ちょうど日が変わった。
母の日に



「シズちゃんの馬鹿正直なところも大ッ嫌いだよ」

新宿のとある袋小路に追いつめられていくらか通じない口論をした末に、折原臨也が陽気に吐きすてた。
これに平和島静雄が不愉快そうな顔をして→不満げな顔になって→不快そうな顔になったのち→怒りを押し込めた声で次のように言った。

「俺は正直じゃねえよ」

ふてくされるふうであった。

「そういうの自分で言うのが馬鹿正直だって言ってるんだよ。それとも否定してほしいからそんなこと言ってるの?シズちゃんは正直じゃなくないよ!って?とんだかまってちゃんだ」
「ちげえよ」
「そう?まあいいけどさ、いつまでシズちゃんとおしゃべりしてなきゃいけないわけ?さっさと殴るでも何でもして解放してよ。時間の無駄」
「母の日だからケンカはしねえ」
「はあ?」
「そう決めてる」
「相変わらずよくわからないな。じゃあどっか行ってよ」
「おまえが先にどっか行け」
「やだよ。シズちゃん都合なんだからシズちゃんどっか行ってよ」
「俺都合だけどおまえはもうぶん殴られるか逃げるかなんだからおまえどっか行けよ」
「じゃあぶん殴られるほう選ぶね」
「今日は母の日だからケンカはしねえ」
「じゃあシズちゃんどっか行けよ」

堂々巡りが5分も続いて決着がつかなかった。
どっちもどっか行かないまま、グーのケンカもしないまま、ついに口ケンカも尽きてただただ対峙するだけになった二人の腹が、
ぐうう
と真面目に鳴った。
対峙する袋小路はファミレスの裏手に面した袋小路だった。






***

「いらっしゃいませ、何名様ですか」
「1名」
「プラス1人です」

ウェイトレスは「えー・・・と」と静雄と臨也がそれぞれ立たせる一本指を交互に見て、たして

「2名さまで・・・?」
「1名!」「プラス1人!」
「えー・・・と」







「おまたせいたしました。まぐろたたきご飯とオムライスでございます」

「おねえさんビールひとつ追加、ジョッキで。シズちゃんも追加する?」
「しれえ」
「梅酒ロックひとつ追加で」
「かしこまりました」
「ついかじゃれえよわかやろお!」

静雄はぽんこつになってきていた。
母の日だから暴れない、という静雄の矜持は単なる自分ルールだそうだ。ことあるごとに親を呼び出された高校時代に決めたルールで今も続けている。続いている。
現在地新宿のファミレス。
始発までもう電車はない。
臨也はオフィスが新宿だし、池袋だって歩いて帰ろうと思えば帰れない距離ではない。
しかし

『 相席に耐え切れず先に帰ったほうが”逃げたほう” 』

そんな意地の張り合いからどちらも席を立たず、アルコールの追加注文ばかり増えていく。特に静雄は、臨也が同じテーブルにいるというハラワタが煮えくり返る状況を酒でまぎらわせていたこともあり、注文したまぐろたたきご飯が来る前にハイペースですきっ腹にアルコールを流し込み続けた。
結果、相手が臨也であることも忘れて自分の人生観、仕事観をどろどろ語り、ついには
ぽっつり、ぽっつり
こんな話をし始めた。





***

「お子さんの体について学会で発表させていただけませんか」
平和島静雄の腕にギプスをしてくれたお医者が言う。
椅子は背もたれがなく、丸く、足は届かず、まわる。静雄は半回転を繰り返して退屈に遊ぶ。
静雄の頭の上でお医者が続けた。
できるかぎり難しい言葉と誠実ふうの言葉を選んで、
筋組織の病気の未来、度重なる治療、費用の助け、お子さんの未来、現代医学の発展、ご安心ください、プライバシーの保護は、
そういったこと。

「静雄くん」

やさしいお母さんの声に椅子半回転遊びを中断した。
「お母さん先生とお話するからロビーで待っていてね。お母さんのバッグを持っていって、ジュースを買っていいよ」
静雄はコクとうなずき、すばやく椅子を降りた。
廊下に出たらスライドする扉を閉める。
しっかりと
決して隙間なく
病院内の自販機はロビーにしかないから静雄は一階まで下りた。
缶のカルピスをひとつ買って静雄は長いすに腰掛けて待った。

「ぼく、ひとり?」
若い看護婦さんが話しかけてきた。
腕にギプスをはめてひとり表情もなく、女性用のハンドバッグを掴んでいる姿は心配されるような年齢だからだ。
静雄は首を横に振った。
「お母さんは?」
「待ってる」
「そっか、じゃあ大丈夫ね」と笑って看護婦さんは行ってしまう。
そう、静雄は待っていた。
お母さんとお医者さんのケンカがおわるのを。
カルピスの缶が汗をかきはじめた。
手が冷える。

