれ、『絶対不可侵』。

  如何なる理由であれ、認められた競技以外の『闘争』は許されず、『非暴力・中立空間』の筈だ。

  なのに、何故………?

「開店当初から居る君でもかね?」

「なまじ、あの方々と近しいが故に、解らなくなることもあるかと?」

「………そう………かもしれんな」

  苦笑を浮かべる。
 
 
 
 

  と ――
 
 
 
 

  カツカツと、静かにだが確かな足取りでこちらに来る足音がした。

  私が視線を向け、『バーテンダー』が視線を向けて目礼し ――

  『ストレート・ロウ』………ラスキン卿が新たな訪問者に視線を向け ――
 
 
 
 

「!!!!」
 
 
 
 

  瞬間、物理的な圧力すら伴った『憎悪』と『怒気』と『殺意』とが、『ストレート・ロウ』から吹き出した。
 
 
 
 

  ………ばぎん。
 
 
 
 

  彼の手の中で、ショットグラスが握り潰される。

「………『ストレート・ロウ』様、お手を」

  こんな事態にも動じることのない『バーテンダー』。

  仮にも ―― そう、仮にも『神』の一柱だからだろうか。

  或いは、この中の流儀を ―― 絶対非戦 ―― を徹底させられるだけの力を備えているからか。

「………お手を。手当致しませんと」

「……………………………………………………」

  ぎしり、と、音立てて歯軋りすると、無理矢理構えを解いて掌を開く。

  『バーテンダー』は慣れた手付きで掌に刺さったガラス片を引き抜き、消毒をし、《術》で傷口を塞ぐ。
 
 
 
 

「………何を、しに、現れたか。………『朱い月』」
 
 
 
 
 
 
 
 
 

   ―― そう。

  そこには、『眠り満つる姫君』………『朱い月』と呼称される『朱い月のブリュンスタッド』が立っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「………ゼルレッチ=ラスキン………」

  彼女は、酷く悲しげに彼の名を呼んだ。

「………何を、しに、現れたか。………『朱い月』」

  彼は繰り返した。

  持てる全精神力を行使して『抑制』しているのが容易に見て取れる。

  吸血衝動を全力で抑えようとしている吸血鬼のようなものか。

  彼にとって『因縁深き相手』………それが彼女、『朱い月』。
 
 
 
 

  職業上、彼らのような『血を吸うモノ』を相手に戦わなければならない事も多いので、調べるとはなしに調べ、行き着いた知識。
 

  人類種が『自然』から独立を果たし、『自然』を切り崩して生きられるようになった頃、『自然』はその天敵として、人類種を滅ぼすことを定められた『存在』として『朱い月』を造り出した。

  自らの意に添わぬとなれば滅ぼしにかかる『自然』とその滅殺意志の具現である『朱い月』は、当然、彼の思考に許容出来よう筈もなく、傲慢な『自然』と『朱い月』に怒りの鉄槌を下しに行ったこと。

  その『朱い月』との戦いにおいて、撃破出来たのはよかったが、戦いの最中、彼女に『血』を吸われ、一時期なりとは言え『従僕』としてあったこと。

  『他者への服従』という、彼の信念においてあってはならない状況に甘んじざるを得なかったこと。

  その状態からの脱出に幾星霜の時を重ねなければならなかったこと。
 
 
 
 

  『魔狩人』の力をもつものなら、ある程度の労力で調べられ得る知識だ。
 
 
 
 

  ………最悪の事態………に、なるのか?

   ―― 否。

  『彼女』と同じ姿を持つ者を、目の前で倒されるなど『カブト』のスートを授かったものとして、あってはならない。

  『難攻不落』の業を持つ者として。
 
 
 
 

「信じて貰えぬやも知れぬ。されど、妾は………一語半句たりとも偽りたくは無い」

  彼女と同じ声で ―― しかし、口調の優雅さは比べ物にならなかったが ―― 口を開く『朱い月』。

  そして、流れるような動きで膝をつく。
 
 
 
 

   ―― 膝をつく!?
 
