ドクター・エステヴェスの忠告どおりになった。

麻酔がきれたあと、あの美しい姫君が喉を低くうめかせ、白いシーツの上をのたうちまわり、吐しゃ物に顔をうずめた。
小さなエステヴェスが5人がかりで暴れる手足をおさえにかかったが足りず、その後ろでおそれ、茫然と立ち尽くしていたクラウスは三度ドクターに強く呼ばれたところでようやく弾かれ、気の動転するまま、見たことのないの、その右足首をベッドに押さえつけた。
押さえつけながら祈った。
眠れと祈った。
眠りにつつまれたならこうして苦しむこともない。
そう祈ったが、が眠ったのは激しい痛みに耐えきれず気を失ったときだった。

長兄の指示で、外の空港で待っていたのではないかという速度で、ラインヘルツ家のメイドが二人と、メイド長が外から駆けつけた。そして、クラウスはの部屋に足を踏み入れることを禁じられた。
自身がそう強く望んだと聞かされ、教会のてっぺんの大鐘にぶつかられた心地がした。
閉ざされた部屋の前で足元の廊下を長い間見つめ、一歩前に出て、隔たる扉に額をあてた。
かすかに声が聞こえる。
いやだ
いたい
どうして
どうして
指が扉の装飾彫りをなぞって銀のノブにたどり着く。

「坊ちゃま」

ギルベルトがすぐ横に立っていたことに、声をかけられるまで気が付かなかった。

「お手を」

ノブを放した。
クラウスはギルベルトへやっていた視線を足元の廊下へ逃がした。「ギルベルト」と呼んでみてはじめて、ひどく口の中が乾いていたと知る。

「姫様に痛み止めの薬を」
「ドクター・エステヴェスのおっしゃったことをお忘れですか」
「覚えている」
「手指の神経を取り戻すには今は耐えるときと」
「覚えている」
「では」
「もういい」

ギルベルトは返事をせず、正しい目がじっとクラウスを見ていた。

「異界の施術をし直すようミス・エステヴェスに」
「二十二子猊下のお身体と将来を好きにする権利も権限もラインヘルツ家のどこにもありますまい」
「…そのとおりだ」

理不尽にあたるほか、反論の余地はない。
愚かな男は言葉を継げずにまさにその場から、冷静な人から逃げるために踵を返し、「だが」と言った。

「二度と私の前で様をその名で呼ばないでくれ給え」

愚はここに極まった。






***






老執事に曰く、

自室に戻り、さんざん落ち込んで自分の非力に途方にくれ歯を食いしばって、ひとしきり負を味わってから主人は膝を起こした。
明くる日にクラウスは、かわいい(であろうと判断した)中くらいのクマのぬいぐるみをギルベルトに託した。

「姫様に」

ギルベルトもまた、の部屋に入ることを禁じられていたため、メイドに託したわけだが、激痛に暴れたによって一瞬でベッドから扉まで投げ捨てられたという。
もうすこし大きいクマのぬいぐるみでのリトライ結果は、二秒でベッドから蹴落とされてクマは床とキスしたきりだったという。
投げられないほど重い木彫りのクマを託そうとしたのは、これはギルベルトが主をたしなめた。
長年クラウスを見守ってきたギルベルトの目に、いまのクラウスのポンコツぶりは明らかだった。

「なんだかクラウスさん、日に日にやつれていきますね」

事務所の窓際で鉢植えに水をやるクラウスを遠目に見、レオナルドがそうつぶやいたのを、ギルベルトは部屋の隅の執務卓で書き物をしながら、口をはさまずに聞いていた。

「猊下が気の毒な状況なのに、本部からは責任がどうこうって個人的に嫌味をいってくるひともいるそうですから」

ツェッドが重苦しくいった。二人してため息をつくと執務室全体の空気がさらに重くなる。

「…今がチャーンス」と目を光らせたのはザップだ。
「ちょ!ザップさん!」

レオナルドが引き止めた甲斐もなく、ザップはクラウスの背に躍りかかった。
ボコスン、ボコボコ、とコミカルな音がして関節が二、三か所増えたザップがもんどりうって床に転がる。
突然戻ってきた日常の風景にレオナルドとツェッドは笑いかけたが、その笑顔はひゅっと引っ込んだ。ザップをのす間も手放さなかったジョウロが、鉢の輪郭を越えて絨毯に水をしたたらせるのを見たからだった。
いつもよりちょっと静かなアジトになったのをギルベルトはその耳に聞いていた。

