なにも知らなくていい。
なにひとつ知らなくていい。
彼女の父母が血のヴァレンタインで死んだことも
彼女の婚約者が軍に所属していることも
そしてたくさんの人を殺していることも
ヘリオポリスが崩壊したことも
戦争をしていることも
それから
それから

それから





 か 弱 い 生 命 体 が ぬ く い





私服で、ささやかな花束を抱えてプラントで最高峰の大病院の廊下を進む。
すれ違う看護婦は会釈をした。イザークがジュール家の令息であることを知っている。
白い扉の前で立ち止まって向き合って、
ノックを一瞬ためらう。

今更、今でも、罪悪感はついてまわる。
彼女の周りの全ての人間に緘口令をしいた。
決して、家のご令嬢に醜い世界を伝えてはならないと。
悪人で結構
罪人で結構
イザークは強く拳を握り締め、厳かに三度のノックをした。

開いた先の病室には白い壁と、白いベッドと、本棚と、白いカーテン。
部屋の主は一瞬おどろいた顔をして、すぐに微笑んで手元の本をしおりも入れずに閉じた。

「お久しぶりです、お加減はいかがですか」
「お久しぶり、加減は相変わらずですが。いらしてくださってありがとうございます」

は窓際のベッドの上で、小さく笑った。
イザークはベッドの傍らの花瓶に見知らぬ花があるのに気づいた。
イザークの視線をたどって、先にが微笑う

「先日ラクス様がいらして、お花をくださいましたの」
「そうですか」

うれしそうに話すに横顔で笑ってみせて、イザークは自分が持ってきた花もその花瓶に加えた。
にこにこと、アホみたいに笑うのはもとより得意ではなかったが、彼女の前ではことさら苦手だった。
きっといびつになっているに違いない。
イザークは横髪で顔をかくすようにした。

「ラクス嬢とはどのようなお話を?」
「たくさんお話しました。このお花のことや本のことや、あと、ご婚約者様のことも」
「婚約者の、こと」
「イザーク様のお友達なのでしょう、私、お聞きして驚いてしまいました」

イザークはどきりとして振り返った。
まさか、軍に属していることをきかされてはいないだろうか、と。
一応、彼女の友人であるラクス・クラインには彼女に戦争のことを一切、軍に所属していることも一切
話さないで欲しいと伝えていた。
ラクスはイザークの言葉に、神妙な表情でわかりましたと応えたはずだ。

「アカデミーの頃からずっとお友達なのですってね。今でもよくお会いになられるのですか」

どうやらアスランとイザークが軍の、しかも同じ部隊に所属していることなど知らないようだ。
ラクスは約束を守りつづけてくれているらしい。
イザークは隠れてほっと息をついた。

椅子をベッドの横まで持ってきて腰掛ける。

「友だちではありませんよ、あいつは」
「あら、怒ってしまわれた」
「怒っていません」
「ケンカ中ですか?」
「四六時中です。いつも顔をあわせてますから」
「やっぱりおともだち」

うれしそうに笑った。
イザークも軽く笑む。

「あまりいじめてはいけませんよ」
「たいていの者にうらまれてますよ、あいつは」
「そうなのですか。でもラクス様は、アスラン様はおやさしい方と」

ただでさえ聞きたくない名前を、よりによって婚約者の声で聞くのは嬉しくない。
無意識に口調も強くなった。

「『プラントのアイドルの婚約者』ですから」
「・・・イザーク様も」

女の今まで笑っていた顔が、急に憂いを帯びたのに驚く。

「アスラン様のご婚約者がラクス様でらっしゃるから、仲がお悪いのですか」
「は?」
「いえ、あの・・・失礼いたしました」




ああ
これは

なるほど。

小規模ではあるが
いわゆる
嫉妬、とかいうものだろうか
イザークは理論的に納得するが、冷静を装うのはなかなか難しい。

気まずい沈黙がおちてきて、互いに目を合わせることが出来ない。
イザークは目のやり場に困り、の手元をちらりとのぞき見る。
は不必要に手元の本の表紙をめくってみたり、なぞってみたりしている。

白い服からみえる彼女の手首は病的に白く、細い。
見惚れる。

高い知能をもつはずのコーディネーター
高い運動能力をもつはずのコーディネーター
病に脅かされることのないはずのコーディネーター
易く子を成せないコーディネーター

名高い家で、奇跡的に母体に宿った命を無理やりにとりだしてみると、
ひどくか弱い生きものが生まれた。

か弱くとも
病的に白く、細くとも
は鮮やかに微笑む。
夕暮れに
窓際のベッドの上で
イザークの来訪を喜んで微笑う。

イザークはベッドに手をついて、倒れこむようにキスを与えた。

二人分の重さをうけて、ベッドは軋む。
あっという間に組み敷かれた状況を、はまだ飲み込めていない。
ぱたぱたとまばたきして、普段はあるはずの天井をイザークが覆っているのだけ理解したらしい。

「・・・アスランアスランと、何度も呼んだあなたがいけない」
「でも二度です」
「一度も。口がけがれます」
「そのようなことをおっしゃってはラクス様とアスラン様に・・・」

さっきよりも少しながく重ねる。

「これ以上言ったら抱きますから」

は気圧されたのか、イザークの下でおとなしくなった。

「あなたの口から他の男の名前が出るなど、気が狂いそうです」

イザークはほんの戯れで、組み敷いていた。
まだ一度だって抱いたことなんかない。
守るのだ。
全ての悲しみと、恐怖と、汚い現実から。
そう決めたのだ。

捕らえた手を放して、離れようとしたとき、
ぽつりと小さな声

「アスランさま」

脈絡もなく、つぶやかれたその名の真意をさがす。
つぶやいた姫君はイザークを見上げている。
婚約者の潤んだ瞳につぶやかれた言葉の真意を見つける。



これ以上言ったら抱きますから




放した手をまた捕らえて、清らな胸元に口付けを落とす。
細い指に指を絡める。
か弱い生命体はちゃんとぬくい。

「途中で誰か入ってきても止めませんから」

「・・・アスランさま」

「はいはい」

ドキドキしているのを必死に隠しながら、くちづけをおとす。

ぬくい


















***

「あらあら、これでは中には入れませんね」
「ラクス・・・」

おっぱじまってしまったらしい声を聞いてのんきな声をあげるラクスに、アスランは眉間をおさえた。
ただの天然なのか、度胸があるのか、アスランにはわからない。
病室の扉の前でラクスが残念そうに首をかしげる。
「せっかくアスランが作ってくださったハロをお渡しに参りましたのに」
ラクスはプレゼントのハロを抱えたまま、ふうとため息をもらした。
一方のアスランは中からかすかにきこえる声に耳まで赤い。
「先日ハロを連れて行きましたら、とても気に入られたご様子だったのですよ」
「はあ。ですが、その、この場ははやく」
退散したほうが、と言おうとして言葉が続かなかった。
壁一枚むこうの声というのは、やたらリアルだ。
「そうですわね。あら、アスラン。また名前を呼ばれてらっしゃいますわ」
微笑ましいといわんばかりにラクスは笑うが、実際に無駄に名前を呼ばれているアスランは気が気ではない。

「ではシルバーちゃん、イザーク様が出ていらっしゃるまで静かに」

しー、と唇に指を当てて微笑むラクスに、銀色のハロはころころと転がって応えた。

アスランは、次の軍の召集で防弾チョッキを装備していこうと誓った。