 
 
 

  訝しむように歪められる『ストレート・ロウ』の表情。

  何の、意図があってのことだろうか?

「ゼルレッチ=ラスキン。妾はそなたに詫びに参ったのじゃ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  そして、深々と ―― 土下座した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「……………………………………………………」

  そのときの彼の表情を何と譬えれば良いのだろうか。

  敢えて譬えるならば ―― 百面相。

「………なんの………」

  漸く、声を絞り出す。

「なんの………心算だ?    ………『朱い月』」

「言葉通りじゃ」

  頭を床に擦り付けたまま、答える。
 
 
 
 

   ―― 私が見ているものは正しいのか、或いは、質の悪い幻覚か。
 
 
 
 

  目の前で起きていることすら、その真偽が定かではない、異常な感覚。

「妾の成したこと、そしてそなたから奪ってしまった時間。償っても償いきれるものではないが、詫びさせて欲しいのじゃ」

   ―― 悲痛な、決意。

「妾を殺すことによって、そなたの気が晴れ得るならば、幾度でも殺されよう。妾を八つ裂きにすることによってそなたの気が済むのであれば、幾らでも切り裂かれよう」

  そして、すっ、と姿勢を正すと、ひた、と、真摯な眼差しで『ストレート・ロウ』を見据えると、

「されど………されど『あれ』には手を出してくれるな。あれは………『アルクェイド=ブリュンスタッド』は、今や、妾とは別の存在であり、別の生き方を歩んでおるのじゃ。妾の身を如何にしようとも構わぬ。されど………されど、あれにだけは手を出してくれるな」

  そう言って、再び頭を垂れる。

  恥も外聞も無く、ただただ持てる誠意のみで相対している。
 
 
 
 

「……………………………………………………………………………………………………」
 
 
 
 

  『バーテンダー』は、なんでもないことのようにグラスを磨き、『ストレート・ロウ』は、どのような反応を示せば良いのか、頬をヒクヒクと引き攣らせている。

   ―― 笑っているのか怒っているのか。

「………『ストレート・ロウ』様」

  『バーテンダー』が、グラスを磨きながら、静かに口を挟む。

「御手紙を」

「……………………………………………………」

  きし、と、軽い音と共に座り直す『ストレート・ロウ』。

「………何時迄もそこで座っていると、営業の邪魔だろう。スツールに腰を下ろしたらどうだ?」

「……………………………………………………済まぬ」

  立ち上がり、スツールに腰を下ろす『朱い月』。
 
 
 
 

  席にして、ふたつ。

  微妙な間隔だ。
 
 
 

  ただ ――

  先程よりは、『憎悪』と『怒気』と『殺意』との勢いが和らいでいる。

   ―― 並の者なら、それだけでも『当てられて』意識を持って行かれるだろうが。
 
 
 
 

「………無礼を承知で御伺い致します。『ストレート・ロウ』様」

「……………………………………………………なんだ?」

  ぎしり、と、砂を噛むような音と気配がした。

「貴方様の【仇敵】は、如何なる『存在』だったのでしょうか?」

「……………………………………………………………………………………………………」

  そして、沈黙が、暫しの間、辺りを支配する。

「………『朱い月』様、こちらを。お顔とお手を」

「済まぬ」

  何事も無いかのように、蒸したお絞りを手渡す。

  『朱い月』は、暫く逡巡していたが、床に擦り付けて赤くなった額と手を拭うと、

「ゼルレッチ=ラスキン。詫びて詫びきれるものではないことは、重々承知している。しかし、妾は ―― 」

「………『朱い月』」

  苦々しげに、その名を口にし、言葉を遮る。。

「………ここのオーナーたち『六礎』に免じて、引いてやる。 ―― 赦す心算は、無い」

「……………………………………………………………………………………………………」

  無表情に聞き入る『朱い月』。

「私が再び殺すと心に決めた仇敵は、自然意志の顕現にして人類種の滅殺存在たる『朱い月』だ。………腑抜けた貴様などでは、ない」

「……………………………………………………………………………………………………」

「故に、貴様は殺すに値しない。………しかし、再び繰り返すようであれば容赦しない」

「……………………………………………………………………………………………………」

  きしり、と、スツールから降りる。

「………『バーテンダー』」

「カードを」
 
 
 
