跡部のカバンをひったくって

放課後の西日が差し込む教室まで全速力で走った。
スカートめくれるの気にせずに階段を三段飛ばしで昇った。
途中で携帯がポケットから落ちたけど、無視して突っ走った。

そうでもしないと、彼はあたしのことを目の端にも入れてくれそうにはなかったから。
幼等部はいる前からの幼馴染だけれど彼はもうきっとあたしのフルネームさえ
言えないに決まっている

ゼィ
ゼィ

ゲホッ
ゴホッ

ゼィ
ゼィ

教室についたときにはもうまともな呼吸もままならないくらいになっていた。
放課後の教室にはもちろん冷房の加護はない。
締め切られた窓もあいまって、サウナのようだ。
カーテンにしがみ付いてがくがく震える足で必死に立ち、窓を開けた。
風は温く、西日がまぶしくて顔をしかめるに留まる。

やってしまった

跡部びっくりしてたな
カバン、取りに来るかな
樺地くんに探させるのかな

私、足には自信があったんだ。
小学校からずっとリレーの選手やって
陸上部の子に勧誘されるくらい速いんだから

だから

だからさあ


「なにやってんだよ」


そんなに速く追いついて来ないでよ、跡部。

跡部は教室の入り口のところで、少し肩を揺らしている。
「樺地くん…は?」
「あ?ラケット持たせて置いてきた。つか、カバン返せ」
放課後。
誰もいない、西日の差し込む教室
跡部が進んできて、二人だけの影が机の影に紛れる
なんてロマンチックな

ゼィ
ゼィ

ゲホッ
ゴホッ

ゼィ
ゼィ

あたしの呼吸さえ落ち着いてれば、なんてロマンチックな・・・


「来るな!」


すごい剣幕で叫んだものだから、跡部は驚いた顔をして立ち止まった。
でもすぐに眉間に皺を寄せて、苛立ってる顔をする。

「お、怒るなァ」
「勝手なことばっかりいってんじゃねーよ」

来ないでってばっ
でないと、
あたしきっと、

「来ないれってばぁ」
跡部はものすごく怒った顔をして、ずんずん進んできた。

「っそれ以上来たら、落とすよ」

窓の外に、跡部のカバンを持った手を出した。
「ふざけてんじゃねーよ。オラ、返せ」
腕を掴まれた


「やっ!」


振りほどいて


ブン投げた。




三階から放たれた学生カバンは素っ気無い音を立てて、中庭に落下した。




「…テメッ!」

怒った跡部は拳を振り上げ、
叩かれるかと思ったら
なにかを投げた。



カシャン



窓の外を見下ろすと、そこにあったのは先刻廊下に落とした自分の携帯だった。
なんだか、割れているように見えるのは気のせい、ではない。


「なっ!なんてことすんのよ」
「先にやったのはおまえだろ」
「だからって、カバン壊れないけど携帯は壊れるでしょ!」
「俺のカバンがいくらすると思ってんだ」
「携帯のメモリ絶対消えたわよ!」
「入れなおせばいいだろうが」
「面倒じゃないないの」
「ここまで走ってきた俺のほうが面倒だ」
「だって跡部部活で走ってるじゃない」
「部活で走った後に走ったから面倒なんだよ!」
「なにそれ、ひ弱!」
「テメッ!」

取っ組み合いになった。
一進一退の攻防の末、頭突きをかましてやったら跡部が放れた。
「ってぇ……。石頭オンナ」
「バカアトベ」
「さっきからなんなんだよ一体。クソ…バカじゃねぇのオマエ」

なんで怒りながら、抱きしめるのよ

「泣いてんじゃねーよ」

キスまですんな
上手すぎるし
もっと稚拙なキスでいいのに
あのころのような触るだけのキスで
急激に熱がひいた。
汗が冷えてきた。
喉の奥にひっこんだ熱はそこでくすぶっる。
時折、くすぶりから溢れて言葉が漏れた。

ただ、息だけが漏れていたのかもしれない
それを跡部は、ガラに似合わず懸命に聞き取ってくれたのかもしれない
だから彼はこんなにあたしに顔を寄せているのかもしれない


「あとべ」
「んだよ」
「あんまり、あたしのこと忘れないでよ」

幼馴染なのは
小学生のときだけじゃないでしょう
大人になってもずっと、幼馴染でしょう
だめですか

「あとべ」
「ん」
「あたしのフルネーム、まだ言える?」

「よかった」

嬉しかった。

「昔、俺たちは仲良し二人組みだって、名乗ってまわってたじゃない」
「…」
「忘れた?」
「覚えてる」
「中学校じゃいわないね」
「言えるかよ」

さびしかった。

座り込んで、それでもまだ抱きしめて
あたしに視線は合わせずに
腕の中にあたしの身体を納めて
その腕の力強さに
また途方もなく跡部が遠ざかっていることを感じるのだ


西日はいつのまにかその色を薄めていた。
この色が消えて夜が来て
あたしが泣き止んだら
跡部は腕からあたしを放って
きっとそれで仕舞いだ。
あたしはもう永遠にこの男の幼馴染でいることはできない気がする。
”日が沈むまでの刹那的なピーターパン症候群”で一句できそう。
バカ自分。

別にこの男を愛してしまっただとかそういうことじゃなくて
・・・そうこともあるかもしれないのだけれど、ひどく怖いのだ。
今はただ、迫り来る少年期の終わりが怖くてならない。

幼馴染だから彼の泣き顔を知っていた
幼馴染だから手を繋げた
幼馴染だから気さくに彼に声をかけることが出来た
幼馴染だから遊ぶ時はいつも一緒だった
幼馴染だから将来は結婚しようと、秘密基地で誓い合った
幼馴染だから誓いのくちづけをしたのだ

「あたしのこと、もう幼馴染じゃなくてもいいから忘れないで欲しいよ」
「濃すぎて忘れらんねぇよ」
「嘘」
「そんなのにビビってたのかよ」
「ううっ」

泣くなってバカ、と跡部は云った。
云っただけだった。
面倒そうではなかったのが救いだ。
今、彼の腕にいる瞬間が幸せだと思えて仕方ないから浸れるだけ浸ろう。
どうせ終わりを避けられないなら、おもいきり楽しんでから甘んじて終わりを迎えよう。
跡部はぷいとそっぽを向いて、心なしか唇をとがらせて、愚痴るように

「つか、おまえが中学上がってから苗字って呼び始めたんじゃねーか・・・」

日が沈むよりもはやく終わりはやってきていた。終わらせたのはあたしだったのかしら。
跡部の顔は見えないけれど、彼の頬の熱を首筋に感じた。
そんな、恥ずかしそうに云わないで
返す言葉が見つからない。
せめて
日が沈む前にもう一回だけ言っておこうか
もうとっくに、間に合わないのかもしれないけれど




「けーご」













 * * *



「外真っ暗」

廊下で並んで歩いているが云った。
幼等部のころから一緒だった奴だ。
今日、久しぶりにと話した。
昔は毎日遊んでいて、中学に入ってからぱったりと遊ばなくなった。
中学に入ってからすぐのある時、廊下で「跡部」と呼ばれ驚いていた自分に驚いた。
あまりに唐突だったので、「苗字で呼ぶことが」が校則か何かで定められているんじゃないかと一瞬思った。
幼等部の時『ちゃん』付けで呼ばれていたのから、『景吾』に変わったときもこんな風な変わり方だったろうか。

こんな風だったのだろう。

けれど今はその時のことをさっぱり忘れているのだから
きっとそんなもんなんだろう
そのときはそれで納得させた。



「カバン落としてゴメン」
上履きを履き替えながら、はぽつりと云った。
「あと頭突きも謝れ」
「だって、絶対ケータイ壊れたし」
「それくらい買ってやる」
「ぅん」

夜の中庭でカバンと、見事に壊れた携帯を探り当てる。
「激しいな」
ケータイの画面がそっくりはずれて、奥の基板が見えていた。
「あんたがやったんでしょうが」
「だから買ってやるつってんだろ」
「メモリどうしてくれんのよ…はぁ、面倒」
「俺のメモリいるか?」
「は?」
「おまえの女友達のとか結構は入ってる」
「え、それは・・・微妙」


俺がオンナの番号大量に持ってるのがむかつくらしい。
嫉妬深いのはガキのころから変わってない。

「つか、あんた樺地くんは?」
「…あ、忘れてたな」
「忘れてたじゃないわよ!もう一時間以上たってるじゃないの!」

が慌てて、俺を思い切り引っ張った。

「ベストひっぱってんじゃねーよ、伸びるだろうが!」
「おば様に買ってもらえばいいでしょ!走れアホ」
「テメッ!バカ女!」

こいつは結構走るの早い女だ。
幼等部のときは勝てなかった。
初等部のときは6年連続リレーの選手だった。
いつだ。
この女を抜かしたのは。











 * * *


こいつがカバンをひったくっていった現場、部室まで来た。


「おー、遅かったな跡部もちゃんも」
「あ、侑士ウノ言ってない!2枚2枚」
「は?今から言お思ってん」
「見苦しいですよ、忍足先輩」
「いいから二枚とれよ」
「ウス」

レギュラー全員でUNOやってやがる。
ジローは寝たままカード持ってるし。
樺地までやってる。

「…ったく、さっさと帰れよ」
「教室でチチクリあっとったおまえらに言われたないわ」

チチク……!?

「ええモン見してもろたでー、なージロ」
「…うん。ちゃんが…なんか可愛かった」
「あんま学校で卑猥なことすんなよな」
「キスしかしてねぇだろうが!」
「したんかい!?」
「てめェら・・・」

…カマかけやがったな(ジローまで)

「うっわー、こいつ鬼畜やでちゃん。こっちの優しいお兄さんのとこにしときー」
ちゃん可愛いね」
先輩も一緒にUNOしませんか?ほら、ここあいてますよ!」
「あ、ほんと?混ぜて混ぜて」
「おいバカ女!」
の腕を思い切り掴んで止める。

「帰るんだろ、おまえ」

「え、UNOしようよ。楽しそうだよ?」
「ケータイ買うんだろ」
「あれ冗談だもん!いいよいいよ、みんなで遊ぼうよ」
つれてくなよ跡部ェ」
「せやでー。ちゃんこっち来ときぃ」
せんぱーい」
「ウス」
「それになんで跡部がつれて帰るねん」
「そうだそうだ!やべーぞ、ヤラシーことされるぞ!」
「やめなよー、あいつ怒るから」
「わかってるんならさっさと来いバカ女」

強引に引いて部室の外に押し出した。

「だからなんで跡部が連れてくのさ!」





「仲良し二人組みだからだ!」








戸がしまり、凍りつく部室。





















 * * *


跡部はあたしの手を引いて部室を出た。
目を合わせてくれない。

「いま」
「てめーが言ってくれみたいなこといったんだろ」
「…やだ、なんか面白すぎて涙出てきた」

イヒヒ、とあたしは変な声で笑った。

「泣いてんじゃねーよ」

跡部は私の前を手を引きながら歩いていた。
泣いてないよ。

「何で、さっきあんなこといったの?」
「知るかよ」
「ヤキモチっすか?」
「おまえでもあるまいし…」

語尾が消えたよ



「景吾」



「んだよ」

当たり前のように返事をしたこの男は、あたしがまた涙を流したことしらない。
振り向かずに前を行くから。
幼い頃に、ふたりそろって迷子になったときにもこの男はあたしの前を振り向きも
せずに歩いていた。わたしは何の疑いもなく、その後ろを歩いた。
思い出したらまた可笑しくなった。

「なに笑ってんだよ」
「新しいケータイのメモリ、一番に入れてあげるね」
「勝手にしろ」
の番号も一番にしてね」
「しねぇよ。おまえより可愛い子なんか星の数ほどいんだよ」

とりえあず、後ろから膝カックンをしてやってから二人で携帯を選びました。
あたしは彼のメモリダイヤル登録の項目(誕生日、星座、血液型から住所からなにもかも)を
すべてうめて、彼に見せつけてやった。
「んなことよくおぼえてられんな」
呆れられたけど、彼の笑ったときの顔がテレているように見えたのでよしとする。

あたしは、すこし人より遅い思春期の始まりを強く自覚した。














 * * *


一方、しばらくして解凍された部室では。


「なんやの、あの跡部。ペスト違うか?ペスト」
「ビビったぁ!仲良し二人組みとか言ってなんの話しだよ!ウケるー!!」
「ウス」
「あれってヤキモチですよね」
「ケッ!ダッセ」
「そういえば跡部の携帯のメモリの001ってさ」
「三年前からだよね」
「携帯なくして新しくしても001やったで」
「ちがうよ。小学校のとき携帯持たされてからずっと001だよ」
「よぅしっとんな、ジロ」
「誕生日とか、星座とか、血液型とか、住所とかも全部項目書いてあった」
「は!?メールはウザいゆうて女の子の番号しか登録しとらんのに!?」
「跡部さんって先輩大好きなんですね」

「あーいうキチクにかぎって本命にはウブなんだよ」
「なんかジロがいうと似合わんけど説得力あんな」
「ってゆーか侑士、はやく2枚とんなよ」