バインダー



「幼馴染じゃん」

だれかが私の腕をこづく。
校長先生から表彰状をもらい、トロフィーを受け取ったその手に触れたことがあるのは確かだ。
壇上の彼に向け体育館で拍手が起こる。私は少し見上げ、喝采に溶け込む音で手を打ち、足は上履き越しに体育館の床に張り付いている。深く根を張ったようだった。



部活の帰り道に「どこにやったの」と尋ねると、「あぁ?」とにぶい返事をして青峰君はなんのことだかわからない様子だ。

「表彰状」
「あー」

雨の朝礼でもらった賞状は、でたらめな折り方をされバインダーにななめに挟まれて彼のカバンから出てきた。バインダーは小学校の頃のものをまだ使っている。大きくなったのは図体ばかりだ。

「おばさんにちゃんとあげるのよ」
「…ん」
「見てい?」
「ん」

バインダーからそっとはずして両手で広げる。

MVP

輝かしい文字が書かれている。
「おまえ、その腕なに?」
「体育でぶつけたの。サッカーゴールに」
言いながら私はただ賞状の文字を一文字ずつ順に見つめた。
実際には別のクラスの女の子たちに押されて更衣室のロッカーにぶつけたのだけれどそれは永遠に私の中に秘される事柄だ。

いじめに良い思いはしないとしても、わたしは素直にいじめられてあげるほど弱くはなかった。わたしにはあらゆる部活の友人たちがいる。それは学校という空間におけるステータスだった。そして部活の強さが「強豪」であればあるほど、部活の格は高くなる。格は全校にあまねく朝礼でしらしめられる。こういった賞状の授与によってだ。私がすごいわけではひとつもないのだけれど。
腕をぶつけても怖じずに堂々としていると、むしろ私をいじめにかかろうとした女子生徒たちのほうが、私に打撲を負わせた罪悪感と彼女たちが未だかつて受けたことのない報復を勝手に想像して恐怖していた。彼女たちも根っから粗暴な人間と言うわけではないのだ。
私が青峰君と好きあって付き合っていると思って、しかも、おまえがすごいわけでもないのに強豪のマネージャという特権階級にいるなんて妬ましいと思って、あの子たちは無謀に、感情の赴くまま結託してそこまで来たのだ。
調子にのってんじゃねえよ
ある子がそう言った。
私が「いいえ、調子になんて乗っていない」と答えると「ハァ!?」と言い、その後二文字の言葉でしばらくのあいだ罵られた。
内面を語って理解されたいと思うほどあの子たちとは親しくなかったからそれ以上は言わなかったけれど、私は青峰君と付き合っているわけではないしマネージャが特権階級とも思っていない。
その証拠に壇上でこの表彰状を受け取る彼を、体育館の床に上履きを強くはりつけてあなたたちと同じに拍手で見上げていたではないの。

突然にバインダーが私の頭を叩いた。

「なにぼーっとしてんだよ。猫砂買わねえの」

はたと顔を上げると、青峰君のうしろに煌々と夜にも明るいドラッグストアがあった。

「シマの猫砂もうねえだろ」
「…なんで青峰くんがうちの猫の猫砂の残量を知ってるのよ」
「シマは俺の嫁だからな」
「オスだってば」

賞状を返して猫砂を買いに入りペット用品売り場の棚まで行くと、青峰君は三種類あった容量違いの猫砂のうち一番お買い得なものはどれかとヤンキー座りで考え始めた。周りのお客さんがぎょっとした顔で一度見て、そそくさと遠ざかっていく。

「真ん中のが一番お得だよ。買うのは左のだけど」
「おまえ頭いーな」
「青峰くんよりはね」

嘘よ
見た目こそこうだけど青峰君のほうこそ、本当はわけへだてなく、打算なく、人とふれあう方法を知り、優れている。
年寄りにいまどきの話を平気でして、昔の話も態度をとりつくろわずに聞いている。話相手になってあげるんじゃなくて、話していて楽しいと思える友達と話すように、あなたは分け隔てない。
子供とは本気でぶつかる。おとなげない?別れ際、教えてくれた人よりも、一緒に遊んだ青峰君に対し子供たちはだれより惜別をあらわした。
私にはできない。



猫砂を私の家の玄関まで運ぶと、シマが寄ってきて青峰君に体をこすりつけた。

「おう、シマタロウ、おれと結婚するか?ん?」
「ありがとうね、運んでくれて」
「腕そんなで猫砂持ったら落とすだろ。さつきは運動シンケーねーんだから、なあシマ」
「そうだね」
「…サッカー下手でも頭いいんだからいいじゃんなあ」
「…」
「落ち込むほどのことじゃねえのに、なあシマタロウ」

雑にふるまわれるこの天賦の才の尊さに辿りつける術を私はまだ思いつかず、動けない足を廊下に張り付けたまま「ありがとう」と喉を絞った。



おしまい