青空のもと、北条誇る小田原城門をくぐりゆくのは人、駕籠、馬、牛、荷車、荷車は山盛りだ。
そんな行列が朝から二刻もつらつら続いて、いまようやく全員をおさめおわった。

「あれが全部姫様のお婿様候補かい」
右の門番が言った。

「さすがだなあ。おれも後ろをついていったらお婿様になれたかしら?」
左の門番が言った。
その背に急にゾッとはしった。

門番の頭の上の門の上の大やぐらのその屋根に、風魔。いや、
気のせいか
誰もいない
右と左の門番が地面に突っ伏して意識を失っているばかり。






***



「小太郎、おいで」

小田原城二の丸、中庭を臨む廊下から声があった。
意匠をこらした打掛けを引き摺って、あれは風魔小太郎の知る北条の姫である。
風魔小太郎は誰の目にも見えないように葉の豊かな木の中にいたのに、はこうして見つける。忍の才があると揶揄しても、は「むかしから目で追っていたからでしょう。おまえは危なっかしい」と小太郎の乱波ぶりをたしなめるばかりであった。
風魔小太郎はのまばたきの間にの目の前の土に、タ、と降り立った。
着地で屈していた膝を起こすと廊下の上にいるよりもまだ頭一つ分高い。

「お客様が果物をくださったのです」

は驚きもせずにいつもの調子で静かに微笑む。
差し出された白い手のひらに見慣れない赤い果実がひとつある。

「林檎というそうですよ。異国のもの。ふたつに分けて食べましょう」
「見合いはどうした」
「・・・さっきおわった」

が言いよどんだ一瞬で嘘だと知れた。気疲れがその白い頬に影をおとしている。
小太郎はむんずと林檎を取り上げ、晴天に何度か放った。

「ククッ、血のように赤い」
「小太郎。食べ物で遊んではいけません」
「これをわければよいのか」
「台所で包丁を借りましょう。間違ってもおまえの鍵爪で切ったりしては」バコ

と小太郎が素手で林檎をわけた音との声が重なった。

「中は血肉の色ではないとはつまらぬ、つまらぬ」
「もう」

等分ではないが、大きいほうと小さいほうにうまく分かれた。
小太郎は大きいひとかけ、は小さいひとかけだ。

「真ん中のほうに種があるそうですが小太郎にすべていってしまいましたね。種は出し」ゴリ!

と小太郎が大きいひとかけを一口で口におさめた音が重なった。

「おへそから林檎の芽が生えても知りませんよ」

はわらって自らもカプリと果肉を食んだ。







ゴトン

と音がした。
の手から林檎が滑り落ちたのである。
そして力を失ったの体が廊下に落ちそうになったのを小太郎がすんでのところで支えた。
目を閉じてぐったりとしている。

一度ゆする。
動かない。
二度ゆする。
動かない。
三度ゆする。
動かない。

そのとき、廊下の奥からドタドタと足音が近づいてきた。
現れたのはの祖父にあたる北条氏康とその側近二人であった。

「あー遅かったか」

意識のないを見た途端、氏康は頭をぼりぼりかいてキセルをくわえる口をへの字に曲げた。

「氏康、これは毒か」

小太郎の問いかけに、氏康は廊下に転がっている林檎のかけらを拾い上げて

「こいつァな、種と一緒にくわねえと毒なんだとよ」
「・・・」

小太郎が自分の口の中に指を突っ込んだのを見て、その脳天に氏康の手刀が落とされた。

「あほう。うちの孫になに飲ます気だ」

残虐な風魔忍の頭領は沈黙し氏康を睨んだ。氏康の側近達は「ひっ」と短く悲鳴をあげてあとずさったが、氏康はにっと笑って受け流す。
それどころか小太郎の頭をぺたぺた叩いてこう言った。

「目ぇ覚まさせる手はあっから、そんな泣きそうな顔すんじゃねえよ」

後ろにいた側近たちには風魔小太郎の表情はただひたすら凶悪に映っていた。風魔にそんな気さくな態度をとって氏康が殺されはしないか、自分たちもついでに殺されやしないかと肝を冷やすばかりだ。氏康の目に風魔小太郎がどのように映っているのか想像すら及ばない。

