あなたはいかにも神に祝福されたような姿かたちをしている。
あなたはアカデミーでの勉強はあまり得意ではなかった。
ディアッカは「扱いやすそうな女」とあなたを評した。ぼくがそれに反論すると
ディアッカは「わかりやすいガキ」とぼくを評した。
ぼくは彼らよりも二年間多くあなたと日々を過ごしている。あなたは自分が
勉強を得意でないのを自覚するどころか、ひどく恥じていた。

「ニコル」

ぼくがテキストから顔を上げると、はノートをシャーペンの先で示した。

「ここが、考えたのだけれどよくわからないの」
「どれです」

ぼくは少し身を乗り出して、机にひじをつく。顔を寄せるとやわらかいにおいがした。
女の人の匂いだった。
ぼくらはずっと前からこうやって勉強会をする。たいていのわからなかったところの
解法をしたりする。はぼくの専攻外の医療について詳しかったので、それは教わることもあった。
の話し方は少し緩慢で、やわらかくて、けれど説明が上手だった。

「ここはこの数式を、こうして」
「うん」
「あとはこのとおりの解き方で」
「うん」

が式の続きを書き始めた。ぼくは体をひっこめる。の数式は正しい。
シャーペンをはしらせる指がきれいだった。ぼくがじっと見ていると、不安げな顔になった。

「間違ってる?」
「あっていますよ」

はヘヘっと笑った。本当に照れ隠しでそんなふうに笑うものだから、
ぼくはぼく以外の人の前では決してそんなふうに無防備にしてほしくなかった。
はこれでもかというほどノートに顔を近づけて、忙しくアルファベットと数字と
ギリシャ文字を書いていく。目の前にいる14歳の男のぼくのことなど、目もくれなかった。

「でき、た」

息をはいて、は机に額をのせた。

「それじゃあ今日のノルマはおわりですね」
「うん」

は机に額を乗せたまま
顔が見えない。
疲れているのか、これは少し元気が無い。疲れているんだ。

「そうだ。この前ラスティにもらったクッキーがあるんですよ」
「うん」

顔が見えない。
疲れてる。

「ニコル」

声にびくっと震えてしまったのは、彼女が疲れているから元気が無いわけではないと
確信に近い予想をしていたから。まだ顔はあがらない。
ぼくはとても小さな机ひとつはさんで、向かいの君の髪をみていた。
やはり神さまに祝福されているとしか思えない。

「勉強会いつもとても楽しかったのよ。終わるとご褒美のようにお菓子まで出るでしょう」
耳をふさぎたい
「おかげでわたしの成績も体重もそこそこあがってきたの」
わずか笑ったの声に耳をふさぎたいとおもったのははじめて
「ニコルが赤い軍服を着たなら入隊式のあとに一緒に写真をとりましょう。今まで」

その先は言わないで

「勉強を教えてくれてありがとう、これからはどうか自分のために」
「クッキー」

さえぎる言葉はなんでもよかった。
とめることができればそれでよかった。

「クッキー全部あげますから」

ぼくをひとりおいていかないで









「医療分野でわからないことがあったら聞きに行ってもいいですか」

ぼくは口角をあげてみたけど、ちゃんと笑っている顔になったろうか。
さびしい、だってなんて、こんなさびしいなんて。
は空気の振動でぼくの心を見て、顔をそっと持ち上げた。小さく笑む。
それが少しだけさびしそうだったのが唯一の救いだった。


「チョコレートいっぱい持って待ってる。がんばれがんばれ、がんばれニコル」












ぼくの心に天秤があって
その天秤にいままで赤い軍服とがのっていた。
中心の針は必ず振り切れる。
というひとはぼくの九割九分九厘を支配するもので、軍服などと比べ物にならない。
そうだと比べたら軍服は埃くらい軽い。
でもが天秤を退いたら、たとえ埃であっても天秤は逆の方向にふりきれる。
のこなくなった部屋でぼくはたくさんの勉強をした。
専攻が違うからアカデミーでもすれ違うことさえない。
二人でむきあって勉強ができるようにしつらえた机はクローゼットに仕舞った。
は別にぼくの恋人でもなんでもなかったけれど、ぼくはそれで嬉しかった。
艶のあることはなにもなくても、それでも嬉しかった。
もうぼくらが安易に手繋ぎ鬼をして遊べないように、距離はずんずん離れていく。

ふっとディアッカの言葉を思い出す。

扱いやすそうな女

「・・・どこが」

わかりやすいガキ

「わかってますっ」

一人用の机につっぷす。
医療のテキストが肘の下にある。
本当は
わからない問題はひとつもなかった。