「静雄くん、おまたせ」
お母さんはなんでもない顔をして迎えに来た。
静雄はその顔が真実“なんでもない顔”であるかをよくよく目視確認してから、水滴だらけのカルピスを差し出した。
蓋はあけていない。
「飲んでないの?」
「おれもう飲んだ。これおかあさんの」
「あら、なんていい子」
髪がツヤツヤになるようななで方をされた。
静雄のお母さんは笑っていて、静雄も笑った。
笑わなければいけないのは両方の義務だと子供はいつだって知っていた。大人は知らない。知らなくていいことだった。






***

それが
まぐろたたきご飯が終わってピザを追加し、そのピザすら破片しか残らなくなった頃、破片をフォークでもてあそびながらあやしい呂律が語って聞かせた昔話だった。

折原臨也は「ふうん」とつまらなそうに相槌をうった。
臨也の前にはペーパーナプキンが裂かれた残骸が山盛りになっている。
このうえ更に一枚まったりとペーパーナプキンを引き出し、どこから出したのかサインペンで絵をかき始めた。

「よくわかんないけど、コンプレックスの話だ」
「・・・悪ィかよ」
「悪くはないけど相手は悪いよ。俺にする話じゃないだろ。タナカセンパイ向けだと思うね」
「じゃあおまえもなんか俺相手に言うことじゃねえこと言えよ」
「なにその理屈」
「俺ばっか話してはずかしいだろうが」
「知らないし。まあいいけど。そう・・・じゃあ、びっくりするほど不本意ながら言うけど、俺ね、俺とシズちゃんの遺伝子がまざったら完璧な人間ができちゃうかもって思うよ」

絵は丸だ。○
真ん中に曲線がはしって

「・・・JISマークか」
「JISマークはこう。しかも旧JISマーク」







「陰陽だよ」

まず、半円を塗りつぶし、塗りつぶした部分をペン先でココンと叩いた。

「俺は頭がいい」

言い、臨也は自分を指さした。
次に、半円の白色部分をコツンと叩き、静雄を指さす。
蝶ネクタイの下へ指先がぶつかり、ツツツ...といやらしい刺激をしてはなれた。

「シズちゃんは力が強い」

さいごに、ペーパーナプキンの円全体をサインペンがもう一度なぞった。



「俺たちがまざれば完璧な人間だ」



「まざるってなんだよ」
「すんの」

言いながらケラケラわらう。
理解力が低下している静雄にすらも一瞬いやな顔をさせて、臨也はしてやったり。テーブルを叩いて喜んだ。
臨也もしたたか酔っていた。
というのに、静雄は生真面目に返した。

「しねえよ、ゴム持ってねえ」
「ゴムとかそんな理由。ばかじゃないの」
「赤ちゃんできるだろ」
「できねえよ」

ふざけた話をしていたのに台無しにされ臨也は思わず言葉をくずした。

「俺とシズちゃんは男だからどんなにエロエロしても子供はできないけど、もしできたらってことを仮定してんの。そうだなあ、ドラえもんで言うともしもボックス。これでわかるでしょ。もしも俺とシズちゃんの間に子供ができたらどんな子だろうっていうね」

解説するのも億劫だが酔った勢いで酔った静雄がわかるように心がけ説明した。言い方を変えれば、それは酔った静雄にしか理解されない説明であった。
静雄はもしもボックスの名前が出たところで理解にいたり、数回うなずいた。
理解したうえで静雄は急に眠たげになった。
力なくまぶたを落とし、まつげの奥から手の中で汗をかく梅酒ロックのグラスを見つめる。

「おれは・・・」

テーブルで小さな水溜りをつくる水に、水滴がひとつ合流した。

「普通の子になる・・・ってほしい」

いつのまにかうつむいて、安っぽい金の前髪が表情を隠していた。
肩に力が入ったのが臨也の目からも見て取れた。
変なタイミングで変に息がもれる。
臨也は右肘をついて黙ってこれを見ていた。

「そうしたら母さんはおれを困らない」

ゴン!と盛大な音をたてて静雄はテーブルにつっぷした。
寝た。
グラスが転ぶと自分にまで被害が及ぶので静雄の手から水滴だらけのグラスをそうっと取り上げた。

「おれもうのんだ」

静雄がしゃべった。
テーブルにつっぷしたままぴくりとも動かないのに、テーブルにキスする唇だけがもごもごとしゃべりだしたのである。
いつもの、音に濁点をつけたような声ではなかった。
寝言だ。