 

   ―― 私は漸く、肩の力を抜く事が出来た。
 
 
 
 

  『ストレート・ロウ』は、ウェイトレスから上着と外套、シルクハットを受け取ると、憮然とした面持ちで立ち去って行った。

「……………………………………………………………………………………………………」

  しばし、静かな ―― 或いは硬直した ―― 時間が過ぎた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「大変でしたな、『エル・プレジデンテ』」

  『バーテンダー』は、この事態すらも、なんでもない出来事のように話しかけて来た。

「………流石は、だな。並の輩であれば、最初の顔合わせでショック死すら有り得るだろう」

「それに耐えられ得る貴方も貴方ですな」

「……………………………………………………………………………………………………」

  カウンターに向かったまま、項垂れている『朱い月』。

  もとは同一の存在であり、『朱い月』の『器』として造り出されたアルクェイド嬢の身体。

  しかし、中身が違うとここまで違うものか。
 
 
 
 

「………そなたも、済まなかったな」

「何が、かな?」

  『朱い月』の謝罪に、軽い苦笑と共に答える。

「折角の酒の時間を、邪魔してしまった」

「……………………………………………………………………………………………………」

  苦笑が大きくなる。

「………なんじゃ?」

  怪訝な顔をする『朱い月』。

「いや………そっくりだな、と思ってね」

「そなた………『あれ』を………アルクェイドを存じておるのか?」

「ええ、まあ。………恋愛指南の真似事を、ね」

  『朱い月』から肩の力が抜け、目を見開く。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  本当に ―― そっくりだな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「『朱い月』様、こちらを」

  フルート・グラスに注がれた酒を、コースターに載せて差し出す。

「……………………………………………………………………………………………………」
 
 
 
 

  ……………………………………………………待て。

  ………そのボトルは ―― 『吸血鬼殺し』?

  ………酔わせてどうしようというのだ?
 
 
 
 

「忝ない」

  そのまま、口を付け、

「………うむ。美味い」

「……………………………………………………………………………………………………」

  まあ、一口だと、大したことにはならないだろう。

  アルクェイド嬢は、ボトル一本、一気に空けてもそれなりにしっかりしていたし。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  しかし ――
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「………やはりか。ゼルレッチは、妾を赦してはくれぬか」

「………『バーテンダー』」

「思いの外………よく効いたようですな」

「……………………………………………………………………………………………………」
 
 
 
 

  目が据わり(酔っ払いによくあることだ)、頬を染め(それだけなら艶っぽいと言えるだろう)、ぐんにゃりと力が抜け(酔いが回るとはそういうことだ)………
 
 
 
 

「………ならばそれはそれでよし。妾は、負けぬ」

「……………………………………………………」

  意味不明のことを言い出した。

  ………これもまあ、酔っ払い特有の行動と言えよう。

「妾は詫びたいのであって、赦されたいのではないのだ。うむ。ならば向こうが根負けして『赦す』と言うまで詫び倒してくれる」

「……………………………………………………………………………………………………」

  『バーテンダー』に視線を向ける。

  この程度で動じるようではここのスタッフなど勤まらないのだろうが………

  同じ『ブリュンスタッド』の姿形でも、ここまで違うものなのか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「それにしても、無力極まりない『ヒト』とは、なんとも面白いものだな」

