「カンパネルラ、ぼくたち一緒に行こうねえ」
ラクスの声はカンパネルラ、と俺の知らない名前を呼んだ。
ラクスの声はラクスの声で「ぼく」といった。
振り向かない君の髪が風になびいて、花びらが舞った。
銀 河 鉄 道 の 午 後
「・・・ラクス?」
ティーカップをおくと、スプーンにあたってカチャンと音がした。
ああ静かだとアスランは気がつく。
ハロたちはどこへいったんだろう。
オカピも見えないし、ラクスはアスランに背を向けたまま庭にたたずんでいる。
「ラクス、カンパネルラって・・・お友達ですか?」
変わった名前だと思う。男か女かもわからない。
ラクスの意図がわからない、のはいつものことだが。
「主人公がそう言って振り向いたら、もうカンパネルラはいなかったのですよ」
主人公、といわれてようやく彼女の言葉が物語の一節であることがわかった。
なんの物語なのかは知らなかった。
「ですからわたくし、振り向きませんの」
ラクスの声は少し笑っているようにも思えたし、午後の庭は明るく照らされていて
花が揺れている。アスランには世界の”幸福”と呼ばれるものの象徴のようにも見えた。
けれどラクスは振り向かない。
横顔もみえない。
風で花が散って、ラクスの姿を時折さえぎる。
「地球の古い童話で、先日イザークさまがくださいましたの」
「イザークが」
「ええ、とても素敵なお話でした。今度お会いしたらお礼を申し上げなくては」
イザークは母君のエザリア様の強い推薦もあって、現在は評議会にその身をおいている。
最初は断りきれずにしぶしぶ、といったふうだったがいまはそうでもないらしい。
それよりなにより多忙な議員の身でいつラクスに贈り物などしたのか、アスランはおもしろくない。
「主人公はふと気づくと銀河を走る鉄道に乗っていて」
彼女はまだ振り向かない。
アスランは話を遮るのもはばかられ、椅子に座ってラクスの背を見たままそれを聞いていた。
声はやわらかで、心地よい。
「正面の席にはお友達のカンパネルラが座ってたのです」
二人は銀河鉄道に乗っていくらかの人々にめぐり合い、別れ、窓の外にひろがる銀河を見、
いろいろなはなしをする。菓子に成るさぎのはなしや星になったサソリのはなし。
銀河鉄道は宇宙を駆け、けれどあるとき、カンパネルラは遠くの宇宙の野原を指差して
そこに彼の母君がいるのだと主人公に云う。主人公は誰もいない宇宙を見つめ、
そして不安に、焦燥にかられて、宇宙の野原を見つめながら云のだ。
「“カンパネルラ、ぼくたち一緒に行こうねえ”」
ラクスはまたそのセリフを云った。
「振り向いたらカンパネルラは居なくて、主人公は目を覚まします」
そして、と続ける。
「遠くのざわめきに気づいて川へいってみると、カンパネルラはおぼれた友だちを助けて」
ラクスはそこで言葉をとめた。
けれどアスランにもその続きがなんとなくわかった。
「死んでしまったのです」
ラクスがそれをつぶやいたのと、アスランが席をはなれたのとどちらがはやかったろうか。
後ろからおそるおそる肩に手をおいたのと少女が目の端にたまっていた涙をこぼしたのと
どちらが先だったろうか。
「どうなさったんです」
「もう死ぬ覚悟などなさらないでくださ・・・」
ようやく聞こえた彼女の言葉は語尾が消えた。
ラクスは両手で顔を覆う。
小さく肩が震えていた。
腕に力をこめてだきしめて許されるだろうかと、アスランは逡巡する。
「わたくしを置いてゆかないで」
「・・・ラクス」
アスランはそのあとを続けることができなかった。
言葉が思いつかない。
確かにあの時、まだ鮮やかに残るあの時にアスランは死を覚悟した。
生きるにはあまりに多くの業を背負ってしまった。
「・・・カガリに云われました。生きるほうがたたかいだ、って」
ラクスの涙がアスランの指に落ちた。
あたたかい
彼女の涙は悲しいのに、自分のそばで泣いてくれたことがアスランはどこか嬉しい。
「カガリもキラも、あなたまで泣く。俺なんかのために」
ぎゅっと強く抱きしめてみる。
やわらかくて、あたたかくて、震えてる。
「俺のために泣いてくれる人がいるし、俺はその人たちを泣かせたくない。
それだけで罪を背負ってでも生きるようと思います。消えたりしません。だから
こっちを向いて」
少し腕を緩めるとラクスは祈るように、おろした両手を組み合わせた。
まだ震えてる。
ラクスは長いまつげを涙でぬらして、伏目がちにゆっくりと振りむいた。
そこでアスランは少し驚く。
はじめて見たのだ。
この歌姫が自分に泣き顔をさらしたところを。
悲しんでいる姿だってほとんど見たことはなかった。
いつも笑っていて、幸せそうで。
ラクスがかなしむのはかなしい。
それでもやはり、思わず笑んでしまうほど嬉しかった。
「ほら、消えません」
アスランが云うと、振り向いたラクスは唇を真一文字に結んで
いっそうたくさんの涙をこぼした。
ラクスは何度も何度も頷いて、アスランの存在を確かめるように小さな手のひらで
アスランの頬や腕に触った。
「“カンパネルラ、ぼくたち一緒に行こうねえ”・・・でしたっけ」
ラクスはまだ泣くので精一杯で声を出せず、こくりとうなずいた。
「・・・ぼくたちどこまでも、いっしょにいこうね・・・ラ、ラクス」
アスランははずかしさをこらえて言ってみたものの、こらえきれずに最後にかんだ。
一気に自己嫌悪に陥る。
ラクスはきょとんとして
首をかしげて
それから何度かまばたきして
言われたことを呑み込んだ。
「それは、プロポーズのお言葉と思ってよろしいのですか」
「え!あ、いや、これはその」
「・・・ちがいますの?」
しゅんとされて、アスランは立つ瀬がなくなる。
そこまで考えていったつもりではなかった。
ラクスはまだ涙を潤ませたまま、幼く笑った。
いたずらが成功したように笑うものだから、アスランはほっとしたのと同時に
はずかしくなった。
そういえば、会ったばかりのころも同じようにからかわれたと思い出す。
ラクスはひかえめにくすくすと笑っていた。
「あら、もうすぐ時間ですわ」
「時間?まだ2時ですが」
「お客様がいらっしゃいますの、あなたよりももっと、おぼれた友だちを助けようとして
水に飛び込んでしまいそうな方を」
おふたり、とラクスは加えた。
言われてアスランがぱっと思いついたのもふたりだった。
『オマエモナー』
これまでどこに隠れていたのか、ハロたちが次々に垣根から跳びだしてくる。
「さあ、みんなでお出迎えをしましょうね」
「ラクス、待って」
アスランが袖でそっとまつげをぬぐってやると、ラクスは少し恥ずかしそうだった。
「では参りましょうか。カンパネルラたちを迎えに」
「はい」
ふたりは歩き出す
よく晴れた午後の
銀河のなかの庭を
双子のカンパネルラを迎えに