エビは考えていた。

なぜこの、顔に傷のある男はこんなにも真剣な表情で我らを丸裸にし、背ワタをきれいにとりのぞき、フレッシュ野菜と、こしらえた特製ソースとをあわせて我らをパンで挟むのかと。
そしてなぜそれを夜な夜な繰り返すのかと。
ソースは工夫をこらして毎夜変わる。
好きなのか。エビが。
このプリっとした身と甘さが好きなのか。
そのわりには真夜中のキッチンでひとりで作ってひとりで食って、不満顔で何度も首をかしげる。だがまた次の夜には我らをパンで挟むのだ。
無礼である。
奇妙である。
引き剥がされた我らの殻を毎朝見つけて、家政婦もたいそう不思議がっている。



この得体の知れぬ行動の意味を、我らは我らの同胞に尋ねかけ―――我らエビがその身の外に、エビ種族すべての意識を連結した統合思念体を持つ生命であると、今はまだ人類もろとも知るまい―――、そしてわかった。

どうもこのスカーフェイス、エビ好きの美しき牙狩りの王にシュリンプサンドイッチを作ってやろうと特訓している。

そうとわかると、サブウェイのHL14番通り店にいたエビたちの思念は戦慄し、激しくかぶりを振った。

「嘘だ嘘だ、あの男はそんなに優しい男じゃあない」
「あれは冷血な男だ。おれは喰われたからわかる」
「腹黒で、女を検索エンジンくらいにしか思っていない」

「いや、待て」ある朝食ビュッフェに出された高級エビが騒ぐものどもを鎮まらせた。

「牙狩りの美しき王は、あのスカーフェイスの所属する組織、ライブラの予算を左右する立場にあると聞いた」

「「「あー!納得!」」」

エビは納得した。
手作りの素晴らしくおいしいシュリンプサンドを作ってやって、女の胃袋をつかむことで予算満額つかみとろうとしているのだ、この男は。目的のためには殺生を厭わず、手段を選ばず、労も惜しまぬその一貫した腹黒、いっそ天晴れといえるだろう。
冷血なる金の亡者の特訓は一日も欠かすことなく続いた。

そんなある夜のことだった。
これまでの特訓では冷凍していたエビを使っていたスカーフェイスが、自ら高級スーパーマーケットに出向き、我らのなかでもとびきり新鮮で上等なエビを買ってきた。
いよいよ腹黒の一心不乱の努力が結実する時が来るのだと、エビは確信した。



その晩、スカーフェイスは夢を見た。スカーフェイスが見た夢を、昨日食われたエビが見ていた。






スティーブン・A・スターフェイズは後悔していた。
ひと月と少し前に、彼はパンドラムの1000年独房で女に助けられた。
女は名をといい、牙狩りの王である。
彼ははじめのうち、を「面倒ごとを持ち込んだ面倒な小娘」と思っていた。
しかし、生春巻きのように頼りない皮膜に命を救われて以来、仕事中に時折その勇ましい姿を思い出しては、一切表情を変えずにリプレイするようになった。
警察関連の検索エンジンの女を後ろから掻き抱きながら(髪の色が似ているな)と考えたりもした。
熱いシャワーに体をうたせながら、かの姿を瞼の裏にうつして昂ぶる夜もあった。
その度、帰りついた整頓された自分の部屋でひとり、むなしさと後悔にかられる。
ついに記憶と空想だけでは耐えきれず「そういえば」なんて、いま思い出したような薄情な枕詞でスティーブンは、クラウスに尋ねた。
クラウスはここ数日でだいぶやつれていた。

「すまないが、まだ見舞いはできない」

夕暮れ過ぎて、灯りをつけ忘れた執務室はいつのまにか暗がりになっていた。

「姫様は…様は誰にも、ギルベルトにも部屋に入ってこないように望んでおられる。もちろん私もだ。人でなくなりそうだからと、そうおっしゃって。小さなドクター・エステヴェスが一人泊まり込んで看てくれているが、あとひと月は面会謝絶と」

「…そんなに悪いのか」

闇に慣れた目に、クラウスの疲労が見えた。話す声にも悲愴な色がにじむ。

「左手首の神経と腱があつまる管が大きく損傷している。ドクター・エステヴェスの技術をもってしても手の神経をかよわすには、麻酔も痛み止めも制限して姫様ご自身が痛みに耐えねばならないと」

「…」

「朝も夜も、苦しげにうなる声ばかり聞こえる」

ああ、神様というように「姫様」と最後につぶやいてクラウスの声はとまった。
むこうの背が高すぎて、肩幅が立派過ぎて、抱きしめてやることはできないが、うなだれた首の後ろへ手を伸ばし、ざらりと痛い髪ごと首を掴んだ。
を愛し、愛されるクラウスには、彼女の痛みをわが身の痛みとして感じ、悲しむ権利がおおいにあった。
スティーブンにはその権利がない。だが義務があった。
命を救われたのだから相応のものを返さねばならない。
スティーブンは仕事に没頭した。
本部は手のひらを返したように「猊下を人界に返せ」と圧力をかけてくる。これをいなしながら、をライブラの庇護下から一歩たりとも出さないように、かつの立場がこれ以上悪くならないように、裏からも表からも根回しに奔走した。だがまだ足りない。まだ足りない!
ふと、霧垂れこめる灰色の空を仰ぎ、途方にくれた。

一か月と少しして、クラウスは事務所に入って来るなり「姫様が普通の食事をとれるようになったのだ。吐かずに!」と嬉しそうに報告した。
「本当か!」
スティーブンもうっかり嬉しい顔をしてしまってから、周りの眼があったので余裕のあるふうの笑顔に直した。
「じゃあ今度、猊下の好物を持ってお見舞いにいくよ。シュリンプサンドだったっけ」
「ああ、きっと喜ばれる」
他のメンバーが行きたい行きたいと、ピーチクパーチクわめくのを「いきなりそんな大勢で行ったら猊下が疲れてしまうだろう」と諌めて、見舞いの単独一番乗りを確保した。

だからスティーブン・A・スターフェイズは世界一おいしいシュリンプサンドを作らねばならなかった。
その義務があった。






エビはすべてを知った。
エビは奮い立った。

朝を迎えると、スカーフェイスは袖をまくり上げ、一人立ったキッチンで

「よし」

と気合をいれて、サンドイッチを作り始めた。

「いいエビだ」

この男、繰り返しエビを買いすぎて、いつのまにかエビを見る目が肥えていた。
身はプリっと弾け、朝の光に輝きを放つ。
精一杯に、誇らしげに、キッチンのエビたちは料理された。
我らはこの男に協力するとハラを決めた。統合思念の総意であった。
とびきりおいしくなって、美しい王をよろこばせようではないか
ものども、続け!



完成した。

我らは完璧に料理された。
パンにはさまれただけといえばそのとおりだが、作り手と作られ手の心技体、すべて揃ったシュリンプサンドがここに大成したのである。
一口サイズに切り分けたうち、はじっこの形がくずれたものをスカーフェイスが手に取り、口にいれた。
眼を閉じ、腕をくむ。
もぐもぐする。

「……」

裁定の時を我らは固唾をのんで待った。

ごっくん



「……サブウェイのほうがうまいか」

エビの統合思念体から絶叫があがった。
そんなことはない!それはおまえの気の持ちようだスカーフェイス!

「あ、しまった」

なにか入れ忘れたか!?

「バスケット買い忘れた」

タッパーでいい、タッパーでっ!
我らの統合思念の叫びを聞いたのか、だいぶ迷っていたが無事我らは何の変哲もないタッパーにおさめられ、素っ気ない保冷袋にくるまれて車に乗せられた。
そう、それでよいのだ。
スカーフェイス、おまえは本当によくやった。
姫君もきっとお喜びくださろう。
なに、案ずるな。人もエビも女は移り気なもの。いつもは飄々とした腹黒の大人の男が、柄にもなく一生懸命に作った最高においしいシュリンプサンドを持ってきたりしたら、どれだけ似合いの恋人がいようと心を傾かせることくらいたやすい。
そこですかさずグイっとやってドサッとやって、いつも検索エンジン相手にやっている手練手管の極みを披露すれば、ベッドのエビ反りはもらったようなものだ。

車が止まった。

ずいぶん早いがもう到着したのだろうか。
しかし我らを外に持ち出す様子がない。
これはどうしたことか。
いったい何が起こった。

その時である。
別のエビから緊急連絡が入った。
そのエビはHL14番通りのサブウェイに仕入れられたエビだった。
慌てて思念の統合役を彼に渡すと、見えてきたのは、サブウェイの列に並ぶスカーフェイスだった。

「えびアボカドをお願いします。パンはセサミ、トーストで」







スカーフェイスの車が大男の屋敷にしめやかに到着し、サブウェイの包み紙にくるまれた我らは車外へ持ち出され、タッパーに入った渾身の同胞サンドは無論、車内においていかれた。

「よく来てくれた。こっちへ、姫様が待っておいでだ。ギルベルト、お茶を」

エビは手提げ袋の、さらに紙にくるまれたサンドイッチの中にいるから、音しかわからないが、スカーフェイスと大男のクラウスが廊下を歩いて行くのを聞いた。

「それは?」
「おみやげのシュリンプサンドだよ。ギルベルトさんの極上のサンドイッチは毎日食べているんだろうから、あえて庶民の味にしてみたんだ」
「それはいいアイディアだ。さすがだなスティーブン」
「そうかい?」

エビは耳を疑った。
ひとかけらの動揺も見せずに、ぬけぬけと、スカーフェイスは嘘をいった。
エビは憤慨した。
エビを嘘のダシに使われたからばかりではない。
夜な夜な試作品のサンドイッチとなって、スカーフェイスの胃袋に消えていった同胞の無念を嘆いたからばかりでもない。
寝不足になりながら夜な夜な続いたあの特訓は、うっかり肥えたエビ選眼は、研究しつくしたソースは、今朝「よし」とめくりあげた袖は、そのすべての原動力となったおまえの想いは!
どうなるというのだ…。

消沈したエビを抱えて、スカーフェイスは姫君の御前に参上した。

「スティーブン、来てくれたのですね」
「ごきげんよう猊下、お加減はいかがです」
「もうだいぶ良くなりました、肩はもう治ってしまったのですよ。ドクター・エステヴェスは名医であられます。来てくれてありがとう、かけて」

いくらか社交辞令的なあいさつがあってから、「ところで」とスカーフェイスが声のトーンを明るく変えた。

「猊下、お腹はすいていますか」
「すいています」

クラウスから聞いていたのだろう、は待ちわびたような明るい声だった。

「それはよかった。では、これをどうぞ」

スカーフェイスは手提げ袋から、えびアボカドサンドを取り出し、食べやすいように包み紙を半分までめくってやってから差し出した。

「これは市井で人気のファストフード店のサンドイッチですよ。猊下のお目には珍しいかと」

「ファストフード」

美しい牙狩りの王は目を爛と輝かせた。
ベッドから上半身を起こした格好で、スカーフェイスの記憶よりも少し痩せた姿で、は少女のようにわらって受け取る。

「一度食べてみたかったのです、嬉しい。ありがとう、スティーブン」
「よろこんでいただけて光栄です」
「ライブラの皆さんもいつもこれを召し上がっているのですか」
「ええ、定番です。クラウスはお坊ちゃんですから食べませんが。猊下のほうが進歩的であられる」

冗談めかしてゆうと、はスカーフェイスの肩越しに大男のほうを見て「そ、そのようなことは」ともごもごいうのを聞いて、楽しげに目をほそめた。
そういう仲の良さそうな様子を微笑ましく見守るふりをして、スカーフェイスの眼がそうっと、毛布の中へ続く左腕を見たのを、エビは見逃さなかった。
さっきから左腕から下はぴくりとも動かない。
隠れて見えない毛布の下にはまだ二本の管がつながっている。

スカーフェイス、 これはおまえへの罰では決してない。
あの大男が世界一この娘を幸せにできるともかぎらない。ただこの娘は箱入りで、ほかに男を知らないだけかもしれない。おまえが本気を出したなら、本気なぞ出したらおまえはおまえでなくなるかもしれないが、それでも恐れず本気を出せたなら、この美しい娘はおまえのそばに寄り添うかもしれない。
あきらめるな、恐れるな、スカーフェイス、勇気を出せ。

「スティーブン、いただきます」

スカーフェイス…

「めしあがれ」

スカーフェイスは顔をにっこりと笑わせた。



……

……噛まない

この娘、なぜ我らを食わない。
どうして

「どうされました、猊下。嫌いなものが入っていましたか」

はあわてて首を横に振った。

「そうではないの。とてもおいしそうなのだけれど…せっかくのサンドイッチをこぼしてしまいそうで」

言われてみればそうだった。
我らエビの一列に加えて、レタスにアボカドにトマト、ピーマン、オリーブに、たっぷりのソースがかかって、が口を精一杯開けてかぶりついても、我らがこぼれるか、ソースがこぼれるか、あるいはオリーブやレタスがこぼれるだろう。片手では、そうなる。

「…」

スカーフェイスは沈黙した。
の手の中にいるエビには、スカーフェイスの葛藤の内側が手にとるようにわかった。
おそれることはない。
これはエビ神が与えたもうた奇跡だ。
今だ、今こそ言え。「それじゃあ、実は、もうひとつあるのですが。お口にあうかどうか」そう言えスカーフェイス!

別のエビから緊急連絡が入った。
今朝ほど、味見のためにスカーフェイスの胃袋におさまったシュリンプサンドからである。

(違う!)

味見されたエビは怖気も震う声を統合思念に響かせた。

(違う!こ、この男、こともあろうにっ、このごにおよんでっ!)

ほら、猊下。ちゃんとお口を開けて
できないっ、許して
いけませんよ、せっかくのおみやげを理由もなしに食べないなんて。どうして食べられないんです?
その…大きくて
なにが?
スティーブンの、が…大きくて食べられない、です
そうなのかい?

ふうん、そう。頬張ったら汁があふれてポタポタこぼれてしまうんだね。はしたない、いけない猊下だ

エビは激怒した。
エビ界が総力をあげて三十路過ぎの男の片思い大作戦に協力し、同情してやったそばから、眉ひとつ動かさない顔の下でそんな妄想を瞬く間に済ませているとは、この外道!スケベ!腹黒!

「…ごめんなさい、スティーブン」

スカーフェイスは弾かれた。
同じ言葉をどこかで聞いた。
スカーフェイスは、わざわざ心の中に記憶を探しにいったけれどそれは一番近くにあって、あっという間に見つかってしまったのを、味見のエビは知っていた。

1000年独房で見た白いブラウスの背が、ずる賢くて臆病な頭を一瞬くらませた。



”逃げて”
”三秒しかっ”



「…それじゃあ」

スカーフェイスがぽつりと言った。

「実は…ええと…」

下を向いて、かわいいまなざしと眼をあわせられずに、我らの期待よりもよほど恥ずかしそうに床で目を泳がせる。

「その…」

うしろで大男がなにごとかと、次第にうつむきが深くなる後頭部をじっと見ている。

「もうひとつあるのですが…。お口にあうかどうか」






その数日後、再び購入された最高級のエビは見た。
スカーフェイス邸のキッチンのかたすみに、かわいいバスケットが備わったのを、エビは見た。



おしまい