  ………酔っ払い丸出しだ。

「妾も『ヒト』の無力さを知って、『ヒト』の強さが解った。………ここのオーナーたちにかかっては、妾たち『真祖』も『ヒト』も等しく『無力』よの」

  こっちが聞いていても聞いていなくても一緒か。

「あやつらのお陰で、妾は『ヒト』のなんたるかを知った。………いや、知らされた、と言おう。持てる力を奪われた、ただの小娘にさせられたのじゃ」

「………」

  『朱い月』が、グラスを差し出す。

  『バーテンダー』は、すかさず御代わりを注ぐ。

  『朱い月』は、すぐさま美味そうに飲み干すと、

「様々な世界を渡った。様々な世界を見た」

  そう、夢見る乙女の瞳で語り出した。

「世界とは………本当に美しいものなのだな」

  そして、如何なる世界を見て来たのか、語り出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

   ―― 極点で見た極光(オーロラ)の優雅な姿。

   ―― 沈まぬ太陽と白夜。

   ―― 霧に閉ざされた黒の森の静けさ。

   ―― 南国のスコールの激しさ。

   ―― 押し潰すような満天の星空。

   ―― サバンナの夜明け。

   ―― 深海の海雪(マリン・スノー)

   ―― 海に沈む夕日。
 
 
 
 

「………世界の何たるかも知らず、よく、『世界意志の具現』などと名乗れたものだ」

  自嘲気味に笑みを浮かべる。

「………そうそう、『世界意志の具現』と申さば、面白い男の子(おのこ)と逢うてのう」

  思い出すように、目を細める。

「この“店”に関わっておるのかそうでないのか………それは解らぬが、『大地の怒り(ガイアズ・リージ)』に立ち向かった男の子がおってのう」

  そう言えば、『ミレニアム』たちも、言っていた記憶がある。
 
 
 
 

   ―― 「『チャクラ』あたりに加えられてもおかしくない」と。
 
 
 
 

「逢うて話をすれば、中々によい男の子であった」

  聞けば、彼は、知らず知らず、世界の滅日から世界を護って来たらしい。

「人類滅殺プログラム『YAMA』に立ち向かい、これを退けたこともあったと言う。………確かに『人類種』は傲慢にして世界を踏み躙りながら生きてはおるが、斯様な者達が一人でも居る限り、世界はまだまだ捨てたものではないようじゃ」

  人類種もな、と、続ける。

  差し出されたグラスに『バーテンダー』がお代わりを注ぐのを横目に見ながら、変われば変わるものだ、と言うことを実感していた。
 
 
 
 

  堕ちた真祖を『狩る』為だけに『造り出された』存在、アルクェイド嬢。

  人類種の粛正のために顕現した『究極の一』たる『朱い月』。
 
 
 
 

   ―― 自らの考えに合わぬものを滅ぼす。
 
 
 
 

  この考え方自体が、彼らの蔑んだ『人類種』特有の考え方であることは、否定出来ないだろう。

  人類種が自然から独立した存在になった、とは言え、世界と自然に依存しなければ生存も覚束無いのも、事実。

  そして、『ミレニアム』たちをはじめとする『守護者達(ガーディアンズ)』に連なる者達の言葉ではないし、先程彼女が口にした『彼』の言ではないが ――
 
 
 
 

「世界は、俺たちをも生かしたがっている」と言う言葉。
 
 
 
 

  短命であり、短慮であり、矮小であり、傲慢ではある。

  しかし、世界に変化をもたらし、自らも変わっていけるだけの『活力』を有しているのも事実だ。

  彼女は ―― 『朱い月』は ―― そのことを知ったのだろう。

  自らを殺した遠野志貴に惹かれたアルクェイド嬢のように。
 
 
 
 

「『ミレニアム』の名を持つ者達と、彼らの世界を旅したときも、面白かったぞ」

「それぞれに、特有の世界だからな」

「うむ。………そういえば、あの娘子は今、何をしているやら」」

「………どんな、女性かね?」

「うむ。政略結婚させられそうになった、娘子じゃが………」

  そう、『朱い月』は語り始めた。
 
 
 
 

