ピーターパンはひとりきり
いつまでも大人にならずに
ひとりきり
楽しく遊ぶ
ひとりきり
いつまでも大人にならずに
楽しく遊ぶ
いつまでも子供のまま
いつまでも子供のまま


ひどく、羨ましく思った。



ピーターパン



「わたくしはいつから珈琲が飲めるようになったのでしょうか」

いつもの穏やかな庭に、珈琲の水面に、
白いティーテーブル。
吹き抜けた風にふと微笑ったラクスを儚く思った
君は微笑む。
心は見えない。

プラントに戻り、君は最高評議会議長に推された。
それを承諾すれば、もちろん最年少の評議会議員であり、
最年少の議長の誕生となる。

君はシーゲル・クラインを失くしたクライン家の家長だ。
君はプラントの歌姫だ。
そして君は、プラント最高評議会の議長になるのだろうか。
暫定評議会からの推薦の声は日に日に強くなっている。
世論もまた、混乱の中に君の名を叫んでいる。
君はまだ、その声に応えていない。

そんな多忙な君が、俺を庭に招いた。
庭は、かつての美しさを取り戻していた。
君は、少し痩せたように見えた。
君の笑顔を儚く思ったのは、はじめてだ。
細い肩にプラントの未来がのせられようとしている。
だから少し肩が重いのか、君は肩を落としてうなだれている。

「初めてお会いしたときには、わたくしは珈琲が飲めませんでした」
「そうでしたね」

君の瞳は、手元の琥珀の水面におちている。
声はひどく静かで、やはりどこか儚い。
どこが儚いのかと聞かれると、空気が、とこたえるしかない。
君のまわりの空気が、君の強さを蝕みはじめている。

「いつから。わたくしは砂糖とミルクのない珈琲を」

呟いた君の手は両手でカップに触れている。
カップの中の水面がわずかに震えているのは、風の所為だろうか。
それとも、君の手がふるえているからだろうか。
暖かなカップを両手で包むのは寒いからだろうか。

採光ミラーの角度がかわりはじめ
プラントの空は朱に染まりゆく。
ふとそれに目を取られて、ラクスもまた制御されて暮れゆく高層ビル群を見やった。

ラクスはいつ、珈琲が飲めるようになったか。
エターナル艦内では、彼女は確かにブラックのそれを飲んでいた。
ではその前は、この庭で最後に会った日は
その前は
その前は

空の色がかわりゆく
急速に、大人になってゆく
暮れないで
暮れないで


「暮れなければいい」

俺の声にラクスは顔を視線を戻した
夕暮れのまぶしさにぎゅっと目をひそめる。

「時間はすべてとまればいいんです」
「アスラン」
「採光ミラーをすべて割ったなら止まるでしょうか」

とまればいい。
それでもうずっと、動き出さなければいい。
君はもう珈琲は飲めない。
君は最高評議会議長にはならない。
君は大人にならない。
ぼくらがずっと子供のままでいられる世界であればいい。
暮れないで暮れないで暮れるな

ひどく焦る

夕暮れが、色を増すほどぼくらは大人になっていく気がする
色は増す
目に痛い
色は増す
目が痛い
ぼくと同じで目が痛いから君は長いまつげを伏せて涙をこらえているのだろうか
それとも、珈琲が苦かったから

「時間をとめたらきっと誰かが怒りますわ」
「ラクスが怒られたら、俺が、その、守ります」
「ではアスランが怒られたらわたくしが守りましょう」

まだ
まだ
どうかぼくらを
子供のままでいさせて

夜は迫る。

「ラクス」

立ち上がって、ラクスの手をひく。

夜は迫り来る。

「もう珈琲は飲まないで」

「・・・飲みません」

ラクスが立ち上がるときに、珈琲がこぼれた。

「評議会も」

「なりません」

「大人にも」

「なりません」

手を引いて、夕暮れの庭を逃げ出す。
ああぼくらはいつからこんなにも
異なった骨格をもったのだろうか
その事実にはぎゅっと目をつぶる。
夜は迫り迫り迫り来る。
コートを放る。
靴をぬいで裸足で駆ける。
なるべく身軽でないといけない。
君の手をひく。
いつか母さんが読んでくれた物語によれば
あと必要なのは妖精の粉。
クライン邸の庭に咲き誇る花の蜜や花粉が妖精の粉にちがいない。
花中を突っ切り、小川を飛び越え、蝶の羽を休める枝の横だけはゆっくりくぐって
囲われた庭をどこまでも
どこまでも
日が沈む前に
辿り着かないといけない。



