「あ゛ーつまんね」

ジュダルが言う。

「はやく先に進んだほうがおもしれーのに。足手まといのガキなんかつれてくるからだ」

白瑛はこたえない。

「俺ひとりいれば問題ねーつってんじゃんさァ」

白瑛はこたえず、疲れきって膝で眠る青舜の肩へ羽織をかけなおした。






ヒカリゴケが、暗い迷宮「パイモン」の一角をホタルのようにか弱く照らす。
白瑛は膝を貸していることもあってじっとしているが、ジュダルはそのまわりをぺったらぺったら素足をならしながら落ち着きなく歩き回っている。
返事がかえらないことにしびれをきらして、白瑛の目の前に仁王立ちすると

「なんとか言えよなー!」

と声を張りあげた。
白瑛は唇の前に人差し指をたてた。青舜が眠っている。
ジュダルはいや〜な顔をした。

「つっまんねー」

ジュダルは迷宮の壁を背にして腰を下ろす。
投げ出した足をジタバタさせてすぐに退屈を訴えた。
白瑛は、道中ひろった先人達のメモが書き込まれた迷宮の地図をながめ、そんなジュダルには目もくれない。
無関心ぶりにジュダルの苛立ちは高まっていく。

「俺は白龍連れてこよーと思ったのに、なんでおまえが来んだよ。まあ、おまえでも大丈夫なんだけど、俺としてはもっと黒いほうがなんつーかこう、いいんだよ」
「弟はまだ幼い」

自分で話しかけておきながら、返ったことにジュダルはぎょっとした。
白瑛は青舜を起こさない声で続けた。

「マギよ。白龍はわたくしのたった一人の家族です。どうかご容赦いただきたい」

ジュダルは神官として、煌帝国の人間が迷宮へ入ることを提案し、現王とそれが再編した議会は諸手を振って賛成した。
行ったきり誰一人戻ってこない迷宮。
邪魔な先王の子を葬るのに、これほど都合のいい場所はない。
ジュダルは系譜云々には興味がなかったようで、頭の後ろに手を組んで「ふうん」と返した。

白瑛の目は地図へ注がれている。

「・・・そんなん見ても無駄だぜ?」
「そうでしょうか」
「それ書いたヤツはここを攻略できなかったんだからな」

声のボリュームが落ちていたからか、しゃべったジュダルがたしなめられることはなかった。けれど相変わらず白瑛の目がジュダルへ向くこともなく。

「そういえば、そうです」
「俺がいりゃあ目ェつぶってたって攻略できんの」
「ここはなんと読むのかしら」
「聞いてねーし」
「マギよ。読めますか。文字が震えていて」
「あ゛ー?」

ジュダルは地図を白瑛の手からひっぺがして眺めた。
手書きの地図に書き込まれたメモは、迷宮の深部へ近づくほど字が震え、弱り、最後のメモはふとく、赤茶けていて、指で書いた血文字のようにさえ見えた。
ジュダルは眉根をひそめて難しい顔をし、「あー」とか「うー」とか唸ってあごをひねった。かと、思えばパッと投げ出す。

「わかんね」
「そうですか。偉大なる創世の魔法使いといえどなにもかもをご存知と言うわけではないのですね」
「ちげーよ。地図なんか見なくても行き先はわかる」
「いまわからないと」
「字よめねーもん」

ジュダルはふてくされたように壁の天井へ目をそらした。
振り返り、白瑛は大きな目をぱちくりした。

「書くことは?」
「必要ねー。つか、人間の書く文字とかいちいち覚えなくても俺様はさァ」
「これは読めますか」
「あ?」

白瑛はおもむろにジュダルの手をとり、手のひらに指で線をひいた。

「・・・?」
「わかりますか」
「・・・ヒント」
「二文字です」
「ケツ」
「”マギ”です」

はあ!?とジュダルは顔を歪めた。

「わっかんねーよ!卑怯おまえ、もう一問、リベンジ!」
「お静かに」
「りべんじ」と小さい声で言いなおした。

白瑛はもう一度ジュダルの手のひらに線を引いた。

「ちょっと待ておまえ。なげーなげー、線多すぎだバカ。ヒント」
「わたくし」
「ハクエー!」
「正解です」
「だろー!俺様天才!」
「お静かに」
「おれさまてんさい。次は?」
「では」

手に文字を。

「今度もなげーな。あ、わかった、おまえの名前の次だから俺の名前だろ」
「いいえ」

まだ、白瑛はジュダルの手のひらに文字を書き続けているというのに、ジュダルは勇んだ。

「じゃあそいつだ。そいつの名前。名前おぼえてねーけど」

眠る青舜を指す。
もはやただの連想ゲームだ。
もとより、文字を知らないのに手に書かれた文字をあてる遊びなど成立しない。

「いいえ」
「白龍だ」
「はずれです」
「パイモン?」
「不正解」

ジュダルはむっとして白瑛のことを卑怯だと糾弾し、答えを言うよう求めた。
白瑛は微笑んで

「”帰ったら文字を教えます”。そう書きました」
「なっげ!文章じゃんそれ!無理だバカ!」
「おしずかに」
「ぶんしょーじゃんそ・・・れ?」

静かに言い直していたジュダルは、手にかかれた文章の意味にいま、気づいた。
白瑛が何も言わず笑ってこっちを見ているから、きゅうに居心地が悪くなって、地面に向かって

「むりだばか」

とちいさく言い直した。
うつむき垂れた前髪で、偉大な魔法使いのこそばゆさは隠しきれたろうか。






やがて白瑛は迷宮パイモンを攻略し、ジン、そしてジンの金属器、眷属器をたずさえて帝都に帰還した。






帰還から三日過ぎた正午前、ひとり執務室で筆を執っていた白瑛の背後の窓にマギが来た。
どこからぶら下がっているのか、窓から見える顔は逆さまである。
逆さでもわかる、ずいぶん不機嫌そうな顔である。
どんな恐ろしいことを言うかと思えば

「字ィおしえろ」
「え」と驚く。
「おまえが言ったんだ」
「ああ」と思い出す。
「てめっ忘れてたな!」
「忘れていました」と笑う。

なるほど、神官殿は白瑛が思うよりずっと、文字が読めないことを気にしていたらしい。

「笑うんじゃねえ!おまえが言ったくせに」
「すみません、神官殿。ほんとうにそう。わたくしがいけませんでした」

逆さになっていたせいか、顔が真っ赤になって「わ、笑いながらあやまんじゃねーよ!」という悪態を最後に、創世の魔法使いは地面に転がり落ちた。







内庭の池のそばが学校となった。
小枝を池の水にひたしたものが筆で、砂を敷いた地面が紙だった。

「なにから教えましょうか」
「まずは俺様の名前に決まってんだろ」
「マギは、こう書きます」
「そりゃ名前じゃねえ、俺の名前はジュダルだろうが」
「そうでした。マギや神官殿とばかりお呼びしていたから、ごめんなさい。ジュダル・・・じゅだる、じゅだる」

白瑛は頭の中で音にあてはまる文字をさがした。
水でぬらした小枝が砂をかく。



呪駄留



書いてからチラとジュダルの表情をうかがって

「お、これがジュダルって読むのか」

と嬉しそうなジュダルの顔を見た途端、白瑛は文字をぐしゃぐしゃにつぶした。

「違うのかよ」

落胆するジュダルの横で「樹太龍」とすばやく書き直した。

「おー、右の字線多くていいな。ぜってえ書けねえけど」
「白龍も同じ字を遣います」



樹太龍
白龍



「左のなら書ける気がしてきた」
「左はハクと読みます。私も同じ字をつかいます」



樹太龍
白龍
白瑛



ジュダルは文字をじっと見ながら興味深そうに「ふうん」とうなった。
迷宮のなかで興味なくこぼれた「ふうん」とは色が違う。

「おまえのなら簡単だから書ける気がしてきた」
「うれしいことです」
「バッカじゃねえの。おまえは名前までカンタンな女だってバカにしたんだっつの」

ジュダルはくるりと踝を返し、軽やかにどこかへ歩いて行く。

「どちらへ」
「飽きたー」
「続きが」
「こんど」

身勝手なジュダルに池のそばへ取り残され、白瑛は「こんど」など永遠にこないのだろうと思っていた。



ところがすぐ来た。
翌日だ。
正午前、窓から逆さまに「字ィおしえろ」

それがなんと数週間も続いた。



ジュダルの授業態度は基本的に不真面目だ。
先生役の白瑛にもたびたび罵声が浴びせられる。
しかし白瑛はたいして怒らなかった。
「バーカ」とか「ブース」とか「ウンコ」「チンチン」、そのレベルの罵声だったからだ。
そして、どれだけ悪態をついても次の日の正午前には必ず窓から逆さまに「字ィおしえろ」とやってくるのが微笑ましくて、いつのまにか怒れなくなってしまったのである。

「昨日のおさらいからいたしましょう。まずは、”白龍”を書いてみてください」
「こういう顔だ」

ぬらした枝の先で白龍の顔を上手に書いて見せるジュダルに

「神官殿は絵が得意でいらっしゃる。では文字で」
「つまんねー」

悪ふざけを白瑛に一蹴されるのはもう慣れたもの。ぶつくさ言いながらも、ジュダルは地面に線を引き出した。



白瑛は、会った時から、この、祖国をおかしな方向へ導こうとする得体のしれない魔法使いを警戒していた。
いまとて完全に警戒を解いたわけではないけれど、このひと時はすっかり楽しいものになってしまった。

「土遊びとは・・・高尚なご趣味で」

聞こえるか聞こえないかの小声が耳に届く。白瑛は拳を握りしめ、しかし振り返らなかった。
二人が授業をしていると時折、近くの渡り廊下を官吏たちが通りかかる。
袖の奥であざけり笑い、通り過ぎる。
迷宮から「帰還した」先王の子は、王宮では迷宮から「戻ってきやがった」先王の子として余計に疎まれた。
有識の大人たちの嫌がらせはヘンに子供じみて陰湿だ。
白瑛はじっと土を睨んだ。背に、大きな闇が乗っている気がした。

「おい!聞いてんのか」
「え」
「書けたっつってんだろ。丸つけしろ」

ジュダルは小枝で、文字の書かれた地面をツンツンした。
黒くて重たくてぐちゃぐちゃした闇が遠ざかる。
白瑛ははたとまばたきして、地面を見直した。

「・・・”白”が上手です」
「だろ?天才だなァこりゃ」
「”龍”が下手です」
「うっせえ」
「けれど”白”はとても上手です」
「だろー?さすが俺様だ」

次に”ジュダル”と書かせたら書けなくて、”白瑛”と書かせたら白は上手かった。瑛の字が下手だった。
いつだか”白瑛”の文字はカンタンだと豪語していただけに、ジュダルは
「明日はこうはいかねえぞ。俺の超進化にビビらせてやるかんなバーカ!」
と悔しがった。

「楽しみに待っています」

白瑛はわらった。

「楽しみにすんな!なんかムカツクからっ」
「では、首を洗って待っています」
「おっ、うん、それならいい。最初からそういうふうに言やあムカツかねえんだよ」

ジュダルは満足そうに笑った。
楽しかった。












正午前、窓から逆さまに顔を出したジュダルは空っぽの執務室を見つけた。













白瑛は遠征の将に任じられ、今朝発ったという。
有力な先王の系譜を朝廷から遠ざけるのは定石だ。
出立式は略式、白瑛率いる先発隊は朝霧にまぎれ、葬列のように都をはなれた。という。



ジュダルは土を焼いた。
ひとけのない、くもの巣がはる土蔵の裏手の土だ。
「白瑛」「白瑛」と、隠れてたくさん練習した土だった。

超進化で

ビビらせる

ための・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・焼いた



焼いた
焼いた
焼き尽くして踏んづけて蹴飛ばしてまだ火がくすぶってるところがあって火傷して、腹立ってまた踏んづけた。


ゼイゼイと肩で息して立ち止まり
焦土のうえ

「あー・・・つまんね」

うつむき垂れた前髪で、偉大な魔法使いの噛んだ唇は隠し切れたろうか。












***



時は過ぎる。

バカと姫君と従者の三人がバルバッドの都を、お忍びで散策していたときのこと。
せっかく早くついたのに、バルバッド王宮の来賓宮殿に泊まってはつまらない。三人は高級ホテルに泊まることにした。

「では、こちらにみなさまのお名前をご記帳ください」

ホテルの従業員は丁寧な所作で宿泊台帳を開いた。

「書いといて頂戴」

紅玉姫君は従者・夏黄文に指示をした。
しかし、夏黄文の両腕は道々で買い物をしまくった紅玉の荷物でふさがっている。

「じゃ、書いといてくださる?」

紅玉は手ぶらで暇そうにしているジュダルに振った。

「俺かよ。ババア、俺様が誰だかわすれちまったのか?ああ、そうか歳だからか。じゃあ仕方ねえな。書いてやるよ」
「うっさいわネ!」

夏黄文は「申し訳ありませんがお願いします」と言ったあとに「偽名で」と耳打ちした。

「うっせーな。わかってるっつの」

ヘタクソな持ち方で筆を握り、ジュダルが台帳名前を書いていく。
台帳にこれでもかというほど顔を近づけ、普通の人が書くよりよほど時間をかけて書き終えた。

「おしっ、できた」

紅玉は、ジュダルが筆を持つ姿が珍しくて
夏黄文は、このバカ神官がうまいこと偽名を使えるのか心配で
宿泊台帳を覗き込んだ。



「・・・ねえ夏黄文、どこからツッコめばいいのかしら」












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