「なんでも、こりゃあ眠っているだけで“愛する者”がくちづけをすりゃあ目覚めるってえ話よ」

小太郎が固まった。

「ったーく、そんなもん見合いのみやげに持ってくんなってんだよなあ。で、話を最後まで聞きもしねえで林檎を切り分けてくるっつって見合いを抜け出したきり戻ってこねえ。と思ったらこれだ。まだまだ後がつかえてるってのによう」

氏康は固まった小太郎の腕からを預かりうけて、やれやれと言いながら自らの唇をうーっと突き出した。



未来の言葉で言うならアイアンクロー



氏康の顔に小太郎の熊手のような手が噛みついていた。
爪が食い込んでいるのを見るに、小太郎はかなり本気だ。

「イデデデデなにすんだこんにゃろう」
「われのセリフだ」
「あほうが。の愛する人っつったらおじいちゃんに決まってイデデデデ!」
「返せ」

小太郎はアイアンクローをやめたかわりにの足を引っ張って引き戻そうとした。氏康は後ろからの脇に肘をいれてがっちりホールドして抗う。

「”返せ”って、誰がおめえにやるっつった」
「うぬではどうにもならぬ」
「んだと、こちとらなあ、“、おおきくなったらじーじとけっこんするー”って言われてんだよ!」
「うぬら、このすきに氏康を斬れ」
「「へっ!?」」

突然風魔忍の頭領にふられ、側近たちは素っ頓狂な声をあげた。

「うぬらの主は乱心だ。北条の姫が禁忌の道へ引きずり込まれようとしているのが見てわからぬか」

あー確かにー。
言葉にこそ出さなかったがうなずいて、側近達は刀に手をかけるか逡巡した。

「ドあほうが!」

大喝に、側近達はしゃんと気をつけに直る。

「そうまで言うなら小太郎、おめえがの愛する者ってやつを連れてきやがれってんだ!目が覚めるかどうか見届けてやらあな」
「・・・」

小太郎は沈黙した。
一度静かになってから「これに」とはじめた。

「これにそんな者がいなければどうなる」
「眠ってちゃ飯も食えねえ。あっという間におっ死んじまうだろうよ」

ザザザッと突風が吹いたかと思うと、風魔小太郎の姿は忽然と消えていた。












***



氏康に運ばれ、本丸御殿の畳の間にの体は横たえられた。
の母親がに接吻をした。
そのあとはの父親がに接吻をした。
しかし目覚めない。
ほかに誰があるかしらと氏康は腕組みして首をひねった。

もとより、は色恋の話をしない娘であった。
唯一氏康が知っていることを挙げれば、は以前関東北条の仇敵、徳川へ和睦の目的あってお嫁入りしかけたことがある。しかしこれは恋にも愛にも至らなかった。
混沌大好きの風魔小太郎がしっちゃかめっちゃかに暴れまわって、和睦どころか徳川を北条傘下に降らせてしまったのである。
おかげでの嫁入り先は決まらず今に至り、今日盛大にお婿様選定会を開いたというのに。
しかたなく、氏康は小田原じゅうにおふれを出した。



『我こそはの想い人と覚えのある者は名乗り出よ』



するとあれよあれよのうちに畳の間の前に長蛇の列が連なった。
大きなお武家の長男に、大きなお武家の次男、中くらいのお武家の兄弟全員、小さなお武家は嫁さんがいるはずの男もあわせて一家総出で行列した。正統派では姫の護衛役、お小姓、お城仕えのイケメン、お城仕えのヤリチン、馬番、門番、庭師、大工、商人、農民、盗ッ人に山賊まで。



「嗚呼!おいたわしや姫様!それがしが珍しい果実で姫のお心を喜ばせようとしたあまりにこんなことに。よよよ・・・」

そう嘆き悲しみ畳にかじりつき、結果として列の最初に割り込んだのは、例の林檎を持参したお見合い相手である。
どさくさにまぎれて膝をの枕元までにじり寄せ、手などとって、あぶらぎった顔で鼻息荒く、白磁の寝顔を覗き込んだ。

「しかしご安心召されませ。それがしの接吻でどうぞお目覚めくゴッホ!

言葉が乱れたのもしかたない。
彼の左頬に氏康の拳、右頬には風魔小太郎の拳(篭手付き)がめり込んだのだから。
両側から同時に殴られて、吹っ飛ぶこともできなかった不幸なお婿様候補である。左右に吹っ飛べなかっただけにともすれば、真下で眠ると予定どおり接吻できるところであったが、の玉体はいつのまにか風魔の腕の中にあってそれも叶わなかった。
禍々しい篭手おもての鋲がひっかかり、の衣が細く裂けた。次の瞬間には篭手は突っ伏す男の後頭部にコーンと投げつけられて、姫を抱えた風魔の姿は風と消えていた。


















***



城の片隅、ひとっこひとり通りかからないような奥まった部屋にの体を横たえた。
風魔はの唇にが可愛がっている猫を寄せた。
動かない。

次に風魔はの大切にしている花を寄せた。
動かない。

尽きた。
その二つだけが風魔小太郎が考えついたの愛するものだったのである。

「・・・」

の肩など握りつぶせそうな手のひらがおもむろにの肩を掴んだ。かるく揺する。
動かない。

「・・・起きろ」
動かない

ペチ、とのひたいを叩いた。
動かない。

むごたらしく生者を屠る魔手に叩かれたというのに、なぜだかのひたいには赤みすら残っていない。白いままのひたいへ風魔小太郎はゆっくり噛みついた。頭から食べるのかと思えば、口にあわなかったらしい。牙はたてずにひたいへ唇をあてただけであった。
動かない。

こたろう

耳の奥でそう呼ばれた気がした。
は深く目を閉じたまま。
動かない。
小太郎はひたいへあてていた唇を、いつも「小太郎」と自分を呼んでいた気がする場所へすべらせた。

―――もう一度呼べ
さもなくば多くをむごたらしく殺めてくれようぞ
女子供も見境なく凶つ風をふかせてしまうぞ
おぞましかろう
とめたかろう
ならば
もう一度
このやわらかな唇で、もういちど



































長いまつげがわずか、ふるえた。



「・・・こたろう?」

風魔ははっと目を見開いた。

が小太郎を覗きこんでいる。
上から。

「小太郎、よかった」

は倒れこむようにひしと小太郎の首へ抱きついた。

「・・・?」

小太郎は心の中で首をかしげた。
世界が上下逆転している気がしたからだ。

「よく目覚めてくれました」
「・・・なんだ?」

それがいまの風魔小太郎の心境をあらわすすべてだった。

「かわいそうに、なにも覚えていないのですね。おまえは林檎を食べて種の毒で眠っていたのですよ」
「・・・」

種が、毒?

「ほんとうによかった」
「・・・」

つまり眠っていたのは小太郎のほうで、林檎を食べてから今まで全部、なにもかも、つい今の、あの、押しあてたやわらかな唇の感触さえも



―――皆殺しだ。



凶悪にふてくされかけて、別のことに気づいた。

「なぜ我は目を覚ました」
「・・・おまえの愛する人のくちづけて眠りはとかれたのです」

の頬がほんのりと赤く色づき、気まずそうにまなざしを畳へ向けてしまった。
皆殺し中止が決まった。
眠っていた身体のだるさもあって驚きはゆるやかだった。怒りもなくただをこの布団のなかに入れたいと、そう思った。
あのやわらかで確かな感覚をもう一度、存分に味わいたかった。

「おじいさまのくちづけがおまえを目覚めさせてくれたのですよ」



!!!



が恥らっているのと逆側へ光速で顔を振り向ければ、氏康が誇らしげににやにやしていた。

「おめえ顔に似合わず俺のこと好きだったんだなあ。かわいいやつめ!」

御殿の一角がバーンと吹っ飛び、風魔小太郎は布団から姿を消した。
それから三日三晩、はるか遠くの一本杉の上から風魔小太郎は降りてこなかったという。





















「ほれ、やーっぱ逃げちまったじゃねえか。たく、おめえはなんでああいうホラ言っちまうんだよ」

ノったじーじも悪かったけどよう、と氏康は、顔を真っ赤にして打ち震えているに問いかけた。

「だって・・・小太郎にはちゃんと言葉で好きと言われたいのです」



おしまい