  別の世界に、大帝国があったこと。

  その帝国の皇帝が、近隣の国に侵攻し始めたこと。

  侵略を受ける小国のひとつに、見目麗しい姫がいたこと。

  その姫を皇后として嫁がせることを引き換えに、保身に走った王室関係者がいたこと。

「………世の習い、とは言え、自らの生き方すら自らで定められぬとは、哀れなものよ」

「……………………………………………………………………………………………………」
 
 
 
 

   ―― 何処かで、聞いた話だ。
 
 
 
 

  その大帝国の皇帝が『世界の敵』と化したため、『ミレニアム』たちをはじめとする『守護者達(ガーディアンズ)』が帝国を滅ぼしたこと。

「その折に、その娘子と話をすることが出来ての」

  与えられた『役割』を演じるだけではなく、自ら世界を求めよ、と、説教したらしい。

「説教出来るほど、世界を知っているわけでもなかったが………かつての妾………そう、自らの意志を持たず、ただ与えられた『人類種の敵』であることを疑いも考えもせずに行おうとしておった妾に似ておるのに、憤りを感じての」

  そういう意味では、妾を殺したゼルレッチに感謝するべきやも知れぬ、と、呟く『朱い月』。

  『ミレニアム』たちの手にかかり ―― 『朱い月』も、人を人と思わぬ『皇帝』を滅ぼすために暴れたらしいが ―― 帝国は滅ぼされた、と。

  結果、彼女は自らの意志で生きざるを得ない状況に追い込まれ………

「その時の凛々しさたるや、並の男どもを遥かに上回っておったわ」

  からからと、気持ち良さ気な笑い声をあげる。
 
 
 
 

   ―― 本当に、何処かで聞いた話だ。
 
 
 
 

「名を問うたが、教えては貰えなんだ。何でも、『真名(マナ)』は夫となる男以外に教えてはならず、常に『仮名(カナ)』を名乗る、とか何とか」
 
 
 
 

   ―― もしや、とは思うが。
 
 
 
 

「あれほどの者であれば、この“店”の扉を開いても、不思議ではなかろう」
 
 
 
 

   ―― 恐らくは、『彼女』か。
 
 
 
 

  何とも、不思議な縁もあったものだ。
 
 
 
 

「未だ、自らの名を『朱い月』とする我が身。なれど、自らの『名』を求めてあるのも、ひとつの生き方であろうて?」

  ………ああ。

  確かに、この笑顔はアルクェイド嬢と同じだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「………『朱い月』様、こちらを」

  『バーテンダー』は、空になったフルート・グラスを下げて、カクテルを置いた。

「………これ、は?」

「『闇の月』………と」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

★闇の月(ムーン・イン・ザ・ダークネス)『Moon in the Darkness』★

  ダーク・ラム………1/2
  コアントロー………1/4
  レモン・ジュース………1/4

    シェークして、カクテル・グラスに注ぐ。
    カクテル・ピックにパール・オニオンを刺し、グラスに沈める。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「………ほう」

  『朱い月』が、面白いものを見た、と言う顔をした。

「感謝する」

「恐縮です」

  その後、しばらく私は彼女の話を聞き………

  『朱い月』は、足取りも軽く、“店”の“奥”に姿を消した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

   ―― 数日後 ――
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「先日は、済まなかったな」

「いえ、大したことではありませんよ」

  『ストレート・ロウ』が、苦笑混じりに謝罪するのを聞きながら、『朱い月』の言葉を思い出した。

「彼女からの、伝言があります」

「……………………………………………………なん、と?」

「いわく、『復讐してやるから、心待ちにしていろ』と」

「……………………………………………………………………………………………………」
 
 
 
 

  怒気が吹き付ける。

  私が苦笑混じりに言ったのも、その所為だろうか?
 
