「いつもこのお時間に出かけられますが、どちらへ」

昼のうちヘイハチの姿が見えなくなると、初めに気付いたのはカツシロウだった。
尋ねてみれば

「むこうに竹やぶがありましてね、あまりいい風がふくものでのんびりとひとりで
バードウォッチングをしていますよ」
「それはいい、風流ですね」
「では近いうちに竹で腰掛をこさえておきますから、できたらお誘いしましょう」

ひらひらと笑顔に手を振られて、カツシロウは「楽しみにしています」と返した。
ぱっぱと軽快な足取りでヘイハチの背が遠ざかるのを見送った。






 バ ー ド ウ ォ ッ チ ン グ






竹やぶをサッ、サッと進む。
道無き道を行くと明るい日差しのそそぐ竹やぶの終わりまで来た。
その先は切り立った崖になっていて、崖の傍に竹を背にして座り込む。
崖の下には屋敷がある。
崖の下に隠すように立てられている屋敷はいつもひっそり静まり返っていた。
金持ちの別邸に違いない。見事な庭がある。日陰にあるから花は育たないようで
枯山水の庭である。
枯山水に臨む縁側に女がいる。
まだ若い娘で、日が暮れて老婆が来るまで日がな一日そこに居る。
ひとりきりで貝合わせをしている。
ここ一週間通い詰めて、老婆が娘をつれていくまでその様子を遠目に眺めて
いた。小刀で竹細工を作りながら。

完全に想像ではあるが、女の素性は推してはかれた。
金持ちの囲われか、金持ちの忌み子
どちらかだろう。

「うーん・・・バードウォッチング、はひどい言い方でしたかねえ」

先ほどカツシロウ殿に言った言葉を自省する。
籠の鳥と勝手に決め付けて、笑うでも哀れむでもなく見下ろす。
遠目なうえに日陰だからしっかりと顔を見れたことはない。
美しいかどうかもわからないけれど、美しいということにしておいた。
そのほうが眺めていて美しい景色になる。
日陰の屋敷

ひとりきりの貝合せ
夕暮れまで
ずっと

「たのしいんですかねー」

尋ねてみたかったけれど、自嘲がわきおこった。
自分はどうだろう。
いい年した男が
刀を帯びて
昼の間
ずっと
隠れて女を見ている
傍らには作りすぎた竹細工の小舟や箸や箸置きが積みあがっている。
よそう
ため息ひとつついて立ち上がる。
ちらりと片目ひらいて見下ろした。
貝合せ
飽くこともなく
ひとりきり
ああいい天気だ!もうバードウォッチングなる悪趣味はしまいにして
そうだ、もっと向こうのほうに約束どおりに竹の椅子をこさえて、
ついでだからテーブルも
強く踏み出したブーツのかかとが竹小舟の山を蹴飛ばしてしまった。
あ!と思ったときには小舟のひとつが崖を転げ落ちていった。
小舟は岩の突起に当たって弾かれ、枯山水にぽとりと落ちた。



娘の手がぴたりと止まった。



枯山水に浮かぶ(横転して転覆しているが)小舟を見つけてしまう。
慌てて崖から離れて自分の身を隠した。

「しまったぁ・・・!」

小声でつぶやいて額を押さえた。
猫の物真似でもしようか。
顔が猫に似てるとゴロベエ殿にも言われた。
いやしかし、猫は竹細工はつくれないだろう!
それでも反応が気になって、慎重に背伸びをして死角から見下ろしてみる。
娘は裾を持ち上げ飛び石に降りて、砂の中の舟を拾い上げた。
手のひらの上に載せてからふっと崖の上を見上げた。
そのときはじめて娘の顔をまともに見た。



美人、だなあ



「だれかいるのですか」

逃げるか
猫の物真似か

どっちかだ。


いや普通は逃げればいいんだけれど、まったく私はどうかしてしまったんで
しょうか。
ニ、三歩踏み出して崖の上に立つ。
娘さんは案の定びっくりしてしまって、私はなにかいいわけをしようと口を
開いた。
すると、娘さんは慌てて人差し指を唇の前にやって「静かに」と声もなく合
図した。
両手で小舟を私のほうに向けて掲げて、そして声もなく笑う。
掲げた手を揺らす。
返すと言っているように見えた。
十秒間逡巡してから私はポケットからロープを引き出した。一端を近くの
しっかりとした竹に結び付けて、もう一端を持って崖を降りる。

鳥かごへ入る

































「ほい、ほいっと」

上手く飛び石の上に降りる。
小さな石の上にバランスをとって片足で立つと娘さんが目をぱちくりとやった。
近くで見ると思っていたよりずっと若い!
私は不逞のやからと思われはしないだろうか。いや実際、不逞のやからで恐縮
ですけれども。

「あのー、お邪魔します」

悲鳴でもあげるかと思えば、白い手がすっと伸びた。
私は伸ばされた白い手と若いおもてを見比べる。

「や、恐縮です」

片足立ちだった私に手を貸してくれた。手が冷たい。
ずいぶん薄着でこんな日陰にいてはいつかきっと風邪をひく。
文字通り手助けあって、私は縁側まで招き入れられた

あたりを見る。
古い建物ではあるけれど綺麗に掃除されている。雑用をしてくれる人が
住み込んでいるのだろうか。それならば見つかったら大変だ。

「この舟はそなたが作ったのですか」

この言葉遣い、やっぱりお金持ち関係だなあこりゃ。

「はい、すみませんでした。うっかり落としてしまって」
「気になさらないでください、こんなにかわいらしい細工をみたのは初めて
のことです」
「気に入ったなら差し上げましょう」
「よろしいのですか」
「見事な枯山水に穴をあけてしまったお詫び、といってはなんですが」

なんといっても不法侵入の身だ。

「ありがとう、素敵」
「いやいやそれほどのものではああ申し送れました、わたくしは林田ヘイハチと
いいます。薪割りを生業にしております」
「私は陸遜です」

案の定、名前以上の素性は言わなかった。

「私はここにいても大丈夫なんでしょうか」
「この屋敷は私一人です。門の外に守護と夕餉をはこんでくれる乳母が
夜に来ますけれど」

”今日は家、わたしひとりなの”というありがちな誘い文句とは響きが
幾分違った。もっとずっと幼い。
私はひとりで意識をしてどぎまぎするのにはいささか恥ずかしい歳だ。

「そうですか、おや綺麗な貝だ」

無理やりそらす。

「お気に入りのものです」
「一局お相手願えますかな」

日陰でもそうとわかるほど白い頬を赤くして、はにかんで笑った。
一度だけ小さくうなずく。

うーん、美人だ。

貝合せの貝の形で内側の絵柄がすべてわかってしまうというので
陸遜殿は目をつむって貝を選んだ。
崖から降りてきた見知らぬ男を招きいれ、なおかつ面と向かって
こうまで無防備にされるといっそ毒を抜かれて笑えてきた。
貝を反しながらたくさん話す。

「そうしましたらキュウゾウ殿がですね、こう野伏りの鉄砲を抱えて、
使い道はあるか、と言うんですよ。あ、いまの私の物真似ちょっと似てましたよ」

陸遜殿は思ったよりもよく笑った。

「ですからお米のよいところはやはりただそれだけでもうまい、何かと合わせ
てもうまいという万能なところにあると思うんです、陸遜殿お米はお好きですか」

陸遜殿は声はほとんど返さずに、うなずいたりはにかんでみたり。
誰かと話すのが不慣れの様子だった。
そこは私が怒涛のように話すので気まずい沈黙になる心配はなかった。
いいんだか悪いんだか。

「今も崖の上の竹やぶの向こうに大きなお屋敷がありまして、薪割りがてら
知り合いの侍たちと用心棒もしているんです、最近このへんも物騒で」

話しながらいつもの笑い顔の裏にバードウォッチングしてましたごめんなさ
いという事実をいっさいがっさい隠した。

いつしか陸遜殿の貝をかえす手はとまり、おしゃべりに一生懸命になった。
目を大きく開いて、白い頬を上気させて聞き入っている。
あー・・・美人だー!!!
叫びたかった。
叫ぶ代わりに、身振り手振りで話した。
知っていることをすべて伝えてやりたい。



「外にはほかにどんなものがあるのですか」



籠の外にはね、陸遜殿
ここには咲かない花があるんです。
あなたにきっと似合うあの
「黄色い花や」
あの
「紫の小さな花や、大輪の赤い花や」

「とびきりおいしいお米やお新香や、かわいい玉のついたかんざしや山や川や」

農民や
侍や
商人や
戦や
刀や
血糊や
痛みや悲しみや憎しみや裏切りや

伝えなくていいこともたくさんあるから
そういうことはすべて伝えない。優しいこときれいなことだけを伝えたい、
それを選んで伝えたはずなのになんで私の言葉はこんなにも
残酷な色をしているんだろう。

ああなにを今更、私はここに来たことを後悔している。
徒に外のことを聞かせて、この子に憧憬を抱かせてどうしようというのだ。
夕暮れは近づく
一生ここから出られないかもしれないのに、
私がさらって連れだすか。ひとりで貝と遊ぶこの人を哀れみという理由で
喜びや痛みや悲しみや憎しみや裏切りのある外へ連れ出すか。
連れ添う覚悟もないというのに
夕暮れは迫る
影が伸びていく
私は今ちゃんと笑っているだろうか



「外にはたくさんものがあるのですね」

「・・・外に出たいですか」



私は尋ねてはいけないことを口走っていた。
陸遜殿の表情がじりじりと凍るのがわかった。
日が暮れていく
黒い影が伸びる。
伸びた先の私の影が陸遜殿の影を覆っていく。
私の知らない理由で長い睫毛が伏せられ、太腿の上の白い手のひらの中に
ぎゅっと竹の小舟が包まれた。
見れば唇がわなないていて、何か言おうとしてのみこんだように見えた。
陸遜殿はゆっくりと首を横に振る。
連れ出してどうしたいのか理由をうまくつくれない私は
どうして連れ出してはいけないのか理由をたずねる資格はないのだろう。

うなだれた頭にグローブをはずした手のひらを置く。
ぺたんぺたんと髪を撫でる。

「泣かないで」

まるで思春期の頃に戻ったように困り果てる。

「風邪をひくよ」

こぼれる言葉はどれも拙い




抱き込んだ頭は熱を持っていてぬくい
夕暮れがきたらこの抱き込んだ頭を放そう
放す
放しますとも
だからもう少々お待ちを














「これ、頂戴」

つぶやいた陸遜殿の小さな手の中
竹細工




ああ、










 夕
  暮

       れ









































来た崖をロープで上って
次会う約束もできずにとぼとぼ歩いた竹薮
散々うなだれて散々感傷にひたってご飯をたくさんたべた次の次の朝

私は陸遜殿の屋敷の用心棒に雇われることになるのだけれど
それはまた別の話、お粗末。