両開きの扉が壊れるほどの勢いで開いた。

「猊下ァ!」

「エイブラムス」

彼にとってよほど喜ばしい再会だったのだろう。コートを脱ぐ時間も惜しんで腕をひろげ、ベッドの上の姫様に跳びつく勢いだ。さすがに怪我人に跳びつかせるわけにはいかない。私は様との間に立った。
しかし、私という障害物は役に立たなかった。
彼は寝室に足を踏み入れた途端に急激に勢いをなくし、手に持っていた荷物をどさりと取り落した。
眼と口をぽっかり開け
足元はおぼつかなくなり
ふらふら歩いて私の体を押しのけると、ベッドの真際で膝から崩れ落ちた。

「おお、おお」

肩を武骨な黒いバンドで固定され、左腕を包帯でぐるぐる巻きにした姿を目の当たりにして、彼がぶるりと胴震いしたのを見た。

「とんでもないことを…!」

こわごわと浅黒の手が伸ばされ、こけた頬に触れた。
私は少しの驚きをもってこの様子を見ていた。
薄情者とは決して思っていなかったがブリッツ・T・エイブラムスは、人への情よりも吸血鬼対策に命のほとんどを注ぐ人だと理解していたからである。だが、かの王室とかの一門はラインヘルツなどものの数に入らぬほどの、深い信頼と数百年に渡る親交があるともきく。様が咎めず親しみのこもった笑みとともにスキンシップを享受している姿こそ、彼がこれまで真心をもって様に接してきた証であろう。とめる必要はどこにもない。
場違いに、みじめな心地が腹の奥でざわめいた。

「心配をかけました。もう大丈夫」
「大人のようなことをいって」

両側から頬をごしごしさすってひっぱっても許されている。

「うん?」

なにかに気づいて、彼は様の顔を横に向かせた。ゆるく編んだ三つ編をすくいあげ、肩に近い胸元に幾筋かの縫いあとがあることに気が付いたのだ。

「うんん!?」

迫力のある眼を剥き、苦笑を浮かべた様の顔と、縫い痕とを何度も見比べる。

「名医がついてくれていますから、痕も残さず消えるそうです」
「うんんん!?」
「大事ない」

「大事でないはずがない!」

ぴしゃりと言って返し、これには様も思いやる心の強さに感激を禁じ得なかったようだ。

「あなたがそこまでわたくしを大切に思っていてくれたとは、嬉しk」
「ここから血はたくさん出たのですかなっ!?」
「…ええ、そう」

「もったいない!」

「…」
「あなた様を撃ったのも、撃つのを黙認したのも大馬鹿者どもです!どうせ撃つなら後ろに大きな計量カップでも置いておけばよかったものを。貴重な血の確保もされず、撃たれただけの猊下のおかわいそうなこと!おう、おおう」

目を覆って嗚咽をはじめた男に姫様は複雑な表情を作った。
私の腹の奥のざわめきもさっと散る。

「ハッ、いかん!こんなことをやっている場合じゃあなかった!」

ガバと顔をあげると持ってきた大きなカバンに手を突き込み、まさぐりだした。

「本題を忘れるところでしたが、まずはこれ、こちらに!室内用の吸血鬼避け!」

百枚でひとくくりにした札束のように、魔避けの紋様と呪文が綴られた護符が床の上に積み上がった。

「これだけあれば頸動脈でも斬られて大量出血でもしないかぎり十年分はもちますぞ」

言ったあと、束を作っていた銀の留め具を引き千切って、護符の束を後ろに放り投げた。
天から降った羽毛のように護符が部屋に舞う。

「こっちはこの屋敷の周辺用、壁掛けタイプと埋め込みタイプと貼り付けタイプの三種類。ほれ、クラウス、ぼっと突っ立ってないで持ってけ。あとあれはどこだったか、お!これこれ。じゃーん!移動用の魔除け札ぁ、お散歩に最適。それからこっちは車添付用で」

大小様々の護符が噴水のごとくカバンからあふれてくる。どれも貴重で大切なもののはずだが、カバンから取り出したそばから床に放り投げられて行く。
その数枚を取り上げて驚いた。