けれど



ぼくらが辿り着いたのは、フェンスが隔てる夕暮れの湖面を臨む、

庭の終わりだった。












妖精の粉の花粉はきっと体についた。
君は評議会議長にはならない
珈琲は苦くて飲めない
夜はこない

だからぼくらは、まだ

「アスランッ」

君は焦燥の声をあげる。
日が沈もうとしている

「大丈夫、飛べる」

フェンスに跳び乗る。
手を伸ばした君を引っ張りあげて、ふたりでフェンスの上に立つ。
今日はとても風が強い。
君の髪が羽根のようにひろがる。
俺は少しだけ勇敢になって、君を抱きしめる。

ぼくらは、強い風をうけた。



大人になりたくないといったピーターパンは

ひとりきり

空に舞いあがった。


大人になりたくないといったぼくらは

ふたりきり

水に舞いおちる。

















目が覚めるとそこは、どこだかわからなかった。
けれど、たぶん、ネバーランドではない。

病院、かな。


「あ、起きた」
「キラ」
「あんな目立つ屋敷から入水自殺なんて、流行らないよ」

キラはあきれたように怒ったように言う。
キラの肩越しに見た窓の外は夜だった。

夜は来た。

「ああ、間に合わなかったのかな」
「え、なに?」
「ううん。ラクスは?」
「最上階の一番大きな病室で記者会見中だよ」
「記者会見って」
「評議会の議長を受けるって」

やはり、間に合わなかったらしい。
ラクスも大人になってゆく。

「なんで水に飛び込んだりしたの」
「飛び込んだんじゃない。飛ぼうとしたんだけど、うまくいかなかったんだ」
「アスラン、水に頭ぶつけた?」
「大人になりたくないっていって、妖精の粉をかぶったら飛べるはずだろ」

キラはきょとんとしている。
無理もない。
自分でも、冷静になってこうして話してみてると、とんでもないことをしたと思う。
あの時は、本当に焦っていた。
ラクスをあのままにしておいたら、日が沈んだ瞬間に
たちまち大人になってしまうとおもったんだ。
だから裸足で走り出して飛ぼうとした、
というのではきっと誰もわかってくれないと思うけれど。

「飛べないよ」
キラは真顔で言う。
「わかってる。はずかしいからもう言わないでくれ」
「楽しいことも考えないと飛べないよ」
冗談なのか、真剣なのか、キラは「ツメがあまいなあ」と笑った。

そういえば必要なのは妖精の粉と、たのしいことを考えること、だった。
忘れてた。


「だから飛べなかったんだよ」
キラはおかしそうに笑う。
月にいた頃よりも幼さがぬけている。
夢のようなことを話しているのに、ぼくらは、大人になってきている。
すこし、さびしい。

「そうか」

「じゃあ今度さ、暇なときに四人で飛んでみよう。もうちょっと低い位置から」


ピーターパンはひとりきり
いつまでも大人にならずに
ひとりきり
楽しく遊ぶ

大好きな友だちがみんな大人になってしまっても
ひとりきり
いつまでも大人にならずに
楽しく遊ぶ

大好きな人が大人になってしまっても
ひとりきり
いつまでも大人にならずに
ひとりきり
ひとりきり

いつまでも子供のまま
いつまでも子供のまま


「四人なら、楽しいことなんていくらでも考えられるし」



俺は
子供でいられなくても
大好きな人たちが大人になっていくのなら
大好きな人たちといっしょに大人になりたいと思った。