それでもいつもどおり事件は起こる。
それでもいつもどおり、ギルベルトの主人は世界の均衡を崩さんとするものどもを討ち果たす。主人の右腕たるスカーフェイスはピザでも注文するような符丁を使ってほうぼうと薄暗い電話会議を繰り返す。そして電話のかたわら、KKとパトリックが持ってきた経費申請書類の額面を見て机につっぷす。ツェッドに喧嘩腰であたっていったザップの頭の上にチェインが乗って、引っぺがそうと振り回したザップの腕がレオナルドに衝突する。
時間は過ぎる。
痛みにのたうちまわる日々も永遠ではない。
主の贈った中くらいと大きいクマのぬいぐるみが、そろってクッションの上に並べられた頃、ギルベルトの主はのもとに手ずからクリームスープを運んでいった。

「お口にあうでしょうか」
「…うん、クラウス。おいしオエ」

吐いた。
笑顔のままは全部吐いた。
慌てて背をさすって、吐いたものでの服が汚れないように手のひらで受け止めてやろうとしたクラウスは、に阻まれて、あっというまに部屋から追い出された。
メイド兼侍女に着替えさせてもらったあと、ギルベルトだけがに呼び戻された。
間近で見るとぐったりと横たわっているの唇が乾いて細く切れているのが気になった。髪にも肌にも艶がない。眼の下は落ちくぼみ、黒ずんでいた。この顔がさきほど、主の前では笑っていたことが不思議でならない。

「クラウスに悪いことをしてしまいました」
「姫様が悪いことをなさるところを、ギルベルトめは見ておりませんが」

ほほ、と口髭の奥で笑い、包帯のあいだから目を細めてみせた。

「わたくしめが見たのは、そうですね。私が手伝おうとしたのを頑なに断って、強く折り目のついた料理本を何度も確認しながら坊ちゃまがあのスープを作ったところくらいです」
「あれは、クラウスが…」

気力があったならば大きな目を丸く開いて驚くところを、いまはつぶやくので精一杯という様子だ。
そしていっそう気落ちする。

「てっきり、料理はギルベルトが作ったものかと。ああ、もっと悪いことを」
「あなた様は、クラウス坊ちゃまがぐるぐると考えておかしな行動をするのを楽しくご覧になるくらいのおつもりでいいのです」

なにか言いたげに開いた口を閉じ、飲みこみ、はギルベルトのいないほうへ首をそらせた。

「この左手がぽろりと取れたなら、クラウスがサンバの衣装を着だしてわたくしを励まそうとするかもしれませんから、今わたくしのやるべきことはそうならないようにはやく治して元気な姿を見せることですね」

「ほほ、ありうること。ですが焦りも禁物です。誰のペースに合わせることもありません。いまはゆっくりと御身を最優先にお考えください」

「…ありがとう、ギルベルト。おやすみなさい」

「おやすみなさいませ」と毛布を肩まで持ち上げての寝室をあとにした。



それからギルベルトの主は三度料理を運び、三度ともは笑顔で食べて「おいしオエ」をした。
別の日はの好きな探偵小説を贈り、嬉しそうに受け取られ、クラウスのいる前で意気揚々と1ページ目をひらき、酔って耐えて悪化して寝込んだ。身体のむくみが神経を圧迫しているのだと小さなドクター・エステヴェスはいった。
また別の日には「あなたの手がそれほど大きくなったのはこの日のためだったのかもしれませんよ」とドクターにのせられて、清廉な決意とともにむくみとりのマッサージを施したりもした。はじめはよかった。心地がいいと喜んでもらえた。しかし、しきりに脇腹をいやがりだしたを、嫌がるところは揉むべし、という事前の医師のアドバイスに従って果敢に揉みにいったところ、「も、もういい。次からは侍女に頼みます」と断ち切られた。
他にできることはないだろうか。ほかに、なにか、なにか。






***






「入り給え」
「は、はいっ」

そうしてぐるぐる考え抜いた末に招かれたとは知らないレオナルドは、女性の寝室へ足を踏み入れるという体験にどうしても顔がだらしなくなるのを止められない。
いい匂いがしたりするんだろうか、とワクワクしながら入った先は病院の匂いがして、ふと冷静な心にかえった。
ベッドの上にはひと月ぶりに見るの姿があった。
たっぷりのクッションを背もたれに上半身を起こし、は明るく微笑んで見せたけれど憔悴の色は隠しきれない。

ほんの一瞬、車椅子で派手にこけて足を怪我した時の妹のことを思い出した。
連絡を受けて死ぬ思いでかけつけた病院で、ミシェーラは「オッス!お兄ちゃん」なんて笑ったっけ。

