ラクスが小さくなった。
俺はいつもラクスを前にすると上手く人間の言葉が話せなくなる。
こう言ったほうがいいのかああ言ったほうがいいのか心のなかで迷っている間にラクスがこう言うんだ。
「こんにちはアスラン」
そしてしどろもどろになった俺は考えもなしに
「こ、こんにちはラクス」
と返すのだ。
もう出会ってから何年にもなるというのにこのエターナルの廊下で出会いまた同じことを繰りかえす。
さて、
ところで今出会ったラクスがとても小さい。
ハロと同じくらいの高さだ。
ラクスが小さくなった。
関係ある言葉と関係ない言葉が渦を巻いて心の中で嵐になっている。え、うそ、なにこれ、どうしよう、
でも、まさか、いや、これ、えぇ?ラクスは自分の手足を見てから俺を見上げてぽかんとし、また自分の
手足を見ておれを見上げてぽかんとする。オレに答えを求める視線が向けられる。俺は立ち尽くし言葉の
うずの中でラクスを見下ろす。
え、うそ、なにこれ、どうしよう、でも、まさか、いや、これ、えぇなんでなんでなんで?
なんで!?
「あの・・・少しやせましたか?」
卓上のこびと
「いったいどうして、こんなに小さくなったんですか」
「なぜかしら」
「心当たりは?」
「こころあたり・・・」
「どこか痛いところとかありませんか」
「ありませんわ」
「具合が悪かったりとか」
「ありませんわ」
アスランは立ち尽くして彼女と話していたけれどどうにも彼女を思い切り見下ろして話す姿勢が
慣れなかったのでひざまずいた。それでもやはりアスランのほうがずっと大きい。近寄って
まじまじ見るとやはりそれは小さなラクス・クラインだ。信じられずに人差し指を近づけると
小さな小さな小さな白い手が俺の指先にさわった。ちょっと感動した。生まれたての赤ちゃんが
動くのを見て感動するのと同じ感覚だった。
それにしてもこれ・・・どうすればいいんだろう。落ち着け、落ち着くんだアスラン・ザラ。おれは
もとザフトレッドでわりと逆境とか窮地とかに慣れているはずなんだけどこれどうしよう!誰かに
報せるべきか、でも報せたらラクスが研究所とかに送られてあんなことやこんなことをされて
そんなことや・・・・・うおおおお!危険だ、危険すぎる!
「と、とにかく人目につかないところへ」
「ねえアスラーン、ラクス知ら「知らない!」
突然キラの声がかかり、アスランは脊髄反射の反応速度でかぶせ気味に応えていた。キラの
ほうに向き直るときに咄嗟にラクスを後ろ手に隠した。見られたらあんなことやこんなことやそんな
ことがおきてしまう。
「うしろ、手に持ってるのなに?」
「い、いや。別に何も」
「えー持ってるじゃん。なんなの?」
「だから、これはその」
『ラークースー』
「おいいい!」
ハロがアスランの後ろから顔をだした。
「なんだハロか。ラクス見かけたらおしえてね」
それきりキラはきびすを返し、アスランは冷や汗をぬぐった。
「なぜキラから隠したのですか」
「それはその・・・あんなことやこんなことやそんなことがおきるからです」
「まあ、あんなことやこんなことやそんなことが。そうでしたか」
ふざけているのか真面目なのかアスランにはわからなかった。
とえあえずアスランはラクスとハロを手に乗せて自室に走った。手のりラクスは大きなハロに喜んで
抱きついたりしている。ハロが大きいのではなくラクスが小さいのだがのんきなものである。理由を
きくのも対処を考えるのもまずはラクスをどこかに隠すのが先だ。
手乗りラクスなんてかわぃ・・・危険するぎる。
アスランは部屋に戻り机の上にラクスを座らせた。
「すみません、汚くて」
工具箱がひろげられたままだったので片付けていると途中でなにか踏んづけて転んだ。
「まあ、大丈夫ですか」とラクスの声が机の上から聞こえる。声まで小さい。
「す、すみません。本を踏んでしまったようで」
と足元を見るとフラガ少佐に「保健体育のテキスト」といわれて押し付けられた雑誌が落ちていた。
咄嗟に机の下に雑誌を押し込んだ。
「アスラン?」
「何でもありません何でもありません何でもありません」
ラクスが小さくなってアスランの前に現れたときよりも動揺していた。クッションはなかったので
布製のコースターの上にラクスを座らせる。アスランも椅子にかけて事情を聞いた。
「ささいなことでも心当たりはありませんか」
「そういえば、フラガ少佐から不思議な飲み物をいただきました」
「ラクス、一対一であの人と合うのはよしてください」
「なぜですのアスラン」
「全体的に危険だからです」
「まあ全体的にそうなのですか。気をつけますわ」
「ところで飲み物というのは」
「ミックスジュースだそうです」
「なんの」
「なにかの」
「お願いですから一対一でも多対多でも会うのよしてください」
「なぜですのアスラン」
「基本的に危険だからです」
「まあ基本的にそうなのですか。気をつけますわ」
「ああでもどうしよう。このままじゃどうすれば。とりあえず少佐が何を飲ませたかきいて解毒剤を」
「アスラン、でも服をきたまま小さくなっていますわ」
「え・・・」
そういえばラクスは身体だけではなく服ごと小さくなっている。
お互いに同じタイミングで首をかしげ「とりあえず」とアスランは立ち上がった。手がかりを
探さないよりはマシだ。
「少佐に聞いてきますので、しばらく待っていてください」
「フラガ少佐、ラクスになにを飲ませたんですか」
彼は整備ドッグにいた。金属音の響くドッグの中でアスランはムウ・ラ・フラガ少佐を呼び止めた。
「え?あー、えーと。ミックスジュースだけど腹でもこわした?」
「お腹は大丈夫そうなんですけど、あの。なにを入れたんですか」
「なんだったかなあ。にんじんと」
「はい」
「リンゴとバナナとオレンジと」
「ええ」
「砂糖とレモン汁と」
「ええ」
「俺のミルクと」
ムウの首あたりに激震が走り、見ればアスランによって襟首をひねり上げられていた。
「歯、食いしばってください・・・」
地を這うような声音に「嘘ですごめんなさいすみません」とムウは真顔で返した。フルーツと野菜と
砂糖と、本当にそれ以外は入れていないという。
「俺だって飲んだけどなんともないぜ?ったく、どうしたってんだよ」
襟首と直しながらたずねた。
「嬢ちゃんがどうかしたのか?」
ラクスが今どうなっているのか。それを言っていいものか。アスランはラクスの小さくなった姿を
思い出した。手にのせるとアスランの袖をぎゅっと掴んでいた。思い出すたび頭がぼんやり温かく
なる。ラクスが今どうなっているのか。
「ラクスは今・・・」
「ん?」
「かわいいです」
「歯、食いしばれ」
エターナルの中でできる手段は全て使い情報をあつめたが、小さくなった人間を元に戻す方法など
どこにも載ってなかった。ネットを検索してひっかかったものといえばシークレットブーツとか
ストレッチとか週刊少年ジャンプの広告にある感じのなぞの薬品くらいだった。身長を伸ばして
あげたいわけではない。
最初、ラクスは机の上で明るい声と表情でハロと遊んでいた。アスランは情報収集に没頭している。
「アスラーン、見てくださいまし」
「え?」
「私ピンクちゃんに乗ってとんでいますわー」
「ああああぶないからよしてください」
三時間して、ラクスから明るい笑い声はきえて、けれど表情だけは微笑をたたえていた。
アスランは情報収集に没頭している。
「何かわたくしがお手伝いできることはありませんか」
「大丈夫ですよ」
五度目の同じ問答だ。声に向かってアスランは苦笑を向ける、これも五度目。
「とりあえず心配なのでハロの内部に入ろうとするのをよしてくださいっ」
ラクスは半身をハロの内部に入れていた。
六時間して、ラクスはハロをつつくだけになった。アスランは情報収集に没頭している。
「アスラン、わたくしがなにかお食事をつくりましょうか」
「お腹がすきましたか?」
「いえ、アスランのお腹がすいたかと思いまして」
ラクスの横には食べきれなかった一枚のクッキーが置いてあった。自分の身体の半分の大きさの
クッキーだ、食べきれるはずもなかった。
十二時間以上が経過した。
手がかりは見つからず、アスランは椅子の背もたれに体重を預けて眉間をぎゅっと圧す。
ふと横目に見ればラクスはうつらうつらしていた。
急に身体が小さくなったりして驚いてどうしていいかわからず不安なのに違いない。
彼女はああいうふわふわした人だからどうも疲れとかが見えにくいけれど、心労がないはずはない。
「無理せず休んでください。今ベッドをタオルかなにかで作りますから」
「いいえ」
ラクスは応えた。
「アスランはずっと私のために調べてくださっているのですから私だけ休むことはできません」
「俺のことはかまいません」
「かまわないことなどできません」
ラクスは頭をぶるぶると振って眠気を散らした。
ラクスはかたくなだったけれど、アスランは苦笑で受け流して席を立つ。
なるべく肌触りのいいタオルを探しながらアスランはラクスの声を背中に聞いた。
「ずっとこのままだったらどうしましょう」
アスランは一瞬手を止めてしまったけれど答えもせずにまたタオルを探した。
洗面台の上やクローゼットの上の段や天井の収納スペース。慰めの言葉もいえない自分を呪いながら
手を動かす。
「これではトイレに行くたびに流されてしまいそうになりますし、皆さんとお話しするのも肩を
凝らせてしまいますし、ああでも食べ物が少なくて済みますわ、声もマイクをつければ大丈夫
ですわ。いっそこのままでも」
ドンッ
とアスランは強い力を込めて天井の収納を閉じた。というか叩きつけた。
ラクスの肩はびくりとはねた。
背を向けたままのアスランのその背に表情はない。
「どうしてあなたはそんなことをいうんですか」
声には怒りがにじんでいる。
「あなたを元に戻す方法を考え続けています。けれど見つかるのはシークレットブーツの通販だとか
ストレッチ方法とかどう見ても怪しい薬とかそんなものばかりでっ」
彼の怒涛の言葉の羅列は速度をあげるが同時につまっていく。
「なんで俺ばかり心配してあなたは平気などというのですか俺はっ・・・すごい、心配、で」
握られた拳も震える肩も途切れる悲鳴のような声も怒りや憤りばかりではない。
怒りはもとにもどしてあげたいという優しさから生まれた。
憤りはもとにもどってほしいという祈りからうまれた。
ラクスの声は返らなかった。蛍光灯の音だけが聞こえる。
アスランには振り返る勇気がなかった。怒鳴ってしまった今、彼女はどんな顔をしているだろう。
不安であせっているのはきっと彼女のほうなのに。
ぺたんぺたん
たん、たん、たん
アスランは小さな小さな音に気づいて振り返った。
ぺたんぺたん
たん、たん、たん
ラクスは机の上に立ち上がっていて足をぺたんぺたんとたたいている。
手のひらで懸命にひざの辺りを叩いたり飛び跳ねたりしている。
叩いた膝が赤みを帯びている。
ぺたんぺたん
たん、たん、たん
小さなその人は手足を目いっぱい伸ばして
飛び跳ね
飛び跳ね
飛び跳ね
飛び跳ね続ける。
指先もつま先もぴんとのばしている。
遊んでいるふうではない。
表情は笑っていない。
飛び跳ねているうちに着地の足がおぼつかなくなっていく。
それでもやめない。
やがて机の端から転げ落ちそうになったのをアスランの両手が受け止めた。
見開いた瞳とかち合ってアスランはほっと胸をなでおろすがラクスはそうではなかった。
ほっとした様子はなく、むしろあせっている様子だ。
「腕と足をひっぱってくださいませ」
「できません」
「頭とつま先でもかまいません」
「できません」
「どうか」
「そんなことをしてもきっともとには戻りません」
息をきらせ髪を乱し瞳は潤み唇はわなないているというのに、彼女は声音ばかり穏やかに取り繕おうと
試みている。ついにそれも限界をむかえたようでラクスはアスランの左手の親指のあたりに額を
おしあててしまった。
「きっともとに戻ってみせますわ」
それはひろうのに難しいようなかすかな声
「このままでは、アスランの机の上からひとりでおりることができません」
「こっそりアスランの後ろに立って頭を抱きしめてあげることもできません」
「もとにもどりましたありがとうもう大丈夫と言って安心させてあげることもできはしない」
アスランは今こそ自分が彼女の頭を両腕で抱きこんで、もう大丈夫と安心させてあげたかった。
そうするには彼女はずいぶんと小さすぎた。もどしてあげたい、と思った。
けれど
親指に押し当てられた彼女の額の熱さを思うと不謹慎にもこのままでもいいような気さえしてしまう。
体の大きさに関わらず彼女の言葉は大いなる温もりをもってアスランに響いた。
机の上に肌触りのいいタオルを敷き、枕になるように上のほうを少し折り返す。アスランの親指から
離れようとしないラクスをタオルに導いた。
「ずっとこのまま戻らなかったら、俺がずっとそばで守ります」
ラクスの身体にタオルの毛布をかける。
彼女はほうけている。
「だから、トイレとお風呂はおぼれないように気をつけてくださいね」
だってお風呂とトイレは一緒にいるわけにいかないだろう。さすがに。
「ほかはちゃんと守りますから。そろそろ電気を消しますね、俺も寝ます」
「・・・はい」
ラクスはさっと肌触りのいいタオルにもぐりこんで顔までうずまってしまった。
それがあまりにもなにか隠すように慌てた動作だったのでアスランは尋ねたかった。小さな耳が赤いのはなぜ。
「ラクス?」
「おやすみなさいませ、アスラン」
「あ、はい。おやすみなさいラクス」
ぱちん、とスイッチをオフにする。電気が消えて、青白い残光でラクスが毛布の中でもぞもぞしたのを
確認してからアスランはベッドにはいった。もう一度ラクスのいるはずの机の上、タオルのふくらみを
確かめてから目をとじる。目覚めてからどうしようか考えているうちにずいぶん時間がたって、
もぞもぞと音がした。声がした。
「アスラン」
ラクスの声だった。アスランは夢うつつで返事を返すことができなかった。
「アスラン、おきていますか」
声はアスランを起こそうという意思はないようだった。
むしろ眠っていて欲しいというような、決してアスランを起こさない囁き声だった。
「・・・わたくし、このままでいてもいいような気がします。そうすれば」
声はアスランを起こさない
「アスランがずっとそばにいてくださいますもの」
起きてはいけない
「おやすみなさい、アスラン」
声は最後までアスランを起こさない囁き声
ラクスは眠っているはずのアスランにそれだけ言うと、タオルにもぐりこんだらしかった。
アスランはうっすらと目を開いて、音を立てずに両手を目におしあてた。
もし
このまま
ずっと
戻らなかったら
俺がきっと守ろう。明日小さなベッドと鏡台をつくろう。それからトイレとお風呂もつくって、
服は・・・裁縫できないけどちょっと練習してみよう。がんばろう。君を守ろう。ちゃんと守ろう。
踏み潰されないように。そしてあさっても戻らなかったらキラとカガリに話してみよう。それで
やっぱり俺が守ろう。ああ、俺ははじめて君に対する俺の行動を自分自身で決めたように思うよ。
なんで独りよがりなのに誇らしく、嬉しいのだろう。全身の熱が喉と鼻筋を通って目をかけあがり
頭にのぼりつめ蒸散していく。
やる気に満ち溢れてしまった・・・
翌朝、元の大きさに戻ったラクスが机の上に寝ていた。
びっくりしたけれど、よかったと一安心した。残念にもおもった。けどやっぱり安心した。
ラクスがタオル一枚かけて机の上にうずくまっている姿が寒そうでかわいそうでかわいくてベッドまで運ぶ。
抱き上げた重みとやわらかさと手乗りのときとを思い出して比べる。安心する。
「あのままのサイズだったら、もしキスしたときに間違えて食べてしまうかもしれない」
ラクスを自分の寝台の上にゆっくり下ろした。
首のところまでしっかり毛布をもちあげて敷き詰める。腕には眠っている人の温かさだけが残る。
「ん・・・」
「すみません、起こしてしまいましたか」
「・・・まあ、わたくし」
「よかった、戻ったようですよ」
ラクスは自分の手の大きさとアスランを見比べて、心から喜んでいるふうには笑わなかった。
自分の手とアスランを三度目見比べてから少し残念そうにも見える微笑をたたえた。
きっと絶対、
戻りたくなかったんだ。だって君はきのう言ったもの。おれは寝ている振りをしてずっと聞いていたもの。
君はおれの体中の血液が沸騰して蒸散するような喜びを与えてくれたのだ。君はずっとおれといたいと
おもってくれた。
アスランははにかみながらそう思った。
「戻れたのに嬉しくないんですか」
アスランが嬉しさのあまりいたずらな質問をむけるとラクスははにかんで笑う。アスランの頭の
春の蕾はいまにも花開こうとしている
「だって・・・」
ラクスは恥ずかしそうに少し口ごもっている。
「だって小さいままでいられたなら、アスランはキスしてわたくしをお召しになってくださるのでしょう」
頭の春の花の蕾が爆発した。
「い、いえ!あのそれはちがっ、っていうかあの、その、すみませっ、だから、その、あれは」
「だから少し残念ですの」
「あれはその、だから、ちがって、ふ、普通のラクスだってちゃんとキスしてたべます!」
あれ?
なんか言いたかったことズレたっ!
「ありがとうアスラン」
アスランは言いたいことがズレてしまったけれど笑う。
だってほら、ラクスの耳がまた赤い
「ダコスタさん、おはようございます」
「ラクスさま!おはようございます!昨日は見かけなかったのですがどちらにいらしたんですか」
「昨日はアスランの部屋におりましたの」
「!」
「アスランの机の上で眠ったものですから今も少し背中が痛くて」
ラクスはぽっと頬を染めた。
ダコスタは褐色の肌だが顔面蒼白。
卓上プレイという単語がダコスタの心をかけめぐっている。
「ラクス」
とそこに廊下の向こうからアスランが駆け寄ってきた。ダコスタに小さく挨拶をしてから
ラクスに心配そうに声をかけた。
「どこか具合が悪いとかはありませんか、痛いところとか」
「背中が少し痛いだけで、ほかはなんともありませんわ」
「机の上ではなくやはり俺のベッドにすればよかったんですね・・・うっ!」
アスランは突然、首に激震をうける。ダコスタの拳がアスランの襟首をひねりあげている。
「歯ァ、食いしばってください」