□ □ □

付き合うことはつまりセックスするということだ。
俺にとってはそうだ。
鳳や忍足は反論して男の浪漫とやらを語っていたが、俺は少しだって共感しなかった。
セックスをして別れる、それを繰り返す。
感慨はあまり無い。
ここで、という女が居る。
まだセックスしてない。一般的に言うと、まだ付き合っていない。
女とセックスをするたび、思う。
"我を失いかけているこの女はじゃない"
そうしてひどく安堵し、連絡網で俺のひとつ前のあの女を思い出す。






胸いっぱいの愛を






夜の闇に
雨の音がした。
風の音がした。

台風が来るらしい。
テレビでは大型台風の接近を呼びかける番組が放送されていた。
台風は近いうちに関東に上陸するらしい。
沖縄あたりの中継でふっとばされそうなアナウンサーが何かしゃべっている。
台風が来たからといってなぜ台風の真っ只中で中継をしなければならないのだろうか。
チャンネルを変えるとドラマがやっていた。
見たことのないドラマだったが、とりあえずそこでチャンネルをかえるのを止めた。
ドラマを見ながら、明日台風がくるのか、と改めて思う。
外での部活は無理だろう。室内トレーニングはやりたくないが仕方無い。
学校は、休校になるだろうか。そうなれば部活も当然ない。



・・・連絡網は、



連絡網はまわってくるだろうか。
リモコンを放って急ぎ携帯を手繰り寄せ
再び天気予報の番組に切り替え
ふっとばされそうなアナウンサーを凝視。
携帯を握り締めながら
連絡網を待つ



来い

こい



やがて低い音で携帯が震えた。
画面に表示された名前を確認してから一度呼吸する。
4度目のバイブでとった。

「はい」
『あ、です。連絡網で、明日臨時休校です、って』

わかった
わかった
わかった
わかったから

「ああわかった」

別の話をさせろ

『私あした学校行かなきゃなんだよ、大変』

よし。

「台風んなか行くのかよ」
『そう。明後日までに提出しなきゃいけない書類があるんで。外部提出で期限厳守だから
行かないと間に合わないの』
「おまえチャリだろ?」
『…徒歩45分』
「それ無理だろ」
『無理じゃない。人間やろうと思えば出来ないことはないの。たまにあるけど学校行くくらいは
無理じゃないような気がするの!』

ムキになるなっつの。

『・・・跡部くんもしかして今女の人といっしょにいる?』

「女?」

俺はテレビでしゃべっている天気予報の女に気づいた。

「いねーよ。テレビの音だろ」
俺はテレビの電源をきった。
それから数学の試験範囲のことをすこし話してから電話は切れた。

ベッドにしずむ。



"女の人といっしょにいる?"



なぜあの女はそう尋ねたのか。
ひたすら考えていた。















□ □ □


予報どおり、翌朝、超大型の台風19号は関東地方を直撃した。
部屋の外は風と雨の音で騒がしい。

しっかりとネクタイを締める。
さっさと朝食をすませて車に乗り込んだ。
「台風の中も授業があるんですか」
滅多に口をきかない運転手が目を丸くして聞いてきた。
「部活の書類を仕上げに。明日の朝までに外部に提出しなければならない書類だから」

然様で、と運転手は微笑んだ。
感心している。
車中、俺は窓にたたきつける雨水をぼんやり眺めていた。


作業が終わったら連絡を入れると言い置いて車を家に返した。
唯一開放されている職員玄関から校舎内に侵入。
職員玄関は事務窓口に面している。
用務員の老父が窓口から俺を見上げた。

「おや。君はテニス部の」
「生徒会の仕事をしにきました」
「ああさっき会長さんが言ってたやつだね。会長さんも先にあがっているよ。君はテニス部だけ
じゃなくて生徒会もやってたんだね。そこのスリッパを履いてあがるといいよ」
「ありがとうございます」

会釈して、中央階段を昇った。













□ □ □

ナメクジが通ったあとのように、職員玄関から三階の生徒会室まで延々と
水で濡れた道筋ができていた。
ずぶぬれになって歩いてきたあの女を想像する。
きっと安っぽいビニール傘一本でやってきたのだろう。そしてその傘は家から
出て10メートルほどでひしゃげたにちがいない。生真面目なあの女は壊れた傘を
捨てることも出来ずに抱えながら来たに決まっている。

生徒会執行室に着く。


「・・・あとべ、くん」

着衣水泳でもしてきたような姿だった。
髪も制服も肌にべっとりくっついていて、昔話の幽霊のような形相だ。

俺が呆れ半分でじっと見ていると、は顔をひきつらせて笑った。

「持ってきた替えのジャージまで濡れちゃって」
の傍らにはひしゃげた傘があった。
「ばーか」
「ひど。それよりも、跡部君はどうしたの?まさか部活」
「の書類を書きに来た。明日までに提出だからな」
「なんだ、同じだ。よかったー、無人の学校にひとりってすっごい怖いよね。それにジャージ借りれるし・・・」
「嫌だ」
「ケ、ケチッ!跡部君ケチだよお金もちなんでしょう!」
「部活のしかねーし」
「部活の貸してださい」
「バカか。洗ってねぇんだぞ」
「このままでいるよりマシだよう。こうみえてすごい寒いんだから」

の奥歯はカタカタ言っていた。
唇をよく見れば紫だ。
俺は仕方なく了解して、連れ立って部室へ降りた。

唇をまじまじと見たのは失敗だ。
首のあたりがじりじりしてきたから。














□ □ □


非常口から部室までの10メートル、屋根のない場所を駆け抜けて中に飛び込む。

「おらよ」

ジャージを投げつけた。

「本当に貸してくれるの?」
「着るならさっさとやれ。洗って返せよ」
「はい!ありがとうね。では跡部君はちょっとのあいだ外に」
「出れるわけねぇだろ」
「た、確かに・・・。じゃ、あっちのほうを向いていて下さい、あっち」
は気不味そうにあさっての方向を指差した。
俺はに背を向ける格好で長椅子に座る。
「見たら100万円」
「バーカ、見ねーよ。人のモンかりてる分際で」
「・・・偉そうでごめん」
「まったくだ。さっさと着替えろ」








布がすれる音。

水気をたっぷり含んだ衣服が床に落とされる、音。


近い









・・・そういや、下着あんのか?
              さっき濡れたって。
ジャージの、 下
       待て!
 ここにくる時小さい袋もってたからその中に。
    そうか。
              なに考えてんだ

  ちきしょう





あちぃ・・・



















□ □ □


ジャージの上のジッパーをあける音がした。


「ねえ跡部くん。どうして居るの」

さぐる声音。
その問いにはさっき答えた。明確に。
部活の書類などありはしないけれど。

何故
今また


「さあな。当てろよ」


布のすれる音がぴたりと止んだ。
風も雨も音がとても遠くに聞こえる。


「あたしに会いに来た」


俺は振り返っ


「振り返ったらしばき倒すわよ」


もとにもどって座りなおした。
再び背後で音が動き始める。
布がすれる。

己の心情を明確に理解した。

おそらくも理解している。
言葉にしていいのか
俺は跡部景吾だ
あの、跡部景吾だ。
こっちから言ったことなんて生まれてきて一度もない
俺は言われる側の人間だ
もはや自然の摂理だ
宇宙の真理だ
この女は言うだろうか
言え
言わせるな
言え
はやく!



はっと気づけばは横に立っていた。
雨で濡れた頬をりんごのように赤くして、
俺のジャージを着て、目が合うと微笑った。

俺は立ち上がり、俺のジャージであるにもかかわらずそれごと全部を抱きしめる。
ひどく冷たいの肌を直接暖めるには至らなかったが、紫の唇はぬぐう。

外は台風
内鍵のついている部室も
無人の生徒会室も

無敵だ。





「・・・ふわ、あったかい」

うわごとのようにが呟いたことだけ覚えている。