「ごきげんよう、レオさん」

こちらはオッス!とはいわないけれど、レオナルドの知っている怪我人はだいたい笑う。

「ごきげんよう、さん」
「お客様はレオさんだったのですね、うれしいこと。クラウスったら教えてくれなかったのですよ」
「…」

いたずらな笑顔を向けられてクラウスはあいまいに首をかしげて、苦笑した。
が一瞬さびしげな顔をしたように見えたが、その顔がレオナルドに向き直った時にはにっこりと笑って、右手のひらが差し伸べられた。

「どうぞ、かけて」
「それじゃ」

そういってレオナルドはベッドの横の猫足の椅子にそれを置いた。

「じゃじゃーん」
「ソニック」

そう、ソニックだ。
服の中に隠していたソニックはきゅうに置かれた椅子のうえで目をぱちくりとやり、きょろきょろしたあと、その大きな目にの姿を見つけた途端、高い声でひと鳴きした。
「あ」
が声をあげたときには、ソニックはまさにあっというまに椅子の上から姿を消し、腕を伝っての肩までかけあがった。かけあがった先、骨折している左の肩に巻かれた固定用のバンドをおっかなびっくりにちょんと突っついたきり、そちらには近寄ろうとしない。
じゃれつくうちに下手に患部に触ったりしては大変だと思っていたが、この調子なら大丈夫だろう。
と、このソニックの所作が見えたのは特殊な目を持つレオナルドだけで、クラウスやの目に見えたのはソニックが一瞬のうちにの右肩に移動したことだけだった。
ソニックは今度は見える速度で、の首に頭を何度もすり寄せた。

「はは、スライムのときこいつさんに助けてもらったから、ありがとうって言ってるんですよ」
「まあ、そう。そうなの。それで会いに来てくれたの」

はにかんで笑い、指先がソニックの毛並みを撫でた。揺れる指先を気に入ってソニックがしがみつくとは歯を見せて笑った。

「というわけできょう、僕このあと一日じゅうバイトなので、もしよかったらお願いしていいですか」
「預かっていいのですか!一日じゅう?ああ、うれしい。ありがとうレオさん」
「いやあ、僕はなにも、全然。お礼ならソニックとクラウスさんに」
「ありがとう、ソニック。…クラウスも」

クラウスは無言でぎこちなくうなずいた。






「もしさんが体調悪くなったりわずらわしそうだったら、クッキーでも部屋の外に置いておけば簡単に出てきますから、気にせず出しちゃってくださいね」
「心得た」

クラウスは、わざわざレオナルドがピザ屋のスクーターにまたがるところまで見送りに出てきてくれた。

「改めて礼を言う。頼みを聞いてくれてありがとう。助かった」
「そんな、大げさですよ。バイトに連れて行くとあいつお客さんのピザ食べちゃうんで僕もちょっと助かります。てか、ソニックのやつが一番嬉しそうでしたし。見ました?さんの三つ編みで毛づくろいしてたの」
「大げさではない」

クラウスは唇を引き結んだまま笑う形を作ったがやはりどこかぎこちない。

「私にとっては、とても難しいことだった」

レオナルドがさよならと言わないで、その場にとどまっているとクラウスは静かに続けた。

「私がなにをやっても姫様は喜んでくださるが、それにも増して私を喜ばせようとなさるから余計に負担をかけてしまう」
「…」
「すまない。引き止めてしまった。気を付けて行ってき給え」

レオナルドは腕の中のヘルメットに視線をおとし、しばらくそうしてから「…うちの妹が」とぽつりと言った。顔をへらりと笑わせる。

「あいつバカだから、まえに車椅子で派手にこけて病院に運び込まれて」
「む」
「俺すっごい走って行ったのに、ちょっと足怪我したけど痛くないよ!足がもともとアレで、コレなもんで!とか全然笑えないこと言うから、オレめっちゃ怒って、怒って…恥ずかしいんですけどなんか泣けてきちゃって。ミシェーラもさすがにまずいことしたってわかったっぽくて、しおしおってなったんですけど、そしたらあいつ。あいつもうほんとバカで、お兄ちゃんが怪我したんじゃなくて私はよかったとか言うから俺、バカ!!って、自分こんな声出るんだってくらい大声で叫んで、看護婦さんにめっちゃ怒られました」