「アンチ・ウラド符、ルーマニアンワイナリーの聖紙片、西シーズ教の護符も」

どれも悪霊退治、吸血鬼退治の名門の最上位のまじない符だ。

「ほうぼうの宗派から魔除けを預かってきたからな。なかにはこれまで猊下に反抗的だった連中のもあるが、なに、いま流れは完全に第二十二子だ。猊下の兄殿下もとさかに来てる。どんな阿呆ももうしばらくは悪さする気は起きまいよ。あー、こりゃいりますかなぁ?腕輪タイプの魔除けと、耳飾りタイプ、こっちは式典用に煙護石のティアラ。こっちじゃ使わんだろうと言ったんですがね、まあご機嫌取りでしょうな」

高位魔術の施された石が輝く装飾品が次々無造作に床に転がる。
ドスンと音がして見れば、床の上にA4サイズの紙のかたまりが置かれたところだった。高さにして20センチはあるだろう。護符ではない。

「これはどうしても早急に猊下の署名が必要な書類だそうで。持ってくるだけは持ってきましたが、なに、律儀に書くこたありませんよ。クラウス、ギルベルトさんは筆跡の写しはできるだろう」

こちらへ寄越そうとした書類の束を、様の手が掴んだ。

「わたくしが検めます」
「なりません」

私が書類を手放さず、様も同じように放さなかったから、空中で互いにつかんでいる部分から書類がたわむ。
やらせるわけにはいかない。
いまは治療中に身であるし、この書類に彼女のサインを求めている人間だちがその傷を作ったのだ。

「…」
「…」
「おお?なんだなんだ?いい雰囲気じゃないか、クラァウス!」

私と様の間の緊張とは裏腹に、明るい笑い声が部屋に響き、背中を叩かれた。

「ところでおまえたち、セックスするのはいつ頃になりそうだ?」

二人同時に書類を手放し、高級護符と同じに床に散らばった。
全身から汗が噴きだす。

「ははん。その様子じゃまだ胸も揉ませてもらってないな!」

噴きだした汗が湯気となって眼鏡を曇らせる
姫様がいまどんな顔をなさっているのか物理的にも心理的にも見ることができない。

「まあ、手ぇ出す前に来れてよかったがな」

いいか、と言って彼は真剣な表情で人差し指を立てた。

「セックスするときは先に言えよ。眷属どもにとってアニバーサリーな親魔の血こそ最高のマタタビだ。俺の見立てじゃあ破瓜の瞬間に絶対来る!」

私は、師匠筋とはいえ姫の御前で品のないことを言って放つ男を諌めるべきか、照れるべきか、姫様をこの腕に抱くことが叶った最高のその瞬間に血界の眷属が襲来するという予測に驚くべきか、どの感情をとっていいのかわからずにただただ全身から汗を流し、眼鏡を曇らせる。

「なに、そう心配するこたぁない!」

彼はもう一度私の背中をバシンと叩いた。

「そんときゃうちの一派総出でベッドのまわりで魔除けの呪文を詠唱し続けてやる!それでも何匹かは吸い寄せられて来ちまうだろうが、まあそん時はこう、ググッっといったあと悪いがすぐに抜いて闘ってくれ」

「…」
「…」
「ところでクラウス、ほかの連中はどうしたんだ?」









その頃クラウス邸の外では、レオナルドが鍋の蓋を盾にしてプラスチックバットを振り回していた。

「わわわわっ!空から人工衛星が!死ぬっ!死んじゃいますっ!」
「レオ君は危ないですから下がって!パトリックさんペトリオット急いでくださいっ!あれ血法じゃ無理なヤツですっ」
「ハッ、アンデッドパラソルヘッドオオムカデちゃんの大群のお出ましだっ!!」
「お出ましだ!じゃないわよ、蟲ムリ蟲ムリ!はやくなんとかしなさいよ銀猿!」
「スカーフェイス!なにちんたらやってんのよはやく凍らせてっっ!」
「いまやってるったら。うわっ、KK!あれ!あれ!撃ってくれ!ヤバイっ!」



おしまい