 
 
 

「………『復讐してやる』………と?」

「ええ」

「……………………………………………………………………………………………………」

  ぎしり、と、軋む音がした。

「………彼女が言うには、『私の謝罪を受け入れなかったことを後悔するほどの“いい女”になってやる』………と」
 
 
 
 
 
 
 
 
 

   ―― その時の、『ストレート・ロウ』氏の表情といったら。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  『朱い月』にも、見せてやりたいと思ったほどだ。

「……………………………………………………………………………………………………」

  最終的には、憮然とした面持ちになったが、それはそれは、笑いを堪えるのに苦労するほどの百面相。

「………それで、『あれ』は………」

「また、旅に出たようですよ。“店”の“奥”へ」

「……………………………………………………むう」

  どういうコメントを返したものか、と、悩んでいるようだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  オーナーたちがどういう考えで、この店の扉を開いているのか、その真意はさっぱり解らないが、巡り会いとは、とかく、不思議なもののようだ。

  魔界図書館で司書として従事している、『ツァリーヌ』の笑顔が浮かぶ。

  彼女も、『朱い月』に縁があったとは。

「時は巡り、世界は変わる。『オーナー』の言葉ではありませんが………そういうものでしょう」

「……………………………………………………難しいな」

「頭では解っても、心が付いて行かないことも事実です。それを否定する心算はありませんよ」

「……………………………………………………むう」

「では、私はこれで」

  そう言って、席を発つ。
 
 
 
 

「………ひとつ、聞きたい」

「何でしょう?」

「キミの目から見た『あれ』は………どう、思った?」

「アルクェイド嬢と同じです」

「同じ?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「純粋で素直。そして、一生懸命」
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「……………………………………………………」

  益々、返事に詰まる『ストレート・ロウ』氏。

「………いずれ、道も重なるでしょう。私は眼法師ではありませんが………そんな気がします」

「……………………………………………………………………………………………………」

「また、いずれ」

「………ああ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  『朱い月』と『ストレート・ロウ』氏の間の溝は、中々埋まらないように思う。

  しかし、どちらかが『埋めよう』とする限り、溝は埋めていけるものだろう。

  想像も付かないが、せめて一緒に酒を楽しめるようになれれば ――

「………いや、それは欲張り過ぎか?」

  苦笑をひとつ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  旅は、心を豊かにする。

  『常』ならざるが故に。

  『不自由』であるが故に。

  『新しい出会い』があるが故に。

  彼女が、今度の旅においても、よい出会いと思い出に恵まれることを祈るのみ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「……………………………………………………待て」

  自らの考えに、ひとつ、危惧を抱いた。

「彼女 ―― 『朱い月』 ―― は、アルクェイド嬢と同一の存在である………」
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  アルクェイド嬢は、遠野志貴に惹かれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「………よもや………『朱い月』まで、遠野志貴に惹かれたりはしまいな………?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  そして私は、自らの危惧が現実になることを、後に、思い知ることになるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  end………?
  or continue………?

 

  This Story has been sponsored by 『MOON TIME』 & 『KAZ23』
  THANKS A LOT!!


後書き………のような駄文。
 
 

  いつもお世話になっております(苦笑)

  てぃーげる氏、如何でした?

  Lost-Way流の『朱い月』です。

  『歌月十夜』の『夢の中』での『朱い月』を、私なりに解釈してみたのですけれどね。

  ………とは言え、この“店”仕様になってしまっていますけれど。

  某所の『なりきりチャット』で、ここしばらく『朱い月』やっているんですけれど、このSSがベースになっているのか、チャットでの『朱い月』をベースにこのSSを書いているのか、と、言ったところでしょうか。

  そのチャットにおいては『ゼルレッチ』との掛け合いも、なごなごしたものになっているようで(笑)

  キャラが多くて大変なんですけれどね、月姫も。

  みんなの『カクテル』がある分、それぞれにエピソードを書いてあげたいんですけれど、時間がなくて困り者です。

  次回《Blood Jacket》は、『シオン=エルトナム=アトラシア』です。

  番外編『ホワイトデー』で吸血種から人類種に戻っていましたが、その時のエピソードでお送りします。

  どんな『不本意』な方法で人類種に戻れたのか………

  うまく書けたら、御喝采。
 

  では。
  LOST-WAYでした。
 
 
 
 
 


Guest Bookへ

メールを送る