エンジンもかけずに突然、看護婦さんにめっちゃ怒られた話をされて、きっといま顔をあげたら、クラウスは(レオナルドはなにをいっているのだろうか)って顔をしているだろう。レオナルドはクラウスを見ないようにヘルメットをかぶってゴーグルをおろした。

「だからその、わ、笑う怪我人にははっきりバカー!って言っちゃえばいいんじゃないかなって。いや、でも、うちの妹に僕が言うのと、クラウスさんがさんにいうのとだと、なんか全然、無礼レベルが違うかもですけど…」

「…」

ほら、わけのわからないことを言われて反応に困ってる。

「すみませんっ!それじゃ。また夜にっ」

あわててかけたエンジン音にまぎれて「ありがとう」と聞こえた気がしたが、ミラーに映ったクラウスの表情は前髪と眼鏡に隠れて、よく見えなかった。






***






こんな時に限って次元切り替え型高級マンションへの配達依頼がきて迷子になり、だいぶ遅くなってしまった。

「それは災難だった。夕食はとったのかね。もしよければ夜食と部屋を用意するが」
「や、それは申し訳ないです。こんなのは慣れっこなので。ゼンゼン大丈夫っす」
「ふむ。そうか」

別れ際に見上げられなかったクラウスの顔は案外いつもどおりで、レオナルドはこっそりと安堵した。

「それよりもあいつ迷惑かけたりしませんでしたか」
「迷惑とは正反対だ。一日中楽しげな声が聞こえていたほどだ。歌まで歌って。姫様が歌をうたう姿ははじめて見た」

たどり着いた見覚えのある扉は半分開いていたが、クラウスは中を覗き込むことなく律儀にノックした。

「姫様、クラウスです。入ってもよろしいでしょうか」

中から返事が返らない。
「ふむ」とクラウスは時計を確認した。もう寝てしまったのかもしれない。

「入り給え」
「え、あ、いいんですか」

夜の、眠っている女性の寝室。想像しただけで喉がごくりと鳴った。

「し、失礼しまぁーす…」

罪悪感から抜き足差し足で入ったレオナルドは、まさに正面にベッドで眠るの姿を目の当たりにし、クラウスの死角でガッツポーズをした。しかし、眠るの顔のあたりに寄り添ってソニックまで寝ているのを見つけてしまったら顎が落ちた。

「す、すみません!うちのソニックが、うらやま、じゃなくて、とんでもないことをっ、ハッ!」

慌てて口を覆う。
この部屋の主は寝ているのだ。

「痛みがあっても夜眠るために強めの薬を飲んでおいでだ。朝までお目覚めになることはない」
「そ、そうなんですか…」

ほっと胸を撫で下ろす。何をやっても起きないなんて、そんなAVみたいな―――レオナルドは激しくかぶりを振った。よくない先輩と一緒にいすぎたせいに違いない。

「そ、それにしても、ソニックのやつよっぽど遊び疲れたんですね。いつもならこれくらいの時間でも平気で起きてるんですよ」
「実りある一日になったならばなによりだ」
「そうだ。よかったら、ソニックもうしばらく一緒にいさせましょうか、そのほうがさんが嬉しいなら」

クラウスはしばらく黙ってから、に触れないようにソニックを両手でそうっとすくいあげ、レオナルドに差し出した。レオナルドは両手をひろげてぐーすか眠るソニックを受け取った。

「…男の醜い嫉妬だ」

クラウスの声に苦く笑う色があった。

「また連れて来てくれ給え、姫様が喜ぶ」













二人と一匹が部屋を出て行ったあと、は赤面した。薬は飲み忘れていた。

常に公人であり、滅多に私心を口に出さないクラウスの心を思いもよらず聞いてしまい、は熱くなった額に右腕をのせてしばらくぼうっと天井を見つめた。
直後にノックが三回あって、は急いで眠っている体制になおした。毛布を目の下まで持ち上げる。
今度は名乗りもしなかったが、入ってきたのがクラウスだと、ベッドに腰掛けたときのマットレスの大きな傾きでわかった。扉を閉める音がなかったのはこの人の誠実なところだ。臆病なところでもある。

クラウスの手が前髪を撫でわけて、額にふれた。
熱があるかどうか確かめるようにクラウスの手のひらが額にとどまる。もう傷からくる熱にうなされていた時期はとうに過ぎたというのに、が薬で眠っている間、いつもこうして心を砕いてくれていたのだろうか。
そう思うとかわいそうで、同時に嬉しくもあり、いまにも表情が変わってしまいそうだ。もうやめて、離れてとは心の中で繰り返した。
その手が額をはなれ、ほっとしたのも束の間、今度は耳に触りはじめた。
大きな手からは想像もつかない、かすめるような力加減で耳たぶや、耳の後ろの肌をなぞられる。
は耐えに耐えた。
表情に出ないようにすると、かわりに全身を微弱な刺激がはしりまわる。
ひとが眠っている間にいつも、こ、こんなことまでしていたのかしら。
急に眼を開けてあたふたさせてしまおうかとも考えたが、ふとももの内側がしびれてきたのがはしたなくて、うまくからかえそうにない。

「もうお薬なしでも痛まないのですか」

ははっと目をひらいた。
おそるおそる上へ視線をむけていくと、まさしくクラウスはを見ていて、目を開けたに驚く様子もない。
は声にならない声に唇をわななかせた。

なぜ起きているとわかってしまったのか。いや、いつからわかっていたのか。血界の眷属や異界生物との厳しい闘いの中で、呼吸や心拍で相手の状態がわかるよう感覚は鍛えられ、常人ならざるまでに研ぎ澄まされているのかもしれない。

「夜の分のお薬が置いたままに」

ベッドのすぐ横にあるサイドボードには、いつもギルベルトが一回分、三錠の薬と水を置いてくれている。

「それから、頬が」

ふっと笑み、耳をもてあそんでいた大きな指がかぎをつくっての頬をこすった。
いろいろが重なり、頬がなにによってそこまで赤くなっているのか自身ももはやわからない。

「なぜ、嘘を…」

くやしまぎれに絞り出した苦言の矢はそのままにも戻ってきた。最初に寝たふりをしたのは自分だった。
クラウスを咎める言葉はもはやなく、体の向きをかえることで手をはなさせる。背を向け毛布を持ち上げて耳までうずめた。

「なんでもありません。おやすみなさい、クラウス」
「あなたが慕わしいとわかっていただきたかった」
「…そ、のようなことは言葉でいえばよいでしょう」
「愛している」

ベッドがきしんだ音をたてた。
マットレスがさらに傾く。
影にはいった。

「クラウスがっ」

の顔を隠す毛布に、クラウスが手をかける寸前で言った。
クラウスを止めるための咄嗟の時間稼ぎだったから、あとに言う言葉は考えていなかった。

「あなたが、気を落とすことはないのです。わたくしはたとえこの手がとれても、あなたがその、あなたの手が怪我をしたのでなくてよかったと思うのですから」

「…」

黙ったクラウスがおそろしい。

「ですから、その」

クラウスが動き出した。
時間稼ぎを見破られたのだ。
横を向くの目の前にクラウスが手をついた。
耳のふちに息がかかってはぎゅっと両目をつむった。

「バカ」

クラウスの口からそんな言葉をきいたのははじめてのことだったが、そういわれた理由もこういう体勢になった経緯もわからない。
ただ、唯一の盾だった毛布をゆっくり暴かれ、仰向けにたおされて緑色の熱っぽいまなざしとひとたび重ねてしまったなら、もはや身じろぎひとつできなかった。
クラウスの胸が迫る。

「クラウス、いけない。まだ」
「わかっております。今はこれだけ、お許しを」

頬を包まれ、クラウスの指が唇をなぞった。
クラウスの顔が近づきは一握りのこっていた理性を手放して目をとじた。

触れ合った唇は想像以上に熱く…毛深い。

「むっ?」
「え」

ほぼ同時に目を開けて、ほぼ同時に毛深い感触の正体を知った。
の唇に覆いかぶさり、キスを阻んだのはソニックだった。
ソニックは「キッ!」と威嚇の声をあげてクラウスをねめつけている。

「…」
「…」

二人は、ソニックの姿からなにかを察知して、ほぼ同時に扉の方を振り返った。



「ソ、ソ…ソニックちゃん、おいしいクッキーを100ゼーロ分買ってあげるから、お兄ちゃんトコ来なさい。…来てくださいマジで」


ガタガタと全身を震わせ、妙な口調で話すレオナルドが半分開け放たれた扉の外に立っていた。
クッキーと聞いて、今にも白い灰となって消えそうなレオナルドのもとにソニックが駆け寄ると、その扉史上最高の速度で閉められた。



「スススス、スミマッッセン!!!なんも見てません!ホント全然!アレレ!?何も見えないナァ!?また神々の義眼壊れましたねコレ!あ、停電!?あれ!?停電かな!?!お先真っ暗で何も見えない!!だからっ、だからっ、どどどどどうぞお続けくださいぃいいっっ!」



おしまい