「ドラコーン将軍」

ある夕暮れのこと、銀蠍塔と黒秤塔を結ぶ渡り廊下でうしろから声がかかった。である。
城下の集会場で授業をして戻ってきたところなのか、教材の詰まった大きなカバンを抱えて、こちらへ早足してきた。
ドラコーンは取り巻いていた武官らに先へ行くように促し、が追いついてくるのをその場で待った。
「どうされた」
「お呼び止めして申し訳ありません。その、相談にのっていただきたいことがあるのですが」
近々時間をもらえないだろうかと頼まれ、ドラコーンは二つ返事で相談役を承知した。
断れようはずもない。
彼女には普段から文書資料の翻訳や諸外国との書簡のやりとりで世話になっているし、なにより、かつて軍船に無断で乗り込んだこの人に制裁を加えたことを、誠実で実直な男はいまだにすまなく思っていたのだ。



またある夕刻、
「ヤムライハ」
黒秤塔を出ようとしたヤムライハが振り返った。見れば時間割りの都合で六時間ぶっ通しで講壇に登っていたである。おでこは少しテカっていて、声はかすれていた。
「相談って、わたしにですか?様が?」
ヤムライハは魔術師の模範として若いながら教壇に立つこともあるのだが、そういう日は必ずといっていいほど、うず高く本が積み上げられた薄暗くて狭い教員室で恋の愚痴や、褐色の友人の悪口などを散々に垂れ流していた。しかし先生のほうから相談、というのは思い返してみても初めての出来事である。
魔法のことならいざしらず、大人の女性の相談にまともに受け答えできる度量に自信はなかったが、断れようはずもなかった。



またまたある夕刻、
「ジャーファル」
振り返ると、むかし自分が贈った大きなカバンを抱えて王宮へ続く坂からずっと走ってのぼってきましたというような、息を切らせ汗の光るの姿がある。いかな大事かと、ジャーファルはさあっと青ざめ、持っていた書簡を一斉に廊下に落として全速力で駆け寄った。






「おまえもか」
「え」
ジャーファルが、から妙な相談があったことをシンドバッド王に打ち明けると、シンドバッドは執務卓で深い深いため息をついた。
様は他の方にも相談を?」
「ああ。ドラコーンとヤムライハにも同じような事を聞いてまわっている」
聞けば、はこの三名に「どうしたら戦えるか」を相談しているというではないか。報告してくれたのがこの3名だっただけで、実際には他の者達にも相談しているかもしれない。
どうしてと理由を尋ねると「強くなりたい」と、東欧の神話ドラゴンボールの主人公のようなことを言うらしい。
事情を聞くため、シンドバッドはドラコーンとヤムライハを呼びたてた。

ドラコーンは「その体格で隻腕というハンデもあるあなたが今から武芸を学ぼうとするのは容易なことではない。体格の有利不利がない魔法使いに相談してみてはどうか」と真面目にアドバイスをした。

ヤムライハは「様の魔力の量はどちらかというと魔法使い向きではあるけれど、生命維持のほうに使われているから魔法を使おうとすれば命が危ないわ。左腕の血の流れが古い医療術式で変えられているの。でもジャーファルさんの武器なら小さいから女性でも扱いやすいんじゃないかしら」とアドバイスした。

ジャーファルは「私の武器は見た目より案外重いので様には扱えないと思いますよ。ピスティのように笛で動物を懐柔するというのが危なくなくてよいのでは」

執務卓に筆をおき、シンドバッドは頭を抱えた。
「あいつ、なんで戦おうとしてるんだ」
「シンは相談うけていないんですか?」
「・・・」
下を向いて黙り込んでしまったのを見おろし、ジャーファルは袖の下でガッツポーズをした。
王は机に向かってボソっと言う。
「俺は・・・ピスティのあとくらいに相談されるに決まってる」
「そんなことより」
「そんなことよりィ!?」
いきり立ったシンドバッドを無視してジャーファルは本題を切り出した。
「なんで急に戦おうと思ったんでしょう」
「おぬしが怪我ばかりして帰ってくるから自分が盾になろうとしているのではないか。そう思ってあえては聞かなんだが」
「え、うそ、マジで!」
感激のあまり口元を手で覆い目を潤ませて、シンドバッドの胸はトゥクンと高鳴った。
「私はてっきり、紅玉姫との例の件が人づてに伝わって、シンドバッド王と刺しちがえようとしているのかと」
「え、ええぇ…?それはまずいぞ、絶対しばらく口を聞いてもらえないパターンだ。あと、ヤムライハが俺と刺しちがえさせようとしてジャーファルの暗殺術のほうを勧めたのも合理的すぎて王様はショックです」
シンドバッドは再び机に深くうなだれた。
「い!いえ!今の話は私の勝手な想像ですので、けしてそういうつもりでは。あ!ジャーファルさんなら聞いていらっしゃいますよね!いつも私たちが何かお願いすると、なにがあったんですか、どうしてですかって必ず聞き返しますもん、さすが敏腕政務官様っ」
「いえ、実は私も聞いていないんです」
「謎は深まるばかりだな」とため息をおとしたシンドバッドの横で、ジャーファルはこっそり、少年のように唇をとがらせた。
ジャーファルは政務に携わるものとして頼みごとや相談事をうけたならその問題の本質を見極め、理にかなった諾否を定めねばならない立場である。心がけはいつのまにか癖になり仕事のみならずごくプライベートのささいな会話でもその癖が出てしまうようになっていたほどなのだが、に相談を持ち掛けられた誇らしさに心が躍り、興奮しすぎて、ただただあなた様の頼みごとをかなえたいと、そういう頭になって聞き忘れたとは、この場では口が裂けても言いたくないことだった。






カラン、とむなしい金属音が銀蠍塔の屋内訓練場に響いた。
休む日は休む、というドラコーン将軍の教えが浸透しているため、休息日にこの場所を利用する者は稀である。
「あの・・・言っちゃ悪いかもなんですけど」
訓練場にはシャルルカンの姿がある。
「やっぱ様に剣術は厳しいんじゃないかと。護身用くらいならまだしも、戦うためのってのは・・・」
沈痛な面持ちでさきほど手からこぼれた短刀をひろうを見、シャルルカンは自分がとんでもない悪者になった気分を味わった。ピスティのやつ、なんで剣術なんかすすめたんだよう、と心の中で毒づく。
「あの、その、か、片手だからとかそういうことじゃなくて、ほら、様は先生が本職じゃないですか。王様の冒険書を翻訳したりして、あ!俺もあなたがエリオハプトの文字に翻訳したやつであれ読んだんですよ。だ、だからその、そっち方面にすごいのに、こっちにまで頑張ろうとすると、その、なんというか」
「シャル」
「ご、ごめんなさい!」
「シャルルカン」
両手を顔のまえにやって守って怯えるシャルルカンに、は借りた短刀を静かに鞘におさめて差し出した。
「あなたの言うとおりです」
落ち着いた声音に、シャルルカンは腕カードをゆるめた。
「あなたが剣で戦い、ヤムライハが魔法で戦うように、私は私にできることをより研ぎ澄まして戦うべきでした。あせって、方法を間違えてしまったようです」
シャルルカンの手に短刀がそっとのせられた。
対比したとき、の指はピスティのそれに似ているとシャルルカンは思った。指だけではない。体つきがちょっとおかしいのだ。14,5歳のできあがりきっていない骨格のまま、中身だけ大人になったような、頼りない感じが否めない。いつも裾の豊かな装いをしているのは、もしかしたらその体つきをカバーするためなんだろうか。
「この身にできることに力をそそぎましょう」
かなしみをいなして平気に笑う姿は大人で、でもシャルルカンだってもう、そこそこ大人で、ひとりになったら思いどおりにゆかない体に、自分のふがいなさに泣くんだろうなと、そう思った。
励まさなくては。
「あ、あの!」
男のプライドが疼き出す。
「俺の友だちが、もう帰っちゃったヤツなんですけど、様のこといい先生だって、だからシンドリアいい国だって言ってたの聞いたことあって、だからっ」
「ありがとうシャル。そう言ってもらえると嬉しいわ。せっかくの休日にごめんなさいね」
「へ・・・や、全然」
男のプライドはフルスイングで空振りした。
「お詫びに約束のとおり、黒秤塔の女の子たちに合コンの誘いをしますから」
「よっしゃー!」
男のプライドなどパッと忘れてシャルルカンは大理石の床で飛び跳ねた。
様来ますか?来てくれますよね?ね?」
詰め寄られてはクスクスと苦笑した。
「私は行けないわよ、若い子同士でいってらっしゃい」
「えー様も来てくださいよぅ、うちの連中知的美人に弱いんでもうすげえ人気なんですからァ」
「ではヤムに声をかけましょう」
「あいつは絶対声かけなくていいんで!様ァ行きましょうよお、ね、ね。ほら、行く人ォ、ハーイ、ハーイ、ね?」
「はーい」
と地を這うような低い声がした。
屋内訓練場の扉が細く開いていてその隙間から王様がすごい形相でこちらを見ていた。













「では、聞こう」
屋内訓練場からしょっぴいてきたを王様の寝台のうえに正座させて、その前をうろうろ腕組みして歩いていたシンドバッドがピタリと立ち止まった。
を寝台に、自分が扉に近いほうを陣取っているのは、ヤムライハが言ったように万が一、例の煌帝国滞在中の手籠め未遂事件のことでがいまだかつてないほど怒っている場合に備えてのことだ。あるいはドラコーンが言ったように戦い傷ついた俺の力になろうと、そういう健気な想いが根底にあった場合に、すぐさまベッドインして愛をさらに深め合うためだ。
「なぜ戦いたいなんて言い出したんだ」
長い睫がふっと下へ向き、口をつぐんでしまった。
こうなっては早々弱ってしまう。逃走経路の位置関係もすっかり忘れてシンドバッドは寝台のそばにひざまずき、の手を取った。
「危ないことはしないでおくれよ。君の体も心もずっと大丈夫でないと俺が困るもの。血を見るのは残念ながら慣れているけれど、君の血だけはだめなんだ。ペンの先で指を刺したくらいの血でも見た途端俺はひゅっと全身冷たくなって、動けなくなってしまうんだからね」
そう言って指の先に口づける。
「…三つ」
見上げた。
「三つ理由があります。ひとつ目は、この前ジュダルが空を破ってこの国に入ってきたときです」
はぽつり、ぽつりと話しだした。
「大きな振動があって、警邏隊の大鐘が報せて、女官たちもみな不安な様子でした。そのなかで私だけが駆けつけた武官の手で、紫獅塔の最奥の、見たこともない石の部屋へ押し込まれました」
「ああ」
「二つ目もそう、アリババ君たちが戻って来た宴の夜に、またあの部屋に。あの部屋はとても静かで外で何が起こっていてもなにもわからない。出してもらえたあとも、シンドバッド、あなたが怪我をしたと聞いたのに、ジャーファルがお見舞いに行くのもダメだと言うの」
手がすりぬけたのを、シンドバッドは追いかけなかった。守られるだけではイヤとわんわん泣くようなそぶりはなくて、落ち着いた声音と表情がいっそ泣かれるよりシンドバッドの胸に迫った。
「すこし、くやしい思いです」
けれどみんなを付きあわせて迷惑をかけてしまったと、苦笑した。
こちらが見ていると気丈に笑うから、シンドバッドはに背を向けて寝台に腰かけた。
背に声を聞く。
「あの命令を解いて」
「いけない」
「…」
「君が怒ったって、解かないよ」
言葉の代わりにのひたいが背にあたった。甘えられたって、すごくエッチなことさせてくれるって言われたって、こればっかりは解くわけにはいかない命令だ。おでこ、熱いなあ。
いやあそれにしても、八人将のみなには、想いあう俺たちの愛ゆえのすれちがいで手間をかけさせてしまったわけだ。今度酒でも奢ろう。
シンドバッドはなんともあたたかい気持ちで、ついでに体もぽっぽしてきて、体の向きをかえ、に口づけをおとした。
不安定な体を支えながら、ゆっくりと寝台に横たえる。
「待って」
今まで真面目な話をしていたせいか恥らって、胸に差し入れようとした手が襟を固く結ばれ拒まれた。興奮する。
「待って」
「待てない。ああ、、かわいい。好きだよ、たまらない」
無理やりに胸に顔をうずめるとの右腕が頭を抱きしめてくれた。
俺たちの熱い夜はこれからだ!
きれいに暗転しかけた流れが
「三つ目」
のやわらかな胸を通じて聞こえた暗い声音を以て一旦止まった。
シンドバッドはおっぱいに顔を挟まれた幸せな体勢のまま、そういえば三つ理由があると言っていたのをどうでもよく思い出した。
「煌帝国の姫君と」
やっばい!
「この前、変身…ええと、魔装?というのだったかしら。ジンの精霊の恰好で戦っていたでしょう」
「へ?そっち?」
「え?」
「いや、なんでもないです。続けて」
とりあえず様子見だ。
シンドバッドはおっぱいに挟まり続けた。
「とても楽しそうでした」
「…もしかして、それでやきもちを焼いたのかい?」
「…」
「あー…なるほど。だから自分も強くなって俺と楽しい事したかったわけだ。納得した。すごく納得したぞ。、君は本当になんてかわいいひとだろう。わかった、今夜は俺の持てるすべてのテクを総動員して君のキュートなやきもちが燃えカスになるまで愛してしまうからね。覚悟して」
頭が動かない。
の手が片手なりに力強く俺の頭を抱いているからだ。愛の力だ。
首に力を入れて引っぺがそうとしてみるが、やはり動かない。
「だから私、マスルールに聞いたの」
「え?」
「あの人は誰ですかと。そうしたら、王様が手を出した煌帝国のお姫様ですと言うではないの」
頭が動かない。
それどころかますます強く後頭部から押さえつけられた。
「詳しく聞いたら、煌帝国で裸で同じ寝台で朝を迎えたと、言うではないの」
「ふ、ふご」
違う、違うんだ誤解だマスルールのヤツが大事なところを端折って説明しただけで、と言い訳の口がきけない。それどころか息すらできない。もがきたいが変にもがけばを叩いてしまうことになる。窒息寸前のところで力が急に緩んでシンドバッドは「ぷはぁ!」と息継ぎに顔をあげた。
「だから私、マスルールに筋トレメニューを作ってもらって、もう、片手で腕立て伏せもできるようになったわ」
「え?え?ええ!?」
の右手が横へ大きく振りかぶり、はらりとめくれた袖から筋肉のすじがくっきり入った腕が一瞬見えた。あとの顔がめちゃくちゃ怒ってる。
「シンドバッドの、バカー!」






口を一切きいてもらえなくなってから一週間後、無事に誤解は解けたが、案外筋トレにはまってしまったは個人的にトレーニングを続けていた。仲直りの夜に腹筋が割れはじめているのを目の当たりにした王様が、筋トレ禁止令の草案を議会に提出し、朝議を混乱させることになるのだが、それはシンドリア議事録から黒塗りにされ永遠に世に知られることはなかった。




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