白いボールがとーんと弧をかく。

トス
トス
そして、トス

無表情で精巧な人形めいた妹は細い手首をやわらかく使ってバレーボールを俺に返す。

「おーらい」

前過ぎたボールを俺が蹴って持ち直させると、口角がほんのすこし持ち上がる。



石神の妹



お互い無口で、共通の趣味もない。
それでも俺とは、正月にだだっぴろい実家の庭でバレーボールをする程度には仲よしだった。

「お兄ちゃん」

トス
は声にも感情がこもらない。

「んー?」

トス

「あまりふわふわしていると、怖がられてしまう」

トス

「にーちゃんちゃんとしてるじゃんかー」

トス・・・

「してるわ」

は落ちてきたボールを両手の中にストンと抱いた。

「お兄ちゃんは見た目よりちゃんとしてる。けれどあかの他人にはそれが伝わらないものよ」

珍しく、よくしゃべる。

「兄ちゃんの頬っぺたのこと言ってる?」

「もうあなたが何を考えているのかわからない。私たち・・・別れよう」「いいよ」バチーン!
という流れで品川駅で平手をくらって口の端を切った。位置が微妙で絆創膏が貼れなかった。

”欲しいものは欲しいと思っている時が楽しい。手に入るといらなくなる。”

家族もお手伝いさんも(そう、お手伝いさんがいる程度にうちは無駄に金持ちだ)俺の悪癖を知っているから何もいわなかったが、こいつが苦言?を呈すとは大穴だ。

「おまえは気にしなくて大丈夫だよ」
「・・・」
「パス」

は手にとめていたボールを再び空へやわらかくあげた。

「・・・あと、達海監督ってかっこいいのね。握手できるかしら」

きゅうに話変わるなあ。

「あの人はやめときな」
「どうして」
「服が汗臭いときある」
「?・・・じゃあ緑川選手」
「フライデーされるぞ」
「丹さん」
「合コン王」
「赤崎選手」
「むっつり」
「椿選手」
「おまえ出てったらあいつチビるよ」

こう見えては女優だ。
アジエンスのCMから火がつき、いまではドラマも、映画も、CMも、正月の実家の庭で見せるこの無表情・無感動さそのままに出演している。髪の色以外は似てないし、芸名は石神の苗字ではないからチームメイトすら知らない事実だ。



さて。

「つうかさ」

ボールを足でうけて、リフティングから頭の上にひょいっと乗せた。成功。
はまた、ほんのわずかに口角をあげた。

「おまえ、どした?」

わずかにあがっていた口角が戻る。
何を言いたくて、何を言えなくて別のことを話している?
長い沈黙を置いた。
やがてはぽつりと言った。

「お兄ちゃんの家に住んでもいい?」

なんでとすら尋ねずに次の言葉を待った。俺はこいつ以上に沈黙は得意だ。



ストーキングされている、
と言った。
警察に相談して東京のマンションから一旦実家に戻って、実家から仕事に行くようにしているのだと言った。
けれど最近このあたりにも出没してきているのだと。

「私はいいのだけど、パパやママがケガ、させられたりしたら・・・」

は手をグーにして下を向いた。
アジエンスのCMに起用されるにふさわしい艶の髪が小さな肩をすべっていく。



「いいよ」



俺は品川駅の悲劇と同じ言葉を言う。
あかの他人には伝わらない意思をこめる。

「兄ちゃんちおいで」

手をの頭のうえにぽんとのせた。
その頭がふるふると震えた。
しゃがみこんでのぞきこむ。

「やっぱりだめ」
「なにがぁ?」
「お兄ちゃんサッカー選手だから一番ケガ、だめ」

俺はハハっと軽く笑って、グーで震えていたの手を下からすくいあげた。
かたくなにほどけない冷たいグーを包み込む。伝われ。伝われ。
伝われ。












隅田川沿いの凍えるようなグラウンドに「今日はこれくらいにするぞ、お疲れ」とコーチの声が響いた。
あまりの寒さに練習を見に来るファンはまばらだ。
そのなかに帽子を目深にかぶり、大きなマフラーを鼻の上まで巻いてひときわ目を引く不審人物がいた。
しかも広島カープのウインドブレーカーにねずみ色のスウェットという、奇怪な組み合わせの服装であった。
袋に入ったETUのレプリカユニフォームを持って待機しているから、おそらく誰かのサインが欲しいのだろう。

「・・・世良、おまえ最初に行け」
「な、なんでっすかァ!いやっすよ堺さん一緒にいきましょうよ」
「やだよ。俺ケガとかできねえし」
「え!?あの人殴ってくるんですか!?」
「椿声でけえよっ」
「ザッキー、僕の通り道をつくるために行っておいで」
「そうだな、日本代表だしな」
「丹さんこういうときだけ日本代表っていうのやめてくれませんか」

選手達は、汗を拭くふりをしながらあの道を最初に通る役目をなすりつけあっていた。
と、特に振られたわけでもないのに、群れから一人抜け出した。

「お、ガミさんいった」
「宇宙人VS不審人物だな」












「よ」

俺が手を上げると、ぐるぐる巻きのマフラーを下げて無表情な不審人物の口角がすこしだけあがった。

「かっこよかった」
「よく言われます」

無表情同士だから遠くから見たらさぞ不可思議な光景だろう。

近くで見ればすっぴんでも充分見れる妹だが誰も見にこないのは、この奇妙な装いゆえだ。
残念ながらは服への執着がない。
ほんとにない。
淡白な関係だけど、お兄ちゃんそれだけはちょっと心配。

は広島カープのウインドブレーカーのポケットからサインペンを静かに取り出して、レプリカユニフォームを折り目正しく差し出した。

「石神選手、サインをください」
「買ったの?」
「そこで」
「本物あげたじゃん」
「レプリカは持っていない」
「そ。端っこ持ってピンとして。・・・最近ど?」
「大丈夫。もう一ヶ月も見ていない」

東京に戻ってきてからは事務所が用意したというマンションに暮らしている。何かあればいつでも来ていいとうちのマンションのカギを渡しておいたが、一度もそのカギが使われることは無かった。

「そっか。よかったな」
「うん・・・」

語尾ににごりを見た。
表情のないがふと俺を覗き込むような仕草をした。

「ケンカ、してない?」
「んー?」
「むかしお兄ちゃんケンカ強かった」
「お兄ちゃんケンカしないよ」
「・・・」
「サッカー選手だもんさ。ほい、書けた」

お兄ちゃんの後輩たちに手伝ってもらっただけだよ。
びっくりさせただけでケガさせたりしてない。
すごくびっくりしてもらっただけだよ。
すごく、な。



「ア」


背後で声がした。
振り返ると、みんなに派兵されてきたらしい赤崎が顔を引きつらせていた。
俺の肩越しにを見、水面の鯉のように口をパクパクして、震える人差し指を向け、叫んだ。

「アジエンス!」

別に隠すつもりは無い。俺もも無反応だった。
赤崎は冷静さを欠いて、グラウンドで見守る男たちを振り返る。みんなは赤崎が何か伝えようとしていることに気づき、椿が第二陣として押し出された。赤崎は椿に来い、来いと合図して、を何度も指差した。
指折るよ。

「つ、つばき!アジエンス!」

みんなは首を傾げたが俺だけが心の中でうけた。顔には出ません。
驚きは伝わらないと悟って断念し、赤崎はアジエンスのCMの顔と俺と俺のレプリカユニフォームを三角形に見て

「ガ、ガミさんの彼女さんッ・・・ス、かっ・・・?」
「赤崎選手、はじめまして。兄がお世話になっています」
「ぅ、わっ・・・え、兄・・・?」
「オリンピック日本代表応援しています」
「ぁ、と。あざす」
「握手していただけますか」
「え、あ、はぃ・・・」

混乱しながらも、赤崎はぽっと頬の血色をよくして、手をジャージで何度か拭いてからの手を握った。
はなれた。
赤崎はあてられてほうけている。
は握手した自分の手をじっと見、ふと顔を上げて

「手、大きい」

と俺よりもよほど人たらしの追い討ちをかけた。
赤崎が破裂した。

「・・・。あっち達海さんいるよ」

表情を一切変えないまま、どこだろうかと俺が指差した方向へ顔を向けた。
の視線がはずれた瞬間に俺はがっちりとチームメイトと肩を組む。

「え、なんすか」
「おまえもびっくりしてみようか?」

がっちり・・・と、
肩を
掴む。



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