ひらり
はらり
私を惑わしながら揺れる

それでもまっすぐの方向へ

蝶よ
美しい蝶よ

ここにとまれ
この指に



手を伸ばした




















わたしはある男を待っている。
永遠に誰の手にも入らないような、気高く、貴重な男だ。
そのような男を待っているわけだからその男がここに来たとしても
”待っていた”などと言ってはならない。
私も気高く在ろう。

夕暮れは寒い。
今日の夕暮れは本当に11月の気温なのか。
寒い
寒い
たまらず校舎の壁から背をはなし、かじかむ足でうろうろと歩く。
足元のイチョウはカサカサ音をたて
頭上のそれは時折思い出したようにはらりとおちてくる。

頭の上におちればすこしおかしいから、
上を見ながら落ちてくるイチョウを待つ。
そう、私が待っていたのは落ち葉ということにしよう。
私が待っている男が来たら、そう言おう。
乙女的でよいだろう。



そういえば、かつてこんな名言を残したのもその男だ。
”見ているヤカンは沸かねえんだよ”
果報は寝て待て、と同じことらしい。
引用なのか持論なのか知らないが、さらりとはずかしげもなく
言ったその男に恋をした。
その男がヤカンという単語を口にしたのもいかにも不似合いで
可笑しかったので記憶している。

灰色の空を背景に、鮮やかな黄金色のイチョウを見上げる。
なかなかどうして、落ちてきてはくれない。
あの男の名言が脳内にこだましていた。
名言というよりは、あの男のあの声が。
いい声をしている。
貴重だ。



「なにふらふらしてんだ」



ようやく来た”あの男”。こと、君。

「ぁ、景吾お疲れ」
「な に ふらふらしてんだ」
「葉っぱが落ちてきて頭にのったら願いがかなう・・・」
「そんなのあるのかよ」
「とはありがちかな、って」
「ばーか」
「別に君を待っていたわけではありません、ばあか」
嘘だけれど。
「でもついでだから一緒に帰ろうか」
「てめ」



「「「跡部先輩、
先輩さようならー!」」」



「「さようなら」」

通りかかった女の子たち
1年生かしら?)は興奮気味に、
小走りに遠ざかっていった。
少し離れたところで黄色い悲鳴をあげた。
可愛らしいこと。
しばし微笑んで見送る。

「君、急に声が変わったよ。わかりやすすぎ」
「おまえこそ」
「なによ」
「別に。かわいい」
「嘘のくせに」
「ばーか」



先を行った君の背を、
マフラーに鼻までうずめる君の愛らしさを
追う。
手を伸ばす。
掴まえる。
よい手触りのピー・コート
見上げると君が横目でこちらを見て、ふっと笑ったように見えた。
身体中の肉が緊張した。

ああ、
なんと愛しく笑うや



横断歩道に差し掛かる君を追えず、思わず立ち止まる。
それでも君はまっすぐに。

まっすぐに飛ぶ其処な蝶よ
この手の止まれ
この指先に触れよ

手を伸ばした。








と、

君は振り返り、数歩戻って私の手をとった。
”俺は上流階級だからこれくらいは当然だ”と言わんばかりに
わらわの手のひらにそっと唇をよせた。


「おまえはあんなとこで枯葉なんかがおちてくんのだけ待ってたのか」
「そう」
「嘘だな」
「嘘じゃないよ」

まっすぐに私を見る。
そんなに顔を寄せないで、息が
息が
声 が

「おまえは俺を待ってた」






やめて
君の声は必要以上に下腹部に響くから
それは卑怯だ
私はひとつだってそれに敵う術を知らない



あばかれる







「――っ待ってた」

「よし」
君は満足そうに唇の端をあげて、また歩き出した。



勝ち誇った笑みの幼さ
なんと愛しく笑うや



君だけを待ち、君が追いつき

ついに追い越され追いつけずに



君に手を伸ばす
この手にとまれ
ひらり
はらり
私を惑わせながらそれでもまっすぐの方向へ