「こら、シェハラザード。そんなに胸を押しつけると変な気分になってしまうよ」
流し目した王が言う。
王のかたい背に強く押しあてられた胸はやわらかに形をかえていた。
シンドバッドにたしなめられるとシェハラザードはその背でうごめいて、よりいたしやすい位置へと体勢をかえた。しかし結局のところはいっそうシンドバッドの背に体をおしつける形になって仕舞う。
「みなが見ているというのに」
たしなめるにしては唇のはしが笑みをたたえている。
「俺は何もしない。君が頑張りたまえ」
シンドバッドはたどたどしいシェハラザードの指をじっと見下ろすに徹した。
だがある地点でピクリとその体が震えた。
「ぁ・・・、いい」
視界を奪われたシェハラザードは、手の感覚で硬質のそれを認めた。
「そのまま握りなさい。・・・握って。そう」
シンドバッドとシェハラザードが披露しているのは二人羽織である。
そしてこれは、新年の祝いの会である。
その四次会で王宮に戻ってきた八人将、王様とそして王様が「内輪しかいないから」と無理やり呼び出したシェハラザードが集まって、楽しく一発芸大会が催されているのだ。
最初のうちシェハラザードは決してノリ気でなかった。
王と八人将たちは四次会に至るまでにすっかりできあがっており、マスルールにいたっては胎児の形になって酒瓶の散乱する床で眠っている。とてもではないが、シラフから彼らのテンションにもっていくことはできない。逃げようと扉へ向かったところ、彼女を追い越して扉へ駆け寄ったシンドバッドが「よいしょー!」という掛け声とともにドアノブをへし折ったのは記憶に新しい。
ゾッとするその行いに八人将がドッと笑ったのを聞いたとき、シェハラザードは(これは諦めと覚悟のとき)と腹をくくったのだった。
あと、明日から一ヶ月はシンドバッドを完全無視するという決意も腹にくくった。
さて話は戻り、シンドバッドとシェハラザードが披露しているのは二人羽織である。
シェハラザードが後ろで食事をさせる係り、シンドバッドが指示と食べる係りだ。
隻腕のハンディに加え、シンドバッドの不適切で不埒な指示がしばらく続くと、食べ物をシンドバッドの口に運ぶどころか食べ物がどこにあるのか見つけることすら思うようにいかない。
やきもきしていつのまにか必死になっていた。
シェハラザードのフラストレーションと反比例してシンドバッドは喜んだ。
「なあみんな、これうちの国技にしたらどうかな」
バッ、ガゴンッ!
と木卓が真っ二つに折れたような音がして皆が振り返ると、ジャーファルの前の木卓が真っ二つに折れていた。
「ジ、ジャーファルさん、落ち着いて!」
「あれただの宴会芸だからっ!ただの二人羽織だから!!」
ヤムライハとシャルルカンが必死になだめにかかったがせんなきこと。彼は目の前で”シェハラザード様”を辱められて黙っていられる男ではない。
痩身におさまりきらなくなった怒気が視認できる黒煙となってジャーファルの頭巾を揺らしていた。
無言のジャーファルがヒナホホからジョッキを奪ってグビーーーッ!とイった頃、シェハラザードの手がようやくはじめて骨付き肉を掴んだ。
「ああ、とれた」
ほっとしたような声が羽織のなかからシンドバッドの耳に届いた。
「そう、それ・・・シェハラザード・・・んっ、とても上手だよ」
おっかなびっくりに近づいてくる艶めいた、肉
「俺のお口、いれて」
はっと熱い息をもらした口を開けっ放しにして、舌でとろける肉を優しくねぶり獣のように食いちぎってやる瞬間をたのしみにシンドバッドは目を閉じた。
ザク
と骨付き肉の骨がシンドバッドの鼻の穴に突っ込まれたような音がしたかと思うと、骨付き肉の骨がシンドバッドの鼻の穴に突っ込まれていた。
「ギャハハハハ!ざまあみなさい!ざまあみなさい!」
ジャーファルは分を忘れ腹を抱え木卓の残骸をバシンバシン叩いて、四つん這いで鼻血を流す主の姿を嘲り笑った。
(((あ、だめだコレ完全に酔ってる)))
と周りが引いたことなどどこ吹く風。
「血が・・・!シンドバッドごめんなさい、大丈夫?」
鼻血を見てやりすぎたことに青ざめたシェハラザードは、四つん這いで打ち震えるシンドバッドの背を何度もさすった。
その手が不意にぐいと持ち上げられる。
シェハラザードが振り返ると、そこに立っていたのはジャーファルであった。
「ジャーファル、申し訳ないのだけれど清潔な布はありますか。鼻血がとまらないみたいで」
「・・・・・・ヒッく」
一度しゃくりあげたきり、ジャーファルから返事がない。
目はとろんとしていて、官服はくずれ、頭巾はどこで落としたのだろうか。
不審に気づいたシェハラザードが首をかしげたときには手遅れだった。
「ジャーファル、あなた酔っ」
ジャーファルはさっと官服帯をほどいた。
「二ばん、ジャーファル、ににん羽おりヤリます」
シェハラザードの頭から羽織をかぶせると、シェハラザードを後ろに置き自分の体とシェハラザードの体を帯でくくって着座した。
「なにをしているの、ほどきなさい」
「いやです」
「ジャーファルっ」
「いやです!」
必死な声が冷たいの床に向かって放たれた。
「どうかお許しください。お情けを・・・どうか、どうか・・・どうか・・・」
声は消え入る。
か弱く
まるで泣き声。
ジャーファルの背、羽織のなかのシェハラザードがきゅうに大人しくなった。
「あらら、シェハラザードさま、ほだされちゃったね?」
「かまわんさ」
ピスティの横にいつのまにか復活していたシンドバッド王が立っていた。
「え、いいんスか王様。あのくっつきかたは絶対ジャーファルさんなにかしら楽しんでますよ?」
「シャルルカン、俺がそんなに器の小さい男だと思うのか」
シンドバッドは嘆かわしくかぶりをふってから、手をすいと差し伸ばした。
「やるんだシェハラザード!ジャーファルにココナッツミルクを飲ませてあげなさい。ジャーファルは疲れているから甘いものが体にいい!」
見守る八人将に戦慄がはしった
スパルトスはおぞましい結末を予見して口を覆う。
シャルルカンは持っていたグラスを手放して王の腕にすがった。
「王よ、偉大なシンドバッド王!お慈悲を!食べ物ですらこうなのに飲み物を召せと・・・!?」
王は石像のごとく答えない。
ちなみに「こうなのに」のところでシャルルカンは王の鼻につまったティッシュを差した。
「そ、そんな・・・」
シャルルカンは男の嫉妬の醜さに顔を歪めた。
「王よ。そもそも二人羽織には両手が必要だと知っているうえでの仰せなのですかっ」
スパルトスが加勢する。
「二人羽織では片手で物を掴み、もう片方の手で相手の口を押さえるのが基本の型。視界がない以上、そうして口の位置を把握しなくては勝負になりません。しかしシェハラザード様は隻腕!片手で物を掴んだとして、それを食べさせるべき口がどこにあるのかあたりをつける方法が無いのですよ!?それを知ったうえでのご下知とっ・・・!?」
王はやはり石像のごとく答えなかった。
「むごいことだ」
ドラコーンは諦めるように呟いた。もはやなにを言おうと王の意思は揺らがない。
「ジャーファルさん、気をつけてっ、それは罠よ!」
ヤムライハの忠告は、しかし自らの背に全神経を集中させているジャーファルの耳には届かなかった。
そうこうしている間にシェハラザードの手がココナッツミルクの入ったグラスを掴むことに成功した。
彼女に咎があるとすれば、グラスをうまく掴めた喜びで意識がそれてこの異常な状況を自身に問いかけるのを忘れてしまった事にほかならない。
「どこまで上げればいいか教えてくださいね」
「シェハラザードさま、もっと」
「上?」
「もっと、もっと」
もっと上と言われシェハラザードが懸命に腕をのばしたとき、ジャーファルの夢が背中にやわらかにぶつかった。
「あっ」
とジャーファルが前かがみになっ
「ぶフッ」
見事、ジャーファルの端正な顔にココナッツミルクの入ったグラスが衝突した。
全てはシンドバッドの謀略どおりだ。
「ハハハハハ!ざまあ!ざまあ!」
シンドバッド王は小悪党のように笑った。
「ジャーファルっ、ごめんなさい、かかってしまった?」
感覚と音で何が起こったかを察知した。しかし、彼女が考えるよりもずっと事態は悪かった。
白く濡れたジャーファルの表情はまさに、
恍 惚
「は、ふ・・・」
白く、あまやかで、ぬめる液がボタボタとあごを伝っておちていく。
「シェハラザードさま・・・ひどぃ、れす・・・」
腹を抱えて笑っていたシンドバッドも含め、その場にいた全員が
(((アレやばい)))
とジャーファルにドン引いた。
彼を取り押さえるべきと長年の経験から判断しヒナホホとドラコーンが膝を立たせた。
これより一拍速くジャーファルは突然くくっていた帯をほどいて立ち上がった。
かと思うとシェハラザードの背後をとって自ら羽織をかぶり、シェハラザードの腰に腕をまわした。
二人羽織の前後を交代した格好に似ているがジャーファルの手は羽織の袖ではなくシェハラザードの腰にまわったのが違う。
シェハラザードの顔がみるみる青ざめていったので、羽織の中でなにが起ころうとしているのか、おおむね皆が察した。
「待てぇえええい!トウッ!」
「シン・・・!」
残像を残す速さでシンドバッドが推参した。
シェハラザードは心強い助けに思わず声をあげた。のに。
「・・・なにをしているのシンドバッド」
シェハラザードを助けに来たように見えたシンドバッドはいま、羽織のなかにいる。
シェハラザード・ジャーファル・シンドバッド)
の状態だ。
ジャーファルがハッと異変に気づく。
「な、なにしてんですか、シン」
「許さん」
「許さんって、股間を押し付けないでください、しかもあなたソレ、ちょっとなんでそんなになって、ちょ、さきっぽコラ!先っぽやめてください!やめろ!!」
ドラコーンはシェハラザードだけを引っぺがし、羽織のなかの男二人で繰り広げられる「あー!」な景色を見せまいと、自らディフェンスとなった。
宴もたけなわ、ヒナホホが膝を打った。
「これがほんとの一発ゲイ、ってな!」