「これおかあさんの」

それきりすこやかな寝息が聞こえ始めた。
臨也はソファーに背をあずけて深くこしかけた。
水滴だらけの梅酒ロックを自分の唇へあてた。

「シズちゃんてほんっとばかだなあ」

金髪の後頭部に静かに手を伸ばし、乗せてみた。

「困ってなんかなかったろ」


















***

髪がツヤツヤになるようななで方をされた夢を見て目が覚めた。
ファミレスのテーブルにデコがめり込んでいた状況を寝ぼけた頭で考えて、頭をなでられたのではなくて後頭部の毛を掴まれてテーブルにゴンゴンされたのに違いないと思った。
正面のソファーにすでに臨也の姿はない。帰ったのか。・・・当然か、あいつとファミレスで酒飲んだなんてほうが信じらんねえし。
外まぶしい。いま何時だ。
掛け時計によれば朝8時2分。うおう、始発待ちどころじゃねえな。
店員さんすんません。客少なくてよかった。
アパート戻って風呂はいんねえと。
てか、まじでノミ蟲の件は幻な気がしてきた。
なんだ、そうか。幻なら幻って先に言えよ、ったく。

静雄はダルい体を起こして伸びをし、気つけに手近にあった梅酒をあおった。
噴いた。

「ぶへっふ、ゲホ!ゲホッうゲホ!」

氷の溶け切った梅酒は恐ろしくカラかった。
慌ててお冷を口に含んだらパルプンテな味がし・・・たがもう大人なので気合で飲み下す。
三秒後にじんわり涙が出るような味だった。
まぶたに乗ったなみだを指で擦ったら

「ぴぎゃ!」

と短く叫んで『目がカラい』という新感覚を味わった。
拭くもの、拭くものとペーパーナプキンに手を伸ばしたらスッカラカンで、この際伝票でいい!と取り出してみたら
















































あ、こりゃノミ蟲いたな






***

平和島静雄はファミレスで17032円を支払わされ、しかもケータイを奪われていた。
何か言いたそうだったレジのお兄さんには一言も言わせぬ気迫で睨みつけてやった。きっと中学生みたいな悪ふざけをしていて寝こけていた客に注意したかったのだろうが、静雄は九割は自分のせいじゃないと思っていたので態度を改めなかった。静雄の背後に仁王像のスタンドを見たレジのお兄さんは「あ、ありがとうございました」と震えた声でお見送りしただけだった。

ひどくイラだったまま外の喫煙所でたばこをまさぐった。
すると、右横の垣根にケータイが落ちてきた。

「俺のケータイ・・・」

拾い、降って来たほうを見上げると三階の駐車場から折原臨也がにやにやとこちらを見下ろしているではないか。

「てんめっ・・・!」

ぐしゃりとタバコを握りつぶす。

「メールだよ」
「あ゛ぁ?!」
「メール」

聞きなれた着信音が草むらの生垣に乗るケータイから鳴っていた。
ケータイをとるか壁をよじ登って三階に行くか逡巡して、
「チッ」
ケータイをとってから壁を登ることにした。



【 受信メール 1件 】



「シズちゃんのかわりにメールしといてあげたよ」


























「・・・」
「じゃあね」

三階で黒いコートがひるがえった。

「てめえ」

静雄の声にコートが止まった。

「今日はなんでこんなんしやがんだ。俺が寝てる間にぶっ殺すでもなんでもできただろ。いいヤツぶって、気持ち悪ィんだよ!」
「さあね」

背を向けたままのコートが言う。
白々しい態度に静雄は睨みにいっそうの力をこめた。

「どうせまたなんか悪巧みを」
「母の日だからじゃない?」

断たれ、今度こそコートが視界から消えた。

数歩下がっても見えない。
低く舌打ちして、ケータイをポケットにつっこむ。しかし壁にはよじ登らず静雄は新宿駅へ向かってのっしのっし歩き出した。






あのやろう一体何かんがえてやがんだ。
なにが母の日だからだ。ばかにしやがって。
だいたい飲み物に変なモン混ぜまくったのも俺の指にタバスコ塗ったのも17000円も出費したのもあいつのせいだ。
ちゃっかり朝飯食って帰りやがって、だぁーむかつく!つかなんでテイクアウトまでしてんだあの野郎!
よりによって一番高いやつ5個も買いやがって。だいたい5個も食えねえだろっ普通。もったいないおばけ出ろ!5匹!
・・・5?
そいやあいつんちって5人家族・・・

5つのビーフステーキボリューム弁当と5人家族との関連性を心のどこに置いていいかわからず、静雄は心持ち唇をとがらせて歩いた。
駅に着く前にケータイをポケットから取り出し、静雄の親指がぺこぺこ動いた。













静雄は山手線外回りで池袋へ向かった。
その手には新宿駅で買ったカーネーションの小さなブーケが乗っていた。
そして背にはサインペンで『巨根』とかかれたペーパーナプキンが垂れ下がっていた。






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