コル・リオニスは祖国より落ち延びてなお、味方のみならず敵国からも「将軍」と呼ばれている男だ。
友であり主であったレギスを失い、不死将軍のあざなを自嘲する日々であったが、そこに飛び込んだ王女生存の報にコルは頬を叩かれた思いであった。
怪我をしたというが命に別状はないというから、まもなく隠れ家であるカエムで目通りもかなおうとコルは考えたが、ノクト一行は「危険がある」の一点張りで、いつまでたっても姫君をカエムまで連れてこようとしない。
しびれを切らして一行がいるネブラ森林まで迎えに来てみれば
「あ、いいところに」
とノクトが言ったかと思うとあれよあれよという間にレガリアの運転席に押し込まれ、四人は徒歩で薄霧の森へと消えていった。
「夜までには戻るから、たのむなー」
承知した覚えはないがたのまれたのが、後部座席におわす美しき王女殿下ともなれば放っておくわけにはいかなかった。
森を貫く一本道にポツンと停まった高級車の中、木立がたてる葉擦れの音の合間に姿の見えない鳥が高く鳴くのを聞いて、顔には出ないが途方に暮れる。
「世話をかけます」
「いえ」
目をあわせず、横顔でした短く無骨な返事がコルの精一杯であった。
王都脱出以来、電話で話しはしたが、顔を合わせるのはこれが始めてだ。
はるか昔、想いを寄せた王妃アウライアとこの王女は瓜二つで、ただでさえ強く出られないのに、血の気の引いた顔をしてひと目で体調が悪いとわかる姿を見てしまったならなおさらだった。
あの四人はどういう理由でどこへ行ったのかとか、なぜいつまでもあなたをレガリアで連れまわしているのかとか、まず聞くべきことはいろいろあったが、やけに優しい声が出た。
「お加減がすぐれませんか」
「すこし。すまない」
「いえ。どうぞ横になってお休みを。お怪我の具合は」
「怪我はもう痛みません」
はすなおに後ろの座席に体を横たえて応えた。脚に凍傷を負ったと聞いたが、いまはもう素足の指に包帯が巻いてあるだけだった。この体調不良は生まれついての持病によるものだろう。アウライアと同じ―――
「お薬は足りていますか」
「大丈夫です。おとといイグニスがどこかから調達してきてくれました」
「そうですか」
「…」
「…」
「ホテルの部屋に泊まるお金がなかったのです」
さっきコルが飲みこんだ疑問を察してがいった。
「だからノクティスたちはこの近くのベヒーモスを狩りに行ったんです。近くのダイナーに出ていた討伐依頼のなかで一番報酬がよかったから」
コルはめまいを覚えて眉頭をおさえた。奔放に育ったノクトに対して、体の弱さも相まって蝶よ花よと育てられた姫君の口から、ベヒーモス、ダイナー、討伐依頼、報酬の単語を聞くことになるなど王都の誰が予想しただろう。あの四人は一体何を考えているのか。
「咎めずに」
またも心を読まれる。
「気をつかってホテルの部屋を必ず二つ取ってくれるからこうなったのです」
だからどうか咎めずに、と二度も王女に言われては、この場では口を閉ざして従うほかなかった。
肩越しにが毛布に頬までうずめて眠ったことを確かめると、二人きりの緊張からようやく解放された。やがて降り出した雨の音とレガリアのなつかしい心地がコルの心をわずかに緩ませていった。






シートに体を預けて目をつむっただけのはずが、いつのまにか短く眠っていたことに気が付いた。時計を見ればほんの数分だが、王族の護衛を任されていると考えればあってはならないことだ。すばやく周りに意識をめぐらせると、いくらかの獣の気配が前方すぐ近くまで迫っていた。
シートから背を跳ね起こしたコルの手に光が長細く集まる。しかし集まるばかりで刀の形を成さない。その時、右の草むらから黒い影が跳び出してきた。
キュウキの親子がぞろぞろと道を横切っていく。最後に草むらから出てきたいちばん小さいのが遅れ、母親のキュウキが首を食んでつれていった。
「…」
寝ぼけた判断ミスに由来する勇み足をせめて姫君に見られなくてよかった。ゆっくりとシートに体を預けなおす。
「つるぎは」
の声にまたシートから背が跳ねる。冷静沈着な不死将軍には珍しいことだ。
「もう現れないのですか」
「…そうです」
しばらく前からレギスの剣は召喚できなくなっていた。覚悟していたことだったが、か細くともつながっていた王のなごりが絶たれたことはこたえた。
いまだ感傷的にほかの剣を持たない。
恥ずべきことだった。
半身を起こしたはしばらく黙り、それから繊手を伸べた。
するとコルの目の前に一振りの刀が清廉な光をまとってその姿を現した。
絹糸で引き絞られた柄に、鞘も真っ白い。つばから垂れた組み紐だけが赤く、抜くまでもなく妖しくにおいたつ。
「姫様、これはっ、…使えません」
「契れとは言いません。あなたのまことの主はただ一人。けれど困ることがあったならいつでもそれを使って構わない」
コルは首を横に振った。
「いいえ」
コルは指一本たりとも触れず、沈黙の帳がおりてふいに白い鞘は光となってたち消えた。
「…出過ぎた真似をしました。許せ」
あたりの薄暗さで鏡となったフロントガラスにまつ毛を伏せたの姿を垣間見て、コルは仕えるべき主のいとしい家族を辱めたことを自覚した。
とっさに後悔が口をついで出そうになったが、その視線はではなく雨にけぶる道の向こうへ鋭く向けられた。



コルの視線を追うと、霧雨にかすむに先にニフルハイム帝国の旗がはためいていた。
「姫様はそこで体を伏せて、決して動かれませんよう」
厳しい声でそう言い置いてコルは振り返らないまま車を降りた。
は言われたとおり体を伏せたが、コルの手に何も握られていないのを窓越しに一瞬見るや、喉がきつくふさがれたようになり目が離せなくなった。
その手に武器を持たないまま、コルは殺到する魔導兵のなかへ突っ込んでいった。
にはなにを避けたとも目で追えない速さで懐に踏み込み、初弾の蹴りで跳ね上げた鋼鉄の剣を奪いとると、群がった魔導兵の胴体から頭を次々にねじり切った。他方の手は掴んだ鋼の頭を別の魔導兵に叩きつけてその腕をへし折る。
はコルの訓練風景を何度か見たことがあったが、およそあの時のあざやかな手際とスマートな身のこなしとは結びつかない、無法者の喧嘩のようだった。避けるのも殴るのもすれすれだ。いまにもコルが斬られて血を吹く姿が脳裏をよぎる。
焦燥がの胸に渦を巻き、ブラウスの襟をきつくつかんだ。
その時、は木立の中から雨を水平に横切るひとすじの赤を見た。赤い光線は魔導兵がひしゃげて吹き飛ぶ嵐の中心へ延びる。この光のもとが死角からコルを狙う短機関銃だと気づいて目を瞠った。

突如コルの背後に強烈な稲妻がはしり、電子回路からことごとく火花を吹きあげて隠れていた狙撃手が斜面を転がり落ちた。
はほっと胸をなでおろしたが、コルの全身には緊張がはしる。
あのサンダガがニフルハイムに第三者の存在を知らせ、無数のレーザーサイトが車中に身を潜めていたの額の中心へ狙いを定めたのである。
女だろうが子供だろうが、魔導の傀儡は引き金をひくことをためらわない。
「姫様!」
一斉に放たれた銃弾がレガリアを貫いての頭蓋を砕いたかに見えたが、車の前にはコル・リオニスが白刃をたずさえて立っていた。
弾丸はしなやかに弧をかく刀身にそのすべてを受け止められ、ひしゃげた鉄くずとなって泥におちた。
刀は刃こぼれひとつせず白く妖しげな姿のまま、雨粒すらその刀身にとどまることを許さない。
柄はよく手になじんだ。
目の前の魔導兵をことごとくうち滅ぼすことは造作もない。






戦いが終わるやいなや、は雨の中に跳びだしてきて、茫然とただ一言「ごめんなさい」と唇の端からこぼすように言った。
「…なにを謝られます」
「つるぎを使わせてしまった。主以外のつるぎを」
はよろよろとぬかるむ土を踏んで近づき、コルの手を両手で強く握った。この白い手を泥と魔導兵の油のついたわが身に触れさせるのは憚られ、ほどこうとして、やめた。手はひどく冷えていたが、頬は赤らんでいる。
「姫様、手が汚れます。雨も。まずは中へお戻りを」
「よい。よごれて死ぬ精霊ではない。それよりも、コル…」
「魔法を使うと熱を出す姫君なれば」
言うより早くの身体はかしいでコルが受け止めた。思ったとおりの身体は熱を持って汗をかいていた。手で支えたブラウスの背が泥で汚れる。
「なさけない」
とかすれた声が抱き上げたコルの胸でくやしげに言ったのが、不謹慎だがおかしく、まだ当人は剣ほど妖艶でないことに安心した。






雨がやんだ頃、夕日を背負ってボロボロになった四人が戻った。カエムに連れ戻すのは体調が回復してからと判断し、ぐったりしたをまかせるとコルは夜の標でひとり、キャンプを張った。
夜空のした、白い鞘をひいて姫の刃に炎をうつす。
しなやかな刀身に一瞬見惚れたがすぐに鞘におさめて消した。
それからもう一度、手のひらを広げて願った。
夜の中に小さな光の粒がわずかにあつまり、ゆっくりと指を握ると懐かしい光は夜に溶けてきえてしまった。
コルは少し笑い、夜空を見上げて長くまぶたを